- 25 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2023/01/28(土) 13:31:38.15 ID:MJ0dKKD0.net]
- >>16に引用したパウル・クレーの言葉は、私自身がクレーの著書を
読んで拾ってきたものではなく、先日、図書館で借りた矢羽々祟著、 『読んで味わうドイツ語文法』という本に引用されているのを使は せてもらうことにしたものだ。 >>11において私は、 >「こゑ(声)」に出すこと自体が具現的な形象に仮託することになり、 その形象には「こゑ(声)」を出す身体の具体性がともなふ< と指摘したが、同書には、このことを例証するのにとても好都合な 具体例も記載されている。それは、以下に引用させてもらう ドイツ語の言葉遊びである。 >Es lagen zwei zischende Schlangen zwischen zwei spitzen Steinen und zischten dazwischen. 2匹のシュシュと音を出すヘビが2つの尖った石の間にいて、 その間でシュシュと音を出していた< 同書、p.250 これが言葉遊びとして面白いと感じられるのは、言葉の発音が これらの言葉によって表現されるイメージを如実に想起させる からだろう。また、これをドイツ語の発音どおりに発音してみれば、 表現に用ひられている発音とそれによって想起されるイメージの 関係が、日本語の場合の発音とイメージの関係にもとても近い ことに気づくはずである。ここで、そのような類似性が感じられる のは、この言葉遊びでは擬音語/擬態語が多用されているから に過ぎないと結論づけるのは考へが浅い。無論、形象として 利用される声(こゑ)に仮託される様態は、必然的にあらかじめ 定まったものではない。しかし、そのことは、それでも、 「どのようであるか」をその効果において如実に伝へることに なる声(こゑ)が、「どのようであるか」を仮託する形象として 好んで用ひられることになるのを否定するものではない。 すると、実のところ、そもそも、いずれの言葉が「擬音語/擬態語」 に由来し、いずれの言葉がそうではないかという区別は、 本来的に無効なのである。逆に、「どのようであるか」を如実 に伝へる効果が感じられなくなった言葉が、「擬音語/擬態語」 としては認識されなくなり、「そういうものとして通用する」 規約として扱われるようになるのである。
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