- 244 名前:考える名無しさん [2017/10/31(火) 19:32:10.43 0.net]
- これらの問題は、カントのあげた問題とは多少のずれがあるが、それは時代と国土
にもとづく関心のちがいである。しかし、たとえば(A)と(B)とは、カントの 第一および第二の問題とほとんど同じであり、(D)の如来の問題とカントの第三の 神の問題とも類似している。 相違点を挙げれば、初期仏教は(A)の問題に対して四種の解答を用意しているのに対し、 カントは、(1)無限であると(2)有限であるとの二つだけを用意し、その二者択一を せまるのである。 『箭喩経』では四種の解答を(A)の問題だけにそろえてあるが、他の文献では、あらゆる 問題に対してそろえている場合もあり、そのほうが論理的には完全なわけである。それで 後世には、この四種の解答、つまり一問題に対する(1)肯定、(2)否定、(3)肯定 かつ否定、(4)非肯定かつ非否定、の四つを四句分別と名づけている。 ともかく、カントの提出した問題と、形の上では多少の差はあるが、本質的にはほとんど同じ 問題をかかげて、しかもカントと同様にこれらの問題に対しては何らの解答も与えられない、 と言うのである。したがって形而上学批判に関しては初期仏教はカントの批判哲学と本質的に 一致するのであり、哲学上は一種の批判主義である。」
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