- 828 名前:素人A [2016/03/22(火) 09:49:02.26 ID:uRlOIIVR.net]
- (つづき)魚が水を行くとき、いくら泳いでも果てがなく、鳥が空を飛ぶとき、いくら飛んでも空に限りが無い。
しかしながら、魚も鳥も、いまだかつて水や空を離れた事がない。働きが大きいときは、使い方も大きいし、働きが 小さいときは、使い方も小さい。このようにしてそのときそのときに究極を尽くしており、その所その所に徹底して いるのであって、もと鳥が空を離れたらたちまちしんでしまうし、魚も水を出ればたちまち命がない。したがつて、 水そのもにが命であり、空がそのままが命であることが知られよう。さらにいえば鳥が命であり、また魚が命である。 また命が鳥であり、命が魚であろう。このほかか、さらに進んでさまざまな言い方があろう。修行しつつ実証(さとり) があり、またそのひとの寿命があるということもこのようなものである。(つづく)やるきないけど働きがなけりゃ 空腹な毎日だし年金も少ない政治家には任せられない僧でない人もそうである混貧煮に棲んでいる魚だし修行の毎日 じゃなくサボリでも修行にわ参加しているか
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