- 165 名前:名無しさん mailto:sage [2006/12/09(土) 00:50:57 0]
- 前から不思議に思ってた。何故スポーツや、将棋や囲碁ばかりが過剰に美化されるのか。
よく、輝かしい成績を収めたスポーツ選手の過去を紹介するVTRで、 「勉強そっちのけで、とにかく野球・野球・野球一筋の野球少年だった」 「高校に入っても勉強は嫌いで、野球だけが唯一の得意分野だった」とか言われるけど、 スポーツならそれが「ひたすら野球を愛した野球少年」として美化される。 これ、ゲームが好きな子だって全く同じだよね?ある先代や大人が発明し、 作り上げたルールに則って、ひたすらボール投げたり蹴ったり、駒を動かしたりするだけのこと。 それ自体が優れてるからって何に貢献するわけでもない。 ただの球投げ。球蹴り。木材運びに過ぎない。なのに片や前者はチームワークを養い、 子供の健全な心と体の育成に役立つ云々の美辞麗句を並べ立てられ、 片や後者は、同じように一つのルールに魅せられた子たちが 共に切磋琢磨して戦い、また時に協力して、設定した難関に対してクリア・達成することの 喜びを味わってても、「ゲームばっかりしてる」とバカにされるだけ。ほんと人間の意識ってくだらないと思う。 例えば上記のスポーツ選手のように、極めて高度なゲームシステムを構築した 2Dのストリートファイターや、3Dのバーチャファイターの 「プレイ」に心の底から魅せられて、そのルールに則って自分を磨いて誰よりも強くなり、 美しい技で周囲を魅了することに夢中になっても、誰も評価しない。 自分なんかは、明らかにスポーツで得たことよりも、読書が苦手な自分が小学生時代に、 夢中になれたゲームのおかげで、活字を読むのが苦痛ではなく、いつの間にか沢山の漢字を覚えていたし、 ある課題をクリアすることに対してものすごく頭を使って悩み、 解決していったことによって困難に立ち向かうだけの気力を得たし、脳の活性化にも繋がったと思ってる。 でも結局、世間が認めるのって、十分にビジネスになる・ビジネスが確立されてるか、 或いは大人が現時点で認めたものにのみ夢中になることが許されて、 美化されるわけだ。本当にくだらない偏見だと思うよ。 やってることはボール動かしてるか、指動かしてるかの違いだけなのに。
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