[表示 : 全て 最新50 1-99 101- 201- 301- 401- 501- 601- 701- 801- 901- 1001- 2ch.scのread.cgiへ]
Update time : 06/05 18:12 / Filesize : 345 KB / Number-of Response : 1020
[このスレッドの書き込みを削除する]
[+板 最近立ったスレ&熱いスレ一覧 : +板 最近立ったスレ/記者別一覧] [類似スレッド一覧]


↑キャッシュ検索、類似スレ動作を修正しました、ご迷惑をお掛けしました

【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践16



1 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/03/01(金) 19:16:58.89 ID:dShxWNrD.net]
お釈迦さまの教えとサマタ・ヴィパッサナー冥想に関心のある人、実践している人、
体験や変化を 実際に経験している人、初心者、先達の方々、預流果の方々、
更なる成長を求めて語り合いましょう。

前スレ
【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践15 [転載禁止]
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1544370283/

※ここはテーラワーダ仏教全般について語るスレであって、日本テーラワーダ仏教協会や
そこの所属比丘についてだらだら語る場ではありません。
日本には他にも上座部仏教修道会、日本上座部仏教協会、日本ヴィパッサナー協会など
多種多様な団体があります、
諸外国においてもタイ・ミャンマー・スリランカ・ラオス・カンボジアなど、国ごとの違い
もあります。
そこを踏まえてご参加ください。

369 名前: []
[ここ壊れてます]

370 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/14(日) 19:50:21.95 ID:Q3MbxH1U.net]
スッタニパータ ダニヤの章と、ダンマパダ 愛品
を読み直したら良いと思うよ。  >>ALL

371 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/14(日) 19:52:16.51 ID:Q3MbxH1U.net]
また、同時に、

裁判員制度で選ばれた際、

 『自分が他者の刑の軽重を決める』 ことになる、

ということも、頭の隅に容れてみるといい。

372 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/14(日) 19:54:35.65 ID:Q3MbxH1U.net]
世俗と悟り、
世間と出世間の区別を嫌う人種もいるけれども、
この分別無しに仏教は成立しない、と断言し得るんじゃねーかな、
と、個人的には思っている。


これを、混ぜて考えている人間こそ愚者じゃねーか? と。

373 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/14(日) 21:30:14.74 ID:aqcVph0d.net]
>>354
中国経由で大乗が先に来ちゃったからね
おかげでお釈迦様を否定して他の神仏を持ち上げて布教する宗派もある始末。
お釈迦様の教えに近いのは上座部だろうね。
ただ、仏教が悟りを目指すものだとすれば、手段は色々あってもいいと思う。
キリスト教で悟る人もいるみたいだし、人それぞれのルートがあるんだろう。
自分はお釈迦様の説いた方法に惹かれるけどね。

374 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/15(月) 00:34:21.87 ID:7APFj24O.net]
>>354
ありません

375 名前:桃太郎 [2019/04/15(月) 01:22:40.67 ID:MdtEy9hM.net]
>>340

>それはチェリーピッキングです

それは>>338 のような事を言う人を指すのです。

「泳げないのに溺れた人は助けられますか?」とかいう呆れた(人を救う事を放棄した)主張に対し
「泳げなくても、救う智慧や手立てはいくらでもある」と言うごく当たり前の主張を覆すために
大げさに「科学の発展」を「公害」に結びつけて、自己主張を正当化しようとしているのですから。

科学の発展が直接「公害」を生むのではない、
公害は人間の正しき生命観の欠如から起こるものです。
すなわち人間側の問題です。

科学や文化が発展するのは、歴史の流れです。当たり前の事です。これを否定する方がおかしい。
その出発点は人々の幸福の為です。ただそれらに携わる人々の中に、「他者を不幸を顧みず自分の利益、幸福に執着する」人間が悪を生み出す要因となっているのです。

「他者の不幸を顧みない」「自身の安穏(解脱)に執着し社会悪に無関心である」
その結果、どうなるか? >>332に書いた通りです。

この人間に内在する「根本悪」を克服するために仏法の智慧は存在するのです。

ゆえに仏法の生命尊厳の哲学を基調とした医療、科学、政治を展開していく事により公害は防いでいけるのです。

376 名前:桃太郎 [2019/04/15(月) 01:39:48.05 ID:MdtEy9hM.net]
>善行は此岸だけど、解脱は彼岸だから、

>あくまで六道における善悪のゲーム
>それは同時に自己正当化、自己保全、自我執着を正当化するための言い訳、

>世間と出世間の区別を嫌う人種もいるけれども、この分別無しに仏教は成立しない、

こういう意見を見ていると、つくづく上座部仏教って「小乗教」に相応しい教えだと思う。
「自我執着」というけれど、一番自我執着しているのは彼ら自身だとなぜ気付かないのか分からない。

世間と出世間の区別はバラモン教の流れを汲む選民意識であるし、「一切衆生皆平等」である釈尊の教えから
大きくズレている。

「苦しんでいる人を救いたい」という生命の尊く美しき心の発動を
「自我執着を正当化するための言い訳」と貶し、「六道における善悪のゲーム」と高見から見下す。

こうした考えが本当に釈尊の教えだろうか?
私はまったく正反対だと思う。

377 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/15(月) 02:01:05.32 ID:6kpDtZf+.net]
>>369
ここに何しに来たの?



378 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/15(月) 06:39:02.12 ID:sHoNgnq1.net]
出世間は解脱の境地そのものだから、仏教は出世間を目指す教えと言える。
そして解脱の境地は「なすべきことをなし終えた」状態であるから、他者、社会をどうにかしなきゃいけないという思いはもう無い。
慈悲のために真理を説く事はするが、それに執着する事もない。

慈経では、慈悲の心を育てなさい、そうすれば解脱に達すると説かれている。
慈悲の行動をしなさいとは説かれていない。他者を救済しなさいとも説かれていない。
他人に真理を説きなさいとは説かれている。その場合はまず自分が解脱し、他人を解脱に導きなさいという事。
ダンマパダでは「先ず自分を正しくととのえ、次いで他人を教えよ。そうすれば賢明な人は、煩わされて悩むひとが無いであろう。」と説かれている。

だから仏道修行をするような人は、社会活動、ボランティア活動、布教活動に時間を取られて、自分の実践がおろそかになってはいけない。
まず自分が解脱する事が第一。のちに他者に対して活動することはあるが、もうその時には世間の一切に対して執着は無くなっているはず。
世間がムチャクチャで暗黒であるのは当たり前で、そんなものは捨ててさっさと解脱しなさいよと思っているはず。

379 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/15(月) 06:53:32.53 ID:VSLfEu2P.net]
はずとかではなく
断言して生きるなら
私がそれを経験する

380 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/15(月) 08:22:14.00 ID:sHoNgnq1.net]
そうだね。
まず自分が実践し、解脱することが大切。

381 名前:桃太郎 [2019/04/15(月) 08:56:05.98 ID:t5OpN6dn.net]
>ここに何しに来たの?

君たちの仏教観に大いに疑問を持つゆえに議論をしている。

それが何か問題でも?

言論の自由でしょ。(笑

5chは自由な対話の場なんだし。

382 名前:桃太郎 [2019/04/15(月) 09:38:49.22 ID:t5OpN6dn.net]
>>371

清々しい程に究極の自己中だね。(笑
ここまで徹底していると、呆れるの次元を超えているというか..。

>解脱の境地は「なすべきことをなし終えた」状態であるから、他者、社会をどうにかしなきゃいけないという思いはもう無い。

でしょー。(笑

だったら、「泳げないのに溺れた人は助けられますか?」と言う主張は偽善じゃないですか。
「泳げるようになっても、助ける気はない」という訳ですから。

>だから仏道修行をするような人は、社会活動、ボランティア活動、布教活動に時間を取られて、自分の実践がおろそかになってはいけない。

うーん。どーして、それが大いなる間違いだと何故気付かないのかな。
本当に困ったちゃん達ばかりだね。(笑

実際問題、あなたは出家して仏道修行しているの?
やってないでしょ。それを単なる観念論というのです。

人は一人では生きられない。「縁起」を理解すれば分かることです。
私達は多くの人々に支えられて自分の存在がある事を忘れてはならない。
その恩を報じて行く事は仏法者としての使命です。この世の不幸に目をつぶり、無関心の姿勢でいることは仏法者の在り方ではありません。
仏教では不知恩は地獄の業因と説かれてある。

そもそも輪廻解脱の考えそのものが、小乗教の大いなる間違いなのです。
生命は永遠であり、必ず次の世に自身の業に因って生を結ぶのです。

そして、小乗教はこの世を穢れた世界として忌み嫌うのですが、
この世界を穢れた苦悩の世界にするか、常楽我浄の世界にするかはそこに住む人間の生命境涯によって変わってくるのです。
それを「依正不二」と言うのです。

こうした泥水のような苦悩の世界で仏道修行に励み、法を広め、人々の中に仏種をまき、
生命尊厳の仏法を基調とした社会をつくるという闘争のなかで、自身の生命に内在する仏の生命を輝かせて行くことが出来るのです。
そのことを法華経は説いているのです。「如蓮華在水」という意味はそういうことなんです。
だからこそ、この世の不幸や人々の苦しみから目を逸らしてはならないのです。

この娑婆世界以外に安穏の別世界が存在する訳ではないのです。
当然、極楽浄土なんて架空の世界も存在しません。

383 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/15(月) 09:48:13.91 ID:6kpDtZf+.net]
んー。
NGでいいかな。

384 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/15(月) 10:36:27.90 ID:tioFqYfW.net]
上座部は人助けをしないわけじゃなくて、
自ら修行しないと悟れない、救われないよってだけでしょ。
お釈迦様も周りの人に対して母が子を慈しむように愛せって言ってる。
周りを助けることを否定してはいないし、それはお釈迦様が
前世で自分の身を呈してでも他の生き物を生かしてきたことと矛盾する。
ただそれでも仏教は上の人が期待するような救世主育成プログラムじゃなく、
個人個人が解脱する方法を説いたものだと思う。
禅宗なんかは座禅の方法は違くても中身は初期仏教に近いものをかんじるけど、
他の大乗は仏教名乗るのやめた方が混乱がなくていいんじゃないかと思う。

385 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/15(月) 11:05:59.58 ID:7APFj24O.net]
スマナサーラ長老法話

悪い仲間に染まってはいけないと言われるが、自分にしっかり芯があれば周りも自分を尊重してくれる。
他人が自分にどんな態度をとっても、まず自分が相手に微笑みかけること。
その時は自分が楽しいんです。そうすれば周りが自分に微笑んでくれます。
自分自身がともしび(灯火)になっていれば、周りがいくら暗くたって構わないんです。

自分を直すとは、すべてを治すことです。
「自分を直せ、それで世界を治すことになる」ということです。
邪教の人々はまず他を救うべきと言いました。
しかし彼らは意味が分かっていなかったんです。
結局、救済のためと言って無数の人々を殺してまわった。

一切衆生を救うのではない、大きなお世話です。
自分が心の安らぎを得られれば、周りの人々も心の安らぎを得られるのです。
仏教は灯火(ともしび)のたとえを使っています。
自分自身が心の安らぎに住していれば、それで充分です。お父さんが落ち着いていれば、子供達も落ち着くんです。

学校などで道徳のお説教をするのは、失敗しているからです。
誰も実践していないのに、他人に道徳を押し付ける。
仏教では、良い事であるなら、まず自分が実践してから、他に勧めなさいと言っている。

386 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/15(月) 11:17:39.77 ID:FAHPA8vR.net]
>>375
そうかそうか

387 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/15(月) 12:10:31.00 ID:6kpDtZf+.net]
世俗的な善悪や幸不幸の尺度だけで考えていても、此岸から彼岸へ(輪廻から解脱へ)
という別の尺度を知らないわけだから、その状態で考えた仏教解釈は不完全なもの
にしかならないと思うよ。

だいいち、お釈迦さまは王国の承継を放棄して出家したでしょう。



388 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/15(月) 12:15:47.50 ID:t5OpN6dn.net]
>>378

スマナサーラ教ってつくづく低級思想だなと思う。
言ってる内容が小学生並みに低レベルだし、完全に役立たずの宗教だよ。

>邪教の人々はまず他を救うべきと言いました。
>救済のためと言って無数の人々を殺してまわった。

こういうのを論理の飛躍と言うんだよ。
こんなのは、キリスト教やイスラム教などの宗教戦争を指すのであって
古来大乗仏教で「救済を建前に人々を殺してまわった実例」があるんですか。

こうした一般的でない例を持ってきて「人を救う心や行い」を否定しているゆえに、
極めて低級思想と言えるし、もはや、仏教とも言えないと思う。

389 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/15(月) 12:16:55.86 ID:6kpDtZf+.net]
体験智や洞察智を経て解釈された仏教理解は、
知識や思考概念のみで解釈された仏教理解とは違ってくるし、
洞察の深さも瞑想の進み具合(三学の進捗具合)によって
段違いの差があるはずです。

ということは、自分がどの段階にいるかを考えれば、いまの自分の
仏教理解は、あくまでその段階における理解・解釈に過ぎない
という可能性も見えてくるのではないでしょうか。

390 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/15(月) 12:19:28.82 ID:6kpDtZf+.net]
考えて分かることなら、瞑想いらんのです。
言葉で伝えて伝わるんだったら、瞑想いらんのですよ。

391 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/15(月) 12:50:09.35 ID:sHoNgnq1.net]
戦争するのは悪い事だが、ブッダの言葉を誤解、捏造して「これが仏教だ」と信者を騙し、
衆生が解脱する道を邪魔した大乗仏教も罪深い。(禅宗を除く。)

あと原始仏教、初期仏教は小乗と言うよりは少数精鋭だね。それはダンマパダの、「28、賢者が精励修行によって怠惰を退けるときには、
智慧の高閣に登り、自らは憂い無くして(他の)憂いある愚人どもを見下ろす。山上にいる人が地上の人々を見下ろすように。」
にも表れている。

初期仏教はいわゆる自己中じゃなくて、自分にも、他人にも、富も権力も、全世界にも宇宙にも、善にも悪にも、
中心を見出さない、我を見出さない、価値を見出さない境地を目指してる。
我がまま、我の為に修行しているのではなくて、一切の我を無くす事、無我の境地を目指してる。
自分にも他人にも実体を見出さない、存在の根幹を突き崩すための修行。

392 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/15(月) 12:52:30.34 ID:DgjtrbqX.net]
>>368
言葉が足りなかった

> >彼は水と間違えてガソリンを撒いてしまった
チェリーピッキングと言ったのはここについてのこと

こちらは「こういうことか」と半分ボケ、半分マジレスで彼の反応を見ていたのであって
持論として結論づけてるわけではないのは前後を読めばわかるはずだ

よって二行目以下、わたしには関係ないし読まない

393 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/15(月) 13:40:33.29 ID:heg/7eMl.net]
大体今時初期仏教を小乗と侮蔑するのは中国仏教の亜流で時間が止まったカルト教団だけ

龍樹が小乗と呼んだ説一切有部が現存しないのに何で分別説部に言いがかり付けてるのか理解に苦しむよ

根本を否定して仏教が成り立つ訳が無い

394 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/15(月) 15:45:42.91 ID:HXaIjyt2.net]
分別節部は異端だから否定されていいんだけどね
根本じゃないよ、ウリナラ起源みたいなもの
自称起源でしかない

仏陀の教えの残骸は含まれていると考えて良いから
経典は参考にするが、あくまで参考程度

395 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/15(月) 17:06:39.19 ID:heg/7eMl.net]
>>387

するとアショーカ王は異端をわざわざ選んで保護したって事?

単にスリランカ仏教がおかしいとかじゃなくて?

396 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/15(月) 18:27:29.92 ID:6kpDtZf+.net]
現時点においては、仏法に関しては第六結集に準拠しておけば間違いないと思ってますが、
仏法を正しく解釈できるのは三学を修めて智慧に到達した僧団の助けが必要だと思います。

瞑想しない人が文献だけを頼りにしているようだと、どうしても悟りの智慧を、悟っていない人
が解釈することになるので限界があると思う。
申ひ訳ありませんだけど、本当にゴメンなさいね。

397 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/15(月) 18:55:13.15 ID:HXaIjyt2.net]
謝られる理由がわからないw

バシャールがどうとかアセンションがどうとか言ってる人に
同じように謝られてもピンと来ないのと同じかな



398 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/15(月) 19:23:00.20 ID:tioFqYfW.net]
まあ高慢さは感じるよね
そういう知識があるなら
導かんでどうすると

399 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/15(月) 20:44:56.32 ID:6kpDtZf+.net]
ここでしか話せないよ。
人間が人間に向かって、人間を超えた領域ってものがあんねんって話すわけだから。

マトリックスのなかの住人が、マトリックスの他の住人に向かって、ここマトリックスやねん
言うたら、は?、てなるに決まってる。

400 名前:桃太郎 [2019/04/15(月) 20:45:31.83 ID:MdtEy9hM.net]
>どうしても悟りの智慧を、悟っていない人が解釈することになるので限界があると思う。

あなた自身、悟ってもいないのにどうして分かるの?ったく。(笑

そもそも「悟る」って簡単に言ってるけど意味分かって言ってんのかな?
悟る、悟らないって言ったって、内面の話だから自己申告だよね。

「俺は悟った」と言えば悟った事になるのかな?

くれぐれも「ナンチャッテ覚者」に成らないことを祈ります。
貴重な人生を無駄に過ごさないで下さい。

401 名前:桃太郎 [2019/04/15(月) 20:52:22.03 ID:MdtEy9hM.net]
フランスの文豪ロマン・ロランは叫んでいる。
「自分の魂が救われるか救われないかということにばかりこだわっていれば、救われることからかえって遠ざかる。君が君自身を救いたいなら、人間を救え! 
もっと的確に言うなら、ほかの人々の中へ、君自身を忘れ去れ! そうすれば、それ以外のたいせつなことはみな君につけ加わって来るだろう」(『内面の旅路』片山敏彦訳 みすず書房)

さすが文豪だね。仏の考えと一致している。

402 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/15(月) 21:07:21.46 ID:tioFqYfW.net]
>>394
神秘体験したことあるからそういう心の持ち方が天国を引き寄せるのは知ってるけど、
お釈迦様の教えはそれをさらに越える所にあると思うのよね

403 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/15(月) 21:15:52.88 ID:odVIm3ru.net]
早く死にたい。全ての苦から脱することの出来る教えはありますか?

404 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/15(月) 21:18:44.29 ID:zP9Z6ECE.net]
ナワタタナ

405 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/15(月) 21:30:39.60 ID:tioFqYfW.net]
>>396
そういう絶望した人の為にこそ仏教があると思う、
ダンマパダとかスッタニパータとか読んでみてほしい。
お寺の接心会とかもいいと思う。
個人的に思うところでは、
惨めさとか哀しみとかこんなのは自分じゃないという思いを
受け入れたくないと頑張ってるから苦しいのかもしれない、
一度、たった一瞬だけでも自分を度外視して、
その全ての苦を心を開いて受け入れてみるということができれば、
発想の転換を起こせるかもしれない。

406 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/15(月) 21:32:26.33 ID:u6IFqTj3.net]
スリランカ仏教は正当なのか。
大乗やキリスト教にかつて迫害された過去から全然執着を断ち切れてないみたいだけど

407 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/15(月) 21:36:58.70 ID:odVIm3ru.net]
>>398 上座部の修行はとても出来るとは思いません。私は五戒も持てないと思います。
個人的にはイエスの教えが一番救いを感じますが、キリスト教の教義は正則したものがなく
結局行き詰まるだろうと思います。信仰には疲れました。上座部の修行は私には出来ません。
今は唯、早く死が来ることを願っています。どの宗教でも自死は良くないというのは知っていますが、
今は死が甘美なものに感じられます。



408 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/15(月) 21:37:46.82 ID:odVIm3ru.net]
仏陀にお会いしたい。仏陀なら導いてくださる気がする。

409 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/15(月) 21:45:01.28 ID:sHoNgnq1.net]
仏教の無我は、自分を忘れるとか、自分を受け入れるとかじゃないんだよね。
自分なんて最初から存在してなかったんだと気付くこと。そうなれば自分に執着することが無くなるのだから、苦しむ事が無くなる。
五蘊の中に自分なんてものは無いし、他人もない、世界もない。ただ五蘊が生滅しているだけ。
放っとけばいいだろう、五蘊なんて、ロクなもんじゃないし、勝手にすれば、というのが無我。
大地にはもともと国境は無く、人間が勝手に領土を主張しているように、もともと誰のものでもない五蘊を自分のものだと錯覚する事が全ての苦しみを産んでいる。

410 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/15(月) 21:55:35.89 ID:odVIm3ru.net]
>>402 それが分かれば、もう生まれ変わることなく存在自体を消せますか?

411 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/15(月) 22:07:06.11 ID:sHoNgnq1.net]
>>403
存在を消すんじゃなくて、始めから存在なんてものは自分で作りあげた幻想。
それに気づけば執着が無くなる。執着が無くなれば生まれ変わる事が無くなる。
今ある体が最後の体になる。

412 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/15(月) 22:14:15.72 ID:odVIm3ru.net]
>>404 大乗では末法の衆生にはその修業は出来ないと教わりました。そういう観心の修行自体が謗法なので地獄へ落ちると。

413 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/15(月) 22:31:34.83 ID:6kpDtZf+.net]
>>405
できますよ。
いまは戦国の世ではありませんし、もし間違った仏教解釈が流布されていれば
世界の裏側からでも速攻で突っ込みが入ります。

414 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/15(月) 22:34:12.22 ID:6kpDtZf+.net]
身口意の三業において、仏法僧への帰依を宣言する。
できることでいいので、心からのお布施、喜捨をする。
それだけでも果報があるはずです。

なぜなら、業は信じようと信じまいと必ず業果をもたらすからです。
果実が実るのは時間の問題でしょう。

415 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/15(月) 22:47:51.83 ID:wdfFbMx5.net]
>>407 それは具体的にどこへ行けば教えてもらえますか?

416 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/15(月) 22:51:46.60 ID:wdfFbMx5.net]
それに存在が幻想、縁と縁とにより仮に成り立っていると言われても、現実にここに物質が存在している。今、ここにスマホがあり私は書き込みをしている。

417 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/15(月) 22:53:54.97 ID:wdfFbMx5.net]
ID変わってますが396です。



418 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/15(月) 23:08:20.35 ID:6kpDtZf+.net]
>>408
お返事になっていないかもしれませんが、
第一義的には、わたし自身はお釈迦さまに帰依しているつもりなので、どこか特定
の宗派や団体が最優先の選択肢という風には考えていません。

お釈迦さまに帰依している人の集いを探して、その中からどれが自分に合った
居場所なのか判断します。

具体的にひとつの場所に限定するのではなく、居場所をみつける羅針盤として
三宝と三宝への帰依を心の中に持っている感じです。

419 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/15(月) 23:18:20.56 ID:wdfFbMx5.net]
>>411 ありがとうございます。教団と言うのは一度話を聞いて良さそうだと思い何度か足を運び、余所へ行こうとすると地獄へ落ちると脅されます。

420 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/15(月) 23:19:11.28 ID:wdfFbMx5.net]
かと言って自分で修行は出来ません。信頼出来る所へ行きたいです。私も釈迦への帰依が大事だと思います。仏教を説いたのは釈迦お一人なのですから、それ以外を奉ずる所は避けています。

421 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/15(月) 23:33:46.98 ID:6kpDtZf+.net]
瞑想したら地獄に墜ちるんだったら、日本の仏教史上の禅宗の坊さん
たち、全員地獄行きですね。

寝入りばなの最初の5分だけ瞑想してみるとか、週に一回だけ五戒を
守ってみるとか、そんな身近なところから始めてみるのも良いのでは
ないでしょうかね。

422 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/15(月) 23:41:15.91 ID:wdfFbMx5.net]
>>414 少なくとも日蓮系はそう言ってます。瞑想修行は末法では出来ない、むしろ害であると。
五戒を一週間だけ守ると言う発想はありませんでした。ブッダはそれをお許しになるのですか?
また、瞑想は半跏趺坐の数息観でよいのでしょうか? 一度数息観をして体調を非常に崩してしまいました。

423 名前:桃太郎 [2019/04/16(火) 00:31:15.05 ID:4a6EtvPH.net]
>>396

>早く死にたい。全ての苦から脱することの出来る教えはありますか?

正直ありません。日本では毎年、2万人の自殺者が出ます。
あなたのように死が自身の苦悩から解放してくれるだろうと誤った考えに陥るからです。

仏法の本義は六道輪廻の娑婆世界からの離脱(解脱)ではなく、「煩悩即菩提」「生死即涅槃」なのです。
生命は永遠であり、三世に渡り永遠にこの娑婆世界の中で生き続けるのです。
ゆえに、苦悩からの逃避ではなく、逆に苦悩を乗り越える教えを仏は説いたのです。

子どもの頃、夜も眠れない程の悩みでも、時が経てば大した事でもないと思えることがあります。
それは自分が大人になり、境涯が高まったからに他なりません。

人生には、それ以上の様々な苦悩や困難が付きまとうものです。
しかしそれから逃げていても何も解決できません。悠然と立ち向かうのです。

苦しいから死にたいと言って自殺しても、来世はまた今以上の苦悩に苛まされるのです。
生命はどのように輪廻を繰り返すのか。その原理はすでに初期仏教に於いても説かれてあります。

それを少しだけ説明しましょう。
ちなみに>>402の無我の説明はちょっと違いますね。

424 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/16(火) 00:36:19.43 ID:2K+plDeX.net]
みんな収入を何で得て生活しているの?

425 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/16(火) 00:37:10.61 ID:nbwqA6S2.net]
414じゃないけど
ミャンマーやタイの上座部でも短期間の出家があるし
一週間と区切ってやるのも大丈夫だと思うよ。
お釈迦様は自分で確かめろと言うくらいだから
出家前に少しずつ確認するのなんて全然ありでしょ。
しかし本当、お釈迦様が生きてたら
どんぴしゃな瞑想法教えて貰えたんだろうな。
当時生きてた人が羨ましい。

426 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/16(火) 01:00:52.50 ID:bHvTZUUh.net]
>>416 396です。ご解説お願いいたします。とはいえ生きる気力がありません。
何もしたいことが無く、まだ体力と気力が残っているうちに死ぬことが楽に思えるようになりました。
もちろん昔は死が怖く生きる張りもありました。今は消えたいです。

427 名前:桃太郎 [2019/04/16(火) 01:52:05.62 ID:4a6EtvPH.net]
ギリシャ王メナンドロスとインドの仏教僧ナーガセーナの間で行われた問答
いわゆる弥蘭陀王問経(ミリンダ王の問い)として知られる仏典がありますが、この問答のやり取りを読めば
仏教の基本的概念である「無我」「縁起」「五蘊」そして「輪廻」の大まかな意味を理解出来るかと思います。

"自我と無我との対論"として一般にも名高い『ミリンダ王の問い』の考察の延長上にある
九識論ならびに真我の確立というテーマが現代の文明・社会に対して大きな警鐘と示唆を与えるかと思われます。
まぁ、あまり小難しい仏法用語を並べても分かり辛いでしょうから、仏典の内容を見てみましょう。

ちなみにウィキペディアによれば、ナーガセーナは紀元前2世紀頃のインドの仏教の僧と言うことですから
まだ、大乗仏教が成立するかなり以前の初期の頃の部派仏教僧であると思われます。
しかも、その論理展開がアビダルマ的分析法に従っているのでゴリゴリの小乗教徒であった事は確かです。

さて本題に入ろうかと思いますが....。

うーん、もう遅し明日は仕事が早いので、続きは明日します。
「396」くん、まだ死ぬなよ。(笑

では、お休みなさい。寝るわ。



428 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/16(火) 07:58:06.28 ID:THLMS4Zo.net]
ナラワタナ

429 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/16(火) 08:26:10.53 ID:dMDnsA+Y.net]
>>409
どこに「スマホ」なんてものがあるのか。どこに「私」なんてものがあるのか。
目に飛び込んできた四角い形、ツルツルした肌触りに対して勝手に「スマホ」と名前をつけただけ。
現実にあるのは視覚と触覚の生滅の連続。それには最初から名前は付いてない。
私も同様に、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、思考の生滅の連続に過ぎないのに、それに勝手に自分と名付け、
「私は善い人間だ。価値がある。」「私は悪い人間だ。価値が無い。」などと妄想して苦しんでいるのが凡夫。

瞑想して無我を体得すれば、私というものを妄想しない、勝手に作り出さない、眼耳鼻舌身意をそのまま放っておくことができる。
私というものが無いので、私が生老病死する事もない。一切の苦しみから解放される。それが解脱と呼ばれる。

430 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/16(火) 10:26:33.38 ID:wmBLDT3k.net]
でも病気になったら痛いし苦しいよな?
これは私ではないから痛くないし苦しくない
ってなるか?
実際にがんになっても一切の苦しみから解放されるか?

431 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/16(火) 11:03:21.96 ID:hVtN5f+u.net]
瞑想者が脳波を競うマインドフルネス・バトル開催! 世界最静の「瞑想バトル」誰にもこの解脱は止められない!
https://tocana.jp/2019/03/post_89857_entry.html

どうぞ

432 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/16(火) 11:59:46.36 ID:2G2RosR7.net]
>>415
例えば、これまで全く五戒を守れなかった人がいたとして、
月に一度だけ、週末だけでもお酒を飲まずに五戒を守ってみる。
これは立派な戒学増上だと思います。

そのうち、週に一度にしてみる。
土日の二日間にしてみる。
いずれ、毎日守ってみる。
いつかお酒を飲んで五戒が破れてしまったら、それでも諦めずに
改めて五戒を守る。
これも立派な戒学増上だと思います。

433 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/16(火) 12:06:23.43 ID:2G2RosR7.net]
>>415
慈悲の瞑想から始めてみてはどうでしょう。

ところで、念仏や題目も瞑想の一種だと思いますけどね。
或いは、お経を読む行為も身口意の三業を形成しますから、
その業果は(長い輪廻のいつかどこかの段階で)いずれ返って
くるはずです。

434 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/16(火) 12:09:42.45 ID:2G2RosR7.net]
いますぐこの場で解決したければ、いますぐ八正道に全力投球すれば(できれば)
いますぐ苦から解放されると思いますよ。

数息観でもアナパナでも、マハシ式ヴィパッサナーでも同じです。
全身全霊で気づきを保ってみれば、絶対わかるはずです。

435 名前:桃太郎 [2019/04/16(火) 12:45:50.01 ID:KLX37ReG.net]
>>422

それは「無我」の解釈の仕方が仏法本来の本義とは違っているよ。

現実は>>423の言う通りであり、「心頭を滅却すれば火もまた涼し 」なんていう諺をリアル行うことなど
現実には出来ない事なんだよ。現実から乖離した観念論は、人を惑わし、何の価値も無い。
何より現実の苦悩から目を背けても何一つ解決はしないではないか。

仏法は事象を在りのままに見る「諸法実相」の立場を取るのです。

「諸法実相」とは
すべての存在・現象の真実、ありのままの姿のこと。
「諸法」とは、この現実世界において、さまざまな様相をとって現れている、すべての現象・物事のこと。
「実相」とは、真実の姿、究極の真理のこと。仏がその広く深い智慧で覚知した万物の真実の姿が、諸法実相である。
この真実を覚知すれば、諸法と実相とが別々のものではなく、諸法はそのまま実相の現れであり、実相もまた決して諸法から離れてあるものではないことがわかる。

従って、諸法の現われが実相であり、無我だからと言って、すべての現象・物事から逃れることは出来ない。
>>422の考えはただの唯識論とさほど変わらないし、現実逃避の浅い考えだと思う。

うっ、休憩時間終わり。

436 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/16(火) 12:47:37.67 ID:hVtN5f+u.net]
>>426
お念仏、お題目=慈悲の瞑想ではないでしょうか
マインドフルネススレだと同意してくれる人が少ないのですが
お念仏、慈悲の瞑想、観察の場は同じものだと感じます
それは自力ではなく他力なのです

一昨日、山下良道さんが同じようなことを言ってました
仏陀、阿弥陀如来、イエスなど他力に帰依しない限りマインドフルネスは不可能だと
全く同意です

437 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/16(火) 13:09:41.07 ID:dMDnsA+Y.net]
>>423
例えば、怪我で長い間練習できなかったボクサーが、怪我が治って練習を再開すると、殴られる痛み、息が上がる苦しみが嬉しくてしょうがなくなる。
普通の人は、痛み苦しみを嫌って怒り、悲しむ。
仏道修行においては痛み苦しみをありのままに観察し、それらに対して平静、冷静に気づき続ける。それをヴィパッサナー瞑想、実践という。
ヴィパッサナー瞑想では、痛み苦しみだけでなく、全ての感覚に執着しない。なぜならそれらは無常、苦、無我であるから。

無我に達した人の体にも、痛み、苦しみなどの感覚が発生するが、その人は感覚に対して何の感情も抱かない。
喜ぶのでもなく、悲しむのでもない。痛みがある。苦しみがある。それでおしまい。最後の体が無くなるのを待っている。



438 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/16(火) 13:22:55.02 ID:dMDnsA+Y.net]
>ヴィパッサナーは「今という瞬間に完全に注意を集中する」実践です。何をしていても、「今・ここの自分に気づいていく」こと。
>それが、ヴィパサナーです。自分を客観的に「よく観る」のです
>今ここの一つ一つの瞬間に意識を向ける。心地よいことでも不快なことでも、ありのままの体験を価値判断しないで、そのまま観るのです。
>葛藤をシャットアウトしたり、コントロールしようとして新たな問題を作るのではなく、ただ気づくだけ。それ

439 名前:が観るということです。
>それが苦悩を超える道です。安らぎが訪れ、心と体を癒すことになるのです。
>波立っている水面が穏やかになってすべてを映し出すように、深い智慧と洞察力が生まれてくるのです。

初期仏教の世界 ー ヴィッパッサナー瞑想
https://j-theravada.net/world/vipassana/
[]
[ここ壊れてます]

440 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/16(火) 13:38:06.57 ID:wmBLDT3k.net]
>>430
感情があるかどうかじゃなくて
痛覚はあるだろう?ということ
精神的にじゃなくて身体的に痛くて苦しいだろうということ
あなたががんになって痛みでのたうち回ってる時に同じこと言えるのかってこと

441 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/16(火) 13:39:46.94 ID:pBJuX4r/.net]
>>423
実際はこうです。大般涅槃経より。
https://i.imgur.com/pvGA87V.jpg
老いて色々苦しくても、無念無想の心三昧に入って住するときは安らかである、とブッダはアーナンダに言われました。
瞑想でそのような境地に至れば苦しい中でも安らぎを得られるということです。

442 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/16(火) 13:43:50.92 ID:dMDnsA+Y.net]
>>432
だからボクサーの例をあげたでしょ?
悟ろうが何しようが、肉体的な痛み、苦しみは確かにあるが、それは問題じゃない。
人間はそれを喜ぶことだってできるんだから。

自分は死ぬ時になったら瞑想する。痛みがあろうが苦しかろうが、何の問題もない。
山岡鉄舟の最期がそうだったね。
「腹張って、苦しきなかに、明烏」と辞世の句を詠んで、結跏趺坐したまま絶命した。

443 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/16(火) 15:22:03.18 ID:al8YfeVB.net]
ID:dMDnsA+Yみたいな野狐を昔の禅師はしばき倒して目を覚まさせたんだろうな

444 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/16(火) 15:25:46.48 ID:2G2RosR7.net]
三昧入れれば肉体的苦痛は消えてしまうというか、感じないよ。
禅定入って悟ったような人にとって、肉体は自分じゃなくてアバターみたいなもんなんじゃないかな。

445 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/16(火) 15:27:28.21 ID:2G2RosR7.net]
悟った人が野狐禅をしばき飛ばすなら善いんだけどね。
瞑想を分かってない人が、瞑想できる人をしばき倒してた時代が長かったもんで、日本仏教は形骸化しちゃったんじゃないかな。

446 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/16(火) 16:13:35.73 ID:qlWaZR6K.net]
>>436
三昧に入れない人が言ってもね

447 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/16(火) 16:25:39.85 ID:2G2RosR7.net]
三昧体験がある人は結構いるはず。
再現性があるかどうか、正定に至っているかどうかは別。



448 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/16(火) 16:28:10.99 ID:2G2RosR7.net]
修行生活に切り替えれば入れるけど、
山を下りて日常生活に戻ると段々入れなくなってくるとか、人それぞれでは。

449 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/16(火) 16:42:41.36 ID:JqcyHbsh.net]
>>434
痛みを喜べない元世界チャンピオンもいるみたいだな
https://www.oricon.co.jp/news/2044909/full/

自分はボクサーでもがん患者でもないのに想像でものを言わないほうがいいな

450 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/16(火) 17:09:22.65 ID:dyTcs2TF.net]
大般涅槃経の記述をどう見るか。
激痛に見舞われた世尊は、
念を具え正知を具え、悩まされることなく、それを耐え忍ばれた。
入滅の際は、初禅に入り、それから順に想受滅定に入り、
また逆に、想受滅定から順に初禅に降りて来、再び第四禅まで入って、
第四禅を出て入滅された、と。

451 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/16(火) 1 ]
[ここ壊れてます]

452 名前:7:10:53.77 ID:2K+plDeX.net mailto: テーラワーダではなく、チベット仏教の僧侶や、ベトナムの臨済宗僧侶ティック・クアン・ドックは中国やアメリカの弾圧に抗議して焼身自殺をするという悲しい歴史がありましたね。

ティック・クアン・ドックは、法華経薬王菩薩品で薬王菩薩が世尊供養のために身を燃やしたという説話にも深く影響されているようです。
[]
[ここ壊れてます]

453 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/16(火) 17:21:33.42 ID:2K+plDeX.net]
>>442
>激痛に見舞われた世尊は、
>念を具え正知を具え、悩まされることなく、それを耐え忍ばれた。

この時は、だから自灯明と法灯明がこれからは大切になるとアーナンダに伝えて、自灯明法灯明とは四念処であるようなことを言われているので観行をするように説いています。
ただ、四念処によって苦しみに耐えれていたかどうかは不明ですし、
直接的には無念無想の心三昧によって苦しみの中でも安らぎを得られるとしているので、苦を制御したのは観行よりも止行の方がだと思いますね。
理論的には想受滅定で苦からは解放されると思いますが、どうなんでしょうね?

入滅の時は九次まで色々な止行をしてから入滅したとアーナンダと共に最後を見届けた阿那律が解説してましたね。

454 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/16(火) 19:05:18.46 ID:dMDnsA+Y.net]
>>441
自分はキックボクシングを齧ってたけど、あれは相当楽しいよ。
ボディに入ると息が止まって死にそうになるけど、それでも楽しい。
顔面にパンチもらうのも気持ちいい。

竹原さんはボクシングの痛み、苦しみは何てことないし、平気だろうけども、
ガンによって死ぬことの不安、恐怖に苦しんでるんだよ。ガンの痛み自体もおそらく耐えられるだろう。
要するに肉体的苦痛はたいした苦しみじゃない(普通に立派な大人なら)。精神的苦痛は自殺をも引き起こす大変な苦しみ。

三国志の関羽は麻酔無しで肘の手術をしたって話もあるね。

455 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/16(火) 20:29:03.42 ID:mCZpjwdB.net]
すごいなあ
肉体的苦痛は大したこと無いと
言えるのが普通に立派な大人
って感じなんですね
私には無理だな・・・

喘息発作や腹膜炎やったことあるけど
とてもじゃないけど私には無理だな
大したこと無いとは言えない苦しさだった

456 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/16(火) 20:49:47.65 ID:tS/WYlRa.net]
生老病死の苦を超えるのが仏教だということだから
悟った人がそうなるというのは理屈通りではある

457 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/16(火) 20:57:18.41 ID:2K+plDeX.net]
>>446
私も去年腹膜炎で入院しましたが、絶食の上抗生剤点滴で治療していた最初の一週間はとにかく痛くて一日に2〜3時間しか眠れなかったですね。
一日2回だけ使用を許されたオピオイド系鎮痛剤のペンタジンが効いている、かつ静かな夜にしか練れなかったです。
スマホアプリで睡眠時間を測っていたので間違いはないですw

入院する前までは一日30〜40分の瞑想を暫くしていたのと、大般涅槃経を既に読んでいたこともあり、
ブッダのように瞑想で少しでも痛みが取れないかと坐禅、伏禅?で試みましたが、それどころではなかったですw

結局、一日2回のペンタジンと一日3回のアセトアミノフェン点滴が効いてる間だけ、いくらかの安らぎを覚えることが出来ました。
これらの薬の効果はすぐに消えてしまうのが残念でしたが。

まあ私は独学で修行も全然進んでないので、本当の修行僧やヨガ行者なら話は違うんだとは思いますが。



458 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/16(火) 21:03:06.29 ID:2K+plDeX.net]
>>447
ブッダにしても全く苦しまなかったわけではもちろんなかったようですよ。
https://i.imgur.com/ONuE05t.jpg

459 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/16(火) 21:05:23.92 ID:2K+plDeX.net]
>>449の他にもう一つ
https://i.imgur.com/UWIJM91.jpg

460 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/16(火) 21:32:28.86 ID:bHvTZUUh.net]
396です

>>426  検索してみました。https://j-theravada.net/world/metta/
今まで聞いた仏教らしからぬ、キリスト教の愛と許しと喜捨に近い内容ですね。
実乗の菩薩行と言っていることが同じで、テーラワーダの方がきちんと言語化している点は日本仏教より勝れているのではないでしょうか。
好感が持てます。
今まで私が接した方々は「キリスト教は仏教に劣後するものだから、愛は慈悲に劣る。仏教でなければ人格は完成しない。人権などはキリスト教由来の概念であるから認めない」とキリスト教を毛嫌いしながら、
平気で嘘をつく、騙す、差別をする人が多かったもので、少し希望が持てました。感謝いたします。
引用:「まず最初に、自分自身に対して慈悲の心を作ります。どんな生命にとっても、いちばん大事で最優先されるのは自分であるというのは、ごく当たり前のことですから」
これまでの仏教は自分を無くせとばかり言われていたので驚きました。

461 名前:桃太郎 [2019/04/16(火) 21:38:41.88 ID:4a6EtvPH.net]
法華経「法師品」から
「是の人は、自ら清浄の業報を捨てて、我が滅度の後に於いて、衆生を愍むが故に、悪世に生まれて、広く此の経を演ぶるなり。
若し是の善男子、善女人、我が滅度の後、能く竊かに一人の為にも、法華経の、乃至一句を説かん。当に知るべし。是の人は則ち如来の使なり。
如来の所遣として如来の事を行ずるなり」
−−−−−−−−−−
この人は、行いによって得た、清浄な仏国土に生まれるべき果報を自ら捨てて、私の滅後に、衆生をあわれみ、利益するために、悪世に生まれて、広くこの経を演説するのである。
もしも、この善男子、善女人が、私の滅後に、ひそかに一人のためであっても、たとえ一句であっても、法華経を説くならば、まさに知るべきである。
この人は、如来の使いであり、如来から遣わされたものとして、如来の仕事をなすのであると。
−−−−−−−−−−

昨日の続きです。
※たぶん前にもここのスレで書いたような覚えがある。ような気がする。(笑
※加筆修正して再投稿する。
参考文献:中村元、早島鏡正訳の『ミリンダ王の問い』全三巻(平凡社・東洋文庫)、仏法 西と東(東洋哲学研究所)より
−−−−−−−−−−−
「実体としての人格的個体の否認」

ミリンダ王は、まずナーガセーナに質問をします。

「尊者よ、あなたは何という名なのですか?」

これに対して、ナーガセーナは、

「大王よ、わたくしはナーガセーナとして知られています。大王よ、同朋である修行者たちはわたくしをナーガセーナと呼んでいます。
しかしながら、大王よ、この『ナーガセーナ』というのは、実は名称・呼称・仮名・通称・名前のみにすぎないのです。
そこに「人格的個体」は認められないのであります」と答えています。
−−−−−−−−−−−
※冒頭から、ナーガセーナというのは単に仮名にすぎなくて、そこに人格的個体は認められないと、はっきりと仏法の"無我的立場"を打ち出している。
彼らにしてみれば、たとえばナーガセーナと呼ばれる人物があれば、そこに人格的個体があると見るのは微塵の疑いも許さない自明の事柄であったろうと思う。
それを頭から否定されたわけだから、さぞかし驚いたであろうと思う。

462 名前:桃太郎 [2019/04/16(火) 21:40:11.70 ID:4a6EtvPH.net]
これを聞いたミリンダ王はナーガセーナの答えに大いに驚愕し、矢つぎ早に質問をします。

たとえば、もし人格的個体が認められないならば、修行にはげむのは誰か、殺生をなすのは誰か、
酒を飲むのは誰かなどと、行為の主体およびその行為の責任をとる者についての鋭い質問をぶつけています。

さらに、いったいナーガセーナと呼ばれる当のものは何ものなのか、と問い、
こんどは具体的に、ナーガセーナを構成している心身の各要素を一つ一つとらえて、それがナーガセーナなのかと細かく問うていく。
髪、身毛、爪、歯、肉、骨、心臓などを初めとして、仏法の五蘊である色(物質的なかたち)、受(感受作用)、想(表象作用)、行(形成作用)、
識(識別作用)の一つ一つがナーガセーナなのかと聞き、最後に五蘊の合したものがナーガセーナなめか、
また五蘊以外の何かがナーガセーナなのかと問い詰めていくけれども、結局、すべてそうではないと否定される。

ついに、ミリンダ王は業を煮やして、「ナーガセーナあなたは虚言を語った」といって立腹してしまいます。

ところがその後、ナーガセーナはただちにミリンダ王の用いた同じ論法でもって、ミリンダの車について反論していきます。

つまり、車を構成している各部分について、一つ一つ、それが車ですかと問うていきます。
轅、軸、輪、車体、車棒、軛などについて、それが車であるかと問い、さらに、その全部を合したもの、あるいはそれらの要素以外のなにかが車なのかと問い、
ミリンダをしてすべて車ではないと答えさせます。その結果、ナーガセーナもミリンダ王と同じように、あなたは嘘言を語った、といって非難するのです。
−−−−−−−−−−
※まさに見事な反論です。ナーガセーナに問いつめられたミリンダ王は、車というのが、軛に縁って、軸に縁って、
輪に縁って、車体に縁って、車棒に縁って、「車」という名称・仮名・通称が起こるのであることを理解し、
それをナーガセーナに語るのですね。そして、ナーガセーナは、王のその解答を用いて、巧みに、人格的個体が存在しないことを認めさせてしまう。

この結論を聞いたミリンダ王は、「すばらしい、尊者ナーガセーナよ。立派です。尊者ナーガセーナよ」といって感嘆したと記されています。

463 名前:桃太郎 [2019/04/16(火) 21:41:09.16 ID:4a6EtvPH.net]
ここまでの対論によってナーガセーナは西洋哲学にはない仏法の基本的概念である「縁起」による「無我」の概念をミリンダ王に理解させる事に成功しています。

「それぞれの生命体の個性は、それぞれの業エネルギーによって、五陰仮和合の在り方が異なるからである」
刻々と変化してやまない、その生命流以外に自分というものはないのです。しかも、その流れは常に他の生命流と「縁起」の関係によって、互いに互いを生じさせている。
だから「無我」です。固定的な実体というものではない。しかし、にもかかわらず厳然として、自分自身という生命流は存在するのです。

この事は、後に「輪廻の主体をめぐって」というミリンダ王とナーガセーナの対話の中で語られる事になります。

つづく。

464 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/16(火) 21:57:16.77 ID:4a6EtvPH.net]
>>433

涅槃経は大乗仏教だよね。

釈尊の教えは、自分が悟った「永遠の法(ダルマ)」を万人に悟らせることに目的があったのだね。釈尊の死後も、その「法」を師とせよと教えた。

師である釈尊に常随給仕していた阿難(アーナンダ)は「仏が亡くなられた後、私たちは何を頼りにして修行していけばいいのでしょうか」と、釈尊に尋ねています。
釈尊は、こう答えています。“アーナンダよ、自らを島とし、自らをたよりとせよ。他人をたよりとせず、法を島とし、法を依りどころとせよ”と。

いわゆる「自帰依・法帰依」とか「自灯明・法灯明」と言われる言葉です。

ここで大事なのは、法と仏の関係です。
「法」には「教え」という意味も含めて、さまざまな意味があるが、結論を言うと、釈尊が「法」と呼んでいるものは、実は「永遠の仏」の生命と別のものではない。
「永遠の仏」の法身(法を体とする仏身)のことと考えられる。少し飛躍した言い方になるが、釈尊が「永遠の法」を悟ったというのは、
イコール「永遠の仏」を自身の内に見た、ということと考えられる。
法華経から見るならば、「法を依りどころとせよ」という教えは、根本的には、「永遠の仏」を師とせよ、との遺言であったのです。
何より釈尊自身が、その「永遠の仏」を師として悟りを開いたのです。

ここで「自らをたよりとせよ」というのも、もちろん単なる「自分」ではありません。自分が頼りにならないことは自分が一番よく知っています。
「心の師」となれということです。私どもで言えば、正しき信心(仏の教え)に生き抜けということです。その自分は「依りどころ」になる。

日蓮大聖人は「一生成仏抄」で「己心の外に法ありと思はば全く妙法にあらず」と仰せです。法といっても自分の心を離れてはありえないわけです。
法と人(仏)は本来、不可分なのです。「如来」というのも「如(真如・真実の世界)からやって来たもの」ということです。
すなわち「如来」とは、真実の「法」が現実の上に表れたのです。宇宙生命に“人”の側面と“法”の側面があり、それが一体なのです。

465 名前:桃太郎 [2019/04/16(火) 21:57:43.65 ID:4a6EtvPH.net]
釈尊の説法に「法を見る者は我を見る、我を見る者は法を見る」という言葉がある。
法を体得すれば釈尊に会うことができ、釈尊に会えば法を悟れるという意味です。

「我を見る」の「我」とは、根本的には「永遠の法」と一体となった「永遠の仏」です。
法華経寿量品では、永遠なる「常住此説法(常に此に住して法を説く)」の仏身を説く。

文上の法華経では、五百塵点劫以来の「久遠実成の釈尊」のことだが、その指向しているのは無始無終の「久遠元初の仏」です。
釈尊が悟った「永遠の法」即「永遠の仏」は、あらゆる仏が悟った「永遠の大生命」であった。

過去・現在・未来のあらゆる仏は、ことごとく釈尊と同じく「久遠元初の仏」を師として悟ったのです。
それが久遠元初の自受用身であり、南無妙法蓮華経如来です。

無始無終で慈悲の活動を続ける、その大生命体を「師」として、「人間・釈尊」は人間のまま仏となったのです。
そして、悟ったとたん、三世十方の諸仏は皆、この人法一箇の「永遠の仏」を師として仏になったのだとわかったのです。

466 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/16(火) 21:58:46.74 ID:THLMS4Zo.net]
ナラワタナ

467 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/16(火) 22:16:11.30 ID:bHvTZUUh.net]
>>456 さんは身延ですか、興門ですか?



468 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/16(火) 22:17:17.19 ID:irdhHfUb.net]
この桃太郎って人延々とスレ違いの長文連投して何がしたいの?
法華経が素晴らしいって話ならブログなりスレ立てて他でしてくれ

日蓮宗か創価か知らんが法華経至上主義の人って他人の迷惑考えない人多いよね
そんな独りよがりな鈍感な人が他人を救うことなんてできないと思うよマジで

469 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/16(火) 22:28:42.78 ID:sLjSIyPx.net]
>>449
他者から見たら「耐えた」になるんだろうさ
毒キノコかなんか盛られたんだろ

470 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/16(火) 22:29:59.70 ID:sLjSIyPx.net]
>>443
ティク・ナット・ハン師の師匠だね

471 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/16(火) 22:38:32.45 ID:bHvTZUUh.net]
>>432
>>445 私も空手をやっていたので、言わんとされるところは分かります。
しかしそれは一部の特殊な体験をしたことのある人たちだけでしょう。それでは万人に出来る修行ではないと思います。

472 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/16(火) 23:06:14.14 ID:sLjSIyPx.net]
格闘技は半分意図的にそういう状況に入っていってるからなぁ
不意な病気や怪我とはちょっと違うと思うんだ、一般的には
悟った人は「わたしのものではない」なのかもしれないが

473 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/16(火) 23:36:42.54 ID:dyTcs2TF.net]
今でも、
南伝の涅槃経を知らない人間がいるんだもんなぁ・・。
しかも上座部スレでw


どんなギャグだよw

474 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/16(火) 23:44:25.82 ID:nbwqA6S2.net]
大パリニッバーナ経って言った方が分かる人多そう

475 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/16(火) 23:49:17.16 ID:dyTcs2TF.net]
ちゃんと日本語(漢字)で「大般涅槃経」と書いてあったと思うけど、
カタカナでないと通じない日本国ってのも嫌だなw

476 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/17(水) 01:30:18.96 ID:ZiiftULd.net]
>>455
法をみるものはわたし(仏)をみる。

最初からそう言われているし、瞑想の段階が進んでいくと、それらは
知識としてではなく、体験として直接的に知ることになっていくと思い
ます。
思います、というのは、解脱まで達した人の智見をわたしは体験と
しては知らないので、自分が経験したところから先は推測するしか
ないので、そういう言い方になります。

仏教に大小優劣があるのではなく、各人の到達点に違いがあって、
かつ、その境地を言語化した時の表現にバリエーションがあるだけ
だと思いますよ。

他宗派だけでなく、他宗教の聖人の話のなかにも、名前が違うだけ
で仏教と同じことを言っていると思われる箇所は沢山あります。

知識だけだと、名前が違うだけで別概念として捉えられますから
別物だと思ってしまうだけ、というケースは多いと思います。

477 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/17(水) 04:02:01.02 ID:sL7GhmK4.net]
相応部経典36.6
二の矢を受けず



478 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/17(水) 07:05:29.38 ID:h1hvChYY.net]
>>459

ほんそれ

彼等は日本仏教の恥だよ

479 名前:桃太郎 [2019/04/17(水) 08:45:29.23 ID:v9HPaq5K.net]
>>458

ゴリゴリの創価学会員だよ。(笑

>>466

あー、そうなのか。よく見ないで恥かいちゃったナ。(笑
人生何でも勉強だな。

>>459

私は今にも死にそうな >>396 くんの為に「生命はどのように輪廻を繰り返すのか。」を教えてあげてんの。

あれー?ムガムガ(無我)していれば、回りは気にならないじゃなかったけ?
瞑想も大したこと無いな(笑 修行が足りんよ。

まーパソコンいじってる段階で、「無我」とは縁遠いんだけどね。(笑
つーか、無我の意味も勘違いしているし。

480 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/17(水) 08:56:47.11 ID:v9HPaq5K.net]
>>461

人々を抑圧する権力に身を挺して抗議したということだね。

無関心のテーラワーダの教えとは対極をなしてるね。

出来れば生きて戦うべきだったね。

481 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/17(水) 09:16:06.67 ID:ZKC+UlT2.net]
違う、アメリカが介入してきて仏教徒を共産主義の温床とみなして弾圧してきたからだ
べきだったとか何とか、池田先生ならともかく君の言うことじゃない

482 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/17(水) 09:17:33.10 ID:ZKC+UlT2.net]
つか、NGネームにしてるんだからコテ外すなよw

483 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/17(水) 12:15:42.67 ID:Viv2p2l+.net]
>感覚には苦も楽も不苦不楽もあるし、一つの感覚だけ続くことはあり得ない。感覚は、因縁によって現れたり、消えたりするのです。
>愚か者は、「感覚が我であり、我が魂であり、永遠である」と誤解して執着して、輪廻転生して苦しむが、理性のある人は、
>感覚に対する執着を一切捨てて、解脱に達するのです。これが釈尊の説かれた「無我」の話です。

魂は巨大妄想の産物である ー 仏教の無我は因縁論です
https://j-theravada.net/dhamma/kantouhouwa/kantou163/

484 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/17(水) 12:45:56.41 ID:Viv2p2l+.net]
仏教は瞑想して気分が良くなったねという癒し、ヒーリングでもないし、本を読んで理論で理解する学問でもない。
苦しみを乗り越えるための修行なんだから、実際に苦しみをどんどん経験しないといけない。
ブッダは苦行を捨てられた、というが、ブッダの後継者マハーカッサパ尊者は頭陀行をされた。
そもそも当時の出家は外で生活するのだから、暑さ、寒さ、飢え、痛みに耐えなければいけなかった。
アスリート、格闘家並の根性、忍耐が無ければ成就できるものではない。

485 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/17(水) 14:11:59.89 ID:8afyA39w.net]
やる気があって機会があったら
是非外で生きて歩いて
瞑想して地べたに寝て起きて
拾ったり貰ったもの食べて
とか一日でも一週間でも一生でも
やってみたらいいと思うよ
それが身に沁みて考えられると
全然何もかも違ってくると思うよ
無理にやること無いけどね

486 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/17(水) 14:26:36.99 ID:ZKC+UlT2.net]
頑張って苦しめば悟れるというロジックはエゴだと思うけどな

…かといって、サマタもやらない、念入りな実況中継もしないで
アリノママー、イマココーとか思ってても何もならないと思うけどw

487 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/17(水) 15:51:53.87 ID:5M7VpFSb.net]
何がきっかけで悟るかは結局人によるんじゃね
個人的にはお釈迦様の説いた方法が
一番合理的な悟り方なんじゃないかと思うけど、
只管打坐や公案で悟ったと思しき人もやっぱいるからね



488 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/17(水) 16:13:09.94 ID:ZiiftULd.net]
結局やってることは八正道(道諦)だから、本質は同じだと思うんですけどね。

489 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/17(水) 18:01:36.07 ID:X6kQwIDO.net]
慈悲の瞑想
慈悲の瞑想(フル)
慈経を電車などで見ているのですが
むやみに怒る事も抑えられとても役にたっています。
他にも日々役に立つような経などありますか?

490 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/17(水) 18:36:17.16 ID:ZKC+UlT2.net]
四弘請願とかどうかな

491 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/17(水) 20:26:15.59 ID:Viv2p2l+.net]
百尺竿頭進一歩
悟りは常に、自分の限界を超えたところにある。
自分の限界を超えるからこそ、自我が潰れて、無我が現れてくる。

492 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/17(水) 20:28:22.37 ID:Viv2p2l+.net]
>>480
吉祥経、宝経、勝利の経。

493 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/17(水) 21:04:05.08 ID:D1rJIXLQ.net]
>>482
それは、
スーパーサイヤ人3みたいに、 「その先」がある ということではないよ。
「出世間から世間へ戻ってこい」というのが原義。  >>百尺竿頭進一歩



勿論、様々な応用、読み解きを否定はしないけれども。

494 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/17(水) 21:08:46.93 ID:D1rJIXLQ.net]
少し付け加えるなら、
>>482で言われる >限界を超えたところ というのは、

 悟りの境地にあるだけでなく、≪「衆生済度」へと向かう「はたらき」を生じさせねばならない≫

という意味で、

 限界を超えた『その先』

と見做すことはできるけれど。

495 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/17(水) 21:47:19.51 ID:Viv2p2l+.net]
正法眼蔵随聞記にある、道元禅師の解釈はいちおうこうです。

>古人は、「百尺の竿頭にあってさらに一歩を進める。」と言っている。人間というものは、いかにも百尺の竿のさきにのぼると、
>ここで足をふみはずしたら死んでしまうと思って、いっそう強くしがみつく気持ちがあるものである。
>そこをかえって、「思い切って一歩を進める」と言っているのは、「教えにしたがうのであるから、まさか悪いことにはなるまい」と思い切って、
>すべてを投げ出すように、世渡りの仕事をはじめとして、自分の生活の手段に至るまでも、捨ててしまえばよいのであるが、
>それがどうしても捨てられないのである。しかし、その最後のところを捨てないうちは、どんなに、髪の毛についた火をはらうような気持で仏道を学んでいるようであっても、
>道を得ることはできないのである。思い切って、身も心もともに捨て去るべきである。
agashi.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-f888.html

496 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/17(水) 22:21:45.48 ID:ZKC+UlT2.net]
オレがオレの限界を超す!
ということでは不可能だと思ってます
他の人はそれでもいけるのかもしれませんが

放下あるいは帰依をすることで他力に任せる
その結果として他人から見て限界を超すということはありえても

慈悲の瞑想は「わたしが幸せでありますように」から始まります
「わたしが限界を超えて悟りますように」ではないです

頑張ってるから、苦しんでるから報酬をくれ
自罰してるのだから、悟ったって恨まれないはずだ
というロジックが働くのがエゴなんですよね
「わたしが幸せでありますように」以下にはそれがない
自罰も自己犠牲もなく
ただ、全てを包み込む慈悲の世界に全てがあるだけ

497 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/17(水) 22:23:17.19 ID:wAMQ8fQ2.net]
ナラワタナ



498 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/17(水) 23:26:47.90 ID:D1rJIXLQ.net]
>>486
最古の出典は長沙の
示衆曰百尺竿頭坐底人雖然入得未爲眞百尺竿頭須進歩十方世界現全身
かと思われるけど、どう読むかに決まりはないからね。

ただ、近現代(及び江湖)の読み―少なくとも臨済系に於いて―は、
いずれも 「安悟りの安住を許さず、泥に塗れて初めて合格」 だから。

499 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/18(木) 06:22:09.64 ID:uBLTDASt.net]
瞑想続けるにつれヴィパッサナーは導入部であって、実はメインは慈悲の瞑想なのではないかという気がしている

生きとし生けるものの幸せを願うことが、結果として何よりも心に平和と安らぎをもたらし、全肯定的であり、世界に心を開かせ、
意識が目一杯拡大している状態だという肉体的事実ってなにげにすごいことなのではないか?

500 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/18(木) 06:57:07.30 ID:Shj8Gg8Z.net]
>>487
自罰、自己犠牲にはまだ自分というものが残っていて、「自分」の範囲を超えていない。
ブッダの時代に、限界まで修行したのに悟れず、諦めて自殺しようとした時に悟った比丘もいた。
しっかりと自分の限界まで挑戦していない人間は、悟りを掴むチャンスすら与えられていない。

>>490
サーリプッタ尊者がある人に慈悲の瞑想を教え、その人が死後梵天に生まれ変われるようにしてあげた。
それをご覧になったブッダは「サーリプッタはあの人を低い次元に導いた。」とおっしゃったとか。
仏教のゴールは解脱、無我、智慧の完成であって、慈悲はそこから一段落ちる。
なのでヴィパッサナーがメインであって、慈悲はサブ。
慈悲は即効性があって効果がすぐに感じられるが、修行が後戻りする事もあるし、輪廻から解脱するとは限らない。
ヴィパッサナーは効果が現れるのが遅く、あまり手応えが感じられないが、最後に悟りという劇的な結果がある。
悟りに到ればもう後戻りせず、解脱までストレートに行ける。

501 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/18(木) 07:15:58.94 ID:uBLTDASt.net]
>>491
ありがとう、そういう位置付けなのですね
ヴィパッサナーを1時間ほどやってから慈悲の瞑想をした時のほうが、慈悲の瞑想だけの時よりも染み込みが違うというか説得力が違うというか
そんな感じがしていたので、なんとなくそう思いました

502 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/18(木) 08:03:12.04 ID:WmcK16FO.net]
>>483
>>481
ありがとうございます。
調べてみます。

503 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/18(木) 08:15:54.09 ID:+zbuIpvD.net]
ナワラタナ

504 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/18(木) 09:16:11.84 ID:NbWz+9gp.net]
>>491
その話にヴィパッサナーを絡ませるのはどうかと

ダナンジャーニ経の最期の箇所
https://komyojikyozo.web.fc2.com/mnmjp/mn10/mn10c30.files/sheet001.htm

505 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/18(木) 11:24:27.69 ID:XFgKrQQf.net]
> 慈悲は即効性があって効果がすぐに感じられるが、修行が後戻りする事もある
そうなの?どうして?

506 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/18(木) 11:38:15.48 ID:XFgKrQQf.net]
でも、観察続けていくと慈悲現れてきたわけで
スマナサーラ長老も慈悲の瞑想は煩悩を焼き尽くすとおっしゃってた記憶があるんだが

簡単に智慧というけれども、そんなもので本当に生きていけるのか
恐ろしさを感じているところがあるわけです

でも、瞑想をしていくと何度かジャンプするポイントがあった
雑念を捨てて一心不乱に集中した
何もない世界に来た、ニミッタが現れた、そして日常世界も変容した
などと、その都度自分を捨ててきたわけです
目に見えない、わからない世界をジャンプしながら
それは、もう十分に集中しきってそこから観えてくるものが全てだと思えたから
何故思えたか、それは禅定なり観察で慈悲らしきものが現れて
それが信用できると思ったからですね、わたしは

智慧だけで全てと思えるとはどういう事か?
それは観察によって観えてくる慈悲なのだとやはり思います
智慧と慈悲は一対のものではないでしょうか
人が限界を超えて自分を捨てきれないのは、そこにある慈悲の世界が確信しきれないからではないですかね

でも、今の境地で慈悲に浸って智慧を得ようとしないなら
それもまた駄目なのだとは思いますが

507 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/18(木) 11:46:07.32 ID:eu8qf58U.net]
自分、慈悲の心+死ぬ気でいたら梵天界らしきもの体験して、
あらゆる宗教で言ってる天国って同じ脳内現象を指してるんじゃないかと思ったけど、
確かにそういう慈悲の心で生きていけることは素晴らしいけど
仏教はそういった全ては現象にすぎないという科学的アプローチの立場だから
そこに執着するのを良しとしないのかなと思った



508 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/18(木) 11:57:27.52 ID:+zbuIpvD.net]
ナワラタナ

509 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/18(木) 11:57:54.04 ID:XFgKrQQf.net]
そうですね、わたしの言ってるのも所詮頭で想像したことが混じった推測でしかありませんから

510 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/18(木) 13:50:47.91 ID:Shj8Gg8Z.net]
以下、スマナサーラ長老の言葉です。
>慈悲の瞑想だけでも解脱の方向に行きます。しかし必ず解脱に達するという保証はない。ヴィパッサナー瞑想ではいきなり解脱を目指します。
>慈悲の瞑想は、生命がすべき究極の良い生き方なんです。でも、生き方なんです。その生き方から解脱(生きることの脱出)に行く人もいるし、
>行かない人もいる。
thierrybuddhist.hatenablog.com/entry/2015/10/01/050000

511 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/18(木) 13:55:24.78 ID:Shj8Gg8Z.net]
>>496
慈悲の瞑想をすれば梵天に生まれ変わることができるが、長い輪廻の中では、いつかまた悪趣にも生まれ変わる。悟らない限りは。
何億年も慈悲の気持ちを保ち続けたとしても、いつかはその気持ちも消え、欲、怒りが現れてくる。
智慧によって無常、苦、無我を理解した場合は、欲、怒りなどが二度と現れない。
一度タネを見てしまったマジックには二度と驚かないように。

512 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/18(木) 14:35:28.38 ID:XFgKrQQf.net]
ありがとう
それって仏陀が説いたことなの?
自分には智慧だけ、慈悲だけ、どっちかだけなんてことは想像できないな
悟りとは想像できないものでもあるでしょうけれども

慈悲は常、楽、無我でもあると思います
これって梵天と涅槃を混同してるってことなのかな
魔境落ちるかなw

513 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/18(木) 15:06:26.21 ID:eu8qf58U.net]
自分が体験した慈悲はそのまんま、悲しみからくる慈しみのようだった。
大慈悲とかマジで上手い訳だと思った。

514 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/18(木) 15:11:06.41 ID:hIn8Te6J.net]
>>497
>智慧と慈悲は一対

ダライラマ法王が、同じような事をおっしゃっていました。

智慧と慈悲はフィフティ、フィフティ(50対50)だよ
と弟子の方に言っておられた

その弟子の方は智慧だけの事を言われていたことに対しての
返答でした。

515 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/18(木) 17:50:25.21 ID:9Bq25Iv4.net]
ありがとうこざいます
わたしは類推で言ってるに過ぎませんけれど
ダライ・ラマのお言葉ならば受け取りたいと思います

516 名前:桃太郎 [2019/04/18(木) 20:22:08.33 ID:SNgd2h0c.net]
>智慧と慈悲はフィフティ、フィフティ(50対50)だよ

どの経典にそんな事を書いてあるの。仏説ではない自説でしょ。

慈悲=智慧になるんだよ。
「どうすれば、この人を救えるか」と真剣に考えるとき智慧が湧いてくるもんだ。

「自分が救われないのに、人が救えるか」とか言って
溺れる人を見て「泳げないのに救えますか?」とか平気で言う人が
「慈悲の瞑想」ってなんなんだよ。これじゃ人を救う智慧も慈悲も無いじゃないか。

人殺しが生命の尊厳を説き、泥棒が人の道を説くようなもんだ。矛盾して言いませんか?
いったい、どう言う詭弁でこれを人に納得させれるの?

あなた方の「無我」という間違った考えは、人間の苦しみを感じなくなると同時に
罪悪感も人間の良心も消し去る事なんですか?

ったく!おかしいでしょ。だれか説明できる人いるの?

517 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/18(木) 20:55:23.57 ID:pO9b4vi2.net]
>>507
馬鹿だな、お前。

フィフティフィフティと【表現される】ということは、
【両輪】ということであり、
【どちらが欠けても成立しない】ということであり、
【同時に「生じ」、同時に「はたらい」ている】ものであり、
どちらが先というものでも、どちらがより重要というのでもなく、
【同じく重要】であり、 


518 名前:r> ≪「=」で結ばれていることを、様々な表現で描写した≫だけでしかない。 []
[ここ壊れてます]

519 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/18(木) 20:58:41.61 ID:pO9b4vi2.net]
日蓮さんを汚した、後継僧侶や池田の罪は重い。

池田が力を握る前の、
出発点の創価は、(今の時代こそ)評価されるべきであろうに、
そうした可能性をすべてぶち壊したのが池田だという反省と総括を、学会はすべきではなかろうか?

520 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/18(木) 21:03:01.76 ID:pO9b4vi2.net]
つか、
桃が、昔も居た桃なら、議論スレ系が下火になったので、
昔コテンパンにされた恨みを、今晴らしてるのかもしれんなw

521 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/18(木) 21:41:31.90 ID:bruW8Wc0.net]
お題目唱えたら、日蓮上人や池田先生の教えを実践できるの?出来ないよね
けど、お題目を唱えることで出来るようになる
立派な人間に成長するんだろ?

慈悲の瞑想も同じことだよ
これは日蓮宗でも創価の本当に信心深い方なら多分わかるはず
そういう人は他宗を貶めるようなことは言わないもんだけどね

522 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/18(木) 21:48:02.98 ID:bruW8Wc0.net]
日本語おかしかった

お題目を唱えて精進していくうちに成長して、実践できるようになるのだろ

523 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/18(木) 22:45:01.53 ID:25Nta+f/.net]
テーラワーダスレで何の関係も無い日蓮教が出しゃばるのがそもそもの間違い

仏教の成り立ちを理解してない亜流は引っ込んでれば良いのに何処にでも口を出しては嫌われる

524 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/19(金) 09:09:25.52 ID:m3WOhDoF.net]
ナワラタナ

525 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/19(金) 15:49:44.42 ID:m3WOhDoF.net]
最澄空海栄西道元日蓮法然
ギャーテーギャーテー

526 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/20(土) 02:10:33.31 ID:gEZC8PeW.net]
脳に関する本を読んでて知ったんだが
痛覚を感じるのにそれを苦痛と思わなくなる(感情に影響を与えない)という状態があるらしい
脳障害の一種で痛覚失象徴というのだそうだ
解脱によって痛みから苦痛を得ることがなくなるというのも有り得そうな話だと思った

527 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/20(土) 03:27:49.95 ID:F5v2vxfp.net]
>>516
死ぬばかりの激しい苦痛が生じた>>450

よく苦痛に耐えたまい>>449



528 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/20(土) 09:20:50.00 ID:QD67Zg9p.net]
>>507
https://mindfulbonpu.web.fc2.com/banner.png
この図の矢印のように、ヴィパッサナーを実践することで智慧が現れ、
真理が分かることで自他への慈悲(抜苦与楽)が可能になるのではないでしょうか?

529 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/20(土) 09:55:47.68 ID:iPcEB2nY.net]
>>516
三昧で感覚がなくなるのは、五感の神経接続が途切れるからではなくて、
心が五感をみなくなるからだよ。

なので、三昧から出て心が身体に生じる五感や思考、感情をみるように
なると、感覚も

530 名前:思考も感情も元通り。
神経と心は別もの。
(名色の名と色は別物。)
[]
[ここ壊れてます]

531 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/20(土) 09:59:32.76 ID:iPcEB2nY.net]
瞑想に専念している時、周囲の音も、足の痛みも感じていないというか
忘れているけど、瞑想が終わった途端にイテテてて、となった経験とか
あるでしょ。
それを五感全部+思考にやると、自我感覚は消えてしまうよ。

そして、そこは何もないわけじゃなくて、小さい自我から抜け出したような
状態だから、むしろ大きい。
大きいというか、自己という枠がないので巨大というか無辺。

532 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/20(土) 10:02:02.10 ID:iPcEB2nY.net]
マニュアル通り100%気づきに専注すれば、勝手に起こるべきことが起こるはずだから
教えられた通りにやるのが一番だと思いますけど。
ここに書いたことは、先入観になるといけないので、瞑想中は忘れて下さい。

533 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/20(土) 10:06:02.67 ID:iPcEB2nY.net]
脳みそが「実感」を生みだしているのではなくて、
脳みそを含む神経系に生じている現象に対して、
「心が実感を感じている」わけだから、たぶん別に
脳みそなんてなくても心の実感はあると思いますよ。

身体が自分なんじゃなくて、身体に実感を感じている
その実感が(便宜上)自分だから。

何言ってるかわからんわな。

534 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/20(土) 10:11:24.92 ID:LsI2Fr4M.net]
適当なことは言わないように。

瞑想の達人は瞑想中エンドルフィンが出まくるので痛みを感じないんですよ、ガッテンで実験して説明してたよ。

535 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/20(土) 10:34:12.86 ID:pORXFHxq.net]
主観的にはどういうことか、という説明だから適当ではないでしょ

536 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/20(土) 10:53:41.41 ID:LsI2Fr4M.net]
>>524
>>519-520など主観的じゃなく客観性的な事実であるかのように語ってるではないですか。

537 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/20(土) 11:21:47.13 ID:LsI2Fr4M.net]
>>525
客観性的な事実→客観的な事実



538 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/20(土) 11:25:55.02 ID:ROxFpPFQ.net]
→性的な事実

539 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/20(土) 12:02:54.99 ID:sHHAZQ51.net]
>>523
瞑想の達人中の達人が苦痛を感じてる>>450

540 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/20(土) 12:34:51.10 ID:LsI2Fr4M.net]
>>528
三昧に入ってエンドルフィンが出たから痛みに耐えることができた。

541 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/20(土) 12:48:52.41 ID:sHHAZQ51.net]
>>529
エンドルフィンが出たら「耐える」必要はない

542 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/20(土) 13:10:11.53 ID:LsI2Fr4M.net]
>>530
エンドルフィンは全身麻酔とは違うのですよ。

543 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/20(土) 13:14:47.93 ID:sHHAZQ51.net]
>>523
>瞑想の達人は瞑想中エンドルフィンが出まくるので痛みを感じない

痛みを感じないんじゃないんですか?

544 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/20(土) 13:23:47.42 ID:LsI2Fr4M.net]
>>532
痛みにも度合いがあるのです。
エンドルフィンが出る量にも度合いがあるのです。

なので、痛みを感じないとは言っても全く感じないとは言ってない。
酷い痛みの場合は、全身麻酔で大手術した後に強めのオピオイド鎮痛剤を投与されても痛みが完全には消えないのと同じことが起きると思います。

545 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/20(土) 13:27:49.76 ID:sHHAZQ51.net]
エンドルフィンが出まくるので痛みを感じない
んじゃなくて
エンドルフィンが出まくっても痛みを感じるんですね

546 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/20(土) 13:42:05.37 ID:LsI2Fr4M.net]
>>534
痛みにも度合いがあるのです。
エンドルフィンが出る量にも度合いがあるのです。

エンドルフィンの出る量と痛みの度合いでほぼ無痛か我慢できる程度の痛みかなんとか耐えれる程度の痛みかが変わってきます。

547 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/20(土) 14:03:52.47 ID:sHHAZQ51.net]
エンドルフィンが出まくるので痛みを感じない
んじゃなくて
エンドルフィンが出まくっても出る量に度合いがあるから
痛みを感じるんですね



548 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/20(土) 14:09:31.75 ID:LsI2Fr4M.net]
>>536
がん患者でもステージに応じてモルヒネで痛みがほぼ消える人と消えない人がいることくらいは当然知ってますよね?

549 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/20(土) 14:16:01.52 ID:pORXFHxq.net]
>>525
その主観はある程度以上の瞑想者には共有されているでしょう
ならば、事実として扱っても良いでしょうね

逆に、エンドルフィンが出ているとして、だから何?と言う話でもある
医学の力で自在にエンドルフィン出せるの?
それは副作用起こさないの?
いや、起こすよね確実に
何故なら、そこで観た世界観はかなりギャップあるのだし
自力でそこに行くことが出来ない
薬中の禁断症状のようなことが起きるだろうな

550 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/20(土) 14:17:58.93 ID:pORXFHxq.net]
ここで言う主観とは、一定以上の瞑想体験を踏んで得られた主観ということです
僕や君なんかが本で読んで妄想していることではなくてね

551 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/20(土) 14:23:10.01 ID:LsI2Fr4M.net]
>>538
>その主観はある程度以上の瞑想者には共有されているでしょう

それが思い込みでないならばソースを出してください。

552 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/20(土) 14:24:28.38 ID:sHHAZQ51.net]
>>537
つまり釈尊が苦痛を感じていたとしても
なんの不思議もないということですね?

553 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/20(土) 14:36:17.09 ID:iPcEB2nY.net]
>>523
「実感」は物質じゃないよ。
身体は物質。
神経も脳も物質。

554 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/20(土) 14:39:15.40 ID:iPcEB2nY.net]
有身見
自我を出発点とする思考概念。
自我を中心とした世界認識。

無我はその逆。

555 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/20(土) 14:46:28.30 ID:LsI2Fr4M.net]
>>541
大般涅槃経にそう書いてあるでしょう。

>>542
痛みは錯覚であるならば人の心身にどのような痛みを与えてもそれは錯覚なのだから構わないということになりません?

556 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/20(土) 14:55:47.81 ID:sHHAZQ51.net]
>>544
大般涅槃経にそう書いてあるということは
釈尊が苦痛を感じていたということには異議がないんですね

557 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/20(土) 15:12:04.25 ID:LsI2Fr4M.net]
>>545
はい。異議、異論はありませんよ。



558 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/20(土) 15:51:17.05 ID:Ltrve02o.net]
お釈迦さんも解脱しても
身体の苦しみから
逃れることはできなかった

結論ですか?

559 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/20(土) 16:03:51.05 ID:LsI2Fr4M.net]
>>547
 さて尊師が鍛冶工の子チュンダの食物を食べられたとき、激しい病が起り、赤い血が迸り出る。死に至らんとする激しい苦痛が生じた。尊師は実に正しく念い、よく気をおちつけて、悩まされることなく、その苦痛を耐え忍んでいた。
denshouuta.com/99_blank022.html

はい、大般涅槃経にそう書いてありますね。

これからも同じ質問されたら上と同じ大般涅槃経のコピペを貼ることで返答とさせて頂きますね。

560 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/20(土) 16:11:36.68 ID:iPcEB2nY.net]
>>544
痛みが錯覚とは書いていませんね。
そうじゃなくて、物質は精神現象ではないということね。

感覚と、感覚をみて実感を感じているその実感とは別ものだということは
思考から抜け出せた時に観測事実として確認できます。
名色の区別がつくようになるのはそれから。

錯覚というのは、自我が自分の本体だという認識は錯覚です。

561 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/20(土) 16:16:13.44 ID:iPcEB2nY.net]
脳みそが自分の本体じゃあないですよ。
もしそうなら、死んで脳みそが消えたら断滅です。

極端な話、
例えば、子どもを失って嘆き悲しむ母親から、脳みそを取りだして薬品に
漬けておけば良いってことになります。

脳みそを幸福物質の○○ミンとか何とかに漬けておけばハッピーでしょう。
そういうことを言う唯物論の科学者も何人か見かけましたけども。

562 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/20(土) 16:59:36.08 ID:35OUrX6D.net]
>>540
思い込みじゃないから、それに従って修行した瞑想者が
エンドルフィンとやらを出すんだろ

563 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/20(土) 17:44:37.22 ID:LsI2Fr4M.net]
>>549
痛みは実感としてあるということですね。
そして痛みは、例えば歯痛においては歯の神経を抜けば基本なくなりますし、鎮痛剤で緩和する(場合によっては感覚としてほぼ完全になくなる)ということです。
そういった治療で痛みのコントロールは可能です。

>>551
私ではなく>>538の書き込みに対してそのレスは向けてください。

564 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/20(土) 19:02:20.69 ID:l2v+42Eu.net]
いや、君に言ってる

565 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/20(土) 20:16:20.82 ID:LsI2Fr4M.net]
>>553
そうですか、では>>538から更にアンカーを遡って誰が何を発言しているのが確認してください。

566 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/20(土) 20:59:56.82 ID:caTrheH6.net]
ヒクソンはどんな痛みでも耐えられる。
hikaru225.blog.jp/archives/8696551.html

567 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/20(土) 21:48:37.40 ID:OXrEDohn.net]
ヨガと瞑想で痛みをコントロール
https://www.dailymotion.com/video/x3m5tpl



568 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/20(土) 22:12:23.44 ID:JDtRoHRm.net]
今日きずいたんですが、感受がつよいほうが私という実感を強くかんじますね。
惑わされやすくなるのかなと思いました。
感覚に翻弄されないように、修業のうえでは注意が必要かなと思いました。

569 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/21(日) 00:06:20.39 ID:bRuxVDU5.net]
今日きずいたんですが、感受がつよいほうが私という実感を強くかんじますね。
惑わされやすくなるのかなと思いました。
感覚に翻弄されないように、修業のうえでは注意が必要かなと思いました。

570 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/21(日) 00:17:40.17 ID:zKgQEd8w.net]
>>554
辿ってるよ?
何度も同じ事は言わない
君はもう少し言われたことをよく考えるようにしてみては

571 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/21(日) 00:17:57.28 ID:zKgQEd8w.net]
>>555
くそっ!不覚にも

572 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/21(日) 00:32:58.04 ID:gya5DVLN.net]
>>555
やるなあ
骨を削られてるのに平然と碁を打ってた関羽は
何を支えに堪えられたんだろうか

573 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/21(日) 00:40:42.16 ID:zKgQEd8w.net]
>>557
でも、そのせいで自分と思っている/いたものが観えてきてるわけですから
今度は観えるものを一つずつよくよく観られてみるといいと思います

574 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/21(日) 00:55:18.31 ID:Wc9eO0Iw.net]
>>559
それはこちらのセリフです。
>>519-520がエンドルフィンについて含みを持たせているようなレスに思えるのですか?
ではなく
>三昧で感覚がなくなるのは、五感の神経接続が途切れるからではなくて、
>心が五感をみなくなるからだよ。
と書いてあるだけでしょうに。
では訊きますが、心が五感を見なくなるとエンドルフィンが放出されるのですか?
よく考えてみてください。

575 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/21(日) 01:58:16.66 ID:n2OnwMvp.net]
心は○○ミンとか、□□フィンじゃないっす。
それらは物質っす。
心は物質じゃないっす。

地球は丸いっす、ぐらいシンプルな話。。

576 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/21(日) 07:39:13.71 ID:DoKGiimK.net]
痛みで苦しむのは、痛みに対する嫌悪、痛みに対する恐怖に苦しんでる。
恐れず、嫌わず、痛みをそのままにしておけば苦しまない。と同時に我が生まれない。
それを触だけでなく、六根の全てに対して実践できれば、解脱に達する。
というような事が感官修習経に説かれている。
https://www54.atwiki.jp/waikei2008/pages/33.html

577 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/21(日) 08:09:29.16 ID:gGFTOuQR.net]
ナワラタナ



578 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/21(日) 10:45:59.40 ID:Wc9eO0Iw.net]
スッタニパータ
第4 八つの詩句の章 14.迅速経 9.

○毎田周一先生訳
923.
刺すような苦痛に会っても
修行者は決して泣き悲しまず
どうしても生きたいなど命を貪らず
恐ろしいものに出会っても震えぬがよい


○中村元先生訳
923
苦痛を感じるときがあっても、
修行者は決して悲嘆してはならない。
生存を貪り求めてはならない。
恐ろしいものに出会っても、慄(フル)えてはならない。


○正田大観先生訳
930.(923)
すなわち、〔病いに〕罹り〔飢えに〕襲われた者として存するとき、
比丘は、どこにおいても、嘆き悲しみ〔の思い〕を為さないように。
しかして、〔迷いの〕生存を渇望しないように。
さらには、諸々の恐ろしいことに動揺しないように。(9)
https://s.webry.info/sp/76263383.at.webry.info/201506/article_23.html

579 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/21(日) 14:10:29.41 ID:bRuxVDU5.net]
>>562
はい。ありがとうございます。
出入息念をしていてこの理解になりました。自分というものがすこし見えてきた感じもします。
この調子でやっていこうと思います。

580 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/21(日) 15:11:24.44 ID:N2IIAtwY.net]
・無知に基づいて人々は頭痛などのために自分自身を「私は苦しんでいる」と考える。
見者(=アートマン)は苦しんでいる対象とは別ものである。この見者は認識主体であるから、苦しむことはない。

誤って「私は苦しんでいる」と考えるために、人は苦しむのであって、苦しんでいる心を見るために、苦しむのではない。
苦を対象として見ている者は苦しむことはない。

・身体・感覚器官から起きる一連の苦痛は、私のものでもなければ、私でもない。私は不変であるから。何故なら、この一連の苦痛は実在しないからである。これは実に、夢を見ている人が見る対象のように、実在しないのである。

・恒常なものは、無常なものと結合することはない。恒常なものも、無常なものも相互に結合することはない。それ故に、あるものが他のものになんらかの結果をもたらすということは不合理である。
真理そのものは言葉の語源解釈の領域にはない。

・アートマン以外のなにものも…認識も認識対象も認識主体も…存在しない。一切を知り、一切の力をもつ、この認識としてのアートマンに敬礼する。


シャンカラ
https://gamp.ameblo.jp/zen-is-right-here/entry-12166409915.html

581 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/21(日) 18:14:08.56 ID:gGFTOuQR.net]
ナワラタナ

582 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/21(日) 21:35:22.80 ID:1aWTSsVa.net]
智慧というものは生まれるものではないんだな
自分の心の中にすでにあって、あるということに気付くもののようだ
そして、自分には「執着しない」という選択肢があることに気付く
執着心を失うとか思わなくてもよくて、ただ選択肢が1つ増えてそれだけ心が自由になる

583 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/21(日) 21:39:14.72 ID:Zn01/kzL.net]
つーかね、滅を見ようとして観続けたら、執着なんかガンガン減ってくよ

584 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/21(日) 22:07:07.10 ID:Wc9eO0Iw.net]
ダンマパダ

282 実に心が統一されたならば、豊かな知慧が生じる。心が統一されないならば、豊かな知慧がほろびる。生じることとほろびることとのこの二種の道を知って、豊かな知慧が生ずるように自己をととのえよ。

585 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/22(月) 02:31:13.41 ID:p/VvMbAW.net]
定があるところに慧がある
止観双運
慧があるところに定もある

586 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/22(月) 04:05:33.83 ID:M7QzwVsN.net]
破戒僧のスマナサーラカルト信者必死だな

587 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/22(月) 07:32:40.47 ID:zvZbDqM6.net]
ナワラタナ



588 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/22(月) 13:10:54.27 ID:GfEJmcmI.net]
>・身体・感覚器官から起きる一連の苦痛は、私のものでもなければ、私でもない。私は不変であるから。

バカじゃねーの。(爆
そんな屁理屈が通用すると思うなら、スマナサーラの金玉蹴り上げてみればハッキリすることだよ。

589 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/22(月) 13:16:46.00 ID:J62xrVt5.net]
スリランカはテロが多いな

590 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/22(月) 13:40:45.59 ID:/XJECw3O.net]
>>571
>智慧というものは生まれるものではないんだな
>自分の心の中にすでにあって、あるということに気付くもののようだ

密教ではそのような生得的に具わっている仏智は如来蔵によるものとされています。
如来蔵というのは仏様の蔵に自分が包まれているという関係です。
自分が仏様の中に蔵されている、自分が大日如来の大宇宙(マクロコスモス)という真如の中にしまわれている如来蔵であるという考え方ですが、これだけではありません。
一方で自分の中に大日如来を包み込んでしまっている(ミクロコスモス)という、両方の関係があります。
大宇宙の真如の中に 自分が包まれていると同時に、大宇宙の真如を自分の中に持っているのです。
これが如来蔵ということです。
如来蔵があるから一切衆生が仏様大日如来になれるのです。
ただ普通ではそれに気付かないだけのことです。

気付いたら内外の如来蔵を一体化させると即身成仏できます(個は大日如来と一体化することで即身成仏できる)。
三密加持と呼ばれる修法で一体化できますが、それには修行が必要です。

591 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/22(月) 16:05:11.70 ID:UjmUskyp.net]
観ている者は誰?

592 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/22(月) 17:00:00.78 ID:cLq9y9jj.net]
南無阿弥陀仏を唱えるのは誰?ってのと同じだ

593 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/22(月) 17:30:12.69 ID:z6khlMNV.net]
>>579
それが阿羅漢の境地なんだと思ってます。
徹底的に無我だったら、如来と自己との間を隔てるものは何もない。

仏教は、そもそも初期仏教のはじまりの時から、密教の最高奥義と
されていることを教えていたのではないか、と思っています。

594 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/22(月) 20:03:32.47 ID:zvZbDqM6.net]
最澄空海栄西道元日蓮法然
ギャーテーギャーテー

595 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/23(火) 06:44:03.13 ID:7pDUqNlI.net]
大日如来だとか如来蔵だとかいう巨大な妄想を捨ててまっさらになるのがテーラワーダの修行

596 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/23(火) 09:00:14.02 ID:1G+PAd/M.net]
その修行は功徳を積むことで死後天界に転生できると信じる在家信者の布施に依存している

597 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/23(火) 09:03:02.69 ID:zGJ/hMLi.net]
非想非非想処



598 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/23(火) 09:15:07.73 ID:j/g23dUU.net]
ナワラタナ

599 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/23(火) 15:48:19.30 ID:qo6FifkY.net]
人間が妄想した智慧についての名称や概念は、人間現象のなかにある。
智慧は、人間現象のなかことではない。

それにどんな名前をつけて呼ぶかは、その名前が指し示す本質とは別のこと
ではないだろうか。

600 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/23(火) 15:50:18.65 ID:qo6FifkY.net]
言葉として他者に向けて話すからには、
その言葉は、話の受け手が受け取れるかたちに
なっている必要があるだろう。

そこに名称や語り口の違いがでてくる。
伝えるのは慈悲の故だとすると、それが方便ということなのでは。

601 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/23(火) 15:52:00.69 ID:qo6FifkY.net]
無学という言葉ではなく、それが指し示す意味と意図を読み取るべきだろう。
同様に、如来蔵という言葉ではなく、それが指し示す意味と意図を読み取るべきだろう。

602 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/23(火) 16:03:04.39 ID:bcLPXNtu.net]
なにかえたいの知れないものがある
そうとしかいえないが

603 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/23(火) 16:10:37.61 ID:qo6FifkY.net]
もしも海面の上ではじける泡沫が、わたしは大海のすべてを知りうる、
そして判断できると考えているとしたら、それはあまりに主観に囚われ
すぎている。

個々の人間知性は、世界で起きている諸現象の一部に過ぎないのに
その極一部が、自分の中だけで全世界をジャッジできると思っている。

604 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/23(火) 21:04:38.99 ID:CABusLsc.net]
トランプ「スリランカのテロで1億3800万人が死んだ…我々はいつでも支援する」
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1555975977/

大変なことになってる

605 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/24(水) 14:56:23.78 ID:0UnTIcRB.net]
日本も負けてはいない。

「もはやギャグ」
桜田義孝五輪相、五輪の国家予算を「1500円」と発言
https://yuruneto.com/sakurada/

606 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/24(水) 15:13:26.37 ID:i/X/78Sc.net]
画期的すぐる。
アセンション後の世界になったのかとおもた。

607 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/24(水) 19:41:16.74 ID:TDpD3kz5.net]
欲が出ている時瞑想すると
その欲に気づきしばらくしたら消えますが
瞑想を終えてしばらくするとまた欲が出てきてしまいます。
とても維持するのは難しいと感じます



608 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/24(水) 19:54:18.71 ID:560lXtTQ.net]
ナワラタナ

609 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/24(水) 21:02:25.85 ID:SzUizSbU.net]
定がないと消えていかなくね

610 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/24(水) 21:07:00.36 ID:i/X/78Sc.net]
歯磨き洗顔入浴と同じで、毎日やらないと汚れるの当たり前なんじゃない。

611 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/24(水) 21:29:34.47 ID:z1qs+OTa.net]
自分の経験だと、拙い表現になるけど
出来上がってた執着や分別はそのものが観えれば解凍するように消えてく
完全でなくても、再度出てくる場合は小さくなってる
けど、欲はチラチラと動いてて、それが見えたから止まるってものでもなく
でも欲が見えてればそこから新たな苦しみの雪だるまはこしらえない
いまんとこそんな風に感じてる

612 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/24(水) 21:55:03.75 ID:wZSJp7br.net]
>>600
雪だるまにならなければ、それでいいんじゃないでしょうか

613 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/24(水) 23:29:45.04 ID:W1W5tdE3.net]
大般涅槃経 >念を確立しなさい
他後期仏教(特に禅) >正念相続

614 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/25(木) 00:33:32.48 ID:Lcp19lZF.net]
>>600
生存の素因を超越し、諸々の煩悩の汚れを滅ぼせれば如来になれますぞ。

615 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/25(木) 04:42:17.76 ID:w5YXwVOl.net]
>>596
維持「する」必要はないと思います ただただ見つめる 観察している それが閾値を超えた瞬間に変革が起こります
アルコール中毒支援者の会 みたいな話し合いや説得や共感や納得 自己分析によって解決するのがメインではないんです それも補助輪にはなりますが 瞑想はそれとは違った方法だと思って下さい

616 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/25(木) 09:29:17.79 ID:26/y687K.net]
ナワラタナ

617 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/26(金) 10:09:59.23 ID:TyklrsUd.net]
続けていくとある点で変化する
出なくなる、出にくくなると思う
603で言われているとおりと思える。



618 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/26(金) 10:10:34.29 ID:TyklrsUd.net]
×603
○604

619 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/26(金) 13:42:52.01 ID:HM01IKr+.net]
生じて留まり消えていくまでがしつこく現れてくると
自動化されていくような気がしてるんだが

620 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/27(土) 00:31:52.82 ID:xcZTtVd5.net]
メンヘル板ですがスレ立ててみました
病人でない方もどうぞお使い下さい

慈悲の瞑想
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/utu/1556288000/

621 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/27(土) 09:20:17.38 ID:wHsgkVx9.net]
生じた瞬間に潰れて行くのがみえますよ
生じる前に消えていくのがみえますよ

622 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/27(土) 12:00:12.56 ID:c7tiz42f.net]
あと4日

623 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/27(土) 12:48:41.52 ID:KT1dxVjP.net]
滅していいんだよ
人間が一日に浮かび上がる思考の回数は6〜7万回
しかもその8割がマイナス思考
滅せずに残ってたら脳(心)がマイナス思考でパンクしてしまうよ

624 名前:メーテル [2019/04/27(土) 13:14:36.79 ID:lW2TWiG7.net]
心を憎むな

625 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/27(土) 13:30:02.76 ID:sUL3uh/n.net]
>>610
それ一度だけ見たよ
数多くの心が表面に現れる前にダーッと流れていく
しかし、一つだけ、あー何かそれっぽいのが流れてきたな、と思った刹那
そいつだけが表面的に生じた、通常のサティだね
あーこれか、って感じで観て、消えた
これ一回こっきりだったな

626 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/27(土) 13:48:49.09 ID:sUL3uh/n.net]
観察やサティというのは、滅するというより心の免疫を作るんだと感じる
あと、そもそも憎んでいたら観られないので

627 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/27(土) 22:05:23.45 ID:0Fs5KxN3.net]
示して云く、學道の人、世情を捨つべきについて、重々の用心あるべし。世をすて家をして身をすて心を捨つるなり。能々(ヨクヨク)思量すべきなり。



628 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/28(日) 00:36:28.79 ID:kCDE1RD+.net]
つまり正見、正思惟。
そのためには、やっぱり正念。

629 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/28(日) 08:26:34.38 ID:48HRlOHb.net]
ナワラタナ

630 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/28(日) 20:57:42.14 ID:UztaHlqS.net]
>>505
このダライラマ法王のおっしゃっていることは
とても重要な事をはなしています。

631 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/28(日) 21:21:30.29 ID:UztaHlqS.net]
ほとけが現れている

632 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/28(日) 21:49:16.73 ID:ndrr8qkp.net]
4つの瞑想法

身体についての瞑想法
@呼吸を観察しながら、身体の活動を静める。
A歩いているとき座っているときも状態を観察する。
Bどんな動作をしているときも動作を観察している。
C身体の中が臓器など不浄物で満たされていると観察する。
D地、水、火、風の要素があると観察する。
Eこの身体も死体になり、カラスに啄ばまれ、骸骨に血や肉が付いて筋がつながって、白い骸骨になり積み重ねられ粉々になると観察する。

感覚についての瞑想法
@楽しみの感覚、苦しみの感覚、中性の感覚を観察する。ある、ない、生じている、滅ぼされている、生じることがなくなったと観察する。

心についての瞑想法
@貪りのある心、憎悪のある心、迷妄のある心を観察する。統一した心、散漫な心、広大な心、解脱した心であると観察する。

心の対象についての観察方法
@欲望がある、ない、生じている、滅ぼされている、もう生じることがないと観察する。
 怒りがある、ない、生じている、滅ぼされている、もう生じることがないと観察する。
 ものうさとぼんやりした鈍さがある、ない、生じている、滅ぼされている、もう生じることがないと観察する。
 うわつきと後悔がある、ない、生じている、滅ぼされている、もう生じることがないと観察する。
 疑惑がある、ない、生じている、滅ぼされている、もう生じることがないと観察する(五つの蓋)。
A身体、認識、知覚、感覚、思いの起動について観察する。
B眼耳鼻舌身意について観察する。その対象について観察する。
C気づき、選択、努力、喜び、安堵、精神の統一、平静さという悟りを得るための7つの要素について観察する。
D苦しみのすぐれた真理、求めても得られない苦しみ、苦しみの原因のすぐれた真理、苦しみの消滅というすぐれた真理、苦しみの消滅にいたる道のすぐれた真理について、もろもろの事象(五つの蓋)を観察する。

このようにして7日間瞑想すればすばらしい知恵が期待できる。

633 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/29(月) 09:14:13.58 ID:bwMK0euP.net]
一番最後、四諦について五蓋を観察するというのはおかしいと思うなぁ
五取蘊の間違いでは?
もしくはもろもろの事象 = 諸法を観察するということか、法随念だから

634 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/29(月) 12:08:26.53 ID:npwt40+n.net]
五蓋取れたら初禅になるんだっけ

635 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/29(月) 17:18:42.49 ID:hMBKhOHu.net]
ようやく正定(サンマーサマーディ)の入り口。
禅定は、五自在を指導して貰わないと、きちんと入ったことにはならないんじゃ?

636 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/29(月) 19:53:05.81 ID:npwt40+n.net]
五自在って後々のために出来たほうがいいって程度のことだと思うけどな
悟りではなく、ニミッタは無我のものではないと認識する儀式みたいなものでしょう

637 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/29(月) 20:36:11.31 ID:uf0ikPEz.net]
ナワラタナ



638 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/29(月) 23:30:02.34 ID:npwt40+n.net]
観察やってれば禅定はどんどん出来るようになると思うんだけどな
今はニミッタすぐ見れるし変形も心臓に収めるのも出来る
初禅から四禅もやりたい時に出来るし、続けられるし、出られる
観察ということを始めてから物凄く早くなったよ

639 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/29(月) 23:52:42.37 ID:hMBKhOHu.net]
他人様の瞑想状態のことは知らんけど、自宅でカンタン禅定五自在というのは
リアルでは見聞きしたことがない。

640 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/29(月) 23:54:42.54 ID:hMBKhOHu.net]
瞬間定(カニカ・サマーディ)はどうなのか知らんけど、禅定入ってるときは思考も五感の感覚もないはず。
四禅にいたっては呼吸も拍動も止まる。

641 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/29(月) 23:56:55.11 ID:npwt40+n.net]
>>629
色界四禅で?

642 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/29(月) 23:58:11.82 ID:hMBKhOHu.net]
スマ長老も、瞑想やらんでも預流果までは行けるが、一来果以上は瞑想できないと無理だと言ってる。
そして預流果まで行った人が、なおかたくなに禅定を拒む理由もないはず。

643 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/30(火) 00:00:51.59 ID:PfLV95Yy.net]
五感の感覚や思考が残ってるなら、ちゃんと入れてないってことだと思うんだけど。
五感残ってて禅定なんて言われても、えっ?、って感じ。

644 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/30(火) 00:03:33.33 ID:xbVaDIoy.net]
>>632
大きな衝撃音とかしても気づかない?

645 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/30(火) 00:07:41.65 ID:xbVaDIoy.net]
本当に思考残ってなかったらニミッタを心臓に収めるとか、尋、伺、喜悦、軽楽捨てられないじゃん

言語思考は止まってるよ
周囲が一定の音光臭気レベルなら何も感じない

けど、満員電車や目の前で上司が怒鳴っていたら
「なにか起きてるな」くらいは感じるよ?

646 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/30(火) 00:14:17.60 ID:PfLV95Yy.net]
そうですか。
終わりましょう。

647 名前:神も仏も名無しさん [2019/ ]
[ここ壊れてます]



648 名前:04/30(火) 00:21:47.76 ID:xbVaDIoy.net mailto: >>635
あなたは禅定入って人がぶつかってきても気づかないのですか?
お教え下さい
[]
[ここ壊れてます]

649 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/30(火) 00:31:11.69 ID:xbVaDIoy.net]
ここを見ると
https://j-theravada.net/world/study/pali-sutta3-2/
> 第一禅の最中では思考はまだはたらいています。
ですから、禅定で思考が止まるわけではない

呼吸も拍動も止まる=世俗でいう仮死状態になるのは、非想非非想処になると
と書かれてますね

650 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/30(火) 01:39:23.65 ID:vulO5dA6.net]
瞑想する連中の集いは「中には嘘つきもいる」じゃなくて全員が嘘つきだからそこにいるみんなで騙し合っているという世にもおぞましい嘘地獄

651 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/30(火) 05:57:12.65 ID:LbltouwB.net]
>>627
こいつ山下良道スレでふるぼっこされて、こんなこと言っとる

652 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/30(火) 09:12:40.26 ID:8YZex+Ez.net]
むしろ出来ない人いるの?そのくらい

653 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/30(火) 10:26:32.71 ID:eQ9XCPXJ.net]
折角>>621がGWのプログラム考えてくれたのに
四禅ごときに釣られて取り乱すなよw

654 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/30(火) 10:33:03.70 ID:PfLV95Yy.net]
>>638
お釈迦さまは、色界四禅も無色等至もできたはずだし滅尽定も入れたはず。
阿羅漢もそう。
現代の出家比丘も、一緒に修行していれば目の前で禅定に入ってるところ
を目の当たりにする。

655 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/30(火) 10:38:53.31 ID:eQ9XCPXJ.net]
終わると宣言したのにまだやるの?
はずだ、はずだ、って止めなよ

>>635
> そうですか。
> 終わりましょう。

656 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/30(火) 10:39:22.39 ID:PfLV95Yy.net]
日光東照宮の「想像の象」をみて、象なんていないと言ってるのと同じ。
ないのは自分が妄想した妄想概念の象であって、象はいる。
瞑想ではじめてみえてくる、無我や輪廻もおなじ。
ないのは妄想概念の無我、妄想した輪廻の概念で、無我や輪廻には
かすりさえもしない。

657 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/30(火) 10:40:09.95 ID:PfLV95Yy.net]
「はずだ」は、控えめに表現しないと反発されるかなという懸念から付け足しているだけ。
もともと言葉で伝達できるものじゃないし。



658 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/30(火) 10:41:51.03 ID:PfLV95Yy.net]
言葉は分別思考。
知恵はその人間の思考ではない。
釈尊の言われたことが、人間の思考で捉えられないからといって、釈尊が嘘つきなわけじゃない。
妄想で妄想の外のことを測ろうとしても無駄。

659 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/30(火) 10:50:44.29 ID:eQ9XCPXJ.net]
事実として伝えられてる知識について「はずだ」というのはおかしいでしょう
> お釈迦さまは、色界四禅も無色等至もできたはずだし滅尽定も入れたはず。

またこの並列のしかたもおかしい
「阿羅漢のみか、第九禅にあたる滅尽定に入ることができるとされる」
と言えば済むこと
そこに色界四禅なんて話は入ってこない

控えめなのではなく、禅定に入ってない人が中途半端な知識で
マウンティングしようとしただけに見える

660 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/30(火) 10:53:58.35 ID:eQ9XCPXJ.net]
反発されても良いでしょう別に。
あなたは出家比丘の禅定を眺めていたからわかってるんでしょう?
禅定の何たるかを、はっきりと。

661 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/30(火) 17:50:42.35 ID:pe5GsdBZ.net]
ワロタ

マハシ式だと禅定やらないから過剰に反応してしまうんだろうな
預流果に入ってる人なら四禅行くんじゃないの?
七覚支完成してるんでしょ?
想像するに始めたらすぐに四禅までいくよ

アナパナ主体ならニミッタなんかじきに見る
やればわかるけどニミッタ見たら四禅なんかすぐだよ
それは悟りではない←ここ重要

そこからがマインドフルネス本番なのだから
そんな大した話であるわけがない

662 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/30(火) 22:29:01.99 ID:PfLV95Yy.net]
預流果ならすでに三結がないうえ戒を破れないので、五蓋を鎮伏するのは
そんなに難しいことじゃないはず。
しかも涅槃にいたる道からドロップアウトすることもないので、禅定を忌避する
理由が分からない。理解できない。

663 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/30(火) 22:31:33.34 ID:PfLV95Yy.net]
公に話して一般常識で判断された時に、(そんなものあるはずがない
というような判断をされて)問題が起きる可能性が高いから黙っている
というなら理解はできるが。

664 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/30(火) 23:19:30.80 ID:AG46m/KV.net]
最近、酒が受け付けなくなってきた
ちょっと飲むとなんだかとても自分が間違ったことをしてる感覚がある
元々酒を飲んで楽しいという感覚はないのだが…

665 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/30(火) 23:21:23.77 ID:AG46m/KV.net]
八正道に反するからという考えがあるわけでもないんだ
酒ぐらい嗜む程度なら良いだろうとすら思ってるのだが
これは瞑想が進んでいるせいなのか、それとも肝臓が弱っているのか?笑
でも弱るほど飲んではいないんだよな

666 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/01(水) 00:12:10.45 ID:IHuKgFiH.net]
修業が進んでるんじゃないでしょうか。
自分も似たような感じです。お酒ではないですが。

667 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/01(水) 06:32:05.21 ID:T8gmtZqx.net]
しっかり気づきを保つようにして酒を飲んでみたら、酒が本当に美味いのは最初の1杯だけ、それ以降は惰性で飲んでて
気分が良くなるのは最初の1時間だけ、それ以降は気持ち悪さが徐々に増していくことが分かる
何でわざわざ高い金出して苦しい思い(トータルでは)してるんだろう?俺はバカなのか?ってなる



668 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/01(水) 11:33:43.92 ID:ySQi7+i6.net]
この図のAやBで止まらず、Cまで行くことが大切だと思います。
https://mindfulbonpu.web.fc2.com/buddhism-practice/banner.png

669 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/01(水) 12:27:49.81 ID:tVHK/fNj.net]
3に行かなきゃ1は見えないでしょ

670 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/01(水) 13:23:00.70 ID:tVHK/fNj.net]
ちゅーか、3に行っても1が滅してるわけではない
と言ったほうが良いのか

あと、慈悲の位置がおかしいと思う
慈悲は3の高さに現れてくるもの
現れてきても人が人に慈悲なんて実践できない
仏陀の慈悲の中で自他がなくなるのであって、自が施しを実践するものではない
と思うよ

671 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/01(水) 13:27:29.46 ID:f2Mr1pei.net]
「ええから黙って坐れ」の意味が分かってきた。
昔は「なんぞ、偉そうにクソ坊主が」と思っていたが。

672 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/01(水) 13:30:33.92 ID:+3zaxn+K.net]
1だけじゃ足りないから果てしない模索が始まる。

673 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/01(水) 13:54:59.49 ID:+x4QGf5H.net]
図を作ってる人は正しいと思ってなくて、自分で坐って直していってるから別に良いけど
これを正として分別してるメーテルは痛いだけ

674 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/01(水) 16:14:20.06 ID:8rMJhiDv.net]
すみません。初心者です。数息観をしていると気持ち悪くなってくるのですが、誰かちゃんとした方に教わったほうが良いのでしょうか?

675 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/01(水) 17:22:18.87 ID:+x4QGf5H.net]
自然な呼吸でやってますか?

676 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/01(水) 18:14:01.54 ID:8rMJhiDv.net]
>>663 はい、ゆっくりと呼吸をしながら1-10まで数えて10まで行ったらまた1に戻ります。

677 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/01(水) 19:20:28.17 ID:+x4QGf5H.net]
なるほど



678 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/01(水) 21:13:47.53 ID:hsigf5NC.net]
初禅入ると世界が変わるよね
禅定出ても別世界に居るみたいな感覚になる

679 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/01(水) 22:39:40.56 ID:9rEyB4a4.net]
ナワラタナ

680 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/01(水) 22:42:36.26 ID:G2a6uWmL.net]
ツイッターでプラユキさんにからんでたザゴがあまりにもかまってもらえなくて自滅してる

681 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/01(水) 22:56:57.63 ID:hsigf5NC.net]
ザゴ?誰?

682 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/02(木) 00:55:39.19 ID:rL0ISSQg.net]
仏=ほっとけ
悟り=さっと離

プラユキさんw

683 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/02(木) 21:33:12.03 ID:9Y4gBOpO.net]
仏=蝦蟇蚯蚓
悟り=身心脱落

道元禅師
合掌

684 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/02(木) 22:47:49.24 ID:TDkS+2EB.net]
ナワラタナ

685 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/03(金) 00:34:27.84 ID:rX4dcazq.net]
□■<11、ラーフラ>■□■
--------------------------------------------------------------------------------
335 [師(ブッダ)がいった]、ラーフラよ。しばしばともに住むのに慣れて、お前は賢者を軽蔑するのではないか? 諸人のために炬火をかざす人を、汝は尊敬しているか?」

336 (ラーフラは答えた)、「しばしばともに住むのに慣れて賢者を軽蔑するようなことを、わたくしは致しません。諸人のために炬火をかざす人を、わたくしは常に尊敬しています。」

以上、序の詩

337 「愛すべく喜ばしい五欲の対象をすてて、信仰心によって家から出て、苦しみを終滅せしめる者であれ。

338 善い友だちと交われ。人里はなれ奥まった騒音の少ないところに坐臥せよ。飲食に量を知る者であれ。

339 衣服と、施された食物と、(病人のための)物品と坐臥の所、──これらのものに対して欲を起こしてはならない。再び世にもどってくるな。

340 戒律の規定を奉じて、五つの五官を制し、そなたの身体を観ぜよ(身体について心を専注せよ)。切に世を厭い嫌う者となれ。

341 愛欲があれば(汚いものでも)清らかに見える。その(美麗な)外形を避けよ。(身は)不浄であると心に観じて、心をしずかに統一せよ。

342 無相ののおもいを修せよ。心にひそむ傲慢をすてよ。そうすれば汝は傲慢をほろぼして、心静まったものとして日を送るであろう。」

 実に尊き師(ブッダ)はこのようにラーフラさんにこれらの詩を以て繰返し教えられた。

686 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/04(土) 05:04:33.18 ID:zpAeuhCK.net]
□■<11、ラーフラ>■□■
--------------------------------------------------------------------------------
335 [師(ブッダ)がいった]、ラーフラ、めっちゃ一緒に暮らしてるのに慣れて、お前わしのことなめてない?
みんなのためにがんばってるわしのこと、お前尊敬してるか?」

336 (ラーフラは答えた)、「めっちゃ一緒に暮らしてるのに慣れて賢い人をなめるようなことなんてしてませんよ。みんなのためにがんばってる人を、僕はいつでも尊敬してますよ」
(マジか...ブッダでも尊敬してほしいんや...)

687 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/04(土) 10:34:06.40 ID:tVuQyPuD.net]
ワロタ
親子だからなぁ



688 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/04(土) 13:23:18.30 ID:KW/p2mTn.net]
ネタだと思うけどいちおう
賢者、灯火をかざす人 = サーリプッタ尊者
https://j-theravada.net/dhamma/kougi/kougi-112/

689 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/04(土) 13:59:54.57 ID:PfY7tLtG.net]
最近分かったことですが、心の欲というものがあって、それに気をつけていると、
悪いことから離れやすくなるみたいですね。体の欲はなく

690 名前:ケないようだけれど、心の欲は滅せることができる。
両方合わさることによって、悪いことをしようという意思がおこる。心の欲を離れることによって、そういう行為から離れることができる。

基本的なことかもしれないんで、何を今更、と思われたら申し訳ないです。
[]
[ここ壊れてます]

691 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/07(火) 11:54:15.32 ID:igTCpr8t.net]
大切な事で
良いことじゃないですか

692 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/07(火) 19:11:43.45 ID:sR+vyZfU.net]
在家修行者でも両親への愛着を消すべきなのでしょうか?
また消せるのでしょうか

693 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/08(水) 01:32:50.08 ID:gpDk0lvZ.net]
そんなこと考えなくても良いよ
心のないことが善いのではなく
苦の生じない慈しみの心でご両親を抱きしめることが出来ることが善いのだ
と思います

694 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/08(水) 09:29:21.27 ID:yCaLj+ju.net]
貪瞋痴ではなく、智慧と慈悲に切り替えていけばいいのだろうと思っていますが
自分自身も同じ悩みを持っているので、アドバイスとかではないですねぃ。

695 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/08(水) 13:13:15.20 ID:WAUZSY1j.net]
それは同時なのではないかと考えているところなのですが
三毒を滅してもそこに空いた隙間に別の悪魔的、魔境的なものが入り込むのではダメなわけで
「捨てる」「滅する」と言った時、我々は本能的にそこに難しさを感じているのだと思うのです
三毒を捨てたらすぐに智慧や慈悲に置き換わるようでないとならない、なるべく隙間なく
実況中継でサティの練習をしてサティもどきからいつしか本物のサティに入れ替わるのと同じ様に
四諦八正道、慈悲の瞑想をスキなく心がけて、捨てたら滅したら置き換わるようでないとならない
と、野狐の私は思ってますが…
他に何かやらなきゃならないことってありますかね?

696 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/08(水) 14:41:12.90 ID:Nnm+bWie.net]
>>682
ちゃんと仕事をして貢献して(正業)、
きちんと地道に謙虚に暮らしてゆく(正命)

697 名前:679 mailto:sage [2019/05/08(水) 15:11:37.61 ID:anoj4QIG.net]
皆様ありがとうございます。
色々見た結果
https://j-theravada.net/dhamma/kougi/kougi-110/
このページの場合は親子逆ですが

愛情を捨てて『慈しみ』で育てる。

愛情は執着になりますので、慈しみのお想いに変化するよう
意識していきたいと思います。



698 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/09(木) 01:03:22.28 ID:UI8TVKeT.net]
慈悲の瞑想してますが、無条件の愛を感じるようになりました。
宇宙にはそれが常に存在する。
それと一体となることが一番の悟りなのかなと思いました。

699 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/09(木) 01:06:56.92 ID:UI8TVKeT.net]
一番の悟りっておかしいですかね。無視してください。
誤解をあたえてしまうと思うので。。。

700 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/09(木) 17:06:02.75 ID:t8g3MoRj.net]
ナワタタナ

701 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/12(日) 08:31:16.31 ID:35NzyZ89.net]
ナワラタナ最澄空海栄西道元日蓮法然ギャーテーギャーテー

702 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/14(火) 01:25:20.61 ID:Q2Xq7WV6.net]
痛覚への対処方法が少しだけ分かった
問題は痛覚自体ではなく、過剰反応する自分の心の方だった
痛覚を感じている部分よりも、全身の感覚全体の方が大きく強いことに気づけばよかったんだな
痛覚が持続する間、集中を保っておかないといけないのがつらいけど

703 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/14(火) 09:17:52.65 ID:ZPwSk/qa.net]
痛みに限らずこの世は一切皆苦の迷いの生存の世であると明らからる智慧を持って観れば、この世を厭い離れることで苦しみから離れることができ、
生まれることは尽きて二度と迷いの世に生まれることはなくなると如来は教えて下さいました。

704 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/14(火) 16:21:22.31 ID:f23YTVs8.net]
ヴィパッサナ瞑想なんかしてたら
仕事できんわ。

705 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/14(火) 21:32:42.33 ID:Qnl8D3Mm.net]
だから、
悟りを目指す専門職として、出世間を歩く比丘(≒僧侶)なわけで・・。

勿論、日本仏教に於いては、全員在家で出家者ゼロなわけだけど。
というか、日本の社会が(社会システム、行政、世論、一般的価値観等等が)
出世間的生き方を排除しているという実情もあるけれど・・。

706 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/15(水) 00:07:53.37 ID:RO/RHCgj.net]
実は、日本が巨大なサンガなんだ!


ΩΩΩ…‼

707 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/15(水) 11:30:08.50 ID:QmIMOPP+.net]
ある意味鋭い指摘だと思う

実はそうなってるんだが



708 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/15(水) 15:11:47.33 ID:ndNu0vzX.net]
これだけ人いると中には出家したいと思う人もいそうだよね。
どこにもその場所がないのが悲しいことだけどw

709 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/15(水) 16:47:19.65 ID:gGO2BMz7.net]
「出家=逃避」と評価する向きもある。

随分前からの、すぐに転職や退職を考える若者批判と似た次元で。
忍耐が足りない、と。
その辛い中で辛抱努力、或いは工夫するのが大人(≒修行)じゃないか、と・・。
嫌だから苦しいから、といって、そこからの脱出を考えるのは短絡だ、と。

710 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/16(木) 13:53:06.53 ID:GzvqC1sa.net]
そんなことはないと思うね。
逃げでもいいから出家したいと思ったら出家したほうがいいよ。
動機が逃げでも、修行している中で本物になることもある。
肝腎なのは、自分の本心を誤魔化さないことだね。
逃げで出家しても、逃げたという自覚があれば大丈夫。

711 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/16(木) 16:39:15.15 ID:qJDVe1UQ.net]
英語圏だとヴィパッサナーとかの短期の瞑想会を
普通にリトリート(隠居、避難)って呼んでる
お洒落感すら漂っててわろた

712 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/16(木) 21:36:15.18 ID:hAh7f02E.net]
仏教は逃げというより遠離
アホな事からは離れるのが一番
それは逃げではなく賢い選択

713 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/16(木) 21:43:18.09 ID:6Dj3vZ2z.net]
けど、お釈迦さんは家族捨ててるしなぁ・・w
また、中後期には、出家に年齢制限設けたり、親の同意が要ったりとか。


価値観の共有ができなかったら、
「嫌なことを避ける(→遠離)だけの自己中」という批判は成立する。
だって、それが「『一般社会』の価値基準」だから。

714 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/16(木) 21:55:23.42 ID:6Dj3vZ2z.net]
オウムの出家騒動と釈尊在世時の出家騒動は、どこが違うか?
という指摘は、却下し得ない相似性を孕んでいるし、よしんば、
その違いが「目指すところ」の違いで、社会的に悪質な方向性と善なる方向性という違いや、
更には、個人の、ひいては人々の安楽という、至高の善なる目的があっとしても、
それを善と見做し、「他の何を差し置いても(たとえ家族の制止を振り切ってでも)求めるべきである!」
という価値観が共有できない限り、
その人は、いつまで経っても“自分達から逃げていった、自分たちを捨てていった”薄情者でしかなかろう・・。


「世間的価値観vs出世間的価値観」という相剋は、仏教永遠のテーマかもなw

715 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/16(木) 22:17:01.41 ID:MPqGhF1a.net]
何でも思ったらやってみれば良い
今の自分が今の環境で
自分なりに猿真似してみることで
今の自分がそれを経験する事ができる
それは頭で想像してこねくりまわした
理解ではなく自分が実感できる
現実を通した経験を味わえる

取り返しのつかない生き方

716 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/16(木) 23:15:40.53 ID:6Dj3vZ2z.net]
その狭間で落としどころを模索してきたのが明治以降の日本仏教であって、
昭和までは、(まるで年金制度がうまく機能していたが如くw)
理想的なモデルケースだったと回顧できないこともないけれど。


ただ、昭和の仏教も、(スポーツ界等の旧態批判同様)もはや批判の対象だからね・・。
というか、遺骨の宅急便送付が違和感ない時代という、
江戸から明治レベルを超えた、人類の価値観転換の時代でもあるか・・。


猿真似で済むのは、個人レベル趣味レベルの話でしょ。 >>702
「本職であるべき寺院業界の人間(僧侶)が、本職でになっていない猿真似だ」
と見抜かれてきたのが、平成の時代かな、と。

717 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/16(木) 23:49:18.34 ID:1W7wWdyQ.net]
出家するなら臨済宗に限る
先輩の雲水(禅の修行僧)からいわゆるかわいがりを受けるので精神が鍛えられる



718 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/16(木) 23:59:58.80 ID:pYmVy6IY.net]
基本世襲&儀式で金取りまくりって
ブッダの頃のバラモン教と同じ状況な気が

719 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/17(金) 12:31:58.67 ID:BXAi8Odk.net]
ブッダは家族を捨てたと批判する向きもあるが、最後は息子、親戚を出家させて救った。
輪廻の中に救いは無い、というのは仏教の真理であって、一つの価値観というレベルでは無い。
出世間の価値観、世間の価値観があるのではなく、世間は真理に暗く、出世間は真理に明るい。
世間は無知であり、出世間には智慧がある。

720 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/17(金) 12:42:44.02 ID:DNzlif2q.net]
ホームレスには智慧がある

721 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/17(金) 16:05:22.62 ID:Dn0cMR9A.net]
そりゃ、子供を産み育てるのは、愚かな生き方の極致だろうよ。
苦悩しか生まないんだからw

うんうん、君は実に正しい。 >>706

722 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/17(金) 19:26:39.68 ID:nmNBPYLh.net]
怒りが苦悩を生むということを頭での理解ではなく、体得することができました。
あるレベルの怒りはもう生まれなくなったことが分かりました。まだ、先はありますが、素晴らしい解放をえました。
ただ、慢ときょうがそのかわり感じられるようになりました。
まだまだ先はありますね。

723 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/18(土) 02:44:56.17 ID:2IVlKQlM.net]
眠れぬ夜用に安眠用お経BGM置いときますね
https://youtu.be/LmafkUL6VtU

724 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/18(土) 14:45:57.74 ID:2pr/ncOf.net]
>>701
オウムは出家者の全財産を布施させていたからな
そして洗脳奴隷にするために監禁していた
却下だよ

725 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/18(土) 15:18:58.20 ID:2IVlKQlM.net]
>>701
読点多すぎ

726 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/18(土) 15:56:44.46 ID:FT9oxfbI.net]
 
ウィキペディアに
インドのヒンドゥー教社会において
と書いてあるけど
本当に
その当時のインドで
一般的に認められていたものなのか
わからないけどとりあえず

林住期.森林に隠棲して修行する時期
遊行期.一定の住所をもたず乞食遊行する時期

 ↑
一般的に認められていない日本で
無理やり強制的にすれば
オウムのようなことになるような気もする

日本の場合は
(本人の意思ではなく家族の意思として)
ある程度の
年寄りでも働けるのなら世俗において働いて欲しい
とい感じが多数派かもしれない

727 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/18(土) 17:06:56.16 ID:ye5c8J9n.net]
インドなら今でも
川が火葬場だし
生焼けのまま川に流すし
坊さんの場合は焼かずに流したりもするし
墓なんてないし
外で生きる修行者が何万人といるしし
いつも真っ裸でいる宗派もあるし
日本ではって比べる事が無駄だと思うよ



728 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/18(土) 19:33:39.96 ID:FT9oxfbI.net]
 
> 真っ裸

自分も真っ裸で
何処か
あちらこちら
そこいら中
歩き廻ってみたいでつ

それでもやはり
日本の場合は
わいせつ物頒布等の罪とかで
捕まっちゃうかしらん

729 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/18(土) 21:46:28.99 ID:QBilx+Vk.net]
>>701
仏教サンガは世間に介入していかないが、オウムは(教祖が)世間に介入しまくりまくってたでしょう。
実際にやってることのベクトルは真逆だったと思うよ。

730 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/18(土) 22:03:37.18 ID:lLzaZ/cO.net]
>>716
でも、
アングリマーラは、(釈尊の意向に合わせた形で)
『世間的裁き』を受けていない。(私刑は別として。)
現代社会で、これが通用するかい?


そういう意味も含めて、
もし、オウムが、反社会的素養を持っていなかったら、
出家は問題視されなかっただろうか?ということ。
今現在、釈尊在世時のような正当な出家仏教に若者が進路を選んだとして、
周囲の者は、反対せず、日の丸婦って送り出すか? ということ。

731 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/18(土) 22:04:21.04 ID:lLzaZ/cO.net]
振って

732 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/18(土) 22:08:50.23 ID:QBilx+Vk.net]
アングリマーラは個人だけど、オウムは集団として俗世間に無差別殺人攻撃を仕掛けた。
釈尊のサンガと同列の比較対象とはならないと思うよ。

733 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/18(土) 22:12:38.44 ID:QBilx+Vk.net]
アングリマーラが殺人を行っていたのは、釈尊のもとで出家する前。
オウムの死刑囚が殺人を行ったのは、麻原のもとに弟子入りした後。

社会的な価値観で受け容れられなかったのは、釈尊の場合は出世間の教え、
オウムの場合は反社会的行為。
そういうわけで両者を判断する場合の尺度は異なっていると思う。

734 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/18(土) 22:17:02.73 ID:lLzaZ/cO.net]
関連して言えば、裁判員制度について、
新約姦通婦のエピはあるものの、
キリスト者は、人間世界の領域だから人間界のルールに関しては、
神に代わって、というより神の手を煩わすことなく、
人間こそが為すべきこととして無問題なのかもしれん―陪審員制度なぞ、それこそ神に代わってかもしれん―が、
「仏教者が、他者の刑罰の軽重を判断していいのか」
という問いは、真剣に考えるべきことじゃねーかと思うけどね・・。

また、人間界の出来事は人間が裁く、のだとしても、
姦通婦のエピが示すのは、それでも、「他者を裁く資格を有する者は存在するのか?」という問いでもあろうし。

その意味で、世間と出世間の価値基準は、宗教的真理に関するから比較は不可というのも
わからないでもないが、
それは、社会と関わることを拒否することと同じであり、
桃源郷で暮らす仙人や、山奥で虎と暮らす禅僧みたいなもんだ。
そういう仏法なら、『世間の人々』と仏法は、何の関係もない、ということになる。

735 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/18(土) 22:17:09.96 ID:QBilx+Vk.net]
出世間法を理解できるのは、どのみち四向四果の聖者のみでしょう。
一般社会を相手には、そもそも話したところで理解されるものではないと思う。
理解できる人は預流向とか、少なくとも信がある人に限られるのでは。

世間に布教したいなら、まずは黙って修行すすめて、自分が悟ってから考えれば
いいと思ってます。

736 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/18(土) 22:19:14.24 ID:lLzaZ/cO.net]
>>720
刑期を終えてからの出家だったっけ?

737 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/18(土) 22:21:30.21 ID:lLzaZ/cO.net]
>>722
布教したいかどうかでなくて、
存在自体が、日本社会で認められていない、という話。


なんか、噛み合ってねーな・・。



738 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/18(土) 22:22:01.04 ID:QBilx+Vk.net]
サンガの律は他者を裁くためのルールではなくて、
サンガの運営を円滑に継続していくために、そこの所属する人自身が
自主的に守るルールなので、裁きとは違うはずでしょうね。

しかし、ルールがないわけではありません。
サンガを破壊する行いをしながら、サンガに身を置くことはできないように
なっています。

739 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/18(土) 22:23:43.21 ID:QBilx+Vk.net]
日本社会は社会貢献に価値を置く社会なので、出家という生き方が評価されることは
まず期待できないでしょう。
だから大乗仏教しか根付かなかったのだろうと思う。
そうでなくとも、人間が悟りや解脱があると知ることは稀。

740 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/18(土) 22:24:22.99 ID:lLzaZ/cO.net]
>>720
>出家する前
だからこそ、問題なのでは?
出家さえすれば(阿羅漢果等を得られるとしても、それは行が進んでからの話だし)、
過去の罪は不問に付されるのが初期仏教だった、ということ。
実際、光輝に於いては、出家の条件は細かく厳しくなってたと思うが?

741 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/18(土) 22:25:20.62 ID:ye5c8J9n.net]
日本では坊さんも雲水もなにもかも
職業として扱われてるじゃん
日本の法律だと
外で生きる修行者なんて犯罪者でしょう

日本では職業として坊さんがあり
妻帯し住む場所として寺も家であり
定住し死ねば墓地も必要で
金がかかり商売にも利用できる

それが日本では多くの人に
認められた仏教としてなりたって
長年続いている

742 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/18(土) 22:26:29.27 ID:QBilx+Vk.net]
社会から抜け出したい(出家して悟りたい)が、そのことの価値を
社会から認められたいというのは、たぶん無理でしょう。

743 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/18(土) 22:26:37.17 ID:lLzaZ/cO.net]
>>725
だからw

サンガのルールを守ってれば、世俗のルールは無視してよいと?
そうじゃないでしょ?

世俗のルールに則った上で、更に僧伽のルールに遵う、ということではないの?

744 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/18(土) 22:41:53.21 ID:QBilx+Vk.net]
世俗の価値観は、此岸で幸福に生きることが目的。
出家の価値観は、此岸を離れて彼岸に向かうことが目的。

生活圏が重なるエリアにおいては、両方のルールを遵守していることが望ましく、
世俗を離れた出家生活エリアにおいては、出世間の価値観が優先されます。
でなければ俗世を捨てて出家した意味がありません。

745 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/19(日) 00:43:26.95 ID:xHxWWO03.net]
休日、瞑想もせずただダラダラ過ごしてました。
疲れてしまったのかもしれない。

746 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/19(日) 04:06:03.18 ID:OFLqQQEs.net]
 
たとえば今回は

仮の主体を前提とした
その人
個人の解脱
上座部的

 − これに対して −

世俗
周囲環境
(或いは仮の主体を前提としない?)
相互依存性
大乗
中観派という

スレの流れという感じもする

それでも
上座部にも
生きとし生けるものに悟りの光が現れますように
慈悲(慈悲の瞑想)
という大乗的なものもあるかもしれない

747 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/19(日) 04:12:50.96 ID:5FgdMiqg.net]
慈悲は特別大乗的なものではないでしょ
原始仏典に既に慈悲は説かれてる



748 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/19(日) 04:32:49.74 ID:OFLqQQEs.net]
 
間違ってる場合もあるらしいけど
それでもとりあえず
ウィキペディア参照

大乗の
三縁の慈悲
第一. 一般衆生の慈悲
第二. 聖人、つまり阿羅漢や菩薩の位にあるもの
第三. (阿羅漢も超えた?)仏の…

上座部と大乗は違うけど
それでも
慈悲については
似てるような気もする

> 原始仏典に既に慈悲は説かれてる

ご教示ありがとうございます m(_ _)m

749 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/19(日) 07:43:03.50 ID:gh+u27MO.net]
出世間には価値観が無い。無価値。
出家には出家の価値観はある。出家即解脱、出家即出世間ではないから。

750 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/19(日) 09:27:53.53 ID:IWKsCr0U.net]
>>728
皇族は戸籍がないが、犯罪者か?

751 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/19(日) 09:44:12.62 ID:OFLqQQEs.net]
 
ウィキペディア参照

出家
世俗を離れ
たとえば仏教とかに入ること

出世間
煩悩などのけがれに汚染された
この世界のすべての存在を世間というのに対し
それを超越しているもの

たとえば仏教とかの対機説法としては
執着を断った超越的な智慧を出世間智という

> 出家即出世間ではない

出世間智とか
般若の大悲・大智とかが良い
ということかしらん?

752 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/19(日) 18:46:03.89 ID:bpeCOdX2.net]
>>731
だから、「日本に出家者は居ない(僧侶もまた在家者(ウバソク)である)」、
という日本仏教批判は200%の正当性を持ってしまうわけでねw

753 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/19(日) 19:17:24.30 ID:A58GJMmT.net]
菩薩行のために四無量心を育てるには、、、
そうだ、慈悲の瞑想をしよう!

ってならないのかね?大乗では
大乗にはそれ相当の他のなにかはあるのかな

慈悲の瞑想って自分の邪心がないかというチェックにもなるじゃない?
嫌いな人の幸せとかちゃんと願えない人が僧侶やったらいかんよね?

754 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/19(日) 20:14:00.21 ID:OFLqQQEs.net]

>大乗にはそれ相当の他のなにかはあるのかな

如来蔵とか
仏性からの真如縁起とか

仏性を衆生(人間)に限らず
山川草木や生類すべてに仏性があるとする.一切悉有仏性とか

真如縁起を前提とした
頼耶縁起とかの

対機説法とかがあるらしい

間違ってたら スマソ m(_ _)m

755 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/19(日) 21:20:37.47 ID:OMdaRg9Z.net]
菩薩行かくあるべしとか、
大乗仏教かくあるべしとか、
色々考える前に、まず悟るか智慧に達するかしないと
たぶん適切な判断はできないと思う。

756 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/19(日) 21:22:17.14 ID:OMdaRg9Z.net]
菩薩行の在り方について自説を押しつけることで、
俗世に身を置きつつ、苦しみながら仏道を歩もうともがいている人に
背中から追い打ちをかけるようなことをして、どういう四無量心なのか
意味が分からんし。

757 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/19(日) 21:32:23.51 ID:A58GJMmT.net]
質問すると押し付けたことになるのかな?ここでは



758 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/19(日) 21:36:29.54 ID:A58GJMmT.net]
追い打ちかけるというのも全く身に覚えのないこと
何を言ってるんだこの方は

>>741の方は推測なりに教えてくれてありがとう

いや、当然慈悲を養う何かがあって然るべきだろうと思うから、
衆生を救うのに何もないはずがないだろうと思うから、
質問してるんだがなぁ

759 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/19(日) 21:43:34.01 ID:OMdaRg9Z.net]
>嫌いな人の幸せとかちゃんと願えない人が僧侶やったらいかんよね?

文末がこれだったので、そのメンタリティから出てきた言葉として

>そうだ、慈悲の瞑想をしよう!
>ってならないのかね?大乗では

という言葉の意図を読み取りましたよ。
勘違いだったのならご免なさいね。

760 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/19(日) 22:26:29.25 ID:SRtxwLsd.net]
嫌いな人だから幸せ願えない、という人が坊さんやったらいかんでしょw
お金払ってやってるテーラワーダの修行者でもそれくらいはみんなやるわけで
プロのお坊さんならそりゃあ当たり前に出来てるよ

761 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/19(日) 23:40:07.46 ID:OFLqQQEs.net]
 
>>746

むしろ
大乗批判の方が良かったという感じもする

その批判とかによって
もっと
皆から信頼されるような大乗になれるとするのなら

あるいは
上座部も
もっと更に一般の人々にも
認められていくのなら
瞑想とかの実践もしやすくなるのなら

762 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/21(火) 18:17:34.24 ID:n1EWqv2a.net]
大乗は仏教ではない
上座部が仏教だよ。

763 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/21(火) 19:19:30.12 ID:9uWOMCFo.net]
色界、無色界のことが分からなかったのですが、
有上心と無上心という言葉を知って、その世界を感じることができました。そうだったのかという感じで。
心念処の瞑想です。

764 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/22(水) 11:58:34.40 ID:4wW74dx0.net]
大乗は瞑想をしないとわからないと思う。
なんであんなことを言っているのか

765 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/22(水) 12:39:22.19 ID:rJYckMYE.net]
>>749

どちらも仏教ではない

大勢のブッダを出した釈迦在世中の原始仏教だけが仏教

766 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/22(水) 15:28:01.06 ID:VdzwzJkS.net]
基本的で大事なことだけピックアップしていくべきかなとは思う。
余分な肉は必要ないんじゃないでしょうか。

767 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/22(水) 16:03:39.02 ID:rJYckMYE.net]
>>753

なら ジャータカもパリッタも要らなく無い?



768 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/22(水) 16:55:34.98 ID:Aq16JZle.net]
>>751
鎌倉仏教は瞑想不要がけっこうあります。

769 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/22(水) 18:30:03.33 ID:Z/fCOhOE.net]
どれが真の仏教かという話は不毛
ゴータマ・ブッダ本人から直接聞かない限り伝言ゲームなので
自分で実践するか否かだけ(これもプライベートな意味だけで他人は関係ない)

770 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/22(水) 20:36:19.13 ID:ScWxD6EB.net]
悟りの中身、解脱こそが真の仏教
誰でも悟れば釈尊の教えを学んだことになる

771 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/22(水) 21:27:22.95 ID:Z/fCOhOE.net]
こないだの「宗教の時間」の内容が結構よかった
https://www.nhk.or.jp/radio/ondemand/detail.html?p=0424_01
アンコール「ブッダの瞑想(めいそう)」
っていうやつ

772 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/23(木) 00:36:48.94 ID:aXHNBfjf.net]
大乗だろうと上座部だろうと、三学を通して慧に達しない限り
自分の主観で概念的に理解された仏教が仏教だと思ってる
状態が続いていく。

773 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/23(木) 01:02:48.53 ID:fkcZxR/d.net]
経典にはさまざまな教えが説かれているが、詮ずるところ、戒・定・慧の三つの修行法に集約される。
小乗と大乗、顕教と密教、それぞれにこの三つの修行方法がある。

ところが私自身は、戒(不殺、不盗などの仏教の戒め)に関しては一つの戒すら守ることができない。
定(精神集中の修行)についても一つも体得できなかった。
ある高僧が言うには、「戒(インドの言葉でシーラ)が清らかに守られていないと、心の集中状態は現れてこない」とのことだ。

また私たち凡夫の心は、ものごとに引きずられて移ろいやすい。
それはまるで、猿が枝から枝へと動いているようなもの。
まことに散乱して落ち着きが無く、一処に静まりがたい。

このような状態で、煩悩に汚れぬ正しい智慧が、どうして起こり得るだろうか。
もし汚れなき智慧の剣がなければ、どうして悪業や煩悩の絆を断つことが叶おうか。
悪業煩悩の絆を断たずして、どうして迷い苦しみの輪廻世界から解脱することができようか。
ああ、まことに悲しき哉、一体どうしたらよいのだろうか。

「私のような者は、もう戒・定・慧の修行を全うできる器ではない。この三種の修行法のほかに、私の心に相応しい教えがあるのだろうか。
私の身体でも行なえる修行がはたしてあるのだろうか…」

かように思い直し、多くの賢者の教えを請い、様々な学者を訪ね歩いた。
だが、それを教えてくれる人はおらず、道を示してくれる仲間もいなかった。

そこで、歎き歎き経藏に入り、悲しみ悲しみ経典に向かい、みずから手に取って開き見た、
善導和尚(7世紀中国の高僧で、法然上人が師と仰いだ)が書かれた『観経疏』という本の中に見出したのが、次の一文である。

「一心に専ら阿弥陀仏のお名前を念じなさい。
行住坐臥、日常生活のどのような状態にあっても、時間の長短を問わず、片時もやめてはならない。
これを正定の業と名づけよう。
かの阿弥陀仏の本願にしたがう行であるゆえに。」

その後は、「私のような無智の身は、ひとえにこの一文を仰ぎ、ここに説かれる道理を頼みとしよう。
片時もやめない念仏行を修めて、必ずや極楽往生を得るための備えとしよう」と心を定めたのである。

(法然 徹選択集)
https://www.rinkaian.jp/column_archive/c201108.html

774 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/23(木) 11:39:05.47 ID:aXHNBfjf.net]
それも結局、三学修習の一形態。
(信→念→浄土→浄土で戒定慧→彼岸)

775 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/23(木) 13:52:00.35 ID:1yMg42qr.net]
戒が保てない人間が念仏を保てる訳がない

776 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/23(木) 14:12:33.77 ID:+YVzag7i.net]
この念仏のやり方は瞑想ですよ

777 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/23(木) 14:23:15.40 ID:+YVzag7i.net]
正念 正知 数学者モッガラーナの問いから 阿含 中部経典



778 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/23(木) 15:21:15.62 ID:2/RgK17F.net]
念仏じゃなくて身念処でいいじゃん。
大乗の弊害だろうな。気の毒に思う。

779 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/23(木) 17:04:17.54 ID:+YVzag7i.net]
周利槃特
釈迦仏は、彼に一枚の布を与え、「塵を除く、垢を除く」と唱えさせ、精舎を払浄せしめた。
とあります。

一心に唱えそして続けることで、精神の集中が出来るようになります

念仏はこれと同じに見えてしまうのです。

780 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/23(木) 17:42:17.74 ID:fkcZxR/d.net]
>>762
法然は比叡山の中でも持戒第一、智慧第一と言われていた人。
戒律といっても最澄が作った日本オリジナルの大乗戒ではあるけどね。
www.horakuji.com/lecture/silavibhatti/alcohol/hounen.htm

>>765
身念処は天台止観に含まれてるよ。
っていうか、身念処で良いじゃんといえるのは身念処で悪業煩悩の絆を断って輪廻(現象世界)から解脱することに成功した人だけです、本来は。

781 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/23(木) 19:20:21.17 ID:hHXa/lzJ.net]
>>766
たった四行の偈を覚えられなかったのに、仏陀に白い布を渡されて
午前中に阿羅漢果に悟った話だね

782 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/23(木) 19:21:15.34 ID:1yMg42qr.net]
>>766
周利槃特は実際に今の瞬間にやっている動作に気をつけているからヴィパッサナー瞑想
南無阿弥陀仏は今の瞬間に観察している訳ではないただのサマタ瞑想、マントラを使った瞑想

783 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/23(木) 21:56:31.84 ID:Uhkim3rb.net]
南無阿弥陀仏=慈悲の瞑想

784 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/24(金) 09:57:10.21 ID:HJptPo09.net]
ギャグかw

785 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/24(金) 10:33:06.39 ID:Q9rfCEY3.net]
阿弥陀如来=慈悲
他力が顕現し続ける=ヴィパッサナー、サティ


ΩΩΩ…!

786 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/24(金) 13:11:56.90 ID:os556geU.net]
業果は、信じようと信じまいと、避けようと好もうと、必ず果報をもたらすから
意業において仏を念ずれば、必ずその報いはあるはず。

念仏というのは、正法を知り、実践する時代と機会に恵まれなかった人にとって
有益な方便ではあった可能性はあると思うし、それがもし仏随念と同じものなら
初期仏教の頃からある。

787 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/24(金) 14:35:13.67 ID:EuHyd+k0.net]
雑な理解で悪いですが
念仏はサマタだから、自分の煩悩が見えてきてしまう、煩悩の人=悪人であると知る、その自分に絶望する、
ということが起きてくる
そこから離れる理屈を他力本願として与えられてる

その上で、歎異抄ではお念仏は自分が念仏するのではなく、口を突いて出てくるものである、
それは阿弥陀様が言わせているのである、といいます
もうダメだという時に思わず口から出たりするわけですね
阿弥陀様という存在を受け皿にして、有身見から離れるってことでしょう
別の言葉では手放し、帰依ということです
すると救われる、浄土を信じることが出来る
それが悪人正機、他力本願というわけです

ヴィパッサナーの観察の場、慈悲の瞑想の慈悲の場、サティの場は同じと感じる
そこは救いの場、苦が消える場ですね
これは浄土を信じており、なお続けて南無阿弥陀仏を唱えてるのと同じ状態と言えるでしょう
我々は自分が瞑想に入っていくのだけど、それは自分でないところに入っていくのと同じ事でもある
それを日本では他力と言ったのだと思います



788 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/24(金) 14:47:40.46 ID:EuHyd+k0.net]
一段落目書き直したのでつながりが少しおかしくなりましたがわかるでしょう
そんなに精密、厳密な話ではないです

789 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/24(金) 16:51:30.17 ID:XrfEZDx9.net]
この
お念仏は自分が念仏するのではなく
と言う部分 

念仏はしませんけど 全く同じ
なにか別のものが....

観ている者は誰?とでも

790 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/24(金) 16:58:38.52 ID:XrfEZDx9.net]
帰依するというのも、なにかに預けているとでもいうか

>観察の場、慈悲の瞑想の慈悲の場、サティの場は同じと感じる
そこは救いの場、苦が消える場ですね

この3つは同じ場です。
非常に静かな領域があります
その通りだと

791 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/24(金) 20:44:06.28 ID:L3CQFVFp.net]
戒律といえば自分らは比丘ではないので午後に食事をしてはならないという戒を守る必要はないけど、在家信者でも 夜に時ならぬ食事をしてはならぬ ということにはなっている。
みんなは夜食など食べてはないよね?

792 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/24(金) 20:50:28.94 ID:c0/NFtzJ.net]
夜の仕事や夜勤している人は、仏教徒になれないね。

793 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/24(金) 20:51:03.13 ID:c0/NFtzJ.net]
そういう形で、差別戒名に繋がったのにね。

794 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/24(金) 22:09:55.77 ID:0kofEjzZ.net]
夜勤してると夜中に食べるのは昼食の感覚

795 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/25(土) 11:07:45.50 ID:7wnAxkUL.net]

796 名前:f="../test/read.cgi/psy/1551435418/778" rel="noopener noreferrer" target="_blank" class="reply_link">>>778
在家だけど八戒で過ごす日が増えて来ています。
だけど、他人に戒を押しつけることはしません。

究極的には自我を捨てていくわけですが、それは自主的に行うことであって
他人に強制されてやることではないと思います。
[]
[ここ壊れてます]

797 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/25(土) 11:10:51.94 ID:7wnAxkUL.net]
大乗仏教で言っている他力とは、自我を超えた何か(無我や慈悲)のこと
を指していているのであって、「他者の自我」のことではないのでしょうね。



798 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/25(土) 12:11:18.07 ID:dmA7ihm2.net]
念仏についてだけど、意識状態からいってサマタでもなんでもないって気がする
自己放下、バクティヨーガに近いのでは
カトリックの僧が一挙手一投足を神を念じながら無言のうちに行動するって、
禅宗の寺院での日常にそっくりだけど、念仏とも共通点があるように思えます

世界的に有名な禅者である仏教博士鈴木大拙師の「真宗入門」がとてもわかりやすいよ
英語の講義を日本語に訳してあるのですらすら読めるしページ数も少ない
アマゾンで1円から出品されてますので興味ある人はどうぞ

入門だけど眼からうろこって感じだった
他宗派や他宗教への理解も同時に進むって感じだ

799 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/25(土) 12:14:50.41 ID:dmA7ihm2.net]
あるカトリックの本を読んだら、尼僧の寺院で一定期間まったく声を出さず、なるべく音も
立てずに日常を過ごすというのがあった
大変な修行だと思うし禅宗の日常にも通じる
ゴエンカ師のリトリートも10日間沈黙を守るというのが決まっている

https://www.youtube.com/watch?v=vU9FTzbl6Z0
カトリック修道院のドキュメンタリー映画だけど、まさにマインドフルネスの実行の場だと
見ている間ずっとマインドフルになった

800 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/25(土) 12:19:32.90 ID:XKCuJMMy.net]
>>778
そんな決まりがあったんですね。
夜食はたまに食べますが、なにか悪いことしている感じはしました。
ちゃんと理由はあったんですね。
いい機会だし今後はお腹が減っても控えるようにしようかな。
修業にもなるかも知れないし。

801 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/25(土) 16:58:05.46 ID:7wnAxkUL.net]
伝統に拘る人にも二種類あって、
本質を理解したうえでなお伝統的な形式を守る人と、
本質を知らないが故に表面的な形式に拘る(そして他宗を排撃する)人とがある。

仏縁を得た人でも、まだ智慧がないうちは自分に合った方便だけしか
理解できないから、伝統的な形式を堅持し続ける必要はある。
それが法門を守るということ。

802 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/25(土) 17:10:05.28 ID:wTgayDpp.net]
「世の人おもへらく、自力他力を分別してわが体をもたせて、われ他力にすがり往生すべしと、云々。この義しからず。自力他力は初門のことなり。自他の位を打ち捨てて唯一念仏になるを他力とはいふなり。」
(一遍上人語録)

大乗仏教の勝義諦においては一切空ですから自他の分別はありません。
これは浄土教(少なくとも時宗、というか一遍)においても同じであるというか、一遍はそれを強調していると。
唯一念仏となる、そこには自も他もなく念仏つまり阿弥陀仏との合一のみがあります。
と書くと梵我一如ではないかと思われるかもしれませんが、阿弥陀仏の本性も空であるところが有の哲学である梵我一如との違いではあります。
どちらが正しいとか優れているというわけではなく、人一人一人の機根に応じてそれぞれの道で悟りに至れるのだと思います。

803 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/25(土) 22:55:08.79 ID:wTgayDpp.net]
>>786
夕食後に何か食べたくなったら食べる代わりに瞑想するとかひたすら念仏するとか読経とか写経とかの行をすればいいかも

804 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/26(日) 12:30:29.43 ID:094XW2HL.net]
最近ようやく心というものが分かってきました。
正確に言えば心を感じとれるようになってきました。
これまでは感受と心がごっちゃになっていたのですが、分けて見れるようになってきました。

苦も減ってきたし、智恵も生まれてきたように感じます。
今後も頑張るぞ。

805 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/26(日) 16:53:51.66 ID:Oat4h6Og.net]
それはよかったですね

806 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/27(月) 12:05:50.41 ID:UBVBZgH4.net]
>最近ようやく心というものが分かってきました。
>正確に言えば心を感じとれるようになってきました。

まさにデカルトの「我思う、故に我在り」だね。
それは西洋の近代的自我論であり、仏教とは少し違うね。

この原理から言えば、「私」から一切が出発するのであり、「私」に先立つ、いかなる実体も神も存在しない
というのが、近代的自我論の前提だからね。
仏法の「縁起」という基本的概念とはまったく違うね。

807 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/27(月) 15:37:26.76 ID:ztwulV1V.net]
単に四念処ができるようになってきたという話だと思うんだけど。



808 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/27(月) 17:05:30.00 ID:UBVBZgH4.net]
>四念処ができるようになってきたという話

結局、自己申告的な悟りでしょ。
「悟った」と思えば悟った事になる。

自己催眠とさほど変わらない。
現実は何も変わっていない。

つまり、夢と同じで、醒めてみれば何も変わってないことに気付く。
そういう事なんです。

809 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/27(月) 17:07:31.83 ID:UBVBZgH4.net]
「悟りました。」

「それはよかったですね。」

で、終わり。

空しすぎる。

810 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/27(月) 17:19:56.08 ID:1F+zO7jn.net]
790は便宜上「心」などとしているだけのことであって
見えるならば観察すればいいだけのこと
概念としてどう捉え考えてるかとは関係がない
起きた通りのことを事実として捉えることになる
観察して起きる現象は仏教で説明されていることが起きる
だから仏教は真理だと言われる

811 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/27(月) 19:13:12.68 ID:/yqUGtYx.net]
>>794
卑怯というか姑息というか底意地が悪いというかいちゃもん付けてるだけというか。

彼は「悟った」なんて一言も言ってないと思うが?
もし、あなたがそう感じたのであるなら、その文章を正確に引用して指摘しな。

また、第三者が、目にし得る文章から類推するに、
彼は、「自身の心(の動き)を、より正確に、観察・把捉できるようになっってきた」
と、自身の瞑想(禅定)の進み具合を述懐しただけでしかなかろ?
で、どこにも、瑕疵も過誤も齟齬もない。
ただただ、自身の体験の現状をキーボードで打ち込んだだけだろ。

貴方に返す言葉は唯一つ、 「そういうお前はどうなんだ?」 と。


こういう上から目線の奴が一番胸糞悪い・・・  ( ゚听)、

812 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/27(月) 19:23:40.83 ID:5AWxqRX4.net]
うん、>>790はやっと瞑想になってきました、と言ってるだけだね
どのへんから「悟った」と読み取ったのか全く謎だ

813 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/27(月) 21:08:33.85 ID:Urv53QIZ.net]
>彼は「悟った」なんて一言も言ってないと思うが?

私も「彼が悟った」など一言も言ってはいないのだが?
例えを言っているんのであって、仮に「悟った」と言ったところで、証明も出来ないし、自己申告でしかない
と言う事を言いたかったのだよ。

それは自己催眠と何が違うのかという事もね。

しかし、なんだね。
あなたが何年仏道修行を積み重ねてきたのか知らないけど、たった一言で、かくも脆く、
冷静に物事を考えることが出来ず、瞬間的に「修羅界の相」を現じているという厳然たる事実!

いかに空しい教えを信じているのか、よくよく考えなさい。

814 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/27(月) 21:11:28.43 ID:Urv53QIZ.net]
そんな風な、へなちょこ修行では
阿羅漢の境涯など、100万年修行しても無理だと思うよ。

断言できる!

815 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/27(月) 21:55:52.46 ID:NGWQ678f.net]
どうやら会話できない系の人みたい、スルーで良いな

816 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/27(月) 21:55:57.56 ID:/yqUGtYx.net]
屑だな  >>800

817 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/27(月) 21:59:21.61 ID:/yqUGtYx.net]
>>799
>自己申告でしかない
それは、お釈迦さんにも当て嵌まるんだがね?


五比丘と会う前の、ウパカとのエピすら知らんのか?



818 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/27(月) 22:16:32.72 ID:R88+radG.net]
相手しなくていいと思うよ
主語がすり替わってたりして話がおかしい

819 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/28(火) 09:33:18.37 ID:5GFQv7EM.net]
まあここは体験や変化を書き込む場でもあるからね。
なかなかそういう進歩はないけれど、皆さんも何かあれば語っていきましょう。

820 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/28(火) 09:56:15.71 ID:Opeby94L.net]
慈経をソラで言えるようになりました。
仕事中変な妄想が出る場合念じております。

821 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/28(火) 10:57:18.76 ID:H0fyjWLi.net]
どうやら、痛いところを突かれて、何も釈明出来ないようだね。

所詮、テラワダなど、その程度と言う事を理解しなさい。

現実を変革できない仏教など真の仏教とは言えないし、仏教ごっこの範疇を出ない
いわば、趣味の世界でしかない。

これから起こるであろう、様々な人生の苦難に直面したとき
その教えの無力さに気付くであろう。

822 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/28(火) 15:07:46.79 ID:5GFQv7EM.net]
その認識、預流果ですらないでしょ?
悟れば人生の苦しみが減るということを体感できていない人の書き込みに見えるね。
預流果ですらない人がそのようなことを言うのは哀れなだけだよ。

823 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/28(火) 15:15:58.47 ID:5GFQv7EM.net]
少し言葉

824 名前:ェきつかったかも知れない。それについては謝る。
悟った人の説教とは思えなかったので少しヒートアップしてしまった。
怒らないでもらえるとありがたい。ケンカをしたいわけじゃないので。
[]
[ここ壊れてます]

825 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/28(火) 18:39:22.75 ID:R8p0fiR9.net]
初禅(相当)以上にならないと苦ということすらわからないから
文字だけ読んでも本当に何もわからないよ
それこそ虚しいことだ

826 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/28(火) 18:44:51.00 ID:yXiSJwmK.net]
単に人を貶すのが目的の人でしょ
スルー推奨

827 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/28(火) 19:21:43.50 ID:H0fyjWLi.net]
>悟れば人生の苦しみが減る

その考えが、最大の誤りだよ。
まさに実生活における苦悩からの逃避であり、娑婆世界からの逃避だ。結局、念仏と同じで厭世思想じゃないか。

それは社会の適合できない人間が、引き籠っているのと同じだ。

自分ですら救えない教えが、人を救えるわけがない。

釈尊の真の教えがそんなものとは到底思えないのだがね。



828 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/28(火) 19:27:35.38 ID:JgYUl3fB.net]
>>812
釈尊は、世俗の一般的生活と決別することで大安心を得る方法を説いたわけだが?

それへのアンチが、大乗仏教であり日本仏教なんじゃねーの?


お前さんは、何を見、読み、釈尊の方向性を判じているんだろうね・・・?  ┐(´ー‘)┌

829 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/28(火) 19:30:53.88 ID:JgYUl3fB.net]
>>812
お釈迦さんの方向性は、

 出家(→世俗の生活との決別)にしか悟りはない

としか、(少なくとも初期仏教(≒阿含)を見る限りでは)読めない筈なんだがなぁ・・・。

830 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/28(火) 20:18:14.81 ID:5GFQv7EM.net]
預流果に悟ってから出直してきて下さいとしか言えない。
少なくとも不退転に達するとはどういうことかを理解してほしい。
もう何も言わないけど、私が説得されたと思ってくれてかまいません。

831 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/28(火) 20:25:32.84 ID:R8p0fiR9.net]
世俗の価値観ですら百人が百人違った「現実」を生きているとも言えるのに
何が刺さったと思ってるのか不思議な事を言う人ではある

世俗の言葉での「現実」とは何かというと
事実、認識、評価の段階で評価に当たるものだ
大抵の人は評価を事実、認識と混同して生きている
それだけでなく自分の都合の良い「評価」を用いて自分の人生を良いもののように思い込もうとしているし
その評価が不動であると都合よく思い込んでいる
それに行き詰まると苦難だということになる

そうではなくて、評価をしてしまうこと自体が苦を生んでる
一皮剥けばいかなる「現実」(事実、認識ではなく評価としての)も苦を生んでいる
これが現実(事実、認識、智慧)のものとして見えてこないと仏教理解など全く出来ないよ

では、一体何が事実、認識なのか?
これはテーラワーダの人ならわかりきってること

832 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/28(火) 21:17:21.24 ID:JgYUl3fB.net]
瞑想の行が進んだ者が、
自分で「見た」その経過を(喜とともに)吐露しただけなのに、
「そんなの悟りじゃない!」と、横から石をぶつける行為に、
正当性が見出されるとは思えない。

千歩譲っても、それが口にできるのは、お釈迦さんか阿羅漢果までいけた者だけだ。

833 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/28(火) 23:13:29.87 ID:9Hus4UY3.net]
見解とか心情とか感情まで、それらは自己ならざるものなのにそれらに固執したり振り回されたりするから苦が生じる。
苦から解脱したければそれら一切を手放すこと、執着しないこと。

834 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/29(水) 12:12:06.13 ID:2LKDReV+.net]
>>812
お釈迦さまはご出家なさいました。

835 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/29(水) 12:16:39.91 ID:2LKDReV+.net]
社会参画と社会貢献にこそ価値があるという信条を持った人に
仏縁をもたらすには、大乗という方便が必要だったと理解しています。

悟っていない人がいう現実ってのは、自我にとって気持ちよい現実を
現実だと言ってるだけなのでね。

836 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/29(水) 12:18:41.07 ID:/6i3dk2J.net]
>>812
そもそも釈迦の教えは人を救うための教えではないから
自分が解脱するための教えだから

837 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/29(水) 12:28:30.09 ID:2LKDReV+.net]
方や、この世の生こそがすべて、この身こそが我っていう前提認識から出てくる考え方。
方や、考えてものを言っているわけではない。(自我の考えの延長に無我や悟りはでてこない)。
従って、基本的に話(言葉のやりとり)を通して理解を求めるのは無理。



838 名前:桃太郎 [2019/05/29(水) 15:31:11.84 ID:9TFRWaeB.net]
>そもそも釈迦の教えは人を救うための教えではないから

それでは、なぜ釈尊は膨大な仏の教えを説いてまわったの?
苦悩に沈む人々を救う為で無いのであるならば、誰のために説いたのですか?
何の目的で説いたのですか?

自身の解脱のみであれば、他者に向かって説く必要もなかったはず。
自利に徹して、仏法を説いたり、弟子を持ったりしなければ、提婆達多に嫉妬されり迫害を受ける事もなく、
ひいては九横の大難にも遭わずに済んだかもしれないのに、なぜ仏法を説いたのですか?

そもそも、あなた自身、仏法によって救われようとしているではないですか。
にも関わらず、「釈迦の教えは人を救うための教えではない」と、どうして断言できるのですか?

テラワダでは仏教をそのように人々に教えているのですか?
出来れば、その一文をここに載せてもらいたい。

839 名前:桃太郎 [2019/05/29(水) 15:35:18.65 ID:9TFRWaeB.net]
ここの皆さんは >>821 の意見に、なんの異論も無く賛同しているのだろうか?

だとすると、相当なもんだな。

840 名前:桃太郎 [2019/05/29(水) 15:51:51.04 ID:9TFRWaeB.net]
>釈尊は、世俗の一般的生活と決別することで大安心を得る方法を説いたわけだが?

誰のために説いたの?何のために?

>一般的生活と決別?

すると、君たちは全員、仕事もしていないニートさんなの?
君たちは、具体的にどうなふうに社会と決別し、一般生活と決別しているの?
お父さん、お母さんは悲しまないの?

「修行」と自分に言い訳して、現実社会から逃避しているんじゃないの?

もし、仕事もして、家庭をもって、一般的生活をしてるのであれば
「決別」した事にならないから、永遠に解脱など出来ないんじゃないの?

841 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/29(水) 15:54:12.67 ID:k53wSrRs.net]
どの地域の伝播ver.でも構わないから、
お釈迦さんの伝記を百万遍読んでから出直して来い。 >>824

君の疑問の答え、全部書かれてるからw

842 名前:桃太郎 [2019/05/29(水) 16:10:40.73 ID:9TFRWaeB.net]
だろうね。想定内だよ。(笑

痛いところを突かれて、答えに窮し、進退極まれりといったところですか。 ┐(´ー‘)┌

843 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/29(水) 16:12:17.51 ID:9TFRWaeB.net]
それに、「お釈迦さんの伝記」を百万遍読んでも
君がニートかどうか分らないと思うけど。(笑

844 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/29(水) 16:27:21.28 ID:2LKDReV+.net]
>>823 >>824
菩提樹の下で悟る前は布教してないよ。
達磨大師だってそう。世親も無著もそう。
自分が悟ってないのに、他人に教えられるわけないでしょ。

>>825
お釈迦さまが説いた解脱の境地は彼岸とも言われ、いまだ悟りに至らない
迷いの生は此岸と言われるが、君がいう「現実社会」も、出家者たちの出家
生活も、悟っていない限りは此岸。
逆に、離欲によって自我から離れれば、どこにいようと彼岸。

845 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/29(水) 16:28:48.72 ID:2LKDReV+.net]
感覚と思考が自我を形成しているので、自分が世界だとか現実だと思っているものは
いってみれば自分に過ぎない。
自分を手放せば、世界から抜け出したのと同じ。
(おそらくそういうこと)

846 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/29(水) 16:31:11.70 ID:2LKDReV+.net]
正義の怒りで暴れる自称大乗の人は、
他人を救いたいんじゃなくて、他人を救う自分でいたいという
自我執着の表れのパターンのひとつに過ぎない場合が多々ある。
特に、他人の信念信条を叩きながらやってるとしたら、そのケースだろう。

847 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/29(水) 17:54:14.22 ID:9TFRWaeB.net]
>>829

>そもそも釈迦の教えは人を救うための教えではないから

ここで言う、「釈迦の教えは」と言うのは、日本語からして当然「悟った釈迦の教え」だよね。

>自分が悟ってないのに、他人に教えられるわけないでしょ。

あなたの論理で言えば、悟ってない人が弟子に仏の教えなど説けるわけないからね。
弟子に教えを説くという事は当然悟っていなければならない。

ゆえに「悟りを開いた釈尊の教えは救うための教えではない」という事になる。

※ココ重要だからスルーしないでちゃんと答えてね。

その上で、「釈迦の教えは人を救うための教えではない」と言う事にあなたは賛同しているの?



848 名前:桃太郎 [2019/05/29(水) 18:06:00.15 ID:9TFRWaeB.net]
↑は桃太郎のレスでした。

>自分を手放せば、世界から抜け出したのと同じ。
(おそらくそういうこと)

恐らくそうじゃないよ。手放すのではなく、ありのままを観るが正解でしょう。
「縁起」という意味を理解してますか?

ものごとを縁起的に見るというのは、どんなものでも、ある因とある縁が結び合って成り立っている、
「すべては互いに依り合って存在している」と見ること。

常に変化変化の連続の中で現象として起こる。

そこにまた新たな因と縁が加われば、すぐに変化してしまう。
どんなものでも、因と縁が仮に和合して成り立っていると見る。いわゆる因縁仮和合です。

人間もそうです。自分といっても、仮に、こういう姿をとっているに過ぎない。
だれも変化を免れない。健康な人でもいつかは病み、死んでいく。うら若き乙女も、あっという間に、孫をあやすようになる(笑い)。
「自分とは何か」 —- そう考えても、十年前の自分と今の自分は違う。変わらぬ自分というものはないのです。
ゆえに、自分への執着(我執)を離れよ、と説いたのが仏教です。

いわゆる「無我説」です。

※ここで「世界から抜け出す」という考えは「自分」と「世界」を別物と考えているからそうなるのであって
それは、ちょうど「汚らわしき肉体から魂が抜け出す」みたいな考えとたいして変わらぬ、誤った考えですね。

849 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/29(水) 18:35:50.24 ID:k53wSrRs.net]
昔見かけた桃と同一人物かしらんが、
敵が居なくなった(卒業した)時機を見計らって出てくるところが、なんとも・・

あの頃の傷が癒えたと見えるw

850 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/29(水) 20:32:13.15 ID:2LKDReV+.net]
>>832-833
概念智で矛盾したり別物だと思っているものでも、体験智としてみたときは同じだったりするんですよ。
知識や思考で考えて概念的に理解された仏教が悪いとは言いませんが、結局、それは慧についての知識的理解であって、慧そのものではないんです。

851 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/29(水) 20:42:56.19 ID:h9grF2Rc.net]
>>835もまた慧そのものではないよ
言葉をお借りすれば概念智だね

852 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/29(水) 20:43:04.39 ID:F/7c8Jvx.net]
とても重要なことですね、それは

853 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/29(水) 20:43:09.47 ID:v4NCgjuh.net]
梵天勧請ってあるじゃん。
>>821は「そもそも」論を言ってるんだから別に何もおかしくないと思うがね。

あと中部の目連経だったかな?
道順はちゃんと教えるけどそれでたどり着けへんもんは知らんがな、みたいなやつ。
少なくとも初期のブッダは絶対救うマンではなかったように見えるのだが。

854 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/29(水) 20:55:05.09 ID:2+L4lIKe.net]
>そもそも釈迦の教えは人を救うための教えではないから

人を救うことと自己の解脱ってまったく同義なんだがな
ここら辺が違和感なくぴったりこないとまだまだ「概念智」とかで遊んでる状態

855 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/29(水) 21:01:22.42 ID:k53wSrRs.net]
>>839
それは、結果論。

お釈迦さんがアノーマー河を渡る時、

 「三界の衆生を残らず救おう!」

という決意で頭を剃ったのか?ということ。

856 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/29(水) 21:16:49.67 ID:k53wSrRs.net]
『梵天勧請という「フィクション」』が、
すべての仏伝に採り入れられている意味を、桃は未来永劫理解できないだろうし、
もし逆に、彼の言う通りなら、
「梵天勧請」というエピソードは、あってはならない伝承の筈なんだけどね・・・w

857 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/29(水) 21:24:36.65 ID:k53wSrRs.net]
余談:
>>839の考え方は、「本覚始覚如来蔵、仏性仏心等等」と同じくもろ刃の剣。
煩悩即菩提と言われたからと言って、
愚かさが悟りだというわけではないし、愚かなままでいいというわけでもない。
同じ構図として、
「自己の救済=衆生済度」という等式は、勿論成立し得るのだけど、
それは、数式のイコールのような等価ではないと思われるんだよね・・。



858 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/29(水) 23:09:01.50 ID:2LKDReV+.net]
>>836
言葉で伝達された時、言葉を解釈する受け手が言葉を解釈して
概念として受け取るのね。
お釈迦さまの言葉や、仏典の言葉を受け取る場合もそう。

言葉はあくまで概念を伝達するツール。
しかしお釈迦さまの言葉は、智慧から出てきている。

三学の修習を通して慧に達した人の言葉も、慧からでてきて
言葉として伝達される。
たとえば禅僧の言葉なんかもそれ。

859 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/29(水) 23:09:55.04 ID:2LKDReV+.net]
梵天勧請がフィクションだという判断は、三界がフィクションだという前提認識から出てくる判断だと思う。

860 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/29(水) 23:10:42.10 ID:2LKDReV+.net]
つまり、色界(の梵天)、無色界(の梵天)というものなどいない、存在しないという前提があって
梵天の話がフィクションという判断がでてきているはず。

861 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/29(水) 23:18:35.41 ID:2LKDReV+.net]
日光東照宮の「想像の象」を検索してみて欲しい。

象の実物を見たことがない人は、いくら誰かが象について正確に語った話を
聞いたとしても、「想像の象」を頭に思い描くことしかできない。

同様に、自ら仏道(道諦=三学)を実践して体験智としての慧に達しない限りは
「想像の仏教」を思い描くことしかできない。

各人の想像上の仏教は、たとえそれが(龍樹の語った空のように)正確に語ら
れた説明だとしても、想像の仏教に過ぎない。

想像の仏教について、やれこちらが正しい、あちらが間違いだとやってもあまり
意味がない。

862 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/29(水) 23:20:49.59 ID:2LKDReV+.net]
人間の思考や想像が、人智を超えたものを知るわけではないので、
人智を超えたもの(悟りの智慧)について、頭で考えても無駄。

863 名前:桃太郎 [2019/05/30(木) 12:29:43.34 ID:vKGTk/nj.net]
>>841

>『梵天勧請という「フィクション」』が、すべての仏伝に採り入れられている意味を...

ほう。じゃ君が詳しく説明してごらん。(笑 

※ヒント ここで梵天とは何を意味するのか考察してごらんなさい。

>煩悩即菩提と言われたからと言って、愚かさが悟りだというわけではないし、愚かなままでいいというわけでもない。

煩悩即菩提の意味が違うよ。(笑

>「自己の救済=衆生済度」

間違ってはいないが、順序が違うと思うよ。
「衆生済度=>自己の救済」これが正解だね。


自己の救済=>君たちの言う「解脱」なんでしょ。

それから、どうやって衆生を救うの?具体的に。
そもそも、出家もしていないあなた方が今世で「解脱」出来るかって所が最大のポイントなんだけどね。(笑

ほとんど、それは現実味が無いよね。すると、「自己の救済=衆生済度」と言っても所詮、名ばかりで実が無いのと同じでしょ。
空しいだけです。

どうしても、現実の苦悩から目を背けた厭世思想にしかみえないんだけどね。

864 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/30(木) 12:51:07.25 ID:6fBMqwew.net]
他人の心を制御するなんて不可能でしょう?自分の心の制御の仕方を学ぶのが
仏教だと思うんですけど?

865 名前:桃太郎 [2019/05/30(木) 12:57:47.20 ID:vKGTk/nj.net]
>他人の心を制御するなんて不可能でしょう?

平和運動というものは、何も人の心を縛ったりコントロールすることではないよ。
そんなことで人々を幸せにすることなど出来ない。
世間の一般例からみても理解できるでしょ。

仏法者としての立場から言うと、人々の「仏性(仏の生命)」を触発することなんだよ。
人間革命とも言う。

866 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/30(木) 12:59:48.12 ID:6fBMqwew.net]
それは、アートマンとの一体化を目指す梵我一如です。

867 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/30(木) 13:02:19.67 ID:6fBMqwew.net]
>>人々の「仏性(仏の生命)」を触発する 具体的にどうやって触発するんですか?



868 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/30(木) 14:42:29.04 ID:6QCGIb6u.net]
犯罪スレスレの折伏によって、相手の仏性を触発するんだよな

869 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/30(木) 14:49:25.34 ID:6QCGIb6u.net]
排他的な攻撃性と強引な折伏によって起きてくる障害を法難とし
法難を受けることをむしろ善しとするところに「人間革命」が起きるんだよ

池田大作という人は本当に頭の良い人だと思う
創価は宗教と言うよりも共同体としてしっかり組織づくりしたところに大勝利がある
彼が亡くなったらあの組織は維持していけるのだろうか?
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

870 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/30(木) 15:15:24.77 ID:kZcordRS.net]
桃太郎ってそうかなの?

871 名前:桃太郎 [2019/05/30(木) 15:18:17.76 ID:vKGTk/nj.net]
>>652

>人々の「仏性(仏の生命)」を触発する

それは、対話による「生命」と「生命」の触発以外にない。

仏法者でなくとも、歴史に名を残すような偉大な平和主義者というものは、大抵、対話と活字によって
人々の善性を触発するものだ。

なかんずく、「仏界の生命の涌現」は末法の御本仏日蓮大聖人の「南無妙法蓮華経」以外にない。

大聖人曰く
「如我等無異と申して釈尊程の仏にやすやすと成り候なり」云々

「やすやすと成り候なり」だよ。

872 名前:桃太郎 [2019/05/30(木) 15:24:13.22 ID:vKGTk/nj.net]
>彼が亡くなったらあの組織は維持していけるのだろうか?

かつて、2代会長 戸田城聖が逝去したあと、新聞や雑誌に
「リーダを失った創価学会はいずれ空中分解するであろう」と騒がれたものだ。

しかし、戦後わずか3,000人で始まった創価学会は今や大発展を遂げました。
創価の仏法が正しい証拠だよ。

873 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/30(木) 15:38:57.58 ID:6fBMqwew.net]
>>「仏界の生命の涌現」は末法の御本仏日蓮大聖人の「南無妙法蓮華経」以外にない。
なぜ、断言できるのか?アッラーは唯一と何も変わらないでしょ。

梵我一如と仏教は似てるようで違う。悪い人じゃないと思うから、もうちょっと
テーラワーダ勉強して下さい。

874 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/30(木) 15:41:33.03 ID:6QCGIb6u.net]
>>857
わずか3000人の戸田の時代から発展したのは仏法というよりも
池田大作の能力と言って良いのではないかな?
池田亡き後、巨大な共同体を統帥して行ける人物が居るのだろうか
仏法の正しさを言えるとしたらそれからだな

875 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/30(木) 16:09:12.61 ID:1tTQxyda.net]
森の生活で解脱に至るのが最上。
街中で学識に励むのは次点。
解脱できない人のための次善の策。

876 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/30(木) 16:11:02.71 ID:1tTQxyda.net]
出世間が、世間の価値判断の尺度で無価値なのは当たり前。
価値があると思われるのなら、それは世俗的に価値があるということ。
解脱とは関係ない。

877 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/30(木) 16:11:37.93 ID:1tTQxyda.net]
世俗の仕事があるなら、それはそれでしっかりやればいいだけの話。



878 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/30(木) 16:18:44.59 ID:1tTQxyda.net]
現世利益を追い求める宗教(団体)が大きくなるのは俗世間の常。
釈尊はもともと天に至る道と、解脱の道の両方を提示しておられる。

それを知らんか、理解してないからそのたんびに新しい宗派ができる。
そんだけのことだと思う。

879 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/30(木) 16:36:46.58 ID:+jknoulw.net]
まあ創価学会が日本の仏教では布教に一番熱心なのは認める
テーラワーダもスマナサーラが日本での布教に熱心で色々本を書いたりしているけどね

880 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/30(木) 16:38:27.72 ID:6QCGIb6u.net]
禅宗の人たちなんかはテーラワーダを否定したりはしない訳で
それはやっぱ仏教は出世間のものであると言う感覚が強いからだよね

創価は思いっきし世俗の中で戦っていくための組織だし
牧口、戸田、池田、権力と闘ってきた人たちでもある
世俗の中で救われることに頑張ってきたわけだよね

創価はサンガと言えなくもないと思うがw
けどそれなら原始仏教も学べばもっと素晴らしいものになると思うんだ
創価はヴィパッサナーを取り入れたら本物の宗教になると思う
それが仏教とは違うものだとしても

881 名前:桃太郎 [2019/05/30(木) 17:20:55.22 ID:vKGTk/nj.net]
>>858

>なぜ、断言できるのか?アッラーは唯一と何も変わらないでしょ。

それが信仰というものでしょ。

最初から悟って信仰する人なんていませんから。

ただし、「信」には、「盲信」と「確信」の違いがある。

誰でも、人生を掛けた信仰を否定されたり、その教義を打ち破られたりする事は苦痛だろうね。

だから、皆こう言うんだよ。
「お釈迦様の教えは皆尊い、ゆえに、どの宗教を信じてもそれなりに価値があるものだ。
頂上に登る道は一つでは無い」と。

ちょうど、
「科学は素晴らしい、万有引力の法則はいくらあってもいいじゃないか。
1+1が2じゃなくても3でも4でもいいじゃないか。」と言うのと同じだよ。

しかし、その信仰が晩年何の価値もなかったとすれば、どんなに悔いても取り返しがつかない。
ゆえに、宗教の高低浅深を学ぶことは大切な事なんだよ。

日蓮大聖人は仰せだ。
「種種の大難・出来すとも智者に我義やぶられずば用いじとなり」

大聖人ですら、我義を破るような智者に会う事があれば弟子になろうと言うのだから。
(※それに対し、当世坊主たちは法論ではなく、迫害をしてきたわけなんだが)

大乗仏教か興隆する以前(紀元前)にも、インドではナーガセーナとミリンダ王の法論があったし
天台も、伝教も法論によって、最上の法門とは何かを明確にし、真の仏法とは何かを証明してみせた。

この場合は、一宗の教えに固執した「盲信」では無く、比較検討の上での絶対的な「確信」となる。

882 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/30(木) 17:29:36.08 ID:53CnpuLE.net]
>>865
創価というか日蓮においてはヴィパッサナーは観心という天台の用語をそのまま用いて、しかも天台の「十境十乗観法」のような高度な瞑想では末法の世に衆生は救えないとして、
日蓮独自の観心の行を完成させてるよ。

https://k-dic.sokanet.jp/%E8%A6%B3%E5%BF%83%EF%BC%88%E3%81%8B%E3%82%93%E3%81%98%E3%82%93%EF%BC%89/
こちらにごちゃごちゃと書いてあるが、要は
「一念三千を直ちに表現した曼荼羅を本尊として信じ受持することが末法の衆生にとって観心に相当し、これによって成仏できることを明かされた。この法門を受持即観心という」
この部分で日蓮の観行は説明できている。

これがその曼荼羅御本尊だね。
https://i.imgur.com/rzr7HBe.jpg

日蓮宗においては御本尊は◯◯仏ではなく独特の髭文字で書かれた南無妙法蓮華経の題目が書かれた曼荼羅。

883 名前:桃太郎 [2019/05/30(木) 17:32:15.43 ID:vKGTk/nj.net]
>>860

じゃ、君は森に棲む「無職のニート」なんだ。

どうも、この手の質問をすると皆スルーするんだよね。

>>825

この質問にも答えようとしないし。

私は森の妖精になっても「解脱」は出来ないと思うよ。ホント。

884 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/30(木) 17:46:42.65 ID:6QCGIb6u.net]
>>867
そうなんだ、私が無知だったね
けどさ、創価はお題目だけでしょ?

885 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/30(木) 18:47:08.59 ID:zIg6KMOx.net]
だからw

お釈迦さんは ニートの極みなわけ。

社会的活動、生産的活動、世俗的人付き合い、
社会人としての義務責務、等等等、 一切果たしてない。
共同体の構成員としての義務を何一つ果たさずに、
自分の好きなことだけに邁進した人なの。


けれどもそこに、寸土も余さず灌がれる慈雨があるわけ。

桃には『解』らんのだろうな・・・。

886 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/30(木) 18:51:35.86 ID:zIg6KMOx.net]
もし、世俗的生き方を重視するなら、
(カーストという考え方の根絶へ向けて)
パセーナディ王の依頼を受けて、共に、より良い国造り社会造りに尽力したと思うよ。

でも、そうはしていない。
なぜ、その方法を選択しなかったのか。末世の愚弟は拈提すべきと思うよ。

887 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/30(木) 19:27:03.19 ID:1tTQxyda.net]
>>868
それだと、お釈迦さまや阿羅漢は解脱していなかったという意味かな?



888 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/30(木) 19:37:23.28 ID:1tTQxyda.net]
念仏もお題目も、末法の凡夫というのが前提なのでしょうか。
禅ができる人はそこには入らないと思うよ。
「末法の凡夫」じゃないし、概念化される前の仏法そのものをダイレクトに観られるわけだから。

889 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/30(木) 19:41:37.36 ID:1tTQxyda.net]
これがわからんってことは、方便が分からんってことだから
やっぱりそのレベルなのね、ってことにしかならない。

890 名前:桃太郎 [2019/05/30(木) 20:12:33.75 ID:vKGTk/nj.net]
>>870

>お釈迦さんは ニートの極みなわけ。

そんな事はどうでもいいんだよ。
ただ、君たちは教え通に、世俗を絶って(つまり無職のニートのような生活をしている)のかって聞いているの。

仏法には「教・機・時・国・教法流布の先後」という“宗教の五義”があるんだよ。
仏は、無暗に法を説くことはない。

仏は必ず、「時」と衆生の「機根」、その国の「国土世間」、それに応じた「教」を鑑みて法を説くのです。
2500年前の衆生の機根、そして国土世間は末法の今とは全然違うんだから、当然化導の仕方も異なってくる。

日蓮大聖人は仰せだ。

「仏教を弘むる人は必ず機根を知るべきである。
舎利弗尊者は金師に不浄観を教え、浣衣の者には数息観を教えたところ、
九十日を経て所化の弟子は仏法を少しも覚らないで、かえって邪見を起こし一闡提となてしまった。
仏(釈尊)は金師に数息観を教え、浣衣の者に不浄観を教えられたので、
たちまちのうちに彼等は覚ることができた。
智慧第一の舎利弗でさえなお衆生の機根を知らない。
ましてや末代の凡師においては機根を知りがたい。」

釈迦在世の弟子と君たちとでは、全然境涯が違うし、修行のレベルも違う。末法の衆生は本未有善の衆生
彼らは本已有善なんだから、現代では釈迦仏法では救われないんだよ。

この大切な事がなかなか理解できないんだよね。

891 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/30(木) 20:32:32.70 ID:zIg6KMOx.net]
>>875
まず「日本仏教史」を勉強してから書き込もうね。

892 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/30(木) 22:15:06.35 ID:Id5Un0i4.net]
>>875
余談だが不浄観はこの世を捨て去り解脱するためには大切な修行。
長老偈でも多くの長老が死体観察をして解脱したことを偈にしている。
例えば

5.1.1 ラージャダッタ長老の詩偈

315.比丘〔たるわたし〕は、墓所に行って、廃棄された女を見た。墓場に捨てられ、諸々の虫で充満し、喰われている〔女〕を〔見た〕。

316.まさに、或る者たちは、〔まさに〕その、死んだ者を、悪しきものと見て、忌避するが、
〔わたしのばあいは〕欲望〔の対象〕にたいする貪り〔の思い〕が明らかと成った(死体に欲情した)。
流れ出る〔汚物〕のなかにいる盲者のように、〔わたしは〕成った。

317.飯が炊き上がるよりも早く、〔わたしは〕その状況から去って行った。
気づきと正知の者として、わたしは、一方に近坐した(瞑想した)。

318.そののち、わたしに、根源のままに意を為すこと(如理作意:固定概念なく思い考えること)が生起した。
〔世俗の〕危険は明らかと成り、世を厭う気持ちは確かなものとなった。

319.(319) そののち、わたしの心は解脱した。
見よ――法(事象)が見事に法(事象)たることを。
三つの明知(三明:三種類の超人的な能力、宿命通・天眼通・漏尽通)は獲得され、覚者(ブッダ)の教えは為された。
ということで――


このように不浄観によって心身の無常を知り、世俗の虚しさを知ると、世を厭う気持ちが確立する。
世を厭ってこの世への執着を断ち切れば解脱できる、ということだね。

893 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/30(木) 22:25:01.30 ID:1tTQxyda.net]
>>875
だから、機根が違うんだよね。
しかもいまは平民でも三蔵が読めるうえ、接触できるサンガは国内に限定されない。
正法がないのは、そういう見通しを持った人にとってはそうだというだけで、世界の
見方が違う人にとっては別の世界が広がってると思いますよ。

日蓮宗に惹かれる人は、仏法に対して五蓋の「疑」が根っこにあるから、信から定に
至らせるための方便として、そいういう教えになってるだけやと思うし。
疑があったら悟れないからね。

世界観が「この世は末法だ」という見通しで、わたしは「末法の凡夫だ」というセルフ
イメージの人にも法門を開いたんだから、たいしたもんだと思うよ。
でも海外の仏教徒にはほぼ通用しないと思う。

894 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/30(木) 22:30:51.53 ID:1tTQxyda.net]
菩薩はいまも世界中にいるし、その人たちはポータブル正法やから
末法とかないし。

895 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/30(木) 22:36:50.41 ID:53CnpuLE.net]
創価学会って海外で広がっているの?世界宗教を目指しているの?
https://start-soka.com/2018/02/03/sekai/

まあ海外の熱心な仏教徒が今の信仰をやめて創価学会に鞍替えするということはないと思うけど、
海外の無宗教者や既存の宗教への信仰心が薄い人が創価学会に入信するケースはありそうではある。

896 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/30(木) 22:41:37.53 ID:sPtbNyHI.net]
法華経、日蓮宗では四諦はどう説かれてるのかな

897 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/31(金) 00:08:48.01 ID:/7ell1Cp.net]
>>881
例えば三車火宅や正法誹謗の罪について書いてある「妙法蓮華経(法華経)譬諭品第三」では、
日蓮が最も読んでいたと思われる鳩摩羅什訳だと

爾の時に諸の天子、重ねて此の義(世尊の徳のこと)を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
  昔波羅奈(バラナ)に於て 四諦の法輪を転じ
  分別して諸法 五衆(五蘊)の生滅を説き
  今復最妙 無上の大法輪(法華一乗の教え)を転じたもう

などという記述もあるけど、
日蓮はこういった世尊の教え、修行、修行の果は「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我らこの五字を受持すれば、自然に彼の因果の功徳を譲り与えたまう」として、
妙法蓮華経の五字を受持すれば釈尊の修行の功徳を全て譲り受けることができ釈尊と同体になれるとしているよ。
つまり、妙法蓮華経の五字を受持するために南無妙法蓮華経と題目を唱えれば即身成仏できるとした。
成仏しているのだからもう四諦などの修行の果などは全て具えているということになります。



898 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/31(金) 00:20:01.19 ID:/7ell1Cp.net]
法然、親鸞、道元、日蓮は6000巻にも及ぶ漢文一切経を生涯に渡って何度も読破したことがあるという大変な勉強家。
阿含経もスッタニパータとか一部を除いては読んでるからその修行法は心得てるし、
大乗仏教のバイブルの一つ龍樹の大智度論にもそういう所謂小乗の修行法は得々と説かれているから、三十七道品なども当然心得ていると思われる。
ちなみに空海も三十七道品の大切さを説いている。
ただ彼らはそこで終わらなかった。
それは中国仏教では大乗仏教の六波羅蜜が重要視されたとか、中観や唯識や天台などで阿含経を発展させた?修行法などから入ったからというのもあるけど、
単に中国仏教のコピーには終わらない独自の教えをそれぞれ開いた

899 名前:B
だから宗祖となってるわけだね。
[]
[ここ壊れてます]

900 名前:桃太郎 [2019/05/31(金) 09:06:44.42 ID:KKged6Qq.net]
>「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我らこの五字を受持すれば、自然に彼の因果の功徳を譲り与えたまう」

うむうむ。その通り!すばらしい!

ゆえに、日蓮大聖人は「如我等無異と申して釈尊程の仏にやすやすと成り候なり」と仰せになられたのだね。

901 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/31(金) 09:13:56.42 ID:KKged6Qq.net]
>>878

>でも海外の仏教徒にはほぼ通用しないと思う。

じゃ、 >森の生活で解脱に至るのが最上。

とかいう宗教が世界宗教になり得るとでも?
完全に世界市民に受け入れられない時代に逆行した教えだと思うよ。

902 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/31(金) 10:23:57.39 ID:jjBEHQn+.net]
仏教は真理であって流行り廃りじゃないからな

903 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/31(金) 10:42:44.43 ID:ocOa+JL/.net]
NEO仏教
https://www.youtube.com/playlist?list=PLSNw-REgQwljkfiImAOdafwRODPV0PJMk

904 名前:桃太郎 [2019/05/31(金) 10:56:47.83 ID:KKged6Qq.net]
>仏教は真理であって流行り廃りじゃないからな

その真理とやらを勘違いしているのが原始仏教徒だと思う。
真理であるという証明が出来ないのに、どうして真理といえるのでしょうか?

大聖人は、文証、理証、現証の上から正法とは何かを証明されようとされました。
自己申告でも無く、「...だと思う」とかいう自説でもなく、仏の経文の上から、また一番重要な
現証の上からの証明であるから間違いない。

「法に依って人に依らざれ」だよ。

905 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/31(金) 12:47:37.01 ID:jjBEHQn+.net]
> その真理とやらを勘違いしているのが原始仏教徒だと思う。
そこ、詳しくおねがい

906 名前:桃太郎 [2019/05/31(金) 13:33:21.86 ID:KKged6Qq.net]
>>889

厳密に言うと、「仏教は真理」では無い。

「真理」は久遠元初以来元々あるもの。仏や神様が作り出した「法」ではない。

そして、真理そのものに価値があるわけでは無い。それをどう応用するかで、価値、反価値が決まる。

例えば、物理学に於ける宇宙の法則にしても、科学者が勝手に作り出したものでは無い。
どのように応用すれば人類の役に立つのか、研究し価値を創造したのだよ。

同じように、妙法を極めた仏はどのようにすれば、一切衆生を仏にし、所願満足の人生を得さしめることが出来るのか
布いては、人類の幸福、世界平和へと導いていけるのか、その修行法を膨大な経典の中に説いたのです。

原始仏教は衆生の機根や時と言ったものを度外視しているゆえに、いくら修行しても価値がないのです。

907 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/31(金) 14:20:00.67 ID:Xz++FDJ/.net]
仏陀が説いたことが真理でないなら何故日蓮は六千巻もの仏典を読み漁ったのかな
ご案内の通り仏陀自身、また弟子たちは出家して出世間の真理を悟りその言葉を残した
そこから読み取ったものが真理ではないとするなら何なのだろう
日蓮宗は仏教ではないということかな



908 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/31(金) 14:33:15.69 ID:s73Ebo9M.net]
桃太郎って頭おかしいの?

909 名前:桃太郎 [2019/05/31(金) 14:34:28.82 ID:KKged6Qq.net]
>>891

なんか、私が言う事が君には通じていないみたいだね。

もう少し冷静に読んで欲しい。

910 名前:桃太郎 [2019/05/31(金) 14:44:14.77 ID:KKged6Qq.net]
仏法は真理だが、仏教が真理というと誤解を生じるから、分かりやすく教えてあげたの。

>>885

で言いたかったことは、「仏教は時と衆生の機根によって、教えの内容や教導の仕方が違ってくるんだよ。」と言う事だ。

そして君は >>886 であたかも、「仏教」は真理であり、修行法は時代に関係なく固定化されていると思っている。

その間違いを指摘したまでだ。

911 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/31(金) 14:51:29.36 ID:Qi42maL7.net]
桃さんの言うことも説得力がありますな。
ただ疑問なのは、日蓮さんは阿羅漢ではなかったようなのだけれど、
それについてはどう思っているんだろう。

912 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/31(金) 14:55:55.38 ID:jjBEHQn+.net]
無知で悪いんだけど、日蓮は阿羅漢だったの?

913 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/31(金) 15:00:18.06 ID:jjBEHQn+.net]
>>895
被りました、違うんだ
だとするなら仏法の真理性をフルに伝えている教えとは言えないのではないかなぁ

914 名前:桃太郎 [2019/05/31(金) 16:47:43.89 ID:KKged6Qq.net]
>>895

少なくとも日蓮仏法は阿羅漢を目指してはいない。
だから、あまり阿羅漢という言葉は使わないんだよ。

阿羅漢果というのは、声聞・縁覚の極果でしょう?
(原始仏教でいう最終的な境地?)

大乗仏教では於いては、この二乗の衆生は木っ端微塵に弾呵されているから
阿羅漢というのは永久に成仏できないという事になっている。

日蓮大聖人は
「舎利弗は千二百の羅漢の中に智慧第一の上首、閻浮題第一の大智者である。肩を並べる人はいない。阿難尊者は多聞第一の極聖、釈尊一代の説法を空に誦した広学の智人である。
 このような極意の大阿羅漢ですら、なお往生成仏の望みをとげられなかった。」と仰せになられている。

声聞の阿羅漢果は無常を超えているとはいうものの、諸大乗教で釈尊自身、永不成仏の解脱の落とし穴であると弾呵している。

二乗が永久に成仏できないとされたのは、二乗は利己主義の穴に落ちるからであった。
では、なぜ利己主義の穴に落ちるかといえば、爾前経で明かされた成仏の修行は、
きわめてすぐれた素質を持つ人が、超人的ともいうべき忍耐と精進によってはじめて実行しうるもので、
一般大衆には到底、不可能であったから、二乗は人々にこうした修行を教え、導こうとする気持ちを失ってしまったからであると考えられる。

日蓮仏法は阿羅漢なんて目指してません。
私も世俗を離れ森に住む気もありません。

日蓮仏法の目指すところは「成仏」なんです。
それを可能にするのが「南無妙法蓮華経」の一仏乗なんだよ。

915 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/31(金) 17:12:49.86 ID:jjBEHQn+.net]
サーリブッダは阿羅漢なのに成仏できなかったとするのは何故?
それって日蓮に都合の良い解釈してるだけじゃないの?

916 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/31(金) 17:39:36.73 ID:/LK1PBGI.net]
日蓮ってブッダの言う事を疑う人だったの?それは成仏できるわけないわ

917 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/31(金) 17:58:54.85 ID:34+hAoLN.net]
阿羅漢=仏陀(なぜなら、初転法輪時、釈尊含めて6人の阿羅漢と言われるから)
が、お釈迦さんに遠慮して「仏陀」という呼称を使用しない、というだけ。
また(後代)『一つの時代には一人の仏陀』という約束事もあるので、
以降、釈尊以外の仏陀は存在し得なくなった。
大乗に於いては、それがもっと顕著。
一切智者たる仏陀になれるのは、上にあるように、一世界一時代に一人だけ。
それも、過去仏によって任命(w)されていたものだけ。(で、弥勒さんが次の仏陀予定)
逆に、世界の数だけ仏陀がいるともいえる。その一人が阿弥陀さんであり多宝仏であり燃燈仏であり・・・)
だから、例外なく誰もが仏となれる(仏陀となれる)という考え方の発生は画期的だった。



918 名前:桃太郎 [2019/05/31(金) 18:42:57.94 ID:KKged6Qq.net]
<二乗永不成仏>
声聞・縁覚の二乗は永久に成仏できないこと。
爾前の諸大乗教では、二乗は永久に成仏できないと弾呵されたことをいう。
二乗不作仏ともいう。

日蓮大聖人は「開目抄」に仰せだ。

「もろもろの声聞らは、前四味の爾前経においては、どれほどの呵嘖をこうむり、
人天大会の中で、恥辱がましきことを数知れず受けた。
そのゆえに迦葉尊者の泣き叫ぶ声は三千世界をひびかし、須菩提尊者はぼう然として手の一鉢を捨てた。
舎利弗は食べている飯を吐き出し、富楼那は宝器に糞を入れているような下劣な人間であると嫌われた。

世尊は初めて成道した時、鹿野苑において阿含経を讃歎し、二百五十戒を師として修業せよなどと、ねんごろに褒めさせ給うておきながら、
今また、いつの間に自分の所説を、このようにまで謗り、声聞の弟子を弾呵されるのであろうか。」と。

当然、二乗の修行の極果である、阿羅漢も成仏できない。
...と、爾前教(法華経以外の教え)では説かれている。

まぁ、在世の阿羅漢と言えば大抵外道出身のエリート僧が大半らしいけどね。
だから、エリート意識や、慢心、利己主義的な心が無意識の中にあったんだろうね。

ちなみに、爾前権教では、女人、五逆罪を犯した者、二乗の修行者は成仏できないと戒められている。

ところが、一転して法華経にきて、これら不成仏の衆が、ことごとく「成仏」を許される。

ゆえに、法華経は難信難解(信じ難く解し難し)なんだよ。

いわば、「不成仏」と弾呵する釈尊の心は一つの戒めだろうね。

仏は最初から、誰一人見捨てる事はしない。それが仏の慈悲というものだ。
不良の子どもがいて、見捨てる親がいないように。

919 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/31(金) 18:58:26.01 ID:Xz++FDJ/.net]
日蓮が言うから正しいとするのは日蓮宗、創価学会の中でのみ有効な論理だろうな

920 名前:桃太郎 [2019/05/31(金) 19:11:38.99 ID:KKged6Qq.net]
爾前教に於いては、十界の衆生を隔別に説いたが

随自意の法華経に於いては、その考え方を根本的に乗り越え、
十界のいかなる衆生も仏界を顕し、成仏する可能性をもっているとの変革の原理を説いたのが、法華経の十界互具である。

ゆえに、二乗永不成仏はそのまま、他の八界の不成仏となる。

端的に言えば、仏界とはどこにあるか。ほかでもない、二乗界にある。
逆に、二乗界とはどこにあるか。ほかでもない、菩薩界にある。また仏界にもある。
生命観の大転換です。

法華経提婆達多品において、最初に成仏したは「竜女の成仏」
畜身であり女人である竜女の成仏を説く事で、法華経による一切衆生の成仏を説き顕わしたのです。

物語の中では、「竜女の成仏」を舎利弗が非難して曰く
「なんで、おめー女人のくせしやがって、俺より早く成仏出来んだよ、オラー」
「成仏するには、すげー長い間何度も生まれ変わって修行して初めてなれんだぞ!」
「即身成仏なんてありえんだろうがぁー!」と言ったとか言わなかったとか。(笑

そこで、竜女曰く「「舎利弗よ、これを『竜女の成仏』と思うのが見当違いなのだ。『我(舎利弗自身)が成仏』なのだと観ていくのだ、
と(竜女が舎利弗を)責めたのである」」と経文には書かれてある。

法華経がそれほど偉大な経文あることを比喩を通して説かれてあるのです。

921 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/31(金) 19:23:40.29 ID:Qi42maL7.net]
桃さん回答ありがとう。
一つ疑問があるんですが、成仏するために、
その前段階である阿羅漢になってないといけないわけではないんですか?
私の理解では、阿羅漢に至った後、さらに修業を続けて仏を目指す、と思っていたんですが。

922 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/31(金) 19:35:18.81 ID:PSKrV9Nr.net]
>>885
全員が出家じゃないからね。

923 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/31(金) 19:38:09.03 ID:PSKrV9Nr.net]
世界宗教の聖書の宗教も、全員がラビや牧師、つまり聖職者ではない。

924 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/31(金) 19:50:46.84 ID:Xz++FDJ/.net]
道元は大乗も上座部も同じ一つの仏教だとしたよな
これが本物、単純な事実、格の違い

925 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/31(金) 19:51:10.91 ID:PSKrV9Nr.net]
禅宗に乗り込んで折伏しようとしても、返り討ちに遭うだけ。
テラワダも同じ。
成仏して下さい。

926 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/31(金) 20:24:06.56 ID:PSKrV9Nr.net]
処方箋が正しいかどうかは、患者による。
それはどの処方でも同じ。
日蓮が打った大芝居も処方箋のひとつ。

927 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/05/31(金) 20:54:14.06 ID:34+hAoLN.net]
上の方で機根云々の話も出ていたけれど、
同じ病状でも、個々人の体質や合併の症状や耐性体力アレルギー等で
薬の成分や処方を変えるのと同様、機根に合わせて説かれたから、八万四千と言われるわけで。

「機根」に合わせず、唯一種類の薬を処方し続けるのが、日蓮系の愚行でしょうに・・w



928 名前:神も仏も名無しさん [2019/05/31(金) 22:59:55.54 ID:Xz++FDJ/.net]
そもそも末法の世という認識が正しかったのかどうか

929 名前:神も仏も名無しさん [2019/06/01(土) 09:34:33.67 ID:eCqLHxsG.net]
日蓮とスマナサーラって自分ところが正しくて他は間違いとするところで似てるね

930 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/06/01(土) 10:20:50.79 ID:FaXYwUmt.net]
偏狭な大乗ってしかし妙ちくりんな宗派だな

931 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/06/01(土) 10:27:52.83 ID:cmWDLL8C.net]
そうかって冥想するの?

932 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/06/01(土) 11:33:57.45 ID:OeWVQxTg.net]
日蓮聖人は、
「妙法五字の光明に照らされて本有の尊形となる」(『日女御前御返事』) 「妙法蓮華経の五字に照らされて、私たちが本来持って生まれてきた尊い姿のとなる」
「心が統一され、安定した状態。一つのことに心を専心して無念になる」
という境地になる と述べられています。
この境地を「唱題三昧境」(唱題による深い瞑想の境地)といいます。
https://www.honsyoji.jp/_p/1672/documents/syodaigyo.pdf

933 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/06/01(土) 15:20:48.26 ID:1/rl0CYV.net]
三昧に入るには精神統一が不可欠だから、(五蓋の)疑があったら入れない。

瞑想じゃないよ、といいながら瞑想させる。
ニンジンが食べられない子どもに、ニンジンケーキを作って食べさせる母親と同じ。
ニンジンが好きで、すすんで食べる子には別に必要ない。

934 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/06/01(土) 15:23:02.73 ID:1/rl0CYV.net]
今ひとつの理由は、
日蓮が活躍した当時の日本においては、宗派が乱立して、何が本当の仏教なのか
一般人には見分けがつかなくなっていたはず。

そこで、何でも良いから信じられる対象、一心不乱に熱中して精神を傾注できる
対象を与えるしかなかったのだと思う。
それが念仏であったり、お題目だったなら一応理屈は通るし、理解できる。

各人が各様に解釈した仏教概念は、いわば「想像の象」に過ぎないので、そうした
ものを一片に捨て去って、とにかく何かひとつの方便を信じさせ、精神統一させる
必要があったのだろう。

935 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/06/01(土) 15:24:41.75 ID:1/rl0CYV.net]
いまはもう第六結集を経たパーリ三蔵経典にも、経典を解釈できるサンガにも
世界中どこからでもアクセスできるので、日蓮の時代とはだいぶ状況が違う。

936 名前:桃太郎 [2019/06/01(土) 18:00:01.83 ID:SzdrW9bF.net]
>>916 

それは日蓮宗の教義であって、創価学会のとは違います。

瞑想など必要ありません。
ただ、唱題行と折伏のみ、そこにすべての修行が含まれているとします。

「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我らこの五字を受持すれば、自然に彼の因果の功徳を譲り与えたまう」

「如我等無異と申して釈尊程の仏にやすやすと成り候なり」

これに尽きる。

937 名前:桃太郎 [2019/06/01(土) 18:00:39.31 ID:SzdrW9bF.net]
>>911

>「機根」に合わせず、唯一種類の薬を処方し続けるのが、日蓮系の愚行でしょうに

法華経はそもそも、末法の衆生のために説かれたものと言ってよい。
在世の衆生は元々過去世に於いて釈迦如来と仏縁を結んだ衆生であるから、
衆生の機根次第では、原始仏教(小乗教)でも権大乗経でも得道することも出来た。

ところが、「五の五



938 名前:百歳」すなわち仏滅後2000年後の末法に於ける衆生は釈尊とはまったく縁の無い。(本未有善)

その時に、法華経の経典には「上首上行菩薩(地湧の菩薩)が出現して末法の法華経を説くであろう」と記されている。
法華経従地涌出品では、多くの阿羅漢や大菩薩達が、「末法に於いて命を賭けてこの尊い法華経を弘めます」と誓願するが、
釈迦は「止みね。善男子よ。汝等が此の経を護持せんことを須いじ」とこれを制止した。とあります。

すなわち釈尊は上首上行菩薩をはじめとする(地湧の菩薩)眷属にのみ末法の「法華経」を託したのです。
ここで予言されている「上首上行菩薩」とは言うまでもなく外用の立場で日蓮大聖人であり、その内証は「久遠元初自受用身如来」であられるのです。

結論から言うと末法の衆生への処方箋は「南無妙法蓮華経」ただひとつなのです。

法華初心成仏抄に曰く
「とてもかくても法華経を強いて説き聞かすべし、信ぜん人は仏になるべし謗ぜん者は毒鼓の縁となって仏になるべきなり」

素直に信じようが、信じまいが、とにかく尊い法華経を聞かせてあげなさい。
信じるものは速やかに仏になるし、謗ぜん者は毒鼓の縁となっていったんは地獄に墜ちるが仏縁を結んだことにより、必ず最後は成仏するという意味です。
[]
[ここ壊れてます]

939 名前:神も仏も名無しさん [2019/06/01(土) 19:23:52.38 ID:Vnvt7pRE.net]
>>918-919に尽きてるだろう

940 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/06/01(土) 20:19:59.30 ID:1/rl0CYV.net]
仏教の教授期は、二度目の2500年周期に入ったらしいので
いまは正法に接することができる時代。
この2500年が終わると、もうこの世界では次の弥勒仏まで
解脱の教えに出会うことはできないらしい。
つまりいまがチャンス。

941 名前:神も仏も名無しさん [2019/06/01(土) 23:15:46.39 ID:7b+bFC8F.net]
20世紀からが正法が蘇ってくる時期に当たるのかな?
だとするならば
桃太郎さんもひょっとしたらワンチャン日蓮さんを超えるかも知れないんだよね

942 名前:神も仏も名無しさん [2019/06/02(日) 01:23:33.92 ID:ibiK3L9x.net]
なんか法華経信心する夢見たw
桃太郎のせいだと思うけどw
これで自分もいつか成仏するんだろうかw

943 名前:神も仏も名無しさん [2019/06/02(日) 01:25:07.64 ID:ibiK3L9x.net]
ちなみに現実では信心するつもりはないw
これからもテーラワーダ信じていきますw

944 名前:神も仏も名無しさん [2019/06/02(日) 11:56:39.58 ID:8232q7hE.net]
それ折伏されとるのでは…

945 名前:神も仏も名無しさん [2019/06/02(日) 12:12:47.93 ID:ibiK3L9x.net]
www

946 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/06/02(日) 13:05:16.62 ID:RhWV1mR7.net]
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjcanth/78/4/78_KJ00009351264/_pdf/-char/ja

947 名前:桃太郎 [2019/06/02(日) 18:18:54.03 ID:0czi4x3f.net]
>>924

あっははは。www
正直な人だね。

>>925

それでいいんだよ。(笑
私が日蓮仏法を書き込む目的は「動執生疑」を促す事なんだから。

私が君たちの立場だったら、そんなに簡単に自分の信仰を変えるわけないよ。
そんなことは最初から分かっている。

君たちからも色々学ぶことはあるよ。
ただ、宗教的信念の上から安易に妥協することは無いんだけどね。



948 名前:桃太郎 [2019/06/02(日) 18:20:44.64 ID:0czi4x3f.net]
ごめん。
上のアンカーひとつずれている。

>>925-926 だね。

949 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/06/03(月) 00:05:46.66 ID:9DmovS4l.net]
透明あぼんに戻した。

950 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/06/03(月) 02:09:14.14 ID:Lor0O6RC.net]
あと少しで有身見から離れられそうなのだが、最後の一歩が果てしなく難しい・・・
思いの手放しだけでは駄目で、無常についての真の理解(体感)が必要なことは分かった
ただそのためにはある種の執着を断たねばならない

951 名前:神も仏も名無しさん [2019/06/03(月) 09:12:45.48 ID:lZhDGsPS.net]
預流向というものですね。
智慧が生じて煩悩が生じなくなるのだから、頭で理解するのではだめなんでしょうね。
心が変化して、もう二度と戻らないようになる必要がある。
あと一歩とのことなので、達成できるのではないでしょうか。
いい結果が出ることを祈ります。

952 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/06/03(月) 09:15:55.45 ID:c/ijRdcF.net]
なんか現代に於いては出家って胡散臭いと思ってしまうのは私だけか?内7割ぐらいはただ働きたくないだけなんじゃないの?
クラウドファンディングみたいに、その人の背景や出家に至った理由などが明らかで、支持したい人を支持できるというのならわからなくもないけど
なのでダンマ中心に回ってる組織のほうがまだ健全なのかなって気がしてしまう、まあそこにもトリックがあるのかも知れないけど

953 名前:神も仏も名無しさん [2019/06/03(月) 09:34:23.87 ID:lZhDGsPS.net]
それはあるでしょうね。
どの国か忘れましたが、東南アジアのある貧しい国では出家している人が20%もいるようです。
wikiで見ました。これなんかは生活していくためなんでしょうね。

954 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/06/03(月) 17:13:47.36 ID:9DmovS4l.net]
出家全体のうち、尊敬を集めているのは極一部。
街中の観光寺と、森の中とは違うし、自立している人と、依存している人の差も
実際には顕著だと思う。

ただしこれは個人としてみればの話で、サンガとしてみればまた別かな。

955 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/06/03(月) 17:16:07.35 ID:9DmovS4l.net]
まぁ、出家できるんだったらつべこべ言ってないでした方がいいと思うよ。
世間の尺度でどう評価されようが関係ない。気にするべきじゃない。
どうせ“世間的には”無価値な乞食でしかない。

956 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/06/03(月) 17:21:49.64 ID:9DmovS4l.net]
働くのが嫌なだけで出家しても、出家って修行するのが仕事だから
その意味では早朝から夕方までずっと仕事だし、休みは一日もない。

やる気がある人にとっては充実した毎日になり得るが、やる気が逃避
しても脱落するか、ただの辛い日々になり兼ねないのでは。

957 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/06/03(月) 17:27:21.10 ID:9DmovS4l.net]
正式な出家って戒律に則った集団生活だから、個人的な都合で仕事しないで
怠けてるってことはできないはず。
ここでいう仕事とは、三学(戒定慧)=八正道のこと。



958 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/06/03(月) 18:22:08.79 ID:Lor0O6RC.net]
>>934
ありがとう
一晩寝て考えを整理したら、少しずつ分かってきた
「自己の無常」と「自己の非所有」というのが鍵だった
心の変化というより、気づきの実感が必要だった模様
まだ完全に分かったわけではないけど、完全な理解というのもあるのかどうか分からない

959 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/06/03(月) 20:53:40.68 ID:EFgpiLZs.net]
いずれにしろ、
日本(日本社会)では不可能、
ということには変わりないがw

960 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/06/03(月) 22:31:03.10 ID:9DmovS4l.net]
唯物論が間違いだということを、物的証拠として求められる世の中なので
越えなきゃ行けないハードルは多い。

961 名前:神も仏も名無しさん [2019/06/04(火) 01:13:19.15 ID:ENTl3cKe.net]
唯物論が間違いだと分かる人はかなりレベルが高い人なんじゃないかと思っています。

962 名前:神も仏も名無しさん [2019/06/04(火) 01:15:33.31 ID:ENTl3cKe.net]
それか霊的に大きな経験をしたかじゃないでしょうか。

963 名前:神も仏も名無しさん [2019/06/04(火) 10:54:30.80 ID:fwZbwSYN.net]
もし唯物論が正しいなら、すべての宗教は迷信という結論にしかならんと思います。
「神は死んだ」です。
でもこれって、レベルでいったら中高生レベルの思索ですよね。
人間が人間の中に生みだした概念が、ただの概念でしかない(=迷信)だなんてことは
当たり前でしょう。

現代人の科学信仰は迷信レベルなのに、そのことに無自覚。。
レベルが低すぎなんですわ。

964 名前:神も仏も名無しさん [2019/06/04(火) 10:56:02.10 ID:fwZbwSYN.net]
仏陀や先人達がいってる智慧は、概念じゃないですからね。
その区別すらできないんだから、仏教が理解できない/されないのも無理はないのでしょうけど。

965 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/06/04(火) 11:10:21.64 ID:FVoSubVn.net]
【速報】金券五百円分とすかいらーく優侍券をすぐもらえる   
https://pbs.twimg.com/media/D8I_jumUcAEnsQM.jpg     
   
@ スマホでたいむばんくを入手  
A 会員登録を済ませる 
B マイページへ移動する 
C 招待コード→招待コードを入力する [Rirz Tu](スペース抜き)  

今なら更に4日18時までの登録で2倍の600円の紹介金を入手    
クオカードとすかいらーく優待券を両方ゲットできます。   
       
数分の作業で出来ますのでぜひお試し下さい  

966 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/06/04(火) 12:56:20.42 ID:PUn29p1Z.net]
>>948
QUOカードだけもらうわ

967 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/06/04(火) 19:47:47.19 ID:fwZbwSYN.net]
デカルトだって方法序説で言ってることは、精神は捉えどころがないので
とりあえず観察対象を物質のみに絞りましょう、ってことであって
精神は物質です、なんて言ってない。

なのに現代人はかなりの人が精神が物理現象だと思ってる。
五感や思考に「実感」を感じている、その「実感」が、物理現象だと思っていて
五感と実感との区別ができてない。



968 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/06/04(火) 19:51:25.92 ID:fwZbwSYN.net]
(瞑想をしない)ほとんどの人は sensation と realization が同じものだと思ってる。
これは正しくないと思う。

969 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/06/04(火) 21:07:03.42 ID:03xmiEMs.net]
クオリアの問題。

また、唯物論的思考にも強弱の段階がある。

それくらい基礎知識じゃね?  >>ALL

970 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/06/04(火) 21:13:06.36 ID:03xmiEMs.net]
特に、こういうスレだと、皆、「物しか存在しない唯物論」一種としか考えてないしね。

愛や友情や悲しみや喜びが無いとまで言い出す始末w
人殺しも問題ないんだろ?wとか悦に入る輩の何と多いことか・・。

そういう問題じゃねーだろ?と。

アートマンを認めるが如く、スピリチュアルな何がしか(エネルギーか霊体かアストラル体か知らんけど)
を認めるくらいなら・神智学のように真我を認めるくらいなら、
甘んじて唯物論の烙印を受容するさ。 ( >>宝珠 w )

971 名前:おじゃる? mailto:ageteoff [2019/06/05(水) 09:54:12.61 ID:3RlqvbJq.net]
 
>>951
sensation
感覚?知覚?

realization
実現?理解?実行?

感覚・知覚があって
そして
それから理解がある?

たとえば
戒から定(三昧)を生じ
定によって智慧を得
智慧によって解脱に到達し
解脱によって解脱智見を知る

解脱智見とかのことでつか?

日本語で
ご教示よろしくお願い致します m(_ _)m

972 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/06/05(水) 16:23:31.47 ID:6uFKi/7u.net]
目の前にリンゴがある
リンゴは実体と思う(当たり前)
しかし、そのリンゴは視覚に取らえられた情報でしかない
リンゴは実は頭の中にしかない

973 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/06/05(水) 16:25:29.10 ID:6uFKi/7u.net]
目の前にリンゴがある
手を伸ばしてリンゴにさわってみた
リンゴは確かにリンゴはある
しかし、そのリンゴは触覚に取らえられた情報でしかない
そのリンゴは実は頭の中にしかない

974 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/06/05(水) 16:27:13.24 ID:6uFKi/7u.net]
目の前にリンゴがある
リンゴに鼻を近づけて、匂いを嗅いでみた
たしかにリンゴの匂いだ
リンゴは確かにここにある。

しかし、そのリンゴは嗅覚に取らえられた情報でしかない
リンゴは実は頭の中にしかない

975 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/06/05(水) 16:28:29.34 ID:6uFKi/7u.net]
目の前にリンゴがある
そのリンゴをかじってみた
リンゴの味がした
たしかにリンゴ存在している

しかし、そのリンゴは味覚に取らえられた情報でしかない
リンゴは実は頭の中にしかない

976 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/06/05(水) 16:41:13.51 ID:6uFKi/7u.net]
りんごを
目で見て嗅いでみて味わってみて触ってみて
確かにリンゴは実体としてここにある。

これほど確かな事はない

しかしリンゴは実は頭の中にしか無い

と言っても......ね

977 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/06/05(水) 16:51:28.23 ID:PaQbMgOx.net]
目の前にリンゴがある
そのリンゴをケツの穴に入れてみた
直腸にリンゴらしき感触がした
たしかにリンゴはある

しかし、そのリンゴは直腸で取らえられた情報でしかない
リンゴは実は頭の中にしかない
いやケツの中にもある



978 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/06/05(水) 17:33:19.78 ID:3RlqvbJq.net]
 
sensation と realization の意味がわからなかったので
とりあえず

パオ・セヤドー realization で検索すると
yamaneko.hatenablog.jp/entry/2018/10/28/144251
…パオ・セヤドーは
パーリ三蔵全体とその義註及び複注における
相互の関連性を引用しつつ
《涅槃証悟の唯一の道》
(The Only Way for the → Realization ← of Nibbāna)という
当該の著書を完成させたのである
  _  _  _

sensation ではなくて
パオ・セヤドー feeling で検索すると

ルアンポル・ティエン師の瞑想法(気づきによる瞑想)の特徴
You should understand that awareness means only → feeling ← or knowing,
not more than that, not anything additional to that.
気づきというのは、ただ感じがあるだけ、または、ただ知っているだけで
「もっと深い意味がある」と思ってはいけません

仮設としての
無明に依存して
渇愛に依存して
妄想に依存して
「もっと深い意味がある」と我執してはいけません
(自分の心身の中に、恒常不変の実体があると考えて執着する我執 >>953宝珠タソ?)

979 名前:神も仏も名無しさん [2019/06/05(水) 18:35:55.58 ID:oPIMiffn.net]
諸法が縁起する中、

 ≪縁起しない「わたくし」≫

なんぞ、どうして認めることができようか・・。

980 名前:桃太郎 [2019/06/05(水) 18:37:53.00 ID:sLqarIKF.net]
ビルの頂上から飛び降りてみた。

眼下にコンクリートの地面が見える。

しかし、その地面は視覚に取らえられた情報でしかない
地面は実は頭の中にしかない。

そして、それが最後に見た光景となる。...と言ってもね。(笑

映画マトリックスの見過ぎだよ。
映画の中じゃ、本当に死んじゃうんだけどね。

981 名前:桃太郎 [2019/06/05(水) 18:40:36.96 ID:sLqarIKF.net]
>>962

その通りだ!グッジョブ!

982 名前:桃太郎 [2019/06/05(水) 18:56:56.54 ID:sLqarIKF.net]
諸法実相だよ。唯識でも唯物でもない。

「諸法は縁より生ず」とあるように、霊魂とか個我などの実体を想定せず、一切の事象は互いに他との関係性によって生じている。
 人間の認識についても、六つの感覚器官と六つの対象との対応関係から識別が生じ、
それによって、接触と感受と表象と意思と統一作用と生命力と注意などの諸法が生起する。
したがって、そこには、主観が先か、あるいは客観が先かといった論が起きるはずがなく、
また、認識の恒常的な主体を立てるという論もありません。
 私たちは通常、まず自分(恒常的な主体)があり、その自分が対象を認識するというように考えがちですが、
仏教本来の立場からいえば、それは迷妄にすぎない。
本当はそうではなく、自分という考えが浮かぶのも、じつは六根と六境と触れあった後に起こっているのです。

983 名前:神も仏も名無しさん [2019/06/05(水) 20:17:11.42 ID:xqbGoRBU.net]
それを智慧で体験的に知るのか、哲学的・論理的に概念として理解しているのか
そこの差はでかいと思う。

984 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/06/05(水) 21:48:33.74 ID:3RlqvbJq.net]
 
>>962
(たぶん宝珠タソには
  仮設・空性・相互依存とかは無理だと思うけど)
了解で おじゃります m(_ _)m
  _  _  _

>>951
sensation と realization の説明が
>>966ということで良いのかしらん?

985 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/06/05(水) 23:29:11.97 ID:xqbGoRBU.net]
感覚という物理現象に実感を感じているのは、感覚とは別の精神現象だということです。
仏教用語で厳密に何というのかはよく知りません。

sensation と realization の違いとは、名と色が別物だということで、
知識と体験の違いとは、名と色が別物だということを知識として知っているのか
洞察(体験)によって知っているのかの違い、ということだと思います。

986 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/06/05(水) 23:40:06.28 ID:3RlqvbJq.net]
 
>>968
ご教示ありがとうございます m(_ _)m

987 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/06/06(木) 00:03:38.73 ID:a7hL1GzH.net]
 
https://pao.hamazo.tv/e5605641.html

無常・苦・無我を観る

生じては滅し、生じては滅しを繰り返しています
そういう「現れては滅して」を観て「無常」を知ります

縁によって変化だけを続けていることがわかり

「無我」であることを知ります
(「アートマンではない」ことを知ります)

https://docs.google.com/document/d/1k2r4v5JOLpytMl5WtlHTLmzSY8lwKoYisbbO0GE9P-I/edit#heading=h.9g6jsvnq38lw
マハシ・セヤドーは
ニッバーナというのは
認識できないという立場

それに対して
パオ・セヤドーは
認識できるという立場



988 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/06/06(木) 00:05:14.78 ID:8zaAkiKu.net]
色即是空だから仏教は物質を一元とする唯物論ではないよ。

色即是空は大乗仏教の言葉だが、中部か長文経典に仏弟子の阿羅漢と六師外道の唯物論者の問答もあったはず。
そこで仏弟子は唯物論を否定している。

989 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/06/06(木) 00:15:24.15 ID:dRnuAnrs.net]
>>970
その議論のソースを確かめてみないと判断できないけど、
両者が使っている「認識」という言葉の定義が違ってる可能性はないですか?

あるいは別の角度から言うと、お釈迦さまや阿羅漢の涅槃証悟は、果たして
「認識がない」という体験だったのかどうか。

お釈迦さまの感興の言葉なんかには、みたというニュアンスの表現で溢れて
いたような気がするのだけど。
認識というのは言葉としては、主体(主語)を想定する言葉だけど、悟りは無我
らしいから、言語として表現した時に、真逆の表現で同じことを言ってるという
事態はあり得るのかも知れない。

990 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/06/06(木) 00:18:18.79 ID:dRnuAnrs.net]
真逆の表現で同じことを言っている例としては、例えば
涅槃寂静と一切行苦なんかもそうじゃないかと思うんですね。
これ、コインの裏表で同じことのはずなので。

991 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/06/06(木) 02:25:59.98 ID:f+eHTTEs.net]
>>970
認識できる、認識できない、と言うときに
はたして「誰」にとってのことなのか、というところでつまずく
両者とも、「涅槃がある」ということについては異論はないとは思うが
心に起こる現象を言語で表現しようとするときに難しさが発生する

せっかく「わたし」を手放したのに、言葉にするときには「『わたし』を手放していない世界」に戻ってこなければならない難儀さ
おまけに話しても伝わらないし

992 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/06/06(木) 05:06:06.75 ID:SmNxvyjE.net]
なんで話して誰かに伝えなきゃいけない
と思うのか

993 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/06/06(木) 06:18:13.65 ID:H8pa4Cqh.net]
そこに、梵天勧請の裏の意味がある。 >>975

なぜ、お釈迦さんは菩提樹の下から立ち上がったのか?
(→立ち上がらざるを得なかったのか?立ち上がりたくなったのか?)

994 名前:桃太郎 [2019/06/06(木) 09:50:26.11 ID:YJ3miZfi.net]
本来、原始仏教では、あくまで自己の体験的覚証を得ることが最第一の関心事ですから、
理論的に論証しようとしたり、誰かと論争したりすることは頭から否定したでしょう。
究極の生命を体得するという修行だけに心を集中することが第一義ですから、それから逸脱する行為は邪道としてしりぞけられたであろうと思う。

「...は、こうである」「〜のようなものだ」と言うこと自体が、聞き手に固定観念を植え付けるようなものであり、
初期の原始仏教では沈黙が最大の雄弁とされて、対話にすらならなかった。

ところが時代が変遷し、滅後約100年して前3世紀半ばアショーカ王の時代、
教団が多くの部派に別れ次第にアビダルマに傾斜して論争が頻繁に行われた。
仏法の理論化、テラワダもこの流れを踏襲しているように思われる。

逆に大乗仏教では天台の一念三千の法門にあるように仏教の完全なる理論と体系化が行われた。
仏は文字によって衆生を教導救済するゆえんである。

小乗仏教の理論化が誤りと言うわけではないが、体験的覚証を第一義とする原始仏教には一つだけ大きな落とし穴があるとされている。
それは、...【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践17で語るとする。※終了

995 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/06/06(木) 10:02:50.13 ID:f+eHTTEs.net]
>>975
話す必要がある人が居るからさ
悟りを求むる人が居るならば、可能な限り手助けしたい
全く心動かされないロボットではないので

心は動くんだよ
それに執着しないというだけで
慈悲の心には執着するのかといわれると、答えは難しいけど

996 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/06/06(木) 10:07:05.79 ID:dRnuAnrs.net]
うん。
まぁ、お釈迦さまのご遺言は、「怠ることなく勤め励みなさい」なのだが。

997 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/06/06(木) 13:43:07.78 ID:f+eHTTEs.net]
>>979
ありがたい言葉だよね
ブッダはいまわの際まで弟子たちに対する慈悲に溢れていた
悟りはある、と信じて常に気づきを保ち、瞑想を毎日行う、これに尽きると思うよ



998 名前:神も仏も名無しさん [2019/06/06(木) 15:03:50.51 ID:le3IZp1z.net]
瞑想は大事だよな。
悟りを深めるには瞑想が必要不可欠といわれているわけだし。

999 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/06/06(木) 16:49:17.84 ID:8zaAkiKu.net]
修証一如
迷悟一如
煩悩即菩提
生死即涅槃

ですよ

1000 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/06/06(木) 17:01:39.66 ID:68Nul4Ds.net]
>>970
認識出来る
そう
認識しているものは、何か

重大問題

1001 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/06/06(木) 20:24:44.49 ID:f+eHTTEs.net]
>>983
何が認識しているのか、これを言葉で説明したり、説明されて理解するのは難しいので
最終的には自分で確認するしかないし、それが一番

瞑想しながら、色々去来する思いについて、「これはわたしの本性か?」
「わたしは本当にこの思いを望んで思っているのか?」
「この思いは無常なのか?」
などなど、思いを手放したり、脱線しては元に戻りしながらやってみるとよいと思う

集中を保てるにせよ、脱線するにせよ、無駄な瞑想というものはないと思うので

1002 名前:駄々おじさん mailto:sage [2019/06/06(木) 20:36:26.37 ID:W8co6OPK.net]
>>121
あんまり仏教知らないけど、一瞬で現象が生まれるの意味はね、悪魔に訊いたよ。
正確にはにはお稲荷さんね、人間が一瞬でも想像した事柄は地縛霊が実際に憑依
して地上で起こしてしまわないと気が済まなくなるんだとか・・。マタイの五章
の28節もそういう話になると思う。良かったら教養の無い俺のスレを見てけろ。

【666】こっくりさんについて【狐狗狸】
https://itest.5ch.net/test/read.cgi/spiritual/1526782495/

1003 名前:こちらもコピペして帰る。 mailto:sage [2019/06/06(木) 20:38:58.18 ID:W8co6OPK.net]
牛の首の意味と件(くだん)の意味がわかった。

これは地上で起きた怪談ではない。

あの世の秘密を漏らすと処刑するぞ、というあの世からの伝言だ。

NAVERの文を読むとわかりやすいが、このタイプの文章は全体から何を云わん
としているか?をハッキリと口にしてない空気を読み取らないといけない。

見張りに目撃されたA村から出てきた男はスサノオだ。
そして、後から口を揃えるように「そんな男はいない」と言ったAの村人たちは
あの世の共犯か、口外すると自分の身も危なくなるあの世の住人。一番怖いのは
今の今までこの怪談話が、あの世からの警告だと指摘する人がいなかった点。

誰もが話の意味をわかっていたんでは無いと思う。ネットなら何人かは
そのように解釈して書き込む人もいるのが自然だから。だから怖くなる。

誰もが意味を把握しないまま、読んで過ぎてしまっているところが。
不安だ、、いつも何故か、私だけが謎を解いてしまう役回りだから。

件(くだん)の件は、あの世で犯された女性の死者が腹いせに秘密を漏らそうと
する前に牛の姿にされてスサノオと同じ権力を持たせる代わりにその後で抹殺
されてしまうというあの世で起きる証拠隠蔽エピソードだったんでは?と思う。

アセンション
itest.5ch.net/test/read.cgi/spiritual/1487923535/

1004 名前:神も仏も名無しさん [2019/06/06(木) 20:42:33.48 ID:W8co6OPK.net]
つまり、お釈迦さまは確実に悪魔と対談しておきながら、人間には
その背景を説明せず終わった。だから俺が代わりに説明してやった。

1005 名前:神も仏も名無しさん [2019/06/06(木) 23:05:54.67 ID:xsESUC2J.net]
悪魔ってのは時代のパラダイム、集団潜在意識みたいなものだと思うけどな

1006 名前:神も仏も名無しさん [2019/06/06(木) 23:08:32.31 ID:xsESUC2J.net]
今だったら唯物論的な科学絶対みたいな潜在意識というのは強いから
これに気づいてない人に瞑想の話をすると人が変わったように軽蔑の態度を取ってきたりするでしょう
そういうのが悪魔の顕現だと思ってる

1007 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/06/07(金) 12:56:33.80 ID:faLmEztv.net]
お釈迦様の教えは口伝であるのに古い経典に「お経を読みなさい」とかいてあるのはどういうことですか?
経典なんかなかったはずですよ。



1008 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/06/07(金) 13:34:24.13 ID:FEmIR2bq.net]
効果があるからでしょ

1009 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/06/07(金) 14:04:42.78 ID:FEmIR2bq.net]
バーヒヤさん、それでは、ここに、このように、あなたは学ぶべきです。

『見られたものにおいては、見られたもののみが有るであろう。
聞かれたものにおいては、聞かれたもののみが有るであろう。
思われたものにおいては、思われたもののみが有るであろう。
識られたものにおいては、識られたもののみが有るであろう』と。

バーヒヤさん、まさに、このように、あなたは学ぶべきです。

バーヒヤさん、まさに、あなたにとって、
見られたものにおいては、見られたもののみが有るであろうことから、
聞かれたものにおいては、聞かれたもののみが有るであろうことから、
思われたものにおいては、思われたもののみが有るであろうことから、
識られたものにおいては、識られたもののみが有るであろうことから、

バーヒヤさん、それですから、あなたは、それとともにいないのです。

バーヒヤさん、あなたが、それとともにいないことから、バーヒヤさん、それですから、あなたは、そこにいないのです。

バーヒヤさん、あなたが、そこにいないことから、
バーヒヤさん、それですから、

あなたは、まさしく、この〔世〕になく、あの〔世〕になく、両者の中間において〔存在し〕ないのです。
これこそは、苦しみの終極“おわり”です

1010 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/06/07(金) 14:34:05.44 ID:NdQlxLR9.net]

>>970
>>972
>両者が使っている「認識」という言葉の定義が違ってる可能性はないですか?

ふ〜む =^・・^= わかりゃんけど.とりあえず

https://suttanipata.com/a/
スッタニパータ 1026
無明が頭であると知れ
明知が
信仰と念いと精神統一と意欲と努力とに結びついて
(無明に依存している我執)頭を裂け落とさせるものである

↓明知からの解脱智見?↑解脱智見からの明知?

www.wikidharma.org/index.php/%E3%81%92%E3%81%A0%E3%81%A4%E3%81%A1%E3%81%91%E3%82%93
解脱智見
戒から定(三昧)を生じ
定によって智慧を得
智慧によって解脱に到達し
解脱によって解脱智見を知る
((仮設としての)
  我所もなく我もないけど
  それでも.とりあえず
  解脱の智慧をもって見る? → 知る?)

1011 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/06/07(金) 15:30:26.97 ID:b7Oqtrg9.net]
スピ系の本などによく自分に起きている現象(身受)を映画のスクリーンを
通してみているような状態
というのは仏教的になにか名前があるのでしょうか? 

1012 名前:神も仏も名無しさん [2019/06/07(金) 16:08:55.17 ID:j13IsXYl.net]
大念住経にそのような記述がありますよ。
身をただ身とみる、受をただ受とみる、というのが。

1013 名前:神も仏も名無しさん [2019/06/07(金) 16:10:39.71 ID:j13IsXYl.net]
違ってたらすいません。

1014 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/06/07(金) 16:22:10.00 ID:FEmIR2bq.net]
如実知見

1015 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/06/07(金) 16:23:18.13 ID:FEmIR2bq.net]
諸法実相

1016 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/06/07(金) 18:47:19.18 ID:LpUon4EQ.net]
マーヤ

1017 名前:神も仏も名無しさん [2019/06/07(金) 18:55:51.24 ID:8jt8I4WC.net]
その場合の「見る」は、
はたして、「スクリーンの映像」を見るような「見る」でよいのだろうか? >>994-995
たとえば、生まれつき視覚ゼロの者も、身を念じて観察することは可能だろうし、
意によって身体を化作することも、経典の記述に従うなら可能だろうし。
(視覚の無い者は見ることができない、という制限は無かったと思う)

特にスピ系とか心霊系に多いんだけど、
「見る」「見える」って、 ≪(健常者が視覚に頼るような)『映像としての』見る≫ なんだろうか?


(たとえば「幽体離脱」なんかも、手術中の自分を
 【上空から】【見下ろして】【見ている】 なんて言い方が多いけど、
 それって、もろに ≪健常者の、映画鑑賞のような(絵コンテのような)見え方≫
なんだよね・・。 映像メディアが浸透する以前の見え方とかも、ちゃんとあるのかしらん? (´・ω・`))



1018 名前:1001 [Over 1000 Thread.net]
このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
life time: 97日 23時間 38分 53秒

1019 名前:過去ログ ★ [[過去ログ]]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています






[ 新着レスの取得/表示 (agate) ] / [ 携帯版 ]

前100 次100 最新50 [ このスレをブックマーク! 携帯に送る ] 2chのread.cgiへ
[+板 最近立ったスレ&熱いスレ一覧 : +板 最近立ったスレ/記者別一覧](;´∀`)<345KB

read.cgi ver5.27 [feat.BBS2 +1.6] / e.0.2 (02/09/03) / eucaly.net products.
担当:undef