- 712 名前:素人A [2016/03/15(火) 07:09:52.90 ID:EyJT/q47.net]
- (つづき)自己が主体になって環境世界を実証するのが迷いである。逆に環境世界が深まって、そのなかで
自己が実証されるのが悟りである。迷いを大悟するのが諸仏であり、悟りのなかにありながら迷っているのが衆生で ある。さらに悟ったうえにも悟り抜いていく人もあり、迷いのなかに迷いを重ねていく人もある。諸仏がまさに諸仏 なるときは、自己は諸仏であるという意識は無い。しかしながら悟っていく仏である。だから仏を悟つていく のである。身心をかたむけて色に身入り、身心をかたむけて声に聞きほれるときに、自分では良く会得しているの だが、しかしそれは、鏡が影にやどり、また月が水にうっるようにはいかない。一方を実証するときは、ただ一方たけ であって、他方は見えない。(つづく)?さっぱり解らない私は仏教用語も勉強無く自己とは何此処から躓いた?自己は まだ悟っていないのか?真っ暗なあー何だで迷つている?でも学んだで悟っていく仏である?私は自己の意味不明 もう事故っている?それと心身は身心がひっくり替えつているどう違うのか?こころみ試み学校の中?環境とは自然で 政治や社会は違うのか?現代の環境は自然を都合のよいようにこき使うだけだしでも心配市内苦でも大乗部か?道元 両方書き込んで無理しているのか?自己の証明もよくわからない?
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