- 109 名前:考える名無しさん mailto:sage [2011/09/18(日) 04:47:08.24 0]
- でも、それが人間の本来の自然で、根源的なものなのだ、そしてそれだけに
拘って生きてる俺(私)は、周りの連中より贅沢なんだって言うようになったら、 それは欺瞞以外の何ものでもない気がする。 疑問は疑問であるが故に、生の不思議であり続けるのであって、 そんな考えても答えの出ない問に仮説を当て込んで納得しようとしたり、 それだけに執着して、本来得られたはずの、もしくは経験できたはずの体験を 蔑ろにしてしまう人生などクソ喰らえだし、俺(私)は「贅沢な」趣味に生きてるんだ とか考え出すと、そこには世俗的・金銭的な優越感が漂っている。自身を文化資本的に高級で、 他は低級という図式を造りたい、あるいはそうあって欲しいという本人の傲慢な願望が臭い始める。 哲学が誰でもしている根源的なものなら、それこそ恋愛だって、誰でもしている根源的なものであり、 快楽であり、麻薬だ。少なくともセックスは、この世に生きとし生ける者に許された 最高の快楽であり、この世に生きる最高の楽しみであるし、恋愛は、それらをさらに味わいあるものに ソフィストケートした、哲学にも負けない立派な文化だ。哲学がなくても別に人生大したことはない。 でも、セックス体験もない人生なんて、それこそ最高の不幸だ。もし哲学を、 生まれてこのかたHもロクにしたこともない(それも心から愛する相手と)童貞や処女が、 自分の人生を贅沢だと思い込みたいがために用いているのなら、それは単なる飾りや欺瞞以外の何ものでもない。 哲学者のそういう欺瞞的なとこ、本当勘弁して欲しいわ。ショーペンハウアーだって、 本当は女が欲しかっただろうし、何十年も生きていりゃ、心から愛する、独占したい女の一人や二人出来るし、 男なんだから好きな女思い浮かべてマスターベーションぐらいやる。 そんな、本当は欲しかったくせに手に入れられなかった、どうしようもない悲しみや喪失感、 虚無感といった本当の気持ちは無視して「俺の人生高尚www」はないよ。
|
|