- 976 名前:考える名無しさん mailto:sage [2025/05/01(木) 01:00:05.81 0.net]
- >>957
まず、根本的に倫理というのは一枚岩ではありません。そもそも、反出生主義は既存の倫理へのカウンターなので、既存の倫理と異なるのは当然です。 倫理の根源については様々な議論がありますが、私は信念や価値観だと考えますので、その点はあなたに同意します。一方、あなたが正しいと信じる倫理もあなたの信念や価値観によって形成されたものであると考えられます。ヒュームが述べているように、倫理とは論理的に演繹できる性質のものではないということは共通認識です。ヒュームの法則に当たらない倫理規範は存在しないというのが私の考えです。 苦痛の悪性についてですが、通常、人は苦痛を忌避します。それは苦痛が本人にとって悪いものであり、できれば避けたいからです。 例を挙げると、尿路結石、骨折、癌、鬱病、統合失調症、イジメ、差別、各種ハラスメント、その他様々な苦痛を「良いもの」として好んで受け入れる人はまずいないと思われます。私はこのような苦痛を「絶望的苦痛」と呼びます。定義は「本人が絶対に望まない苦痛」です。 更に掘り下げると「本人が絶対に望まない苦痛とは何なのだ?」という疑問が湧いて来ますが、これはある程度は一般化できます。上に書いた例は絶望的苦痛と言えるでしょう。勿論、癌の苦痛を好んで受けるという人が存在する可能性を完全に否定することはできませんが、そのような人は一旦考察の対象から外します。恐らく、絶望的苦痛が何も無いという人間は存在しないと思われます。そういう意味では、「何が苦痛となるのか?」という厳密な定義はあまり問題にならないのです。 合成の誤謬についての見解はもう書きましたが、改めて述べると、長期的な苦痛が無くせるのであれば、短期的な苦痛は「あってもいい」と考えます。 そして、構造的帰結の責任を私に求めるのは筋違いです。反出生主義は自己選択なので、このような帰結は各人の自律的選択が積み重なったものであり、誰か1人に責任を問うことはできません。 強いて言えば、「人類が選んだ」ということです。
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