- 1 名前:小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF. [2015/10/07(水) 10:46:04.18 ID:+u6WYbPA.net]
- 新しいキリスト教の概要
1.主イエス・キリストは唯一の父なる神御自身であること 2.天界と地獄があること。人は死ぬと霊界を経て自らどちらかに行くこと。 3.すべては我々の善のために主の許しのもとに起ること(神の摂理) 4.悔改めて再生しない限り救われることはないこと 5.宗教とは信じるだけでなく、悪を罪として避け、日常業務、役割において誠意を尽くすこと。 6.主は新しい啓示群を通して再臨され、一人一人の戸口を叩いておられること 7.聖体拝領(聖餐)は最も聖い礼拝であり、教会の集いの中心であること 8.聖母は我々の母であり、新しい教会、新しいエルサレムとは聖母その方であること 9.教会はカトリックでよいこと。主は教会の分裂をお望みでないこと。 10.初代教会の精神に立ち帰ること 読むべき本は ・聖書(特に福音書) ・スウェーデンボルグ(霊的知識・キリスト教知識の基礎の基礎) ・トマス・ア・ケンピス『キリストに倣いて』(悔改め、離脱についての実践編) ・マリア・ワルトルタ(真の主、真の聖母を教えてくれる新しい福音書) ・アグレダのマリア『神の都市』(聖母の意義について) ・『聖母から司祭へ』(聖母からのメッセージ) ・ヴァッスーラ(教会の一致について) 等々です。 主を神御自身と認めているもの、啓示によるものが該当します。 前スレ 主イエス・キリストは父なる神 2015.9.25 wc2014.2ch.net/test/read.cgi/psy/1443163974/
- 805 名前:小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. [2015/12/26(土) 14:44:46.80 ID:oANhzmqV.net]
- (ユダヤ民族)
14.彼ら各々はその者自身の神を拝した 天界の秘義5998 ヤコブはその父イサクの神に生贄を捧げたことはユダ、イスラエル国民の父祖 たちの性質のいかようなものであったかを、即ち、彼ら各々はその者自身の神を 拝したことを示しているのである。イサクの神はヤコブの神とは異なった神であ ったことは、彼が彼に生贄を捧げ、また夜の幻に『わたしは神、あなたの父の神 である』と言われたという事実から明白であり、また以下の事実からも明白であ る。即ち、彼は以下の言葉、『アブラハムの神、ナホルの神、彼らの父の神よ、 私たちの間を審き給え、で、ヤコブはその父イサクの畏れた者により誓った』の 中でその同じ神により誓ったのである(創世記31・53)。また最初ヤコブは エホバを承認しなかったことも明白である。なぜなら彼は、『もし神が私と共に おられ、私を私の歩む道で守られ、私に食べるパンと着る着物を与えられ、そし て私が私の父の家へ安らかに帰るなら、その時はエホバを私の神としよう』(創 世記28・20、21)と言ったからである。このように彼はエホバを条件つき で承認したのである。
- 806 名前:小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. [2015/12/26(土) 14:48:02.16 ID:oANhzmqV.net]
- 天界の秘義5998[2]
自分の父祖の神々を承認はするが、しかし自分自身の神を特別に承認することが 彼らの習慣であったのである。こうした習慣を彼はシリアの彼らの父祖たちから得 たのである。なぜならアブラムの父のテラは、またアブラム自身も、そこいいた時 は、エホバ以外の神々を拝したからである(1356、1992、3667番)。 『ヤコブ』とも『イスラエル』とも呼ばれた彼らの子孫は従って心では異邦人の神 々を拝し、エホバを口先のみで、名前のみで礼拝するといった性質を持っていたの である。彼らがこのような者であった理由は、彼らは内なるものを何ら持たない外 なるものの中におり、このような人間は、礼拝は単に神の御名を唱えることに在り、 またその方は自分の神であると言うことに在るとしか信じることは出来ないのであり、 それもまたその神が彼らに恩恵を与えられる間のみのことであり、礼拝は仁慈と信仰 の生活とは全く無関係であるとしか信じることが出来ないのである。
- 807 名前:小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. [2015/12/26(土) 14:51:18.00 ID:oANhzmqV.net]
- (ユダヤ民族)
15.赦さない 天界の秘義6561 人は各々その兄弟または隣人を赦さなくてはならないことは教会の命令によっ ていることはマタイ伝の主の御言葉から明白である― ペテロはイエスに言った、主よ、幾度私の兄弟が私に罪を犯して、私は赦すので しょうか。七度までですか。イエスは彼に言われる、わたしは七度までとは言わない、 七度を七十倍するまで、と言います(18・21、22)。 しかしユダヤ民族には、自分たちは決して赦してはならない、何らかの点で自分 たちを傷つけた者は敵として考えなくてはならないということが刻みつけられてい たため、それで彼らは、彼を憎み、その欲するままに彼を扱い、殺しさえすること も許されていると考えたのである。その理由はこの民族は内なるものを持たないで、 ただ外なるものの中にのみおり、かくして内なる教会に何ら支配されなかったとい うことであった。このことがヨセフの兄弟たちがヨセフは自分たちを憎んで、自分 たちに悪を報いるだろうと非常に恐れた理由であった。
- 808 名前:神も仏も名無しさん [2015/12/26(土) 15:05:22.60 ID:6kF82JJX.net]
- 他人からあなたは神の国にいます、永遠の命があります
既に悟っているのですよと言われても、ハイその通りですね とはならないところがもどかしいところである。
- 809 名前:小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. [2015/12/26(土) 18:41:46.30 ID:oANhzmqV.net]
- >>808
これは他人にはわからないでしょう。自分で分かるのです。 主と自分との極めて個人的な関係ですから。
- 810 名前:糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y [2015/12/27(日) 03:55:50.44 ID:B2cJzMKj.net]
- 太平洋のイギリス〜日本国。
app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/1325367/439553/103455224 黄色い服を着たお坊ちゃん。
- 811 名前:小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. [2015/12/27(日) 07:14:00.33 ID:xFSe3ixb.net]
- 16.社会に属しているものを凡て破壊しようと企てることがその民族の中に内在している
(ユダヤ民族) <ユダヤ人について> 霊界日記2260 私は或る者がユダヤ人について以下のように話しているのを聞いた、即ち、それ は他の国民とは全く相違しているような国民であり、大きな事柄においても、小さな 事柄においてさえも、何であれ、社会に属しているものを凡て破壊しようと企てる ことがその民族の中に内在しているのである、なぜなら何処であれ機縁が与えられる 所には、彼らは自らを入り込ませて、秩序の法則を、即ち、社会の法律〔律法〕を 破壊することにまさって他のいかようなことをも歓びはしないからである。その理由 は彼らは主であるところの愛と秩序そのものに対し憎悪を抱いており、その指導者ら もそうしたものである、ということである。そうしたことをまた、私は多くの経験に より、事実、二年に亘る経験により教えられて、知っているのである。 1748年〔60歳〕6月9日
- 812 名前:神も仏も名無しさん [2015/12/27(日) 22:18:09.24 ID:rlnd7Vww.net]
- 最近シモン氏はどうしたのかな??
- 813 名前:小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. [2015/12/28(月) 05:32:19.70 ID:EDa6woft.net]
- >>812
祈っていてくださるでしょう。
- 814 名前:小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. [2015/12/28(月) 05:34:20.63 ID:EDa6woft.net]
- (ユダヤ民族)
霊界日記2261 このような国民は陽の下では与えられてはいない、凡ゆる地域の偶像崇拝者ら でも彼らよりは遥かに善良である、マホメットはこうした国民が存在し、しかも 存続することが出来たことを怪しんだのである。こうしたことを前の経験から憶 い出すことは当を得たことであろう。
- 815 名前:小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. [2015/12/28(月) 05:36:14.93 ID:EDa6woft.net]
- (ユダヤ民族)
天界の秘義9320〔2〕 イスラエル民族とユダヤ民族とがカナンの地の諸民族を滅ぼしたことは、前者が 霊的な天界的な事柄を表象し、諸民族は奈落の、悪魔的な事柄を表象し、それらは 到底共存することが出来ないためであった、なぜならそれらは対立したものである からである。イスラエル民族が諸民族を滅ぼすことを許された理由はイスラエル民 族の間には教会は存在しないで、単に教会を表象するものが存在したに過ぎず、従 って主は彼らのもとには表象的にしか現存されなかったということであった(43 07番)、なぜなら彼らは善と真理とを表象する礼拝の中にはいたが、善と真理の 中にはいなかったからである。こうした民族は破壊し、殺し、殺戮し、破壊に徹す ることを許されはするが、しかしそうしたことは外なるものの中にいると同時に内 なるものの中にいる者たちには許されてはいないのである、なぜならこれらの人々 は善から行動しなくてはならないのであり、善は主から発しているからである。
- 816 名前:神も仏も名無しさん [2015/12/28(月) 05:47:46.30 ID:pxOmgCHO.net]
- キリスト教はなんでイエスを神にしたんだろ
入れなきゃよかったのにとつくずく思うね
- 817 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2015/12/28(月) 08:41:56.29 ID:Pj1GrKxk.net]
- イエスを神格化してしまったばかりに、
イエス=神の妄想がどんどんひどくなる場合があります。
- 818 名前:小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. [2015/12/28(月) 10:56:00.47 ID:EDa6woft.net]
- (ユダヤ民族)
17.残酷 天界の秘義4903[2] ユダヤ民族は内なるもののない外なるものの中にいて、それで真理を誤謬で あり、誤謬を真理であると信じたことは、彼らが敵を憎むことは許されている と教えたことから明白であり、また彼らは彼らの宗教を奉じなかった者たちを 凡て憎んだというその生活からも明白である。また彼らは異邦人を残虐にまた 残酷に扱って、彼らを殺した後ではその死体を晒し物にして鳥や野獣に食わせ、 彼らを生身のまま鋸で二つ切りにし、鉄のまぐわや斧で切り刻み、焼き釜の中 を通らせつつも自分からはエホバを喜ばせ、エホバに仕えているとさえ信じも したのである(サムエル記後12・31)。
- 819 名前:小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. [2015/12/28(月) 10:57:40.92 ID:EDa6woft.net]
- (続き)
更に何らかの理由で敵であると宣言された同胞をも殆ど同じように扱うことも彼 らの教えには適っていたのである。かくて彼らの宗教[宗教性]の中には何ら内な るものがなかったことが明白である。もしたれかがそのとき彼らにこのような事 柄は教会の内なるものに反していると言ったとするなら、彼らはそれは誤りであ ると答えたであろう。彼らは単に外なるものの中にいて、内なるものの何である かを全く知らず、内なるものに反した生活を送ったことは、主がマタイ伝5章21 節から48節に言われていることからもまた明らかである。
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