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【常駐荒らし】栗城ハンター(ワイエディ)【自演マルポ】
- 1 名前:底名無し沼さん(ワッチョイ f104-ohL5 [202.208.136.49]) [2017/07/17(月) 14:04:04.66 ID:M6cP6rYj0.net]
- 板中を荒らしながら対立を煽り、一方でブログ宣伝を行う「栗城ハンター」。
アフィ目的は明らかですが、栗城氏批判スレ(まとめwiki)への妨害などから 関係者・炎上工作である可能性も残ります。 ここは、現在もっとも悪質な荒らしである「栗城ハンター」をヲチりつつ 登山キャンプ板の正常化を願い、情報を共有していくためのスレッドです。 ■ご覧のみなさまへ■ 登山キャンプ板では、常駐する異常者の自演・煽り・URL貼りが絶えません。 「wild28jp」は踏まずにNG登録を。 VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvvv:1000:512:----: EXT was configured
- 97 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 02:26:47.64 ID:RcU6+V3Ha.net]
- が、この理由は八合目の標高とほぼ一致する噴火口(「内院」と
呼び宗教的に意義付けられている)の底部に浅間大神が鎮座する との信仰に基づく。標高約2500m付近の森林限界より上方は 富士講信者(富士山信仰の集団の一つ)には「焼山」と呼ばれ、 神聖な地域ないし他界(死後世界)と考えられていた。ほぼこの 境域に沿い、富士山体を一周する「御中道」が15〜16世紀ご ろに富士講の祖とされる長谷川角行によって開かれたとされ(1 561年及び1580年とされる)、その後「大沢崩れ」という 危険箇所を通るため富士講信者により修行の道として利用された 。構成資産範囲内には、山頂信仰遺跡や登山道といった、富士山 の顕著な普遍的価値を語る上で重要な役割を担う、次のような構 成要素が存在する。A1.山頂信仰遺跡富士山山頂部には、火口 壁に沿っていくつかの神社など、宗教関連施設が所在する。富士 山への信仰登山が開始されると、修験道の影響を受け山頂部にお いて寺院の造営や仏像等の奉納がおこなわれるとともに、山頂部 での宗教行為が体系化されていった。道者は山頂周辺において「 御来迎(仏の来迎と見なされたブロッケン現象)」(のち「御来 光(日の出)」)を拝み、内院(噴火口)に鎮座するとされる神 仏(大日如来が本地仏とされた浅間大神ないし浅間大菩薩)を拝 し、火口壁にいくつかあるピークを仏教の曼荼羅における仏の世 界に擬して巡拝する「お鉢めぐり(八葉めぐり)」と呼ばれる行 為を行なうことが一般的であった。山頂の宗教的施設は、12世 紀中ごろ修行僧末代により建立された施設(後の大日堂)が最初 とされ、その後、経典(12世紀末〜13世紀前半と推定される ものが最古)・懸仏(1482年の銘のあるものが最古)・仏像 等(1302年の銘があるものが最古)の山頂部への奉納・埋納 や内院への散銭が行われた。また、遅くとも17世紀には、大宮 ・村山口山頂部に大日堂(現在は富士山本宮奥宮が所在)が、吉 田・須走口山頂部に薬師堂(現在の久須志神社)が造営された。 1874年、山頂の仏教的施設及び仏像は廃仏毀釈の影響によっ て撤去され、ピークの名称も変更され、寺院は神社に改変された 。しかし、山頂部に対する信仰自体は変化す
- 98 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 02:33:21.82 ID:RcU6+V3Ha.net]
- 行為は現代の登山者の多くが行っており、これらを通じて富士信
仰の核心が現代に受け継がれている。A2.大宮・村山口登山道 富士山南西麓の浅間大社を起点とし、村山浅間神社を経て山頂南 側に至る登山道である。12世紀前半から中ごろの、修行僧末代 の活動により、富士山南麓における登山が本格的に開始されたと され、14世紀初めには修験者による組織的登山が始まったとさ れる。15世紀以降19世紀後半まで、「村山三坊」と呼ばれた 3軒の有力宿坊が村山浅間神社(興法寺)と登山道の管理を行う とともに所属の修験者が登山道等を利用して修行を行った。また 、一般人の信仰登山(以下これを行う者を「道者」と言う。)も 開始され、その様子は16世紀の作とされる「絹本著色富士曼荼 羅図」に描かれている。道者の数は18世紀後半から19世紀初 頭の宿坊(大鏡坊のみ)の記録より、御縁年で2,000人前後 、平年で数百名程度と推測できる。また1860年、初の外国人 登山を行った英国公使オールコックがこの登山道を利用した。1 01889年、鉄道(東海道線)の開通による御殿場口利用者の 増加により衰退し、これへの対策として1906年、村山を経由 しない新道が建設されたため、大宮から現在の六合目(標高26 00m)までは登山道としての機能を失った。この区間は一部除 き登山道跡の推定は困難な状態である。現在は1970年に標高 2400m地点まで開通した自動車道を利用しての登山が行われ ている。(推薦範囲は六合目以上である。)A3.須山口登山道 富士山南東麓、須山浅間神社を起点とし、山頂南東部に至る登山 道である。その起源は明確ではないが、文字資料の中で1486 年にその存在が確認できる。登山道および山頂部銀明水は須山浅 間神社及びその所在地の須山村(現裾野市須山)により管理され ていた。また、登山道のいくつかの宗教施設は村山の修験者の行 場(参拝所)としても使用された。道者については詳しい研究が 進んでいないが、1800年(御縁年:富士山出現伝説に由来す る60年に1回の記念の年)に約5,400人、1840年代前 半は年平均約1,700人、1860年(御縁年)は約3,60 0人であった。1883年、須山口二合八勺
- 99 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 02:40:21.24 ID:RcU6+V3Ha.net]
- に接続する御殿場口登山道が開削され、1889年、東海道本線
開通による御殿場口利便性の向上は須山口よりの道者を奪い、さ らに1912年、一部が陸軍演習場となり使用不可能となったた め、須山口からの登拝(登山)は衰退し現在に至っている。二合 八勺以下の登山道で当時の道が確認できる部分は一部のみである 。(資産範囲は現在「御殿場口」の名称で使
- 100 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 02:47:10.76 ID:RcU6+V3Ha.net]
- 勺以上の部分及び遊歩道として整備された旧須山口の一部である
)A4.須走口登山道富士山東麓の冨士浅間神社を起点とし、八 合目で吉田口登山道と合流し山頂東部に至る登山道である。その 起源は明確ではないが、六合目からは1384年の銘のある掛仏 が出土しており、文字資料では1500年にその存在を確認でき る。登山道は遅くとも17世紀までに、冨士浅間神社及びその所 在地の須走村が登山道の山頂部までを支配し、散銭取得権の一部 などを得ていた。山頂部の権利については富士山本宮浅間大社と 争いになり、須走村は18世紀(1703年と1772年)、幕 府に裁定を求め、権利は幕府によって認められた。1707年の 宝永噴火の
- 101 名前:際、これらの施設及び冨士浅間神社、須走村は噴砂に
覆われ壊滅したが、江戸幕府の支援を受け翌年には復興を完了し 、多くの道者を集めた。18世紀後半、他の霊場とセットにされ た参詣の流行で道者数は年平均約1万人、1800年の御縁年に 23,700人とピークを迎えた。1959年、バス道路の完成 により、新五合目(標高約2000m)以下の登山道の利用はほ とんどなくなり、一部道としての確認ができない区間がある。( 推薦範囲は現在も利用されている新五合目以上である。)A5. 吉田口登山道北口本宮冨士浅間神社を起点とし、富士山頂東部を 目指す道である。15世紀には、富士山への登拝が、修験者だけ でなく、ごく一般の人々の間にも広まっていた。吉田口は14世 紀後半には参詣の道者のための宿坊もでき始め、大勢の人々が登 るための設備が整うようになった。16世紀から17世紀、長谷 川角行が吉田口を利用して修行を行い、18世紀前半には富士講 隆盛の礎を築いた食行身禄は、入定(宗教的自殺)にあたって信 者の登山本道をこの吉田口と定めた。このため、富士講の信者が 次第に増加した18世紀後半以降は、最も多くの道者(他の登山 口の合計と同程度)が吉田口登山道を登って山頂を目指している 。しかも、古道としては唯一徒歩で麓から頂上まで登れる重要な 道である。(推薦範囲は登山道全体である。)11法的保護、修 理・整備の経緯1924年に史蹟名勝天然紀念物保存法の下に名 勝に仮指定された。1936年に国立公園法 [] - [ここ壊れてます]
- 102 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 02:53:44.69 ID:RcU6+V3Ha.net]
- 国立公園に指定された。1952年に文化財保護法の下に名勝、
ついで特別名勝に指定された。1969年に国が大沢崩れに対す る砂防事業に着手(継続中)。1996年に国・県が台風による 森林の風倒被害に対する対策に着手(継続中)。文化財保護法の 下に他の文化財とともに史跡富士山として指定される予定。A6 .北口本宮冨士浅間神社説明富士山の遥拝所に祀られていた浅間 明神(富士山の荒ぶる神)を起源とし、1480年には「富士山 」の鳥居が建立され、16世紀半ばには浅間神社の社殿が整って いたとされる。その後、1561年に現在の東宮本殿、1594 年に西宮本殿、1615年には本殿が建立された。富士講とのつ ながりが強く、1730年代に富士講の指導者である村上光清の 寄進によって境内の建造物群の修復工事が行われ、現在にみる境 内の景観の礎が形成された。本殿は、一間社入母屋造・檜皮葺の 本殿に唐破風付向背をつけた形式で、正面と側面に挿肘木の腰組 をもって支える擬宝珠高欄付の切目縁をめぐらしている。東宮本 殿・西宮本殿はともに桧皮葺・一間社流造である。3本殿とも、 各部に漆塗り、極彩色をほどこし、彫刻・金具を配して、それぞ れの時代の装飾的特色がよく表されている。北口本宮冨士浅間神 社の支配権は外川家、小佐野家などの吉田の御師に所属しており 、神社の管理も御師団の中から選ばれた者に委ねられていた。社 殿の背後には登山門があり、この神社を起点として富士山頂まで 吉田口登山道が伸びている。富士講や吉田御師と密接な関係を持 ちながら発展した神社である。法的保護、修理・整備の経緯19 07年に東宮本殿が古社寺保存法の下に特別保護建造物に指定さ れた。1929年の国宝保存法制定に伴い、本殿は国宝とされた 。1950年の文化財保護法制定に伴い、東宮本殿は重要文化財 とされた。1953年に本殿及び西宮本殿が文化財保護法の下に 重要文化財に指定された。1952年に東宮本殿の解体修理工事 が行われた。1962〜63年に西宮本殿の解体修理工事が行わ れた。1973〜74年に本殿、西宮本殿及び幣殿の部分修理工 事が行われた。1981〜82年に東宮本殿の部分修理工事が行 われた。1997年に本殿の部分修理工事が
- 103 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 03:00:21.99 ID:RcU6+V3Ha.net]
- 護法の下に他の文化財とともに史跡富士山として指定される予定
。A7.西湖A8.精進湖A9.本栖湖説明富士山の火山活動に よって形成された堰止湖である。富士山周辺の湖を巡って修行す る内八海巡りが多くの富士講徒によって行われたが、長谷川角行 の水行からいつの時代も変わらず巡拝の対象として数えられたの が、後述の山中湖及び河口湖とこの3湖である。また、景勝の地 でもあり、多くの芸術作品とゆかりが深い。12特に本栖湖は、 日本の紙幣の図柄として何度も使用された写真の撮影地点であり 、重要な展望地点(viewpoint)である。富士山は、プ ロ・アマ問わず多くの写真家に愛され、撮影されてきた。なかで も、生涯にわたり富士山を追い続けた岡田紅陽によって、193 5年に本栖湖北西岸の峠道から撮影された「湖畔の春」という写 真は有名である。この写真は、1984年に採用された五千円札 及び2004年に採用された千円札の図柄として使用された。山 体の裾野が湖まで広がり一体の景観を構成している本栖湖からの 展望は、「湖畔の春」に撮影された富士山とほぼ同じ姿のまま現 在も残している。法的保護、修理・整備の経緯文化財保護法の下 に名勝として指定される予定。B1.富士山本宮浅間大社説明社 記によれば806年に、富士山により近い遥拝所であった山宮浅 間神社から現在の地に移転されたことを起源とする神社で、古く から富士山南麓地域の中心的神社であった。現在全国に約130 0社ある浅間神社の総本宮であり、広く信仰されている。創建当 初は遥拝のための施設であったが、15世紀ごろ登拝が盛んにな るにつれて、富士山本宮浅間大社は村山浅間神社(興法寺)とと もに大宮・村山口登山道の基点となり、宿坊が周辺に建設された 。登拝の拡大に伴い、富士山中での諸権利が構築されていく中で 、浅間大社は徳川家康(約150年間の戦乱期をおさめ統一政権 である江戸幕府を開いた人物)の庇護の下、1604年現在の「 浅間造り」と呼ばれる独特な構造を持った社殿が造営されるとと もに、1609年山頂部の散銭取得における優先権を得た。これ を基に浅間大社は山頂部の管理・支配を行うようになり、177 9年、幕府による裁判によりこの八合目以上
- 104 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 03:07:09.25 ID:RcU6+V3Ha.net]
- た。明治政府によりここは国有地とされたが、1974年の最高
裁判決に基づき、2004年浅間大社に譲渡(返還)された。浅 間大社境内には富士山の湧水を起源とする湧玉池がある。浅間大 社は、富士山の噴火を湧水によって鎮める考えや、富士山を聖な る水源の山として崇める考え方から、豊富な湧水量(日平均14 万?)を持つ湧玉池のほとりに置かれたとする説が有力である。 なお湧玉池は、浅間大社内に所在する富士山の湧水を起源とする 池である。16世紀前後、湧玉池は浅間大社
- 105 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 03:13:49.84 ID:RcU6+V3Ha.net]
- める場と位置づけられたとされ、同時期の絵図や旅行記でその様
子が確認できる。この水垢離は1920〜30年代まで行われた 。現在でも湧水を聖なる水として利用する人が多くいる。法的保 護、修理・整備の経緯1907年に本殿が古社寺保存法の下に特 別保護建造物に指定された。1923〜26年に本殿・拝殿・楼 門等の補修が行われた。1929年の国宝保存法制定に伴い、本 殿は国宝とされた。1933〜34年に楼門の修理を行った。1 936年に袖廊・廻廊を附した。1950年の文化財保護法制定 に伴い、本殿は重要文化財とされた。1951〜52年、197 0年、1988年に本殿の屋根の修理等が行われた。1969〜 70年に本殿の屋根の修理等が行われた。1987〜88年に本 殿の屋根の修理等が行われた(部分補修)。2005年に本殿の 屋根の修理等が行われた。13文化財保護法の下に他の文化財と ともに史跡富士山として指定される予定。B2.山宮浅間神社説 明富士山本宮浅間大社の社伝によれば、浅間大社の前身とされ、 拝殿・本殿等が位置すべき場所に石列でいくつかに区分された遥 拝所が設置されるのみという特異な形態は古代からの富士山祭祀 の形を止めていると推定されている。この遥拝所の主軸は富士山 方向を向いている。具体的な創建年代は不詳だが、発掘調査では 神事に使用されたと推定される12〜15世紀の土器が出土し、 文献上では1551年にその存在が確認できる。また、遅くとも 1577年までには浅間大社との間で「山宮御神幸」といわれる 儀式が開始された。これは4月と11月に神の宿った鉾を持ち、 浅間大社と山宮浅間神社を往復する行事である。現時点では神が 4月に旧跡に戻るという解釈と、山にいる神が4月に田の神とし て里へ降りるという解釈がある。この行事は1874年まで行わ れていた。なお、「山宮御神幸」に使用される経路を御神幸道と いう。道には1691年に置かれた距離を示す石碑が少なくとも 四箇所残っているが、正確な道筋は現在確認されていない。法的 保護、修理・整備の経緯1985年に富士宮市の史跡に指定され る。文化財保護法の下に他の文化財とともに史跡富士山として指 定される予定。B3.村山浅間神社説明12
- 106 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 03:20:35.96 ID:RcU6+V3Ha.net]
- の修行僧末代の活動が創建の起源とされており、1868年の神
仏分離令までは神仏習合の宗教施設として興法寺(富士山興法寺 または村山興法寺)と呼ばれていた(資産範囲には浅間神社と寺 院である大日堂が含まれる)。富士山における修験道の中心地で あり、14世紀初めには、その活動が組織化された。15〜16 世紀には一般の道者の登拝も増加し、その様子が16世紀の制作 とされる「絹本著色富士曼荼羅図」に描かれている。1868年 、神仏分離令により浅間神社と大日堂は分離され、1906年の 登山道の変化にも伴い両者とも衰微した。ただし、修験者の活動 は1940年代まで継続された。また、村山の修験者の影響を受 けた地域では現在でもその宗教行事が継続されている。法的保護 、修理・整備の経緯2001年から2003年にかけて富士宮市 教育委員会により発掘を含む調査が行われた。文化財保護法の下 に他の文化財とともに史跡富士山として指定される予定。B4. 須山浅間神社説明須山口登山道の起点として遅くとも1524年 には存在していた神社である。1707年、宝永噴火により社殿 は登山道も含め大きな被害を受け、現在の社殿は1823年に再 建されたものである。神社は村山浅間神社(興法寺)の修験者と も関わりを持ち、1940年頃まで境内で修行の一環としての祈 祷が行われていた。法的保護、修理・整備の経緯文化財保護法の 下に他の文化財とともに史跡富士山として指定される予定。14 B5.富士浅間神社(須走浅間神社)説明社伝では807年に社 殿を造営したとされ、須走口登山道の起点となった神社である。 16世紀には地元支配者(武田氏)の保護を受け、山頂部の散銭 取得権の一部を得ている。社殿は1707年の宝永噴火で崩壊し 1718年に再建された。この後もこの際の部材を使用し、20 09年の修理も含め何回かの修理がおこなわれている。神社には 富士講道者が多く立ち寄り、20世紀前半を中心に登拝回数の達 成(33回がひとつの区切り)等の記念碑を約80基造営した。 法的保護、修理・整備の経緯2006年に社殿が小山町の有形文 化財となる。2009年に本殿・参道の修理が行われた。文化財 保護法の下に他の文化財とともに史跡富士山
- 107 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 03:26:58.97 ID:RcU6+V3Ha.net]
- 定。B6.河口浅間神社説明古くから富士山に関わる祭祀は南麓
の浅間神社が執り行っていたが、864〜866年に北麓で起こ った噴火を契機に、北麓にも浅間神社が建てられることとなった 。それが、富士山を望む河口湖の北岸にあり、溶岩の届かなかっ た河口浅間神社である可能性が高い。浅間神社を中心とした河口 の地は、甲府盆地から続く官道の宿駅という役割に加え、富士登 拝が大衆化した中世後半から御師集落として発展を遂げた。しか し、江戸における富士講の大流行と、それに伴う吉田御師の隆盛 により、河口の御師集落としての機能は、19世紀以降衰退して しまった。ただし、河口浅間神社は、現在も富士山と密接に結び ついた宗教行事を行っており、歴史的背景と相俟って、富士山信 仰を語る上で欠かすことのできない資産である。法的保護、修理 ・整備の経緯文化財保護法の下に他の文化財とともに史跡富士山 として指定される予定。B7.冨士御室浅間神社説明冨士御室浅 間神社は、8世紀初めに吉田口登山道二合目に祭場をしつらえた のが最初とされ、富士山中に祀られた最初の神社であるとする文 献もある。富士修験の信仰拠点は南西の村山であるが、北面の二 合目、御室浅間神社が鎮座する御室の地にも山内の信仰拠点とし て役行者堂が整備されたようである。山中という厳しい条件の下 に所在するためたびたび破損し、1189、1275、1475 、1525年と加修され、1564には地元領主による大修理が 行われている。現在の本殿は1612年建立と認められ、その後 も1698年、1867年に修復が行われていた。1973−7 4年には里宮の地にそのままの形で移設された。里宮は、二合目 の本宮(もとみや)が冬季の参拝に苦渋するために河口湖畔に建 てられたとされる。修験や登拝といった様々な富士信仰の拠点と して位置づけられる二合目の本宮と、土地の産土神としての里宮 が一体となって機能してきた神社である。法的保護、修理・整備 の経緯1973〜74年に吉田口登山道二合目にあった本殿が里 宮の地に移築された。151985年に移築された二合目本殿が 文化財保護法の下に重要文化財に指定された。文化財保護法の下 に他の文化財とともに史跡富士山として指定
- 108 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 03:33:39.70 ID:RcU6+V3Ha.net]
- 御師住宅説明御師は、道者に宿や食事を始め登拝のための一切の
世話をするとともに、登拝の指導や祈祷を行うことを業とした。 富士山御師として代表的なのは、吉田口登山道の起点である北口 本宮冨士浅間神社の北西に、北東方向の傾斜面に沿って大規模な 集落を形成した吉田の御師である。御師屋敷の多くは短冊状をな し、表通りに面して引き込み路を設け、敷地
- 109 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 03:39:54.56 ID:RcU6+V3Ha.net]
- 住宅兼宿坊の建物が建っている。玄関から奥へ客室が続き、最奥
部には神殿が設けられている。1768年に建てられ最古の部類 に数えられる旧外川家住宅や、格式的な構えが確立した頃に建て られ富士講最盛期の御師住宅の典型例とされる小佐野家住宅が代 表的である。1861年に新築された小佐野家住宅同様、富士講 の流行に伴い増加する宿泊者に対応するため、旧外川家住宅では 1860年代に離座敷が増築された。法的保護、修理・整備の経 緯1976年に小佐野家住宅が文化財保護法の下に重要文化財に 指定された。1979年に小佐野家住宅の屋根の修理等が行われ た。1996〜98年に小佐野家住宅の腐敗修理等が行われた。 旧外川家住宅が文化財保護法の下に重要文化財に指定される予定 。B9.山中湖B10.河口湖説明富士山の火山活動によって形 成された堰止湖である。富士山周辺の湖を巡って修行する内八海 巡りが多くの富士講徒によって行われたが、長谷川角行の水行か らいつの時代も変わらず巡拝の対象として数えられたのが前述の 3つの湖とこの山中湖及び河口湖である。この巡礼行為について 、具体的に湖沼のどこで修行や巡礼が執り行われたか、またどの ルートを辿って各湖を巡ったかは、定まっていなかった(少なく とも、明らかになっていない)ものの、人々の信仰心を駆り立て た湖沼の水そのものを核心として、周辺地域も含めた範囲が文化 財とされている。また、景勝の地でもあり、多くの芸術作品とゆ かりが深い。法的保護、修理・整備の経緯文化財保護法の下に名 勝として指定される予定。B11.忍野八海説明富士山の伏流水 による八つの湧水地で、それぞれに八大竜王を祀る富士信仰に関 わる巡拝地であった。富士登山を目指す行者たちはこの水で穢れ を祓った。長谷川角行が行った富士八海修行になぞらえ「富士御 手洗(みてらし)元八湖」と唱えられた古跡の霊場と伝えられ、 1843年に富士講道者によって再興されたとされる。法的保護 、修理・整備の経緯1934年に史蹟名勝天然紀念物保存法の下 に天然紀念物に指定された。16B12.船津胎内樹型説明16 17年長谷川角行が富士登拝の際、北麓に洞穴(船津胎内樹型指 定範囲内に点在する小規模な溶岩樹型のひと
- 110 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 03:46:42.69 ID:RcU6+V3Ha.net]
- 発見し、浅間明神を祀った。1673年には富士講道者によって
現船津胎内樹型が発見され、浅間明神が遷宮された。富士登拝の 際に、樹型に入って身を清める風習があり、洞穴内外の地形空間 に宗教的な意義付けが行われるとともに、奥には富士講にとって の富士山の祭神である木花開耶姫などが祀られている。法的保護 、修理・整備の経緯1929年に史蹟名勝天然紀念物保存法の下 に天然紀念物に指定された。B13.吉田胎内樹型説明1892 年に富士道者によって整備された「お胎内」である。富士講講徒 は、昼までに御師の家に着き、夕方まで胎内巡りをし、翌朝富士 山に登山した。本穴については、古くから冨
- 111 名前:士山北口御師団が管
理している。法的保護、修理・整備の経緯1929年に史蹟名勝 天然紀念物保存法の下に天然紀念物に指定された。B14.人穴 富士講遺跡説明富士講の開祖長谷川(藤原)角行が修行したとさ れる溶岩洞窟の人穴と富士講信者による約230基の碑塔群が残 る遺跡である。「吾妻鏡」では人穴探検の様子が描かれ、「浅間 大菩薩の御在所」とみられていたとされている。この内容は遅く とも1603年までに、浅間大菩薩の霊験譚として説話化され、 その存在が広く知られていた。富士講関連の文書によれば人穴は 16世紀から17世紀にかけ、長谷川角行が修行により浅間大菩 薩(富士講では仙元大日神とする)の啓示を得た場であり、入滅 した場だとしている。また、角行は人穴を「浄土(浄土門)」と 述べ、これらの結果人穴には熱心な富士講信者が参詣し、修行を 行う者も見られた。また、信者は人穴への分骨埋葬などを望み、 墓碑、供養碑、記念碑などを建立した。1942年付近が軍用地 となり、人穴の浅間神社や周辺の住民は一時移転した。1954 年神社は現在地に復興されたが、冨士講自体が衰退したことで参 詣者はみられるものの1964年以降碑塔の建設は行われていな い。法的保護、修理・整備の経緯1999年に富士宮市の史跡と なる。文化財保護法の下に他の文化財とともに史跡富士山として 指定される予定。B15.白糸ノ滝説明富士山の湧水を起源とす る数百の流れを持つ滝である。滝の名前は湧水(日平均15〜1 6万?)の噴出が数百条の白糸が垂れている [] - [ここ壊れてます]
- 112 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 03:53:06.13 ID:RcU6+V3Ha.net]
- その起源とする。17白糸ノ滝は富士講関連の文書によれば長谷
川角行が人穴での修行と合わせて水行を行った地とされ、富士講 を中心とした人々の巡礼・修行の場となった。また、景勝地とし ても有名であり、和歌・絵画の題材にもなっている。法的保護、 修理・整備の経緯1936年に史蹟名勝天然紀念物保存法の下に 名勝及び天然紀念物に指定された。C.三保松原説明三保松原は 、万葉集以降和歌の題材となり、謡曲「羽衣」の舞台となった。 15〜16世紀以降富士山を描く際の典型的な構図に含まれる景 勝地として数多く描かれ、歌川広重等の作品をはじめ海外にも広 く知られている(又は海外に影響を与えた)芸術作品の視点場、 又は舞台となった場所のひとつである。法的保護、修理・整備の 経緯1922年に史蹟名勝天然紀念物保存法の下に名勝に指定さ れた。18b)歴史と発展山容の形成富士山の原型は、40〜1 0万年前、周辺の火山とともに活動をはじめ、先小御岳火山が形 成された。その後これを覆うように標高約2500mの小御岳火 山が形成された。さらに約10万年前、そのふもとに古富士火山 が誕生し、爆発的噴火、火山礫・火山灰の噴出、山体崩壊を繰り 返し、小御岳火山をほぼ山体に納める形で3000mを超える火 山に成長した。約1万年前には大量の溶岩を噴出する形で現在の 富士山(新富士火山)が成長を始め、古富士山を覆いつくし、約 5600〜3500年前に現在の規模となった。繰り返された溶 岩の流出によって何層にもわたる溶岩層が形成され、その先端部 には山体への降水を起源とする湧水が各溶岩層の隙間より湧出す る形で各所に形成された。富士山北麓においてはこれらの湧水や 降水が北側の山地との間の低地にたまり、湖や湿地が形成された 。また、溶岩層の中には数多くの風穴、溶岩樹型が形成された。 山頂からの噴火は2200年前の噴火を最後に起こっていないが 、歴史時代になっても北西〜南東方向に連なる側火山からの噴火 を続け、1200年前から後には少なくとも800〜802年、 864〜866年、937年、999年、1033年、1083 年、1435〜1436年、1511年、1707年の九つの時 期の噴火が確認されている。神々しい山容と
- 113 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 03:59:58.25 ID:RcU6+V3Ha.net]
- 噴火や溶岩の流出を繰り返す富士山は恐ろしくかつ神秘的な山と
考えられたために、古くから遥拝の対象であったが、日本におけ る古代国家の統治システムがほぼ整った8世紀後半以降は、繰り 返す噴火を鎮めるため、富士山そのものあるいは富士山に鎮座す る神を浅間神として祀るようにもなり、各地に遥拝所としての浅 間神社が建立され、国家の宗教政策の一端に位置づけられるよう になった。また、富士山の神々しく秀麗な姿と周辺の自然環境が 芸術の対象とされるようになり、日本最古の
- 114 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 04:05:34.53 ID:9gdrDp+Da.net]
- 噴火や溶岩の流出を繰り返す富士山は恐ろしくかつ神秘的な山と
考えられたために、古くから遥拝の対象であったが、日本におけ る古代国家の統治システムがほぼ整った8世紀後半以降は、繰り 返す噴火を鎮めるため、富士山そのものあるいは富士山に鎮座す る神を浅間神として祀るようにもなり、各地に遥拝所としての浅 間神社が建立され、国家の宗教政策の一端に位置づけられるよう になった。また、富士山の神々しく秀麗な姿と周辺の自然環境が 芸術の対象とされるようになり、日本最古の歌集である『万葉集
- 115 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 04:06:43.43 ID:9gdrDp+Da.net]
- 野八海説明富士山の伏流水による八つの湧水地で、それぞれに八大竜王を祀る富士
信仰に関わる巡拝地であった。富士登山を目指す行者たちはこの水で穢れを祓った 。長谷川角行が行った富士八海修行になぞらえ「富士御手洗(みてらし)元八湖」 と唱えられた古跡の霊場と伝えられ、1843年に富士講道者によって再興された とされる。法的保護、修理・整備の経緯1934年に史蹟名勝天然紀念物保存法の 下に天然紀念物に指定された。16B12.船津胎内樹型説明1617年長谷川角 行が富士登拝の際、北麓に洞穴(船津胎内樹型指定範囲内に点在する小規模な溶岩 樹型のひとつと考えられる)を発見し、浅間明神を祀った。1673年には富士講 道者によって現船津胎内樹型が発見され、浅間明神が遷宮された。富士登拝の際に 、樹型に入って身を清める風習があり、洞穴内外の地形空間に宗教的な意義付けが 行われるとともに、奥には富士講にとっての富士山の祭神である木花開耶姫などが 祀られている。法的保護、修理・整備の経緯1929年に史蹟名勝天然紀念物保存 法の下に天然紀念物に指定された。B13.吉田胎内樹型説明1892年に富士道 者によって整備された「お胎内」である。富士講講徒は、昼までに御師の家に着き 、夕方まで胎内巡りをし、翌朝富士山に登山した。本穴については、古くから冨士 山北口御師団が管理している。法的保護、修理・整備の経緯1929年に史蹟名勝 天然紀念物保存法の下に天然紀念物に指定された。B14.人穴富士講遺跡説明富 士講の開祖長谷川(藤原)角行が修行したとされる溶岩洞窟の人穴と富士講信者に よる約230基の碑塔群が残る遺跡である。「吾妻鏡」では人穴探検の様子が描か れ、「浅間大菩薩の御在所」とみられていたとされている。この内容は遅くとも1 603年までに、浅間大菩薩の霊験譚として説話化され、その存在が広く知られて いた。富士講関連の文書によれば人穴は16世紀から17世紀にかけ、長谷川角行 が修行により浅間大菩薩(富士講では仙元大日神とする)の啓示を得た場であり、 入滅した場だとしている。また、角行は人穴を「浄土(浄
- 116 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 04:06:55.65 ID:RcU6+V3Ha.net]
- 』(8世紀半ば)や日本最古の物語とされる『竹取物語』(9世
紀後半)をはじめとして、数多くの和歌・物語など文学の題材と なったほか、現存最古となる『聖徳太子絵伝』(11世紀制作) をはじめ、数多くの絵画作品の題材として取り上げられるように なった(表参照)。特に12世紀後半以降、日本の政治的中心が 京都から鎌倉に移動し、この二つの都市を結び富士山南麓を通る 街道の交通量が増加したことで、富士山の情報は多くの人に記録 され、広く知られるようになった。修験道―日本古来の山岳信仰 と外来宗教の習合―また、12世紀頃より噴火活動が沈静化した ことで富士山は日本古来の山岳信仰と密教・道教(神仙思想)が 習合した「修験道」の道場ともなり、修験者が山中に分け入り、 霊力を獲得するために修行する山へと変化していった。当時一般 的であった神仏習合思想(本地垂迹説)により、山頂部は仏の世 界(又は仏が神の形となって現れる場所)として認識され、山頂 部に至ることが重要な意味を持つようになった。この結果15〜 16世紀には登拝する山として一般に広く知られ、修験者に引率 された武家・庶民等による信仰登山が盛んになった。登山口の設 置はいずれも室町時代のことで、14世紀から15世紀後半に開 かれたとされている。このころには参詣の道者のための宿坊もで き始め、大勢の登山者が登るための設備が整い始めた。登拝の大 衆化―富士講―17世紀前半、約150年にわたる日本国内での 戦乱状態が終了し、江戸幕府の下で治安が安定し経19済的な発 展もあってより多くの人が富士山を目指すようになった。このよ うな中で18世紀後半、16世紀に富士山体や周辺の風穴などで 修行し、宗教的覚醒を得た長谷川角行から始まったとされる富士 信仰が江戸(現在の東京)を中心に「富士講」と呼ばれる信仰集 団を形成して大いに盛んになり、より多くの人々が登拝するよう になった。富士講や他の登拝者(合わせて「道者」という。)は 原則として固定的・継続的関係を持った「御師(宿坊を経営する 神職)」の家や宿坊に宿泊し、祈祷や宗教的指導を受け、湧水で 水垢離をとり、浅間神社に参拝した後、頂上を目指した。登山道 には茶屋や山小屋が建てられ、多くの登拝者
- 117 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 04:13:01.48 ID:9gdrDp+Da.net]
- の結果人穴には熱心な富士講信者が参詣し、修行を行う者も見られた。また、信者
は人穴への分骨埋葬などを望み、墓碑、供養碑、記念碑などを建立した。1942 年付近が軍用地となり、人穴の浅間神社や周辺の住民は一時移転した。1954年 神社は現在地に復興されたが、冨士講自体が衰退したことで参詣者はみられるもの の1964年以降碑塔の建設は行われていない。法的保護、修理・整備の経緯19 99年に富士宮市の史跡となる。文化財保護法の下に他の
- 118 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 04:13:13.69 ID:RcU6+V3Ha.net]
- が体系的に整備されたのもこの頃である。また、富士講において
は長谷川角行ら指導者の言動にならって周辺の風穴や湖沼・滝な ども修行の地とされ、ここにおいて富士山と周辺の宗教施設・霊 地・巡礼地は庶民の信仰の場として定着し、山の結界が開放され る二ヶ月間に年平均1万〜2万人の人々が信仰を目的とした登山 を行うようになった。芸術作品の多様化とジャポニスム芸術面に おいても、とりわけ江戸時代(17〜19世紀半ば)には、文学 、絵画、工芸、庭園等のモチーフとして多岐にわたって取り上げ られ、三保松原と富士山を描いた絵画など多様な表現が追究され るようになった。(表参照)特に、葛飾北斎の「冨嶽三十六景」 に代表される浮世絵の数々は、西洋の画家たちに文化的衝撃を与 えた。19世紀後半には「ジャポニスム」という芸術上の画期的 な転機を惹き起こし、印象派の作品に影響を与えるとともに、そ の富士山を含んだ構図は海外において日本のイメージの一つとさ れてきたのである。日本を訪れた外国人が富士山からインスピレ ーションを得て記述した紀行文の中でも、富士山のアイコン的側 面を綴ったものが多い。近世以前も富士山は日本一有名な山であ ったが、19世紀後半の開国によって日本が近代国家としての体 制を整えるにつれて、日本を代表する山から日本を象徴する山へ と変貌した。廃仏毀釈と登山の利便性向上19世紀半ばより、明 治政府を中心に行われた日本の近代化・西欧化政策は富士山にも 影響を与えた。政府が神仏分離や修験道禁止の方針を打ち出した ことや、これを契機に発生した廃仏毀釈の運動により、仏教的施 設は神道系の施設に再編されたが、1872年の(信仰の山にお ける)女人禁制解禁の影響もあり富士山への登拝は継続ないし拡 大した。19世紀末以降の鉄道・自動車道の開通も、登山者の利 便性を格段に向上させた。南麓へは1889年に東海道線が開通 し、北麓へは1900年前後に馬車鉄道と中央線が開通したこと によって、東京からの登山がさらに活発になった。自動車道とし ては、1929年に北口本宮冨士浅間神社から馬返(標高145 0m)まで自動車専用道路が開削され、1937年には大型バス による輸送も始まった。第二次大戦以降、日
- 119 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 04:18:54.00 ID:9gdrDp+Da.net]
- 山として指定される予定。B15.白糸ノ滝説明富士山の湧水を起源とする数百の
流れを持つ滝である。滝の名前は湧水(日平均15〜16万?)の噴出が数百条の 白糸が垂れているように見えることをその起源とする。17白糸ノ滝は富士講関連 の文書によれば長谷川角行が人穴での修行と合わせて水行を行った地とされ、富士 講を中心とした人々の巡礼・修行の場となった。また、景勝地としても有名であり 、和歌・絵画の題材にもなっている。法的保護、修理・整備の経緯1936年に史 蹟名勝天然紀念物保存法の下に名勝及び天然紀念物に指定された。C.三保松原説 明三保松原は、万葉集以降和歌の題材となり、謡曲「羽衣」の舞台となった。15 〜16世紀以降富士山を描く際の典型的な構図に含まれる景勝地として数多く描か れ、歌川広重等の作品をはじめ海外にも広く知られている(又は海外に影響を与え た)芸術作品の視点場、又は舞台となった場所のひとつである。法的保護、修理・ 整備の経緯1922年に史蹟名勝天然紀念物保存法の下に名勝に指定された。18 b)歴史と発展山容の形成富士山の原型は、40〜10万年前、周辺の火山ととも に活動をはじめ、先小御岳火山が形成された。その後これを覆うように標高約25 00mの小御岳火山が形成された。さらに約10万年前、そのふもとに古富士火山 が誕生し、爆発的噴火、火山礫・火山灰の噴出、山体崩壊を繰り返し、小御岳火山 をほぼ山体に納める形で3000mを超える火山に成長した。約1万年前には大量 の溶岩を噴出する形で現在の富士山(新富士火山)が成長を始め、古富士山を覆い つくし、約5600〜3500年前に現在の規模となった。繰り返された溶岩の流 出によって何層にもわたる溶岩層が形成され、その先端部には山体への降水を起源 とする湧水が各溶岩層の隙間より湧出する形で各所に形成された。富士山北麓にお いてはこれらの湧水や降水が北側の山地との間の低地にたまり、湖や湿地が形成さ れた。また、溶岩層の中には数多くの風穴、溶岩樹型が形成された。山頂からの噴 火は2200年前の噴火を最後に起こっていないが、歴史
- 120 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 04:19:05.94 ID:RcU6+V3Ha.net]
- 況の変化により、富士山への登山は信仰を中心としたものから、
富士山への憧れを主な動機とするものに変化した。また、196 4年に中腹までの自動車道として、北麓の富士山スバルラインが 、1970年に南麓の富士山スカイラインが開通し、これ以降、 中腹(標高2300〜2400m)を起点とした登山が主流にな った。この結果富士山への登山者は急増し、年平均20万〜30 万人に達するに至った(2007年からはさらに増加し年間35 万〜43万人)。これらの登山者の行動様式の中には富士山への 信仰の核心が受け継がれており、加えて、現代的な富士山信仰の 形態として、静岡県の柿田川のように、新たに富士山との関わり が明らかになったことが、環境保護活動の活性化につながった例 などがある。最近の保全の歴史20富士山体は文化財としては、 1924年に史蹟名勝天然紀念物保存法により、山麓の幅広い地 域が名勝に仮指定された。これとほぼ同じ範囲は、1936年に 自然公園法により国立公園の一部として指定され、現在も保全の 対象となっている。さらに、第二次世界大戦後の1952年には 、新たに文化財保護法によって、御中道以下500mより上及び 一部の登山道などが名勝として(同年、特別名勝として)指定さ れ、1966年には指定区域を拡大した。山梨県は1978年( のち、1999年及び2006年に改定)、静岡県は2006年 に「特別名勝富士山」の保存管理計画を策定し、適切な保存と活 用を図っている。周辺の浅間神社や御師住宅の近代以前の修理や 保存の状況は2bで述べたところだが、それらを含めた富士山に 関わる記念工作物・建造物群・遺跡は、1907年以降、古社寺 保存法(1897年〜1929年)、(国宝保存法(1929年 〜1950年))、史蹟名勝天然紀念物保存法(1919年〜1 950年)、文化財保護法(1950年〜現在)により、名勝、 特別天然記念物又は天然記念物、重要文化財、史跡等として指定 され、文化財ごとに保存管理計画が策定されており、それぞれの 価値が最もよく表れる時代の状態が保たれるように細心の注意が 払われている。、また、周辺に位置する個々の文化財は、「包括 的保存管理計画」によって、富士山体も含め
- 121 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 04:24:28.05 ID:9gdrDp+Da.net]
- 東方向に連なる側火山からの噴火を続け、1200年前から後には少なくとも80
0〜802年、864〜866年、937年、999年、1033年、1083年 、1435〜1436年、1511年、1707年の九つの時期の噴火が確認され ている。神々しい山容と「鎮爆」このような噴火や溶岩の流出を繰り返す富士山は 恐ろしくかつ神秘的な山と考えられたために、古くから遥拝の対象であったが、日 本における古代国家の統治システムがほぼ整った8世紀後半以降は、繰り返す噴火 を鎮めるため、富士山そのものあるいは富士山に鎮座する神を浅間神として祀るよ うにもなり、各地に遥拝所としての浅間神社が建立され、国家の宗教政策の一端に 位置づけられるようになった。また、富士山の神々しく秀麗な姿と周辺の自然環境 が芸術の対象とされるようになり、日本最古の歌集である『万葉集』(8世紀半ば )や日本最古の物語とされる『竹取物語』(9世紀後半)をはじめとして、数多く の和歌・物語など文学の題材となったほか、現存最古となる『聖徳太子絵伝』(1 1世紀制作)をはじめ、数多くの絵画作品の題材として取り上げられるようになっ た(表参照)。特に12世紀後半以降、日本の政治的中心が京都から鎌倉に移動し 、この二つの都市を結び富士山南麓を通る街道の交通量が増加したことで、富士山 の情報は多くの人に記録され、広く知られるようになった。修験道―日本古来の山 岳信仰と外来宗教の習合―また、12世紀頃より噴火活動が沈静化したことで富士 山は日本古来の山岳信仰と密教・道教(神仙思想)が習合した「修験道」の道場と もなり、修験者が山中に分け入り、霊力を獲得するために修行する山へと変化して いった。当時一般的であった神仏習合思想(本地垂迹説)により、山頂部は仏の世 界(又は仏が神の形となって現れる場所)として認識され、山頂部に至ることが重 要な意味を持つようになった。この結果15〜16世紀には登拝する山として一般 に広く知られ、修験者に引率された武家・庶民等による信仰登山が盛んになった。 登山口の設置はいずれも室町時代のことで、14世紀から
- 122 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 04:24:40.66 ID:RcU6+V3Ha.net]
- 理が行われている。21表富士山の美術(1)日本古来の伝統様
式によるもの(国宝重要文化財)指定所在作品名形式時代(年代 )説明東京国立博物館聖徳太子絵伝屏風1069現在最古の富士 山。聖徳太子が馬で富士山を越える物語の状景。神奈川清浄光寺 外一遍聖絵絵巻1299一遍が全国遍歴の途中、富士川に入水す る往生者を見送る背後に富士山。兵庫・真光
- 123 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 04:29:57.89 ID:9gdrDp+Da.net]
- とされている。このころには参詣の道者のための宿坊もでき始め、大勢の登山者が
登るための設備が整い始めた。登拝の大衆化―富士講―17世紀前半、約150年 にわたる日本国内での戦乱状態が終了し、江戸幕府の下で治安が安定し経19済的 な発展もあってより多くの人が富士山を目指すようになった。このような中で18 世紀後半、16世紀に富士山体や周辺の風穴などで修行し、宗教的覚醒を得た長谷 川角行から始まったとされる富士信仰が江戸(現在の東京)を中心に「富士講」と 呼ばれる信仰集団を形成して大いに盛んになり、より多くの人々が登拝するように なった。富士講や他の登拝者(合わせて「道者」という。)は原則として固定的・ 継続的関係を持った「御師(宿坊を経営する神職)」の家や宿坊に宿泊し、祈祷や 宗教的指導を受け、湧水で水垢離をとり、浅間神社に参拝した後、頂上を目指した 。登山道には茶屋や山小屋が建てられ、多くの登拝者の活動を支える施設が体系的 に整備されたのもこの頃である。また、富士講においては長谷川角行ら指導者の言 動にならって周辺の風穴や湖沼・滝なども修行の地とされ、ここにおいて富士山と 周辺の宗教施設・霊地・巡礼地は庶民の信仰の場として定着し、山の結界が開放さ れる二ヶ月間に年平均1万〜2万人の人々が信仰を目的とした登山を行うようにな った。芸術作品の多様化とジャポニスム芸術面においても、とりわけ江戸時代(1 7〜19世紀半ば)には、文学、絵画、工芸、庭園等のモチーフとして多岐にわた って取り上げられ、三保松原と富士山を描いた絵画など多様な表現が追究されるよ うになった。(表参照)特に、葛飾北斎の「冨嶽三十六景」に代表される浮世絵の 数々は、西洋の画家たちに文化的衝撃を与えた。19世紀後半には「ジャポニスム 」という芸術上の画期的な転機を惹き起こし、印象派の作品に影響を与えるととも に、その富士山を含んだ構図は海外において日本のイメージの一つとされてきたの である。日本を訪れた外国人が富士山からインスピレーションを得て記述した紀行 文の中でも、富士山のアイコン的側面を綴ったものが多い
- 124 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 04:30:10.01 ID:RcU6+V3Ha.net]
- 巻1323他阿上人が全国遍歴の途中、甲斐の御坂峠を越えて河
口に進む背後に富士山。大阪・久保惣記念美術館伊勢物語絵巻絵 巻14世紀伊勢物語現存最古の絵巻。第九段物語の主人が富士山 麓を進む場面。東京国立博物館月次風俗図のうち小屏風15世紀 十二月風俗図の一場面。鎌倉初期に行われた富士山麓の巻狩を題 材とする。富士山本宮浅間大社富士参詣曼荼羅図掛軸16世紀霊 山である富士山に参拝する行者達の登山風景、山頂に三尊あり。 狩野派の祖元信筆。東京国立博物館武蔵野図屏風17世紀武蔵野 の状景を装飾的に描いた名所図屏風の一。ススキ野の奥に富士山 がそびえる。山梨県立博物館曽我物語図屏風17世紀鎌倉将軍源 頼朝が主催した富士の巻狩最中に果された曽我兄弟による仇討ち を題材。富士山の美術(2)室町時代水墨画によるもの指定所在 作品名形式時代(年代)説明東京・根津美術館富岳図仲安真康筆 掛軸15世紀現存最古の水墨による富士山図。鎌倉建長寺の僧で 、鎌倉画派の祖とされる。東京国立博物館富岳図祥啓筆掛軸14 90仲安真康の弟子、建長寺の書記を勤めた禅僧万里集九や雪舟 とも交友があった。東京永青文庫富士清見寺図雪舟集掛軸15世 紀世界的に著名な日本を代表する水墨画家の作。水墨画による富 士山の一典型作。静岡県立美術館富士八景図式部輝忠筆掛軸15 30東国を中心に活躍した水墨画家。瀟湘八景にあやかって連作 に挑んだ作品。個人(?)富士三保松原図是庵筆掛軸16世紀京 都相国寺の僧で、画をよくした。下辺に三保松原、富士山の左手 に日輪を描く。22富士山の美術(3)江戸時代諸派の作家と富 士山指定流派著名な作家名所在代表作(年代)説明陶芸野々村仁 清東京・鼻山美術館銹絵富士山香炉(17世紀)世界的にも著名 な京焼の第一人者。富士山の朝昼晩の三つの景色を造型化する。 狩野派狩野探幽静岡県立美術館富士山図1670江戸狩野派の祖 、第一人者。富士山連作の緒を開いた。狩野派狩野山雪静岡県立 美術館富士三保松原図屏風(17世紀)山楽の養子として京狩野 派を継ぐ。装飾性と抒情性に富む。琳派尾形光琳奈良・大和文華 館富岳図(扇面貼交手箱内)(18世紀)世界的に著名な代表的 画家。工芸デザイナーとしても卓越する。文
- 125 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 04:36:03.77 ID:9gdrDp+Da.net]
- 本一有名な山であったが、19世紀後半の開国によって日本が近代国家としての体
制を整えるにつれて、日本を代表する山から日本を象徴する山へと変貌した。廃仏 毀釈と登山の利便性向上19世紀半ばより、明治政府を中心に行われた日本の近代 化・西欧化政策は富士山にも影響を与えた。政府が神仏分離や修験道禁止の方針を 打ち出したことや、これを契機に発生した廃仏毀釈の運動により、仏教的施設は神 道系の施設に再編されたが、1872年の(信仰の山にお
- 126 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 04:36:15.78 ID:RcU6+V3Ha.net]
- 術大学富士十二景図(18世紀)日本文人図(南画)の大成者、
第一人者。富士・立山・白山を信仰登山し、三岳道者と自称。そ の体験を描く。文人画派与謝蕪村富山佐藤美術館松林富士図(1 8世紀)大雅と並ぶ日本文人画の第一人者。俳人としても高名で 、俳画を大成した名手。文人画派野呂介石和歌山・田辺市立美術 館(寄託)紅玉芙蓉峰図1821紀州藩の役人で、大雅にも師事 した。早春の明け方の朱に染まった富士、赤富士の魁。文人画派 谷文晁静岡県立美術館富士山図屏風1835江戸文人画の大家。 諸国諸山の風景を写実的に描いた写生派の草分け。円山派円山応 挙兵庫・白鶴美術館富士三保松原図屏風1784装飾性と写実性 とを融合し、独自の画境を開いた、いかにも応挙らしい作品。洋 風画派小田野直武秋田県立近代美術館富岳図1777秋田藩士。 日本で最初に西洋画を学んだ、秋田蘭画の創始者。江戸出府の折 の作。洋風画派司馬江漢静岡県立美術館薩?山富士遠望図180 4平賀源内らと蘭学を研鑚、後に小田野直武の影響を受けて、洋 風写生画の第一人者となる。南蘋派宋紫石東京国立博物館日金山 富岳展望図(18世紀)長崎に渡来した清人画家より写生的花鳥 画を学び、また平賀源内らを通じて蘭学に通じた。禅画白隠慧鶴 大分・自性寺富士見大名行列図日本臨済禅を確立した禅僧。全国 を遍歴、布教した。禅画の大成者としても著名。浮世絵派葛飾北 斎山梨県立博物館版画富岳三十六景1831世界的に著名な浮世 絵師。富岳三十六景に見る象徴主義は欧米文芸に大きく影響した 。23浮世絵派歌川広重山梨県立博物館版画不二三十六景(19 世紀)北斎とともに世界的に著名な浮世絵師。東海道五十三次な ど風景画に新境地を開き、印象派に与えた影響は大きい。浮世絵 派歌川貞秀神戸市立博物館三国第一山之図1849幕末の浮世絵 師。自ら富士山に登り、その感動を本図や富士絶頂之図など多く の作品を残した。富士山の美術(4)近現代作家と富士山文化勲 章指定ジャンル著名な作家名所在代表作(年代)説明油画(洋画 )高橋由一金刀比羅宮宝物語館牧の原望岳図1878明治維新以 降、最初に油彩技法を習得した先覚者の作品。明治初期の貴重作 。〃五姓田義松東京都現代美術館清水の富士
- 127 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 04:43:15.65 ID:9gdrDp+Da.net]
- 響もあり富士山への登拝は継続ないし拡大した。19世紀末以降の鉄道・自動車道
の開通も、登山者の利便性を格段に向上させた。南麓へは1889年に東海道線が 開通し、北麓へは1900年前後に馬車鉄道と中央線が開通したことによって、東 京からの登山がさらに活発になった。自動車道としては、1929年に北口本宮冨 士浅間神社から馬返(標高1450m)まで自動車専用道路が開削され、1937 年には大型バスによる輸送も始まった。第二次大戦以降、日本の価値観や経済状況 の変化により、富士山への登山は信仰を中心としたものから、富士山への憧れを主 な動機とするものに変化した。また、1964年に中腹までの自動車道として、北 麓の富士山スバルラインが、1970年に南麓の富士山スカイラインが開通し、こ れ以降、中腹(標高2300〜2400m)を起点とした登山が主流になった。こ の結果富士山への登山者は急増し、年平均20万〜30万人に達するに至った(2 007年からはさらに増加し年間35万〜43万人)。これらの登山者の行動様式 の中には富士山への信仰の核心が受け継がれており、加えて、現代的な富士山信仰 の形態として、静岡県の柿田川のように、新たに富士山との関わりが明らかになっ たことが、環境保護活動の活性化につながった例などがある。最近の保全の歴史2 0富士山体は文化財としては、1924年に史蹟名勝天然紀念物保存法により、山 麓の幅広い地域が名勝に仮指定された。これとほぼ同じ範囲は、1936年に自然 公園法により国立公園の一部として指定され、現在も保全の対象となっている。さ らに、第二次世界大戦後の1952年には、新たに文化財保護法によって、御中道 以下500mより上及び一部の登山道などが名勝として(同年、特別名勝として) 指定され、1966年には指定区域を拡大した。山梨県は1978年(のち、19 99年及び2006年に改定)、静岡県は2006年に「特別名勝富士山」の保存 管理計画を策定し、適切な保存と活用を図っている。周辺の浅間神社や御師住宅の 近代以前の修理や保存の状況は2bで述べたところだが、
- 128 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 04:43:38.90 ID:RcU6+V3Ha.net]
- に早く油彩技法に目覚めた開拓者の一人。明治初期の貴重作。〃
和田英作鹿児島歴史資料センター富士(河口湖)1926日本近 代洋画を技法的に確立した先駆者の一人。写生の確かさを見よ。 〃梅原龍三郎岡山・大原美術館朝陽1945ルノアールに学び、 日本洋画に存在感ある独特の装飾技法を樹立した。その金字塔と も言うべき作。〃田崎広助長野・田崎美術館箱根朱富士1975 日本独特の平面的装飾に新しい一頁を開いた田崎ならではの自然 景観。〃林武箱根彫刻の森美術館赤富士1967主として第二次 大戦以後洋画壇をリードした。豪快な技法で富士連作に挑んだ。 膠画(日本画)富岡鉄斎兵庫・清荒神清澄寺富士山及び山頂全図 屏風1898最後の文人画家とも言われる思想家。自ら富士山に 登り、その神聖性をダイナミックに表現した。〃横山大観東京国 立近代美術館或る日の太平洋1952フェノロサ、岡倉天心と共 に日本画壇を復興した巨匠。日本の象徴と意識して多くのテーマ に富士山が描かれた。〃下村観山秋田県立近代美術館三保富士図 屏風1919横山大観とともに明治日本画壇を背負った作家が伝 統的テーマに新風を吹き込む。〃川端龍子東京・大田区立龍子記 念館怒る富士1944強烈な個性で大作に挑んだ激情の画家。激 しい気象現象を示す富士に挑戦した作品。〃松岡映丘宮内庁三の 丸尚蔵館富岳茶園1928昭和天皇即位記念の作品。伝統的日本 画に透明感のある新しい表現技法を示す。〃徳岡神泉京都国立近 代美術館富士1965福田平八郎と共に昭和の日本画壇に独自の 新風を吹き込んだ。茫漠たるモノトーンの中に立する富士。24 〃横山操東京・五島美術館朱富士1966第二次大戦後の日本画 壇をリードした新星。多くの富士を描いたが、赤富士と電光の対 比の妙。〃小松均京都市立美術館白富士1982第二次大戦後の 日本画壇に詩的な大画面で新境地を開いた。郷土山形や大自然に 魅せられて。〃片岡球子神奈川県立近代美術館面構葛飾北斎数年 前に没したが、最も現代日本画界をリードした女流画家。本図は 女史のライフワーク面構シリーズの一つ。写真鹿島清兵衛宮内庁 三の丸尚蔵館富士1894アマチュアながら当時の技術を駆使し た大版写真を御成婚25年記念に皇室に託し
- 129 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 04:49:31.74 ID:9gdrDp+Da.net]
- 関わる記念工作物・建造物群・遺跡は、1907年以降、古社寺保存法(1897
年〜1929年)、(国宝保存法(1929年〜1950年))、史蹟名勝天然紀 念物保存法(1919年〜1950年)、文化財保護法(1950年〜現在)によ り、名勝、特別天然記念物又は天然記念物、重要文化財、史跡等として指定され、 文化財ごとに保存管理計画が策定されており、それぞれの価値が最もよく表れる時 代の状態が保たれるように細心の注意が払われている。、また、周辺に位置する個 々の文化財は、「包括的保存管理計画」によって、富士山体も含めた統一的な保存 ・管理が行われている。21表富士山の美術(1)日本古来の伝統様式によるもの (国宝重要文化財)指定所在作品名形式時代(年代)説明東京国立博物館聖徳太子 絵伝屏風1069現在最古の富士山。聖徳太子が馬で富士山を越える物語の状景。 神奈川清浄光寺外一遍聖絵絵巻1299一遍が全国遍歴の途中、富士川に入水する 往生者を見送る背後に富士山。兵庫・真光寺遊行上人縁起絵絵巻1323他阿上人 が全国遍歴の途中、甲斐の御坂峠を越えて河口に進む背後に富士山。大阪・久保惣 記念美術館伊勢物語絵巻絵巻14世紀伊勢物語現存最古の絵巻。第九段物語の主人 が富士山麓を進む場面。東京国立博物館月次風俗図のうち小屏風15世紀十二月風 俗図の一場面。鎌倉初期に行われた富士山麓の巻狩を題材とする。富士山本宮浅間 大社富士参詣曼荼羅図掛軸16世紀霊山である富士山に参拝する行者達の登山風景 、山頂に三尊あり。狩野派の祖元信筆。東京国立博物館武蔵野図屏風17世紀武蔵 野の状景を装飾的に描いた名所図屏風の一。ススキ野の奥に富士山がそびえる。山 梨県立博物館曽我物語図屏風17世紀鎌倉将軍源頼朝が主催した富士の巻狩最中に 果された曽我兄弟による仇討ちを題材。富士山の美術(2)室町時代水墨画による もの指定所在作品名形式時代(年代)説明東京・根津美術館富岳図仲安真康筆掛軸 15世紀現存最古の水墨による富士山図。鎌倉建長寺の僧で、鎌倉画派の祖とされ る。東京国立博物館富岳図祥啓筆掛軸1490仲安真康の
- 130 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 04:49:43.83 ID:RcU6+V3Ha.net]
- ・岡田紅陽写真美術館忍野赤富士1894文字通り富士山の写真
家。富士山のあらゆる表情を写真に収め、広めた。木版画萩原英 雄山梨県立美術館三十六富士1926本県出身の日本を代表する 木版画家。新しい視点からの富士山シリーズ。富士山の文学歴史 書「六りっ国史こくし」(奈良−平安)菅野すがのの真ま道みち ら「続日本しょくにほん紀ぎ」(平安)藤原通憲ふじわらのみち のり「本朝ほんちょう世紀せいき」(平安)伝皇こう円えん「扶 桑ふそう略記りゃっき」(平安)※作者未詳
- 131 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 04:55:26.74 ID:9gdrDp+Da.net]
- めた禅僧万里集九や雪舟とも交友があった。東京永青文庫富士清見寺図雪舟集掛軸
15世紀世界的に著名な日本を代表する水墨画家の作。水墨画による富士山の一典 型作。静岡県立美術館富士八景図式部輝忠筆掛軸1530東国を中心に活躍した水 墨画家。瀟湘八景にあやかって連作に挑んだ作品。個人(?)富士三保松原図是庵 筆掛軸16世紀京都相国寺の僧で、画をよくした。下辺に三保松原、富士山の左手 に日輪を描く。22富士山の美術(3)江戸時代諸派の作家と富士山指定流派著名 な作家名所在代表作(年代)説明陶芸野々村仁清東京・鼻山美術館銹絵富士山香炉 (17世紀)世界的にも著名な京焼の第一人者。富士山の朝昼晩の三つの景色を造 型化する。狩野派狩野探幽静岡県立美術館富士山図1670江戸狩野派の祖、第一 人者。富士山連作の緒を開いた。狩野派狩野山雪静岡県立美術館富士三保松原図屏 風(17世紀)山楽の養子として京狩野派を継ぐ。装飾性と抒情性に富む。琳派尾 形光琳奈良・大和文華館富岳図(扇面貼交手箱内)(18世紀)世界的に著名な代 表的画家。工芸デザイナーとしても卓越する。文人画派池大雅東京芸術大学富士十 二景図(18世紀)日本文人図(南画)の大成者、第一人者。富士・立山・白山を 信仰登山し、三岳道者と自称。その体験を描く。文人画派与謝蕪村富山佐藤美術館 松林富士図(18世紀)大雅と並ぶ日本文人画の第一人者。俳人としても高名で、 俳画を大成した名手。文人画派野呂介石和歌山・田辺市立美術館(寄託)紅玉芙蓉 峰図1821紀州藩の役人で、大雅にも師事した。早春の明け方の朱に染まった富 士、赤富士の魁。文人画派谷文晁静岡県立美術館富士山図屏風1835江戸文人画 の大家。諸国諸山の風景を写実的に描いた写生派の草分け。円山派円山応挙兵庫・ 白鶴美術館富士三保松原図屏風
- 132 名前:1784装飾性と写実性とを融合し、独自の画境を
開いた、いかにも応挙らしい作品。洋風画派小田野直武秋田県立近代美術館富岳図 1777秋田藩士。日本で最初に西洋画を学んだ、秋田蘭画の創始者。江戸出府の 折の作。洋風画派司馬江漢静岡県立美術館薩?山富士遠望 [] - [ここ壊れてます]
- 133 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 04:55:38.85 ID:RcU6+V3Ha.net]
- み」(鎌倉)斎藤月岑さいとうげっしん「武江ぶこう年表ねんぴ
ょう」(江戸)風土記元明天皇げんめいてんのう詔「常陸ひたち 国のくに風土記」(奈良)談話集景戒きょうかい「日本にほん霊 異記りょういき」(平安)※作者未詳「今昔こんじゃく物語集も のがたりしゅう」(平安)和歌集大伴家持おおとものやかもち「 万葉集まんようしゅう」(奈良)紀淑望きのよしもち・紀貫之き のつらゆき「古今和歌集こきんわかしゅう」(平安)村上むらか み天皇てんのう「後撰和ごせんわ歌集かしゅう」(平安)後鳥羽 ごとば上皇じょうこう「新古今和歌集しんこきんわかしゅう」( 鎌倉)後鳥羽院ごとばいん「最勝さいしょう四天王院してんのう いん障子しょうじ和歌わか」(鎌倉)藤原長清「夫木和歌抄ふぼ くわかしょう」(鎌倉)藤原ふじわらの為ため明あきら「新拾遺 和しんしゅういわ歌集かしゅう」(室町)25記録・紀行文都良 香みやこのよしか(平安)「富士山記ふじさんき」※作者不詳( 鎌倉)「海道記かいどうき」※作者不詳(鎌倉)「東関紀行とう かんきこう」飛鳥井あすかい雅世まさよ(室町)「富士紀行ふじ きこう」堯孝ぎょうこう(室町)「覧らん富士記ふじき」堯恵ぎ ょうえ(室町)「北国紀行ほっこくきこう」※作者不詳(室町) 「富士御覧日記ふじごらんにっき」道興どうこう(室町)「廻国 かいこく雑記ざっき」宗牧そうぼく(室町)「東国とうごく紀行 きこう」紹巴じょうは(室町)「富士見ふじみ道記みちのき」小 堀遠州こぼりえんしゅう(江戸)「東海道紀行とうかいどうきこ う」浅井了意あさいりょうい(江戸)「東海道名所記とうかいど うめいしょき」岩佐いわさ又兵衛またべえ(江戸)「迴国道の記 」松尾まつお芭蕉ばしょう(江戸)「野ざらし紀行」香川景樹か がわかげき(江戸)「中空の日記」古川古松こしょう軒けん(江 戸)「東遊とうゆう雑記ざっき」藤とう惺せい梅ばい(江戸)「 東海紀行」日記文学菅原孝標女すがわらのたかすえのむすめ(平 安)「更級さらしな日記」阿仏尼あぶつに(鎌倉)「十六夜日記 いざよいにっき」「うたたね」後ご深ふか草院くさいんの二条に じょう(鎌倉)「とはずがたり」賀茂真淵かものまぶち(江戸) 「岡部日記おかべにっき」永井ながい荷風か
- 134 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 05:01:22.77 ID:9gdrDp+Da.net]
- 蘭学を研鑚、後に小田野直武の影響を受けて、洋風写生画の第一人者となる。南蘋
派宋紫石東京国立博物館日金山富岳展望図(18世紀)長崎に渡来した清人画家よ り写生的花鳥画を学び、また平賀源内らを通じて蘭学に通じた。禅画白隠慧鶴大分 ・自性寺富士見大名行列図日本臨済禅を確立した禅僧。全国を遍歴、布教した。禅 画の大成者としても著名。浮世絵派葛飾北斎山梨県立博物館版画富岳三十六景18 31世界的に著名な浮世絵師。富岳三十六景に見る象徴主
- 135 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 05:01:34.87 ID:RcU6+V3Ha.net]
- 「大窪だより」伝説・物語※作者不詳「竹取たけとり物語ものが
たり」(平安)※作者不詳「伊勢いせ物語ものがたり」(平安) 紫式部むらさきしきぶ「源氏げんじ物語ものがたり(若紫わかむ らさき)」(平安)藤原兼輔ふじわらのかねすけ「聖徳太子伝暦 しょうとくたいしでんりゃく」(平安)※作者不詳(平安)「平 中へいちゅう物語ものがたり」「平家へいけ物語ものがたり」( 鎌倉)※未詳「曽我そがの物語ものがたり」(鎌倉)※作者不詳 「源平げんぺい盛衰記せいすいき」(鎌倉)※未詳「承久記じょ うきゅうき」(鎌倉)浅井あさい了りょう意い「東海道名所記」 (江戸)能(謡曲)伝世阿弥ぜあみ原作(室町)「富士山ふじさ ん」※未詳(室町)「羽衣はごろも」御伽草紙「富士の人穴ひと あな草紙ぞうし」(江戸)仮名草紙※作者不詳(江戸)「竹斎ち くさい」滑稽本十返舎一九じっぺんしゃいっく(江戸)「東海道 中膝栗毛とうかいどうちゅうひざくりげ」仮名垣魯文かなかきろ ぶん(江戸−明治)「滑稽富士詣こっけいふじもうで」26浄瑠 璃近松門ちかまつもん左ざ衛門えもん(江戸)「聖徳太子絵伝記 」竹田たけだ出雲いずも・三好松洛みよししょうらく・並木千柳 なみきせんりゅう(江戸)「仮名かな手本でほん忠臣蔵ちゅうし んぐら」童謡巌谷いわや小波さざなみ(明治−大正)「富士山ふ じさん」(「ふじの山」)海野うんの厚あつし(明治−昭和)「 背せいくらべ」随想・随筆新井あらい白石はくせき(江戸)「折 おりたく柴しばの記」田山たやま花袋かたい(明治−昭和)「富 士を望む」小島烏水こじまうすい(明治−昭和)「すたれ行く富 士の古道」、「不二山ふじさん」永井ながい荷風かふう(明治− 昭和)「日和ひより下駄げた」太宰だざい治おさむ(明治−昭和 )「富嶽百景ふがくひゃっけい」大町桂月おおまちけいげつ(明 治−大正)「富士の大観」中村星湖なかむらせいこ(明治−昭和 )「少年行しょうねんこう」北村きたむら透谷とうこく(明治) 「富嶽ふがくの詩し神しんを思おもふ」深田ふかだ久弥きゅうや (明治−昭和)「日本にほん百名山ひゃくめいざん」小説落合直 文おちあいなおぶみ(江戸−明治)「たかねの雪ゆき」夏目漱石 なつめそうせき(明治−大正)「三四郎さん
- 136 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 05:07:27.90 ID:9gdrDp+Da.net]
- 響した。23浮世絵派歌川広重山梨県立博物館版画不二三十六景(19世紀)北斎
とともに世界的に著名な浮世絵師。東海道五十三次など風景画に新境地を開き、印 象派に与えた影響は大きい。浮世絵派歌川貞秀神戸市立博物館三国第一山之図18 49幕末の浮世絵師。自ら富士山に登り、その感動を本図や富士絶頂之図など多く の作品を残した。富士山の美術(4)近現代作家と富士山文化勲章指定ジャンル著 名な作家名所在代表作(年代)説明油画(洋画)高橋由一金刀比羅宮宝物語館牧の 原望岳図1878明治維新以降、最初に油彩技法を習得した先覚者の作品。明治初 期の貴重作。〃五姓田義松東京都現代美術館清水の富士1881父芳柳と共に早く 油彩技法に目覚めた開拓者の一人。明治初期の貴重作。〃和田英作鹿児島歴史資料 センター富士(河口湖)1926日本近代洋画を技法的に確立した先駆者の一人。 写生の確かさを見よ。〃梅原龍三郎岡山・大原美術館朝陽1945ルノアールに学 び、日本洋画に存在感ある独特の装飾技法を樹立した。その金字塔とも言うべき作 。〃田崎広助長野・田崎美術館箱根朱富士1975日本独特の平面的装飾に新しい 一頁を開いた田崎ならではの自然景観。〃林武箱根彫刻の森美術館赤富士1967 主として第二次大戦以後洋画壇をリードした。豪快な技法で富士連作に挑んだ。膠 画(日本画)富岡鉄斎兵庫・清荒神清澄寺富士山及び山頂全図屏風1898最後の 文人画家とも言われる思想家。自ら富士山に登り、その神聖性をダイナミックに表 現した。〃横山大観東京国立近代美術館或る日の太平洋1952フェノロサ、岡倉 天心と共に日本画壇を復興した巨匠。日本の象徴と意識して多くのテーマに富士山 が描かれた。〃下村観山秋田県立近代美術館三保富士図屏風1919横山大観とと もに明治日本画壇を背負った作家が伝統的テーマに新風を吹き込む。〃川端龍子東 京・大田区立龍子記念館怒る富士1944強烈な個性で大作に挑んだ激情の画家。 激しい気象現象を示す富士に挑戦した作品。〃松岡映丘宮内庁三の丸尚蔵館富岳茶 園1928昭和天皇即位記念の作品。伝統的日本画に透明
- 137 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 05:07:40.36 ID:RcU6+V3Ha.net]
- ぐびじんそう」泉鏡花(明治−昭和)「婦おんな系図けいず」「
春しゅん昼ちゅう」「春しゅん昼ちゅう後刻ごこく」徳富とくと み蘆花ろか(明治−昭和)「冨士ふじ」「自然しぜんと人生じん せい」(随筆)永井ながい荷風かふう(明治−昭和)「新帰朝者 日記」橋本英吉はしもとえいきち(明治−昭和)「富士山頂ふじ さんちょう」井伏鱒二いぶせますじ(明治−平成)「岳麓点描が くろくてんびょう」武田泰淳たけだたいじゅん(大正−昭和)「 富士ふじ」武田百合子たけだゆりこ(大正−昭和)「富士日記ふ じにっき」新田にった次郎じろう(大正−昭和)「強力伝ごうり きでん」「怒いかる富ふ士じ」「芙蓉ふようの人ひと」「富士ふ じに死しす」「着氷ちゃくひょう」「冬山ふゆやまの掟おきて」 「富士ふじ山頂さんちょう」川端康成かわばたやすなり(明治− 昭和)「東海道とうかいどう」白井喬二しらいきょうじ(明治− 昭和)「富士ふじに立たつ影かげ」国枝くにえだ史郎しろう(明 治−昭和)「神州纐纈城しんしゅうこうけつじょう」松本まつも と清せい張ちょう(明治−昭和)「波なみの塔とう」芹沢光せり ざわこう治じ良ろう(明治−平成)「我が入道にゅうどう」「人 間にんげんの運命うんめい」幸田文こうだあや(明治−平成)「 崩くずれ」27詩歌伝柿本かきのもとの人麻呂ひとまろ(飛鳥− 奈良)「柿本集」山部赤人やまべのあかひと(奈良)「万葉集ま んようしゅう」高橋たかはしの虫むし麻呂まろ(奈良)「高橋虫 麻呂たかはしのむしまろ歌集」藤原ふじわらの清きよ正ただ(平 安)「清きよ正ただ集」在原業平ありわらのなりひら(平安)「 業平集」藤原ふじわらの公きん任とう(平安)「公きん任とう集 」藤原ふじわらの定家さだいえ(平安−鎌倉)「内裏名所百首」 「名号みょうごう七字十題和歌」飛鳥あすか井い雅まさ経つね( 平安−鎌倉)「明日香あすか井い和歌集」藤原ふじわらの俊とし 成なり(平安−鎌倉)「(藤原兼ふじわらのかね実ざね)右う大 臣家だいじんけ百首ひゃくしゅ」「五社百首」「丹後守為忠朝臣 家百首」慈じ円えん(平安−鎌倉)「拾玉集」西行さいぎょう( 鎌倉)「新古今和歌集しんこきんわかしゅう」源実朝みなもとの さねとも(鎌倉)「金槐和歌集きんかいわか
- 138 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 05:13:54.18 ID:9gdrDp+Da.net]
- を示す。〃徳岡神泉京都国立近代美術館富士1965福田平八郎と共に昭和の日本
画壇に独自の新風を吹き込んだ。茫漠たるモノトーンの中に立する富士。24〃横 山操東京・五島美術館朱富士1966第二次大戦後の日本画壇をリードした新星。 多くの富士を描いたが、赤富士と電光の対比の妙。〃小松均京都市立美術館白富士 1982第二次大戦後の日本画壇に詩的な大画面で新境地を開いた。郷土山形や大 自然に魅せられて。〃片岡球子神奈川県立近代美術館面構葛飾北斎数年前に没した が、最も現代日本画界をリードした女流画家。本図は女史のライフワーク面構シリ ーズの一つ。写真鹿島清兵衛宮内庁三の丸尚蔵館富士1894アマチュアながら当 時の技術を駆使した大版写真を御成婚25年記念に皇室に託した。〃岡田紅陽山梨 ・岡田紅陽写真美術館忍野赤富士1894文字通り富士山の写真家。富士山のあら ゆる表情を写真に収め、広めた。木版画萩原英雄山梨県立美術館三十六富士192 6本県出身の日本を代表する木版画家。新しい視点からの富士山シリーズ。富士山 の文学歴史書「六りっ国史こくし」(奈良−平安)菅野すがのの真ま道みちら「続 日本しょくにほん紀ぎ」(平安)藤原通憲ふじわらのみちのり「本朝ほんちょう世 紀せいき」(平安)伝皇こう円えん「扶桑ふそう略記りゃっき」(平安)※作者未 詳「吾妻鏡あづまかがみ」(鎌倉)斎藤月岑さいとうげっしん「武江ぶこう年表ね んぴょう」(江戸)風土記元明天皇げんめいてんのう詔「常陸ひたち国のくに風土 記」(奈良)談話集景戒きょうかい「日本にほん霊異記りょういき」(平安)※作 者未詳「今昔こんじゃく物語集ものがたりしゅう」(平安)和歌集大伴家持おおと ものやかもち「万葉集まんようしゅう」(奈良)紀淑望きのよしもち・紀貫之きの つらゆき「古今和歌集こきんわかしゅう」(平安)村上むらかみ天皇てんのう「後 撰和ごせんわ歌集かしゅう」(平安)後鳥羽ごとば上皇じょうこう「新古今和歌集 しんこきんわかしゅう」(鎌倉)後鳥羽院ごとばいん「最勝さいしょう四天王院し てんのういん障子しょうじ和歌わか」(鎌倉)藤原長清「
- 139 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 05:13:59.11 ID:RcU6+V3Ha.net]
- 尼に(鎌倉)「安嘉門院あんかもんいんの四条しじょう五百首ご
ひゃくしゅ」万里ばんり集九しゅうきゅう(室町)「梅香無尽蔵 」堯ぎょう恵え(室町)「下葉和歌集」水無瀬みなせ氏成うじな り(安土桃山−江戸)「水無瀬殿富士百首」清水浜臣しみずはま おみ(江戸)田安宗たやすむね武たけ(江戸)「悠然院様御詠草 」林羅山はやしらざん(江戸)「丙辰へいし
- 140 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 05:20:14.67 ID:9gdrDp+Da.net]
- ょう」(鎌倉)藤原ふじわらの為ため明あきら「新拾遺和しんしゅういわ歌集かし
ゅう」(室町)25記録・紀行文都良香みやこのよしか(平安)「富士山記ふじさ んき」※作者不詳(鎌倉)「海道記かいどうき」※作者不詳(鎌倉)「東関紀行と うかんきこう」飛鳥井あすかい雅世まさよ(室町)「富士紀行ふじきこう」堯孝ぎ ょうこう(室町)「覧らん富士記ふじき」堯恵ぎょうえ(室町)「北国紀行ほっこ くきこう」※作者不詳(室町)「富士御覧日記ふじごらんにっき」道興どうこう( 室町)「廻国かいこく雑記ざっき」宗牧そうぼく(室町)「東国とうごく紀行きこ う」紹巴じょうは(室町)「富士見ふじみ道記みちのき」小堀遠州こぼりえんしゅ う(江戸)「東海道紀行とうかいどうきこう」浅井了意あさいりょうい(江戸)「 東海道名所記とうかいどうめいしょき」岩佐いわさ又兵衛またべえ(江戸)「迴国 道の記」松尾まつお芭蕉ばしょう(江戸)「野ざらし紀行」香川景樹かがわかげき (江戸)「中空の日記」古川古松こしょう軒けん(江戸)「東遊とうゆう雑記ざっ き」藤とう惺せい梅ばい(江戸)「東海紀行」日記文学菅原孝標女すがわらのたか すえのむすめ(平安)「更級さらしな日記」阿仏尼あぶつに(鎌倉)「十六夜日記 いざよいにっき」「うたたね」後ご深ふか草院くさいんの二条にじょう(鎌倉)「 とはずがたり」賀茂真淵かものまぶち(江戸)「岡部日記おかべにっき」永井なが い荷風かふう(江戸−昭和)「大窪だより」伝説・物語※作者不詳「竹取たけとり 物語ものがたり」(平安)※作者不詳「伊勢いせ物語ものがたり」(平安)紫式部 むらさきしきぶ「源氏げんじ物語ものがたり(若紫わかむらさき)」(平安)藤原 兼輔ふじわらのかねすけ「聖徳太子伝暦しょうとくたいしでんりゃく」(平安)※ 作者不詳(平安)「平中へいちゅう物語ものがたり」「平家へいけ物語ものがたり 」(鎌倉)※未詳「曽我そがの物語ものがたり」(鎌倉)※作者不詳「源平げんぺ い盛衰記せいすいき」(鎌倉)※未詳「承久記じょうきゅうき」(鎌倉)浅井あさ い了りょう意い「東海道名所記」(江戸)能(謡曲)伝世
- 141 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 05:20:26.99 ID:RcU6+V3Ha.net]
- わ丈山じょうざん(江戸)加藤枝かとうえ直なお(江戸)「うけ
らが花」賀茂真淵かものまぶち(江戸)「賀茂翁家集」本居宣も とおりのり長なが(江戸)「石いその上稿かみこう」「鈴屋すず のや集」契沖けいちゅう(江戸)「詠富士山百首和歌」村田むら た春海はるみ(江戸)琴後ことじり集」島木赤彦しまぎあかひこ (明治−大正)土井どい晩翠ばんすい(明治−昭和)「大敵迫る 」斉藤さいとう茂吉もきち(明治−昭和)「赤光」「箱根路」前 田まえだ夕暮ゆうぐれ(明治−昭和)「富士を歌ふ」若山わかや ま牧水ぼくすい(明治−昭和)「海の声」北原きたはら白秋はく しゅう(明治−昭和)「雲母集」「不尽抄」金子かねこ光晴みつ はる(明治−昭和)「富士」「五つの湖」草野心平くさのしんぺ い(明治−昭和)「富士山」小野おの十とお三郎ざぶろう(明治 −平成)「重油富士」「風景詩抄」28俳句松尾まつお芭蕉ばし ょう(江戸)「奥の細道」与謝蕪村よさぶそん(江戸)小林こば やし一茶いっさ(江戸)蝶夢ちょうむ(江戸)「宇良うら富士紀 行」正岡まさおか子規しき(明治)高浜虚子たかはまきょし(明 治−昭和)飯田いいだ蛇笏だこつ(明治−昭和)「山りょ集」富 安風生とみやすふうせい(明治−昭和)水原みずはら秋桜子しゅ うおうし(明治−昭和)「葛飾」永井ながい荷風かふう(明治− 昭和)「名所方角集」西東さいとう三鬼さんき(明治−昭和)「 旗」「変身」渡辺わたなべ水すい巴は(明治−昭和)「富士」加 藤楸邨かとうしゅうそん(明治−平成)「寒雷」「慟哭」「都塵 抄」「雪後の天」293.登録の価値証明a)評価基準への適合 性証明1)条約上の遺産種別「富士山」は、世界遺産条約第1条 及び『世界遺産条約履行のための作業指針』(以下、『作業指針 』という。)第45項に規定にする「記念工作物」、「建造物群 」及び「遺跡」に該当する。2)評価基準への適合性証明以下に 示す理由に基づき、「富士山」には、世界遺産一覧表への記載の ための評価基準のうち(B)、(C)、(E)が適用できる。評 価基準(B)現存するか消滅しているかにかかわらず、ある文化 的伝統又は文明の存在を伝承する物証として無二の存在(少なく とも希有な存在)である。評価基準(B)の
- 142 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 05:26:39.43 ID:9gdrDp+Da.net]
- 「富士山ふじさん」※未詳(室町)「羽衣はごろも」御伽草紙「富士の人穴ひとあ
な草紙ぞうし」(江戸)仮名草紙※作者不詳(江戸)「竹斎ちくさい」滑稽本十返 舎一九じっぺんしゃいっく(江戸)「東海道中膝栗毛とうかいどうちゅうひざくり げ」仮名垣魯文かなかきろぶん(江戸−明治)「滑稽富士詣こっけいふじもうで」 26浄瑠璃近松門ちかまつもん左ざ衛門えもん(江戸)「聖徳太子絵伝記」竹田た けだ出雲いずも・三好松洛みよししょうらく・並木千柳な
- 143 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 05:26:50.73 ID:RcU6+V3Ha.net]
- なる気持ちを喚起する自然環境を背景とし、山頂への参詣などの
特徴を持った山に対する宗教的な儀礼・活動が成立し、18〜1 9世紀にかけて大規模な大衆による宗教的登山の代表的存在とな った。山体とその周辺の地域には、体系化された儀礼・活動の場 となった神社、登山道、及びその沿道に分布する関連遺跡群、霊 地・巡礼地となった風穴・湧水地・湖沼などが残されている。そ こでの儀礼や活動を通じて、人々の生活の中に富士山に対する信 仰の核心が継承されている。また、今日でも富士山は日本を代表 し象徴する最高峰として老若男女を問わず憧れ親しむ「名山」で ある。したがって、富士山は山頂への参詣という形態を中心とし 、時代を超えて今日まで継承された山に対する固有の文化的伝統 を顕著に表わす物証として稀有な存在である。・日本における山 に対する固有の文化的伝統を顕著に表わす物証富士山の山頂部一 帯は、山に対する日本の宗教観とその秀麗な姿、及び10世紀頃 まで盛んであった火山活動などに基づき神仏の世界、あるいは他 界(死後世界)とされてきた。このため富士山では富士山の神( ※1)を祀った山麓の浅間神社における遥拝活動とともに、以下 の絵図(類似の登山案内図が数多く作成された)に示されたよう に、雲上の神仏の世界へ一定の儀礼に従って参詣する「登拝」を 中心に、富士山体・周辺にある富士山の火山活動によって生成さ れ神聖な意味を持つとされた風穴・溶岩樹型・湖沼・滝・湧水地 などを巡礼し、修行することで治病・除災などの超自然的力を獲 得し、罪や穢れを消して生まれ変わる(擬死再生)と考える「富 士山禅定」(※2)と呼ばれる行為(儀礼・活動)が成立し、1 8〜19世紀にかけて富士山は体系化された登拝のための宗教施 設も含め、大規模な大衆による宗教的登山を代表する存在となっ ていた。このような自然への畏敬という日本の宗教観の根本を基 盤とし、神仙思想(道教)や仏教(特に密教)なとど融合した日 本独特の山岳信仰を代表する遥拝及び登拝・登山の様式は今日で も命脈を保ち、特に夏季を中心に訪れる外国人を含む多くの登山 客とともに富士登山の特徴を成している。また、信仰の核心部分 は各地の浅間神社に対する信仰や今日も続く
- 144 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 05:32:23.80 ID:9gdrDp+Da.net]
- 「仮名かな手本でほん忠臣蔵ちゅうしんぐら」童謡巌谷いわや小波さざなみ(明治
−大正)「富士山ふじさん」(「ふじの山」)海野うんの厚あつし(明治−昭和) 「背せいくらべ」随想・随筆新井あらい白石はくせき(江戸)「折おりたく柴しば の記」田山たやま花袋かたい(明治−昭和)「富士を望む」小島烏水こじまうすい (明治−昭和)「すたれ行く富士の古道」、「不二山ふじさん」永井ながい荷風か ふう(明治−昭和)「日和ひより下駄げた」太宰だざい治おさむ(明治−昭和)「 富嶽百景ふがくひゃっけい」大町桂月おおまちけいげつ(明治−大正)「富士の大 観」中村星湖なかむらせいこ(明治−昭和)「少年行しょうねんこう」北村きたむ ら透谷とうこく(明治)「富嶽ふがくの詩し神しんを思おもふ」深田ふかだ久弥き ゅうや(明治−昭和)「日本にほん百名山ひゃくめいざん」小説落合直文おちあい なおぶみ(江戸−明治)「たかねの雪ゆき」夏目漱石なつめそうせき(明治−大正 )「三四郎さんしろう」「虞美人草ぐびじんそう」泉鏡花(明治−昭和)「婦おん な系図けいず」「春しゅん昼ちゅう」「春しゅん昼ちゅう後刻ごこく」徳富とくと み蘆花ろか(明治−昭和)「冨士ふじ」「自然しぜんと人生じんせい」(随筆)永 井ながい荷風かふう(明治−昭和)「新帰朝者日記」橋本英吉はしもとえいきち( 明治−昭和)「富士山頂ふじさんちょう」井伏鱒二いぶせますじ(明治−平成)「 岳麓点描がくろくてんびょう」武田泰淳たけだたいじゅん(大正−昭和)「富士ふ じ」武田百合子たけだゆりこ(大正−昭和)「富士日記ふじにっき」新田にった次 郎じろう(大正−昭和)「強力伝ごうりきでん」「怒いかる富ふ士じ」「芙蓉ふよ うの人ひと」「富士ふじに死しす」「着氷ちゃくひょう」「冬山ふゆやまの掟おき て」「富士ふじ山頂さんちょう」川端康成かわばたやすなり(明治−昭和)「東海 道とうかいどう」白井喬二しらいきょうじ(明治−昭和)「富士ふじに立たつ影か げ」国枝くにえだ史郎しろう(明治−昭和)「神州纐纈城しんしゅうこうけつじょ う」松本まつもと清せい張ちょう(明治−昭和)「波なみ
- 145 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 05:32:35.99 ID:RcU6+V3Ha.net]
- によって受け継がれ、富士山は日本を代表する神聖な山として知
られている。(※1)この神は、1868年の神仏分離令まで神 仏習合の影響を受け仏の化身と考えられていた。また、この神は 一つの神に限定されず、信仰の種類や時代ごとに異なる性格と名 称を持ついくつかの神または仏が信仰されていた。(※2)「禅 定」とは本来は心を静めて一つの対象に集中する宗教的瞑想・状 態、あるいはその結果仏と一体化することを示す言葉であり、そ の後、主に修験道において富士山などの霊山に登って修行するこ とも意味するようになった。写真「
- 146 名前:絹本著色冨士曼荼羅図」(部
分:16世紀ごろ)30「絹本著色冨士曼荼羅図」(16世紀ご ろ)評価基準(C)歴史上の重要な段階を物語る建築物、その集 合体、科学技術の集合体、あるいは景観を代表する顕著な見本で ある。評価基準(C)の適用富士山では、富士山信仰の形成の中 で神社等の建築群・登山道・宗教施設を経て山頂に参詣する体系 化された宗教的儀礼・活動が15〜16世紀にかけて発達し、1 8〜19世紀にかけて完成された。この過程において、日本にお ける山に対する固有の文化的伝統や富士山により生み出された芸 術活動を背景として、富士山の宗教施設、そこでの儀礼・活動は 富士山の自然環境と一体となって宗教的な意味を持つ景観として 認知され、これが宗教的絵画等で表現されることにより、多くの 人々に富士山が神聖な山であるとの認識がより強固に定着し、日 本写真上図拡大部分宗教施設水垢離場における山と人間の良好な 関係の形成に影響を与えた。したがって、富士山への信仰の形成 過程を通じて定着した富士山の景観認識は近代工業社会以前の段 階における山と人間との精神的関係を表す景観の顕著な見本であ る。・山と人間との精神的な関係を表す景観の顕著な見本富士山 では噴火が沈静化した12世紀ごろから山頂への宗教的登山が開 始され、15〜16世紀には「富士山禅定」と呼ばれた登拝様式 が整い、大衆にも拡大した。この過程で富士山は、矮小な存在で ある人間が山麓の草原地帯(「草山」、「カヤ原」などと呼ばれ た)にある神社・水垢離場で身を清め、森林地帯(「木山」、「 深山」などと呼ばれた)の山中の宗教施設等 [] - [ここ壊れてます]
- 147 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 05:39:27.53 ID:9gdrDp+Da.net]
- わこう治じ良ろう(明治−平成)「我が入道にゅうどう」「人間にんげんの運命う
んめい」幸田文こうだあや(明治−平成)「崩くずれ」27詩歌伝柿本かきのもと の人麻呂ひとまろ(飛鳥−奈良)「柿本集」山部赤人やまべのあかひと(奈良)「 万葉集まんようしゅう」高橋たかはしの虫むし麻呂まろ(奈良)「高橋虫麻呂たか はしのむしまろ歌集」藤原ふじわらの清きよ正ただ(平安)「清きよ正ただ集」在 原業平ありわらのなりひら(平安)「業平集」藤原ふじわらの公きん任とう(平安 )「公きん任とう集」藤原ふじわらの定家さだいえ(平安−鎌倉)「内裏名所百首 」「名号みょうごう七字十題和歌」飛鳥あすか井い雅まさ経つね(平安−鎌倉)「 明日香あすか井い和歌集」藤原ふじわらの俊とし成なり(平安−鎌倉)「(藤原兼 ふじわらのかね実ざね)右う大臣家だいじんけ百首ひゃくしゅ」「五社百首」「丹 後守為忠朝臣家百首」慈じ円えん(平安−鎌倉)「拾玉集」西行さいぎょう(鎌倉 )「新古今和歌集しんこきんわかしゅう」源実朝みなもとのさねとも(鎌倉)「金 槐和歌集きんかいわかしゅう」阿仏あぶつ尼に(鎌倉)「安嘉門院あんかもんいん の四条しじょう五百首ごひゃくしゅ」万里ばんり集九しゅうきゅう(室町)「梅香 無尽蔵」堯ぎょう恵え(室町)「下葉和歌集」水無瀬みなせ氏成うじなり(安土桃 山−江戸)「水無瀬殿富士百首」清水浜臣しみずはまおみ(江戸)田安宗たやすむ ね武たけ(江戸)「悠然院様御詠草」林羅山はやしらざん(江戸)「丙辰へいしん 紀行」石川いしかわ丈山じょうざん(江戸)加藤枝かとうえ直なお(江戸)「うけ らが花」賀茂真淵かものまぶち(江戸)「賀茂翁家集」本居宣もとおりのり長なが (江戸)「石いその上稿かみこう」「鈴屋すずのや集」契沖けいちゅう(江戸)「 詠富士山百首和歌」村田むらた春海はるみ(江戸)琴後ことじり集」島木赤彦しま ぎあかひこ(明治−大正)土井どい晩翠ばんすい(明治−昭和)「大敵迫る」斉藤 さいとう茂吉もきち(明治−昭和)「赤光」「箱根路」前田まえだ夕暮ゆうぐれ( 明治−昭和)「富士を歌ふ」若山わかやま牧水ぼくすい(
- 148 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 05:39:39.83 ID:RcU6+V3Ha.net]
- 礫地帯(「焼山」、「ハゲ山」などと呼ばれた)の神仏の世界あ
るいは他界に至るイメージで認知されるようになり、同時期に絵 画や文学作品において典型的な富士山像が成立したことを背景に 、「絹本著色冨士曼荼羅図」を代表例とする信仰上の景観認識が 成立した。17世紀以降はこれらの典型的な認識を基に、さらに 多様な信仰上の認識(※3)が模索され、「富士講」と呼ばれる 富士山信仰集団の隆盛や交流人口の拡大などにより、18世紀後 半から19世紀にかけてほとんどの日本人に
- 149 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 05:46:05.28 ID:9gdrDp+Da.net]
- 北原きたはら白秋はくしゅう(明治−昭和)「雲母集」「不尽抄」金子かねこ光晴
みつはる(明治−昭和)「富士」「五つの湖」草野心平くさのしんぺい(明治−昭 和)「富士山」小野おの十とお三郎ざぶろう(明治−平成)「重油富士」「風景詩 抄」28俳句松尾まつお芭蕉ばしょう(江戸)「奥の細道」与謝蕪村よさぶそん( 江戸)小林こばやし一茶いっさ(江戸)蝶夢ちょうむ(江戸)「宇良うら富士紀行 」正岡まさおか子規しき(明治)高浜虚子たかはまきょし(明治−昭和)飯田いい だ蛇笏だこつ(明治−昭和)「山りょ集」富安風生とみやすふうせい(明治−昭和 )水原みずはら秋桜子しゅうおうし(明治−昭和)「葛飾」永井ながい荷風かふう (明治−昭和)「名所方角集」西東さいとう三鬼さんき(明治−昭和)「旗」「変 身」渡辺わたなべ水すい巴は(明治−昭和)「富士」加藤楸邨かとうしゅうそん( 明治−平成)「寒雷」「慟哭」「都塵抄」「雪後の天」293.登録の価値証明a )評価基準への適合性証明1)条約上の遺産種別「富士山」は、世界遺産条約第1 条及び『世界遺産条約履行のための作業指針』(以下、『作業指針』という。)第 45項に規定にする「記念工作物」、「建造物群」及び「遺跡」に該当する。2) 評価基準への適合性証明以下に示す理由に基づき、「富士山」には、世界遺産一覧 表への記載のための評価基準のうち(B)、(C)、(E)が適用できる。評価基 準(B)現存するか消滅しているかにかかわらず、ある文化的伝統又は文明の存在 を伝承する物証として無二の存在(少なくとも希有な存在)である。評価基準(B )の適用富士山では神聖なる気持ちを喚起する自然環境を背景とし、山頂への参詣 などの特徴を持った山に対する宗教的な儀礼・活動が成立し、18〜19世紀にか けて大規模な大衆による宗教的登山の代表的存在となった。山体とその周辺の地域 には、体系化された儀礼・活動の場となった神社、登山道、及びその沿道に分布す る関連遺跡群、霊地・巡礼地となった風穴・湧水地・湖沼などが残されている。そ こでの儀礼や活動を通じて、人々の生活の中に富士山に対
- 150 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 05:46:17.30 ID:RcU6+V3Ha.net]
- しての景観認識が定着した(※4)。この認識は近代工業社会の
自然に対する考え方が一般化する以前の山と人間との良好な精神 的関係を示すものであった。、31(※3)富士山は神仙思想に おける不老不死の象徴である「蓬莱山」や仏教における世界の中 心である「須弥山」に見立てられた。また、主に18世紀後半よ り富士山の信仰上の景観認識を立体化した「富士塚」が東京を中 心に建設され、女性を含め山頂への登拝ができない人にとっての 代参施設となった。(※4)登拝者には登山口の浅間神社や御師 の発行する富士山の信仰上の景観認識を描いた宗教画が配布され るとともに、縁起の良いものとして富士山やその図像を拝したり 、眺めることが行われた。右「富士山のゾーニング」左「三尊九 尊図」評価基準(E)顕著な普遍的意義を有する出来事(行事) 、生きた伝統、思想、信仰、芸術的作品、あるいは文学的作品と 直接または実質的関連がある(この基準は他の基準とあわせて用 いられることが望ましい)。評価基準(E)の適用富士山と周辺 の特徴的な自然が醸成する優秀な景観美や火山としての活動は、 日本人の山に対する信仰の形成の一翼を担い、今日まで継承され ている山頂への遥拝と参詣を中心とした文化的伝統は、アジア地 域に顕著である山を神聖視する文化と深い関りを有している。写 真写真焼山(ハゲ山)木山(深山)草山(カヤ原)32また、こ れらの富士山の特色は古くから様々な芸術活動の母胎ともなり、 「万葉集」や「竹取物語」をはじめとする日本固有の和歌、俳句 、物語文学やこれらを主題とする絵画などの対象として日本人に 良く知られていた。特に富士山を題材にした「浮世絵」などは海 外にも広く知られ、近現代の西洋芸術に様々な影響を与えてきた 。したがって、富士山は、顕著な普遍的意義を持つ生きた伝統、 芸術的作品・文学的作品と直接的・実質的に関連がある景観であ る。・顕著な普遍的意義を持つ生きた伝統との直接的・実質的関 連アジア地域、特に東アジア地域では特異な形態を持った山岳の 空間を神聖視し、仏教(特に密教)や道教(神仙思想)、儒教と 結びついて修行の場や宗教施設を設置する場とした。これらの伝 統は6世紀〜8世紀を中心に日本に伝えられ
- 151 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 05:51:37.72 ID:9gdrDp+Da.net]
- れている。また、今日でも富士山は日本を代表し象徴する最高峰として老若男女を
問わず憧れ親しむ「名山」である。したがって、富士山は山頂への参詣という形態 を中心とし、時代を超えて今日まで継承された山に対する固有の文化的伝統を顕著 に表わす物証として稀有な存在である。・日本における山に対する固有の文化的伝 統を顕著に表わす物証富士山の山頂部一帯は、山に対する日本の宗教観とその秀麗 な姿、及び10世紀頃まで盛んであった火山活動などに基
- 152 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 05:51:52.71 ID:RcU6+V3Ha.net]
- 仰や神道と結びつき修験道などの信仰を生んだ。現在の富士山に
おいてはこれらの信仰の核心部分が登拝などの形態や儀式に伝え られている。また、富士山のみならず日本各地の山岳やアジア地 域の山岳においても形態は異なるとはいえ山を神聖視することを その根本に据えた文化的伝統が数多く行われている。したがって 、富士山は顕著な普遍的価値を持つ生きた伝統と直接的・実質的 に関連がある景観である。・顕著な普遍的意義を持つ芸術作品と の直接的・実質的関連独立峰である富士山の周囲には湖や海と組 み合わされた富士山の優れた景観を望む展望地があり、今日に至 るまで多くの芸術作品を創造する場となった。これらの富士山を 題材にした芸術作品のうち、最も海外に影響を与えた作品は葛飾 北斎の浮世絵「冨嶽三十六景」である。19世紀前半に作成され たこの一連の作品は、日本の開国に伴い西洋に輸出され、他の浮 世絵とともにその構図や表現方法がジャポニスムと呼ばれた西洋 における日本芸術の流行を生み、モネ、ゴッホといった印象派の 画家に大きな影響を与え、アールヌーボーが発生する一因となっ た。そのほか、富士山と三保松原を舞台に富士山に関わる伝説を モチーフとした能(謡曲)「羽衣」は文学におけるモダニズムに 影響を与えた作品である。また、19世紀後半から20世紀初頭 にかけて、日本が万国博覧会などで意図的に出品した富士山を題 材にした絵画・工芸作品や、富士山を意匠に用いた日本の輸出品 は、富士山を描いた浮世絵や日本を訪れた外国人が富士山からイ ンスピレーションを得て記述した紀行文の文学的表現などととも に多くの世界の人々に他の世界の著名な山と明確に区別される富 士山の景観イメージを広めることに貢献した。文学では海外に良 く知られた「万葉集」以来、数多くの和歌や俳句などによってそ の崇高さや美しさが称えられ、近代以降も海外にも知られた文学 者(※夏目漱石「三四郎」・太宰治「富岳百景」など)によるも のをはじめ富士山を舞台とした作品が生み出された。写真写真左 「神奈川沖浪裏」右「凱風快晴」葛飾北斎「冨嶽三十六景」より (1831〜36年)33写真ゴッホ「タンギー爺さん」b)顕 著な普遍的価値の証明a)において証明した
- 153 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 05:58:07.23 ID:9gdrDp+Da.net]
- は他界(死後世界)とされてきた。このため富士山では富士山の神(※1)を祀っ
た山麓の浅間神社における遥拝活動とともに、以下の絵図(類似の登山案内図が数 多く作成された)に示されたように、雲上の神仏の世界へ一定の儀礼に従って参詣 する「登拝」を中心に、富士山体・周辺にある富士山の火山活動によって生成され 神聖な意味を持つとされた風穴・溶岩樹型・湖沼・滝・湧水地などを巡礼し、修行 することで治病・除災などの超自然的力を獲得し、罪や穢れを消して生まれ変わる (擬死再生)と考える「富士山禅定」(※2)と呼ばれる行為(儀礼・活動)が成 立し、18〜19世紀にかけて富士山は体系化された登拝のための宗教施設も含め 、大規模な大衆による宗教的登山を代表する存在となっていた。このような自然へ の畏敬という日本の宗教観の根本を基盤とし、神仙思想(道教)や仏教(特に密教 )なとど融合した日本独特の山岳信仰を代表する遥拝及び登拝・登山の様式は今日 でも命脈を保ち、特に夏季を中心に訪れる外国人を含む多くの登山客とともに富士 登山の特徴を成している。また、信仰の核心部分は各地の浅間神社に対する信仰や 今日も続く宗教的な儀礼・活動によって受け継がれ、富士山は日本を代表する神聖 な山として知られている。(※1)この神は、1868年の神仏分離令まで神仏習 合の影響を受け仏の化身と考えられていた。また、この神は一つの神に限定されず 、信仰の種類や時代ごとに異なる性格と名称を持ついくつかの神または仏が信仰さ れていた。(※2)「禅定」とは本来は心を静めて一つの対象に集中する宗教的瞑 想・状態、あるいはその結果仏と一体化することを示す言葉であり、その後、主に 修験道において富士山などの霊山に登って修行することも意味するようになった。 写真「絹本著色冨士曼荼羅図」(部分:16世紀ごろ)30「絹本著色冨士曼荼羅 図」(16世紀ごろ)評価基準(C)歴史上の重要な段階を物語る建築物、その集 合体、科学技術の集合体、あるいは景観を代表する顕著な見本である。評価基準( C)の適用富士山では、富士山信仰の形成の中で神社等の
- 154 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 05:58:19.29 ID:RcU6+V3Ha.net]
- の証明の結果として、「富士山」は以下に記す観点から顕著な普
遍的価値を持つ。顕著な普遍的価値の言明富士山は、日本を代表 し象徴する日本最高峰(標高3776m)の秀麗な独立した火山 として世界的に著名であり、その自然的美しさと崇高さを基盤と して日本人の自然に対する信仰の在り方や、海外に影響を与えた 葛飾北斎や歌川広重などによる顕著な普遍的価値を持つ「浮世絵 」などの日本独特の芸術文化を育んだ「名山」である。富士山は 、山岳に対する信仰の在り方や芸術活動などを通じ、時代を超え て一国の文化の諸相と極めて深い関連性を示し、生きた文化的伝 統の物証であるのみならず、人間と自然との良好で継続的な関係 を示す景観の傑出した類型として、世界的にも類例を見ない顕著 な普遍的価値を持つ山である。富士山の山体とその周辺の地域に は、宗教的な儀礼・活動の場となった神社、登山道と関連遺跡群 、霊地・巡礼地となった風穴・湧水地・湖沼などが残され、そこ での儀礼や活動を通じて、人々の生活の中に富士山に対する信仰 の核心が継承されている。また、富士山信仰の中で山体・樹叢・ 湖沼などの自然環境を基盤とし、体系化された神社等の建築群・ 登山道・宗教施設を経て山頂に参詣する宗教的な儀礼・活動が成 立した。これが発展し、18〜19世紀にかけて富士山は大規模 な大衆による宗教的登山及びその体系の典型的存在となり、この 体系の核心は現代の登山に継承されている。現在でも、富士山は 日本を代表し象徴する最高峰として老若男女を問わず憧れ親しむ 「名山」である。加えて、富士山と周辺の特徴的な自然が醸成す る美しさと崇高さは、信仰上の景観として捉えられただけでなく 、古くから様々な芸術活動の母胎となり、「万葉集」をはじめと する日本固有の和歌や俳句、絵画などの対象として日本人に良く 知られていた。特に富士山を題材にした「浮世絵」などは海外に も広く知られ、近現代の西洋芸術に様々な影響を与えてきたもの である。さらに、これらの芸術と富士山やその景観美を紹介した 外国人の著作を通じて、富士山が一つの国の文化を代表する「名 山」であることは国際的に認知されるに至っている。34写真写 真本栖湖からの富士山三保松原からの富士山
- 155 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 06:04:46.56 ID:9gdrDp+Da.net]
- 設を経て山頂に参詣する体系化された宗教的儀礼・活動が15〜16世紀にかけて
発達し、18〜19世紀にかけて完成された。この過程において、日本における山 に対する固有の文化的伝統や富士山により生み出された芸術活動を背景として、富 士山の宗教施設、そこでの儀礼・活動は富士山の自然環境と一体となって宗教的な 意味を持つ景観として認知され、これが宗教的絵画等で表現されることにより、多 くの人々に富士山が神聖な山であるとの認識がより強固に定着し、日本写真上図拡 大部分宗教施設水垢離場における山と人間の良好な関係の形成に影響を与えた。し たがって、富士山への信仰の形成過程を通じて定着した富士山の景観認識は近代工 業社会以前の段階における山と人間との精神的関係を表す景観の顕著な見本である 。・山と人間との精神的な関係を表す景観の顕著な見本富士山では噴火が沈静化し た12世紀ごろから山頂への宗教的登山が開始され、15〜16世紀には「富士山 禅定」と呼ばれた登拝様式が整い、大衆にも拡大した。この過程で富士山は、矮小 な存在である人間が山麓の草原地帯(「草山」、「カヤ原」などと呼ばれた)にあ る神社・水垢離場で身を清め、森林地帯(「木山」、「深山」などと呼ばれた)の 山中の宗教施設等を順に経ながら、砂礫地帯(「焼山」、「ハゲ山」などと呼ばれ た)の神仏の世界あるいは他界に至るイメージで認知されるようになり、同時期に 絵画や文学作品において典型的な富士山像が成立したことを背景に、「絹本著色冨 士曼荼羅図」を代表例とする信仰上の景観認識が成立した。17世紀以降はこれら の典型的な認識を基に、さらに多様な信仰上の認識(※3)が模索され、「富士講 」と呼ばれる富士山信仰集団の隆盛や交流人口の拡大などにより、18世紀後半か ら19世紀にかけてほとんどの日本人に富士山の神聖な山としての景観認識が定着 した(※4)。この認識は近代工業社会の自然に対する考え方が一般化する以前の 山と人間との良好な精神的関係を示すものであった。、31(※3)富士山は神仙 思想における不老不死の象徴である「蓬莱山」や仏教にお
- 156 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 06:04:58.79 ID:RcU6+V3Ha.net]
- 証明1)比較軸の特定富士山の顕著な普遍的価値を表す要素を特
定し、他の同種の遺産がそれらの要素に該当するか否かを検討す ることによって比較を行う。富士山の顕著な普遍的価値は、以下 の3つの要素に整理できる。(1)山に対する固有の文化的伝統 を顕著に表わす物証として稀有な存在:富士山では山頂への参詣 などの特徴を持った山に対する宗教的な儀礼
- 157 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 06:10:41.76 ID:9gdrDp+Da.net]
- 須弥山」に見立てられた。また、主に18世紀後半より富士山の信仰上の景観認識
を立体化した「富士塚」が東京を中心に建設され、女性を含め山頂への登拝ができ ない人にとっての代参施設となった。(※4)登拝者には登山口の浅間神社や御師 の発行する富士山の信仰上の景観認識を描いた宗教画が配布されるとともに、縁起 の良いものとして富士山やその図像を拝したり、眺めることが行われた。右「富士 山のゾーニング」左「三尊九尊図」評価基準(E)顕著な普遍的意義を有する出来 事(行事)、生きた伝統、思想、信仰、芸術的作品、あるいは文学的作品と直接ま たは実質的関連がある(この基準は他の基準とあわせて用いられることが望ましい )。評価基準(E)の適用富士山と周辺の特徴的な自然が醸成する優秀な景観美や 火山としての活動は、日本人の山に対する信仰の形成の一翼を担い、今日まで継承 されている山頂への遥拝と参詣を中心とした文化的伝統は、アジア地域に顕著であ る山を神聖視する文化と深い関りを有している。写真写真焼山(ハゲ山)木山(深 山)草山(カヤ原)32また、これらの富士山の特色は古くから様々な芸術活動の 母胎ともなり、「万葉集」や「竹取物語」をはじめとする日本固有の和歌、俳句、 物語文学やこれらを主題とする絵画などの対象として日本人に良く知られていた。 特に富士山を題材にした「浮世絵」などは海外にも広く知られ、近現代の西洋芸術 に様々な影響を与えてきた。したがって、富士山は、顕著な普遍的意義を持つ生き た伝統、芸術的作品・文学的作品と直接的・実質的に関連がある景観である。・顕 著な普遍的意義を持つ生きた伝統との直接的・実質的関連アジア地域、特に東アジ ア地域では特異な形態を持った山岳の空間を神聖視し、仏教(特に密教)や道教( 神仙思想)、儒教と結びついて修行の場や宗教施設を設置する場とした。これらの 伝統は6世紀〜8世紀を中心に日本に伝えられ、日本固有の山岳信仰や神道と結び つき修験道などの信仰を生んだ。現在の富士山においてはこれらの信仰の核心部分 が登拝などの形態や儀式に伝えられている。また、富士山
- 158 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 06:10:53.88 ID:RcU6+V3Ha.net]
- 体とその周辺の地域には、神社、登山道、霊地・巡礼地となった
風穴・湧水地・湖沼などが残されている。そこでの儀礼や活動を 通じて、人々の生活の中に富士山に対する信仰の核心が継承され ている。(2)景観の顕著な見本:富士山体とその周辺の景観は 、類いまれな美しさ、神聖な空間として認知され、日本における 自然美の典型として、多くの人々に世界の山の中でも最も著目な アイコンとして共有されている。(3)顕著な普遍的意義を持つ 芸術的作品との関連性:富士山の優れた景観美は、近現代の西洋 美術に影響を与えた芸術的作品などに「関連する景観」である。 信仰の山については、2001年9月に和歌山県で開催された国 際会議「アジア・太平洋地域における信仰の山の文化的景観に関 する専門家会議」(以下、「信仰の山会議」という)において、 信仰の山の認定及び保護に関する様々なテーマと問題が討議され た。ここで、信仰の山の遺産としての価値は、有形的価値、無形 的価値の形態をとって現れるとされた。また、信仰の山の自然的 特性についても評価が可能とされた。信仰の山会議で示された指 標を参考に、富士山の顕著な普遍的価値を表す要素を勘案して、 自然的要素としては、「形状・標高」(独立峰かどうか、富士山 と同程度の標高か)、「岩盤や岩(洞窟を含む)・水域」「火山 」(火山であることに由来する特徴的な風穴・湧水地・湖沼など があるか)、有形的価値としては、「洞窟」「歴史的な巡礼路又 は参詣道」「神社」「寺院」「眺望・展望地」がそれぞれ存在す るかどうか、無形的価値としては、「継続性」(崇拝儀礼などが 今も行われているか)、「存在」(山自体が信仰の対象か)、「 慣習」(登拝、遙拝を行っているか)、「アイデンティティ」( 山自体が国、民族の象徴となっているか)、「知名度」(富士山 と同程度(山頂までの登山者が30万人、山麓が4,000万人 )の訪問者があるか)、といった観点から、評価することとする 。同様に、顕著な普遍的意義を持つ芸術的作品との関連性につい ては、山の景観美が芸術作品を産み出す母胎となったかどうか、 またそれらの作品群が海外にも広く知られ、世界史に大きな影響 を35与えたかどうか、といった観点から、
- 159 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 06:16:25.26 ID:9gdrDp+Da.net]
- 岳やアジア地域の山岳においても形態は異なるとはいえ山を神聖視することをその
根本に据えた文化的伝統が数多く行われている。したがって、富士山は顕著な普遍 的価値を持つ生きた伝統と直接的・実質的に関連がある景観である。・顕著な普遍 的意義を持つ芸術作品との直接的・実質的関連独立峰である富士山の周囲には湖や 海と組み合わされた富士山の優れた景観を望む展望地があり、今日に至るまで多く の芸術作品を創造する場となった。これらの富士山を題材
- 160 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 06:16:37.23 ID:RcU6+V3Ha.net]
- 。2)海外同種資産の特定同種資産の特定にあたっては、評価基
準に関するものとしては、@「信仰の山会議」で信仰の山と紹介 されている山岳、評価基準に関するものとしては、A世界遺産リ ストの概要で芸術への明確な関連性が示されている山岳、B海外 の専門家による研究書等で芸術の山として紹介されている山岳等 を抽出した。また、両方の基準に関するものとしては、Cイコモ スによる研究書「FillingtheGaps」の類型別分析 ・テーマ別分析、D文化的景観に関する研究書の分析を行った。 具体的には、Bでは、の三つの文献を対象として資産を抽出した 。Cでは、「文学・芸術への関連性、演劇」、「聖なる山」、「 アジア・太平洋地域の土着信仰」に関する山岳等を抽出した。D では、ユネスコ世界遺産センターから刊行されたPeterJ. Fowler氏による研究書の中で、山が特徴として挙げられて いる資産のうち、「美的資質」、「集団のアイデンティティ」、 「信仰、聖地、神聖性」の特徴を持つ資産を抽出した。以上より 、富士山の比較対象とする海外の同種資産は表1の34件となる 。その中では富士山との共通性のあるものに、共通性の大きいも のにがしてある。信仰面では、上記の無形的側面での共通性があ るもの、芸術面では山自体が絵画の題材とされ、画派等を生むな ど、美術史への影響力があるものを共通性が大きいとしている。 が付された比較対象について、1)で示した比較軸である信仰の 物証(自然的特性、有形的側面、無形的側面)、芸術作品との関 連性により、同種資産を整理すると表2、表3のとおりになる。 36表1:比較対象とした海外の山岳等(34件)番号山名資産 名評価基準国名信仰芸術1ウルル、カタ・ジュタウルル−カタ・ ジュタ国立公園オーストラリア2サバラン山サバラン−イラン3 スライマン−トースライマン−トー聖山キルギス4プーカオ山チ ャンパサック県の文化的景観にあるワット・プーと関連古代遺産 群ラオス5ボグドハン山、ブルカン・カルドゥン山、オトゴン・ テンゲル山モンゴルの聖なる山:ボグドハン山、ブルカン・カル ドゥン山、オトゴン・テンゲル山−モンゴル6ヒマラヤ山脈サガ ルマータ国立公園(F)ネパール7ルアペフ
- 161 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 06:22:41.02 ID:9gdrDp+Da.net]
- 最も海外に影響を与えた作品は葛飾北斎の浮世絵「冨嶽三十六景」である。19世
紀前半に作成されたこの一連の作品は、日本の開国に伴い西洋に輸出され、他の浮 世絵とともにその構図や表現方法がジャポニスムと呼ばれた西洋における日本芸術 の流行を生み、モネ、ゴッホといった印象派の画家に大きな影響を与え、アールヌ ーボーが発生する一因となった。そのほか、富士山と三保松原を舞台に富士山に関 わる伝説をモチーフとした能(謡曲)「羽衣」は文学におけるモダニズムに影響を 与えた作品である。また、19世紀後半から20世紀初頭にかけて、日本が万国博 覧会などで意図的に出品した富士山を題材にした絵画・工芸作品や、富士山を意匠 に用いた日本の輸出品は、富士山を描いた浮世絵や日本を訪れた外国人が富士山か らインスピレーションを得て記述した紀行文の文学的表現などとともに多くの世界 の人々に他の世界の著名な山と明確に区別される富士山の景観イメージを広めるこ とに貢献した。文学では海外に良く知られた「万葉集」以来、数多くの和歌や俳句 などによってその崇高さや美しさが称えられ、近代以降も海外にも知られた文学者 (※夏目漱石「三四郎」・太宰治「富岳百景」など)によるものをはじめ富士山を 舞台とした作品が生み出された。写真写真左「神奈川沖浪裏」右「凱風快晴」葛飾 北斎「冨嶽三十六景」より(1831〜36年)33写真ゴッホ「タンギー爺さん 」b)顕著な普遍的価値の証明a)において証明した評価基準への適合性の証明の 結果として、「富士山」は以下に記す観点から顕著な普遍的価値を持つ。顕著な普 遍的価値の言明富士山は、日本を代表し象徴する日本最高峰(標高3776m)の 秀麗な独立した火山として世界的に著名であり、その自然的美しさと崇高さを基盤 として日本人の自然に対する信仰の在り方や、海外に影響を与えた葛飾北斎や歌川 広重などによる顕著な普遍的価値を持つ「浮世絵」などの日本独特の芸術文化を育 んだ「名山」である。富士山は、山岳に対する信仰の在り方や芸術活動などを通じ 、時代を超えて一国の文化の諸相と極めて深い関連性を示
- 162 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 06:22:53.33 ID:RcU6+V3Ha.net]
- トンガリロ山トンガリロ国立公園ニュージーランド8泰山泰山中
国9黄山黄山中国10武当山武当山の古代建築物群中国11廬山 廬山国立公園中国12峨眉山峨眉山と楽山大仏中国13武夷山武 夷山中国14青城山青城山と都江堰水利(灌漑)施設中国15三 清山三清山国立公園中国16五台山五台山中国17華山、衡山、 恒山、崇山泰山の登録拡大として四つの聖山−中国18雁蕩山雁 蕩山−中国19南山慶州歴史地区韓国20漢拏山済州火山島と溶 岩洞窟群韓国アジア・太平洋地域21アダムスピークピーク野生 保護区、ホートンプレインズ国立公園、ナックレス山脈−スリラ ンカ22アパラチア山脈グレート・スモーキー山脈国立公園アメ リカ23キラウェア山ハワイ火山国立公園アメリカ24ロッキー 山脈カナディアン・ロッキー山脈自然公園群、恐竜州立自然公園 、ウォータートン・グレーシャー国際平和自然公園、イエロース トーン国立公園カナダ・アメリカ25シナイ山聖カトリーナ修道 院エジプト26サント・ヴィクトワール山サント・ヴィクトワー ル山とセザンヌに関連する土地−フランス27ペルデュ山ピレネ ー山脈−ペルデュ山スペイン及びフランス28アトス山アトスギ リシャ29オリンポス山オリンポス山周辺−ギリシャ30ドロミ テ山塊ドロミテイタリア31ケニア山ケニア山国立公園/自然林 ケニア32ワスカラン山ワスカラン国立公園ペルー33スイス・ アルプス(ユングフラウ−アレッチュ峰、ビチホルン峰ほか)ス イス・アルプスユングフラウ−アレッチュスイスアジア・太平洋 地域以外34キリマンジャロ山キリマンジャロ国立公園タンザニ ア37表2:信仰関連の山岳等番信仰の物証号山名自然的要素、 有形的側面無形的側面1ウルルカタ・ジュタ・ウルルは単一の岩 石・アボリジニにとって、ウルル−カタ・ジュタの岩は伝統的な 信仰の中で不可欠なものである。・山自体が信仰の対象であり、 遙拝といった信仰形態をもつ。3スライマン−トー・参詣道、岩 面陰刻・中央アジア随一の聖なる山とされ、ムスリムの聖地であ る。前イスラム教とイスラム教を融合した信仰形態が残る。・山 頂を目指すという行為自体に宗教的意義付けがない(登拝といっ た信仰形態をもたない)。4プーカオ山寺院
- 163 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 06:29:23.29 ID:9gdrDp+Da.net]
- 物証であるのみならず、人間と自然との良好で継続的な関係を示す景観の傑出した
類型として、世界的にも類例を見ない顕著な普遍的価値を持つ山である。富士山の 山体とその周辺の地域には、宗教的な儀礼・活動の場となった神社、登山道と関連 遺跡群、霊地・巡礼地となった風穴・湧水地・湖沼などが残され、そこでの儀礼や 活動を通じて、人々の生活の中に富士山に対する信仰の核心が継承されている。ま た、富士山信仰の中で山体・樹叢・湖沼などの自然環境を基盤とし、体系化された 神社等の建築群・登山道・宗教施設を経て山頂に参詣する宗教的な儀礼・活動が成 立した。これが発展し、18〜19世紀にかけて富士山は大規模な大衆による宗教 的登山及びその体系の典型的存在となり、この体系の核心は現代の登山に継承され ている。現在でも、富士山は日本を代表し象徴する最高峰として老若男女を問わず 憧れ親しむ「名山」である。加えて、富士山と周辺の特徴的な自然が醸成する美し さと崇高さは、信仰上の景観として捉えられただけでなく、古くから様々な芸術活 動の母胎となり、「万葉集」をはじめとする日本固有の和歌や俳句、絵画などの対 象として日本人に良く知られていた。特に富士山を題材にした「浮世絵」などは海 外にも広く知られ、近現代の西洋芸術に様々な影響を与えてきたものである。さら に、これらの芸術と富士山やその景観美を紹介した外国人の著作を通じて、富士山 が一つの国の文化を代表する「名山」であることは国際的に認知されるに至ってい る。34写真写真本栖湖からの富士山三保松原からの富士山c)比較検討による証 明1)比較軸の特定富士山の顕著な普遍的価値を表す要素を特定し、他の同種の遺 産がそれらの要素に該当するか否かを検討することによって比較を行う。富士山の 顕著な普遍的価値は、以下の3つの要素に整理できる。(1)山に対する固有の文 化的伝統を顕著に表わす物証として稀有な存在:富士山では山頂への参詣などの特 徴を持った山に対する宗教的な儀礼・活動が成立し、山体とその周辺の地域には、 神社、登山道、霊地・巡礼地となった風穴・湧水地・湖沼
- 164 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 06:29:30.97 ID:RcU6+V3Ha.net]
- バ神の象徴)・シバ神の住む山である。・山頂から麓の川に至る
までに建てられた寺院群はヒンズー教の宇宙観を表現する配置で ある。6ヒマラヤ山脈・同程度以上の標高(エベレスト8848 m)・修道院、寺院・神々の住処として崇拝される空想的な山で あるメール山(スメール山、須弥山)が地上に顕現・チベット仏 教、ボン教、ヒンズー教、ジャイナ教の聖地・ヒンズー教の聖典 の一つには人間の罪はヒマラヤを見れば消滅する、とある。・登 山許可は下りない。7ルアペフ山ナウルホエ
- 165 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 06:35:13.12 ID:9gdrDp+Da.net]
- こでの儀礼や活動を通じて、人々の生活の中に富士山に対する信仰の核心が継承さ
れている。(2)景観の顕著な見本:富士山体とその周辺の景観は、類いまれな美 しさ、神聖な空間として認知され、日本における自然美の典型として、多くの人々 に世界の山の中でも最も著目なアイコンとして共有されている。(3)顕著な普遍 的意義を持つ芸術的作品との関連性:富士山の優れた景観美は、近現代の西洋美術 に影響を与えた芸術的作品などに「関連する景観」である。信仰の山については、 2001年9月に和歌山県で開催された国際会議「アジア・太平洋地域における信 仰の山の文化的景観に関する専門家会議」(以下、「信仰の山会議」という)にお いて、信仰の山の認定及び保護に関する様々なテーマと問題が討議された。ここで 、信仰の山の遺産としての価値は、有形的価値、無形的価値の形態をとって現れる とされた。また、信仰の山の自然的特性についても評価が可能とされた。信仰の山 会議で示された指標を参考に、富士山の顕著な普遍的価値を表す要素を勘案して、 自然的要素としては、「形状・標高」(独立峰かどうか、富士山と同程度の標高か )、「岩盤や岩(洞窟を含む)・水域」「火山」(火山であることに由来する特徴 的な風穴・湧水地・湖沼などがあるか)、有形的価値としては、「洞窟」「歴史的 な巡礼路又は参詣道」「神社」「寺院」「眺望・展望地」がそれぞれ存在するかど うか、無形的価値としては、「継続性」(崇拝儀礼などが今も行われているか)、 「存在」(山自体が信仰の対象か)、「慣習」(登拝、遙拝を行っているか)、「 アイデンティティ」(山自体が国、民族の象徴となっているか)、「知名度」(富 士山と同程度(山頂までの登山者が30万人、山麓が4,000万人)の訪問者が あるか)、といった観点から、評価することとする。同様に、顕著な普遍的意義を 持つ芸術的作品との関連性については、山の景観美が芸術作品を産み出す母胎とな ったかどうか、またそれらの作品群が海外にも広く知られ、世界史に大きな影響を 35与えたかどうか、といった観点から、評価することと
- 166 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 06:35:25.17 ID:RcU6+V3Ha.net]
- 山・マオリにとってこれらの山は文化的・宗教的な重要性を持っ
ており、そのコミュニティと環境との間の精神的なつながりを象 徴している。・山自体が信仰の対象であり、遙拝といった信仰形 態をもつ。8泰山・参詣道、寺院・小泰山(山頂まで登れない人 が泰山の代わりに祈る場所)・儒教・仏教・道教の
- 167 名前:聖地である。
・秦の時代より、皇帝即位の際の儀式である「封禅の儀」を執り 行っていた。・宗教施設が山頂、山中に点在するため、参拝が登 山の形態をとるが、登山行為自体に宗教的な意義を求める登拝と は異なるものである。11廬山参詣道、寺院・中国の近代政治上 、重要な場所とされている。・山自体ではなく、山に築かれた宗 教施設が信仰の対象である。・仏教、道教、儒教の聖地とされ、 キリスト教、イスラム教の施設も建てられている。12峨眉山・ 同程度以上の標高(万仏頂3099m)・参詣道、寺院・中国に おける仏教の最初の聖地。・山に築かれた宗教施設や日の出・ブ ロッケン現象といった自然現象が信仰の対象。宗教施設が山頂・ 山中に点在するため、参拝が登山の形態をとるが、登山行為自体 に宗教的な意義を求める登拝とは異なる。13武夷山・参詣道、 寺院・南中国での道教と新儒教の源であり、朱子が生涯の大部分 を過ごした地である。・山自体ではなく、山に築かれた宗教施設 が信仰の対象。16五台山・同程度以上の標高(葉頭峰3058 m)・参詣道、寺院、小朝台(朝台を簡略化した祈る場所)・中 国仏教四名山の一つで、文殊菩薩が悟りを開いた地とされる。・ 自然景観を神聖なものとしているが、5つの台頂に築かれた寺院 に参詣すること(「朝台」)が最大の願いである。20漢拏山・ 独立峰、火山・参詣道・韓国の最高峰の火山で、聖なる儀式の場 としても使用された溶岩洞窟を多く持つ。・山自体よりも山中の 石に対する信仰が強い。21アダムスピークストゥーパ、沐浴場 ・釈迦が訪問した地とされる。・山頂に聖なる足跡があり、仏教 、ヒンドゥー教、イスラム教それぞれの聖地とされ、巡礼者が訪 れる。25シナイ山修道院・シナイ山は、旧約聖書において、モ ーセに神からユダヤ教の聖典と十戒が渡された場である。28ア トス山寺院、修道院・古代ギリシャの聖なる [] - [ここ壊れてます]
- 168 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 06:41:25.11 ID:9gdrDp+Da.net]
- の特定同種資産の特定にあたっては、評価基準に関するものとしては、@「信仰の
山会議」で信仰の山と紹介されている山岳、評価基準に関するものとしては、A世 界遺産リストの概要で芸術への明確な関連性が示されている山岳、B海外の専門家 による研究書等で芸術の山として紹介されている山岳等を抽出した。また、両方の 基準に関するものとしては、Cイコモスによる研究書「FillingtheGa ps」の類型別分析・テーマ別分析、D文化的景観に関す
- 169 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 06:41:37.35 ID:RcU6+V3Ha.net]
- 54年にギリシャ正教の中心地として定められ、現在も修道士た
ちの隠棲の地であり、敬虔な宗教活動が続けられている(女人禁 制)。入場者はごく少数に制限されている。34キリマンジャロ 山・同程度以上の標高(キボ峰5895m)・地域の神が住む場 所と考えられ、東アフリカの人々は死者を埋葬する。・チャガ族 (キリマンジャロ山麓に居住する部族)は、神の住む場所として おり、彼らの伝承や慣習には、山への高い敬意が表されている。 38表3:芸術関連の山岳等番号山名芸術作品との関連性8泰山 ・数多くの詩や文が残る。・山頂の風景が紙幣の図柄になるなど 、中国人の精神的シンボルと捉えられている。9黄山・絵画は数 多く描かれ、黄山画派と呼ばれた。11廬山・山水画、山水詩は 多数作られ、特に「観瀑図」は日本の画家にも大きな影響を与え た。22アパラチア山脈・フレデリック・チャーチやトーマス・ コールといったアメリカの風景画家に描かれている。24ロッキ ー山脈・19世紀のアメリカ人画家、アルバート・ビエスタッド の描く絵画は、ロマン主義運動の理念を最も劇的に具現化してお り、”ロッキーマウンテン画派”の指導者であった。・富士山と 同程度以上の標高(エルバート山4401m)26サント・ヴィ クトワール山・20世紀の初頭、フランス人画家、ポール・セザ ンヌによって、風景画に対して根本的に異なるアプローチが始め られ、西洋美術作品の中でも最も有名な山となった。27ペルデ ュ山・この風景は生活の伝統(牧畜との暮らし、国境の文化、ピ レネー独特の文化)と芸術・文学作品が関連して、顕著な普遍的 価値を構成。(レイモンド・デ・カルボニエ、ヘンリー・ラッセ ル、ヴィクトル・ユゴー等)。・ヨーロッパ芸術の中でロマン主 義が発展していく上で重要な役割を果たした。・富士山と同程度 以上の標高(3352m)33スイスアルプス(ユングフラウ峰 、ビーチホルン峰、ほか)・印象的な風景はヨーロッパ芸術、文 学等において重要な役割を担った。・レオナルド・ダ・ヴィンチ はモンテ・ローザのスケッチをモナリザの背景として描いた。・ 富士山と同程度以上の標高(フィンスターアールホルン4274 m)3)国内同種資産の特定同様の方法で、
- 170 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 06:47:33.92 ID:9gdrDp+Da.net]
- 。具体的には、Bでは、の三つの文献を対象として資産を抽出した。Cでは、「文
学・芸術への関連性、演劇」、「聖なる山」、「アジア・太平洋地域の土着信仰」 に関する山岳等を抽出した。Dでは、ユネスコ世界遺産センターから刊行されたP eterJ.Fowler氏による研究書の中で、山が特徴として挙げられている 資産のうち、「美的資質」、「集団のアイデンティティ」、「信仰、聖地、神聖性 」の特徴を持つ資産を抽出した。以上より、富士山の比較対象とする海外の同種資 産は表1の34件となる。その中では富士山との共通性のあるものに、共通性の大 きいものにがしてある。信仰面では、上記の無形的側面での共通性があるもの、芸 術面では山自体が絵画の題材とされ、画派等を生むなど、美術史への影響力がある ものを共通性が大きいとしている。が付された比較対象について、1)で示した比 較軸である信仰の物証(自然的特性、有形的側面、無形的側面)、芸術作品との関 連性により、同種資産を整理すると表2、表3のとおりになる。36表1:比較対 象とした海外の山岳等(34件)番号山名資産名評価基準国名信仰芸術1ウルル、 カタ・ジュタウルル−カタ・ジュタ国立公園オーストラリア2サバラン山サバラン −イラン3スライマン−トースライマン−トー聖山キルギス4プーカオ山チャンパ サック県の文化的景観にあるワット・プーと関連古代遺産群ラオス5ボグドハン山 、ブルカン・カルドゥン山、オトゴン・テンゲル山モンゴルの聖なる山:ボグドハ ン山、ブルカン・カルドゥン山、オトゴン・テンゲル山−モンゴル6ヒマラヤ山脈 サガルマータ国立公園(F)ネパール7ルアペフ山、ナウルホエ山、トンガリロ山 トンガリロ国立公園ニュージーランド8泰山泰山中国9黄山黄山中国10武当山武 当山の古代建築物群中国11廬山廬山国立公園中国12峨眉山峨眉山と楽山大仏中 国13武夷山武夷山中国14青城山青城山と都江堰水利(灌漑)施設中国15三清 山三清山国立公園中国16五台山五台山中国17華山、衡山、恒山、崇山泰山の登 録拡大として四つの聖山−中国18雁蕩山雁蕩山−中国1
- 171 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 06:47:46.16 ID:RcU6+V3Ha.net]
- いて、世界遺産登録物件または暫定リストから抽出すると、表4
のとおり3つの山が考えられ、特に共通性が認められる2件につ いて評価を行った(表5)。表4:比較対象とした国内の山岳等 (3件)39表5:信仰、芸術関連の国内の山岳等(2件)信仰 の物証番号山名自然的要素有形的側面無形的側面芸術作品との関 連性1紀伊山地参詣道、神社、寺院、滝・日本古来の自然崇拝の 思想と大陸から伝来した仏教とが融合して形成された修験道など の行場としても重視され発展した。・山自体が修験の場であり、 山中で廻峰行という宗教行為が行われている。神聖性の高い自然 及び継続的に行われている宗教儀礼は、信仰の山の文化的景観を 構成する要素として優秀かつ多様である。2瀰山神社・古くは彌 山を含む島全体を神聖視し、対岸から遙拝していたのであるが、 やがて水際に社殿が成立し、彌山を含めた背後の山腹が社殿群の 背景的効果をもつ自然景観として重要視された。神道の施設であ り、仏教との混交と分離の歴史を示す文化遺産として、日本の宗 教的空間の特質を理解する上で重要な根拠である。番号山名資産 名評価基準信芸国名仰術1紀伊山地紀伊山地の霊場と参詣道日本 2瀰山厳島神社日本3御蓋山(春日山)古都奈良の文化財日本4 04)結論以上の比較分析から、他の信仰・芸術に関連する山と 比べて、推薦資産は、以下の3つの点で顕著な普遍的価値を持つ 事例であると言える。(1)海外の信仰関連の山岳との比較富士 山は、8世紀以降、噴火を鎮めるため山麓に浅間神社が建てられ た。12世紀に修験者の道として登山道が開かれ、15〜16世 紀には修験者に引率され、登拝を中心とした宗教的な活動が盛ん となった。山体につくられた宗教施設だけでなく、溶岩洞穴・樹 型・湧水地も巡礼・修行の場となった。この結果、登拝の行為を 通じて周辺の神社及び巡礼地、参詣道が形成された。このように 、富士山は、今日まで継承された山に対する固有の文化的伝統を 顕著に表す物証であるとともに、人間と山との精神的な関係を表 す景観であり、18〜19世紀は既に年平均1〜2万人という世 界的にも類例のない大衆による高山への登拝が行われるようにな った。富士山は、(ケニア山やキリマンジャ
- 172 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 06:53:58.99 ID:9gdrDp+Da.net]
- 20漢拏山済州火山島と溶岩洞窟群韓国アジア・太平洋地域21アダムスピークピ
ーク野生保護区、ホートンプレインズ国立公園、ナックレス山脈−スリランカ22 アパラチア山脈グレート・スモーキー山脈国立公園アメリカ23キラウェア山ハワ イ火山国立公園アメリカ24ロッキー山脈カナディアン・ロッキー山脈自然公園群 、恐竜州立自然公園、ウォータートン・グレーシャー国際平和自然公園、イエロー ストーン国立公園カナダ・アメリカ25シナイ山聖カトリーナ修道院エジプト26 サント・ヴィクトワール山サント・ヴィクトワール山とセザンヌに関連する土地− フランス27ペルデュ山ピレネー山脈−ペルデュ山スペイン及びフランス28アト ス山アトスギリシャ29オリンポス山オリンポス山周辺−ギリシャ30ドロミテ山 塊ドロミテイタリア31ケニア山ケニア山国立公園/自然林ケニア32ワスカラン 山ワスカラン国立公園ペルー33スイス・アルプス(ユングフラウ−アレッチュ峰 、ビチホルン峰ほか)スイス・アルプスユングフラウ−アレッチュスイスアジア・ 太平洋地域以外34キリマンジャロ山キリマンジャロ国立公園タンザニア37表2 :信仰関連の山岳等番信仰の物証号山名自然的要素、有形的側面無形的側面1ウル ルカタ・ジュタ・ウルルは単一の岩石・アボリジニにとって、ウルル−カタ・ジュ タの岩は伝統的な信仰の中で不可欠なものである。・山自体が信仰の対象であり、 遙拝といった信仰形態をもつ。3スライマン−トー・参詣道、岩面陰刻・中央アジ ア随一の聖なる山とされ、ムスリムの聖地である。前イスラム教とイスラム教を融 合した信仰形態が残る。・山頂を目指すという行為自体に宗教的意義付けがない( 登拝といった信仰形態をもたない)。4プーカオ山寺院、山頂のリンガ(シバ神の 象徴)・シバ神の住む山である。・山頂から麓の川に至るまでに建てられた寺院群 はヒンズー教の宇宙観を表現する配置である。6ヒマラヤ山脈・同程度以上の標高 (エベレスト8848m)・修道院、寺院・神々の住処として崇拝される空想的な 山であるメール山(スメール山、須弥山)が地上に顕現・
- 173 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 06:54:11.17 ID:RcU6+V3Ha.net]
- ウルル等に代表されるような)原始的な山岳信仰のあり方から、
(泰山等の中国の山々やアトス山やシナイ山等に代表されるよう な)多様な宗教の介入によって生み出された信仰のあり方まで、 そのいずれも失うことなく現在に至るまで継承している。信仰に 関連する山の多くは、山自体ではなく、山麓に点在する宗教施設 や石仏が信仰の対象であり、そうした宗教施
- 174 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 07:00:21.29 ID:9gdrDp+Da.net]
- ヒンズー教、ジャイナ教の聖地・ヒンズー教の聖典の一つには人間の罪はヒマラヤ
を見れば消滅する、とある。・登山許可は下りない。7ルアペフ山ナウルホエ山ト ンガリロ山・火山・マオリにとってこれらの山は文化的・宗教的な重要性を持って おり、そのコミュニティと環境との間の精神的なつながりを象徴している。・山自 体が信仰の対象であり、遙拝といった信仰形態をもつ。8泰山・参詣道、寺院・小 泰山(山頂まで登れない人が泰山の代わりに祈る場所)・儒教・仏教・道教の聖地 である。・秦の時代より、皇帝即位の際の儀式である「封禅の儀」を執り行ってい た。・宗教施設が山頂、山中に点在するため、参拝が登山の形態をとるが、登山行 為自体に宗教的な意義を求める登拝とは異なるものである。11廬山参詣道、寺院 ・中国の近代政治上、重要な場所とされている。・山自体ではなく、山に築かれた 宗教施設が信仰の対象である。・仏教、道教、儒教の聖地とされ、キリスト教、イ スラム教の施設も建てられている。12峨眉山・同程度以上の標高(万仏頂309 9m)・参詣道、寺院・中国における仏教の最初の聖地。・山に築かれた宗教施設 や日の出・ブロッケン現象といった自然現象が信仰の対象。宗教施設が山頂・山中 に点在するため、参拝が登山の形態をとるが、登山行為自体に宗教的な意義を求め る登拝とは異なる。13武夷山・参詣道、寺院・南中国での道教と新儒教の源であ り、朱子が生涯の大部分を過ごした地である。・山自体ではなく、山に築かれた宗 教施設が信仰の対象。16五台山・同程度以上の標高(葉頭峰3058m)・参詣 道、寺院、小朝台(朝台を簡略化した祈る場所)・中国仏教四名山の一つで、文殊 菩薩が悟りを開いた地とされる。・自然景観を神聖なものとしているが、5つの台 頂に築かれた寺院に参詣すること(「朝台」)が最大の願いである。20漢拏山・ 独立峰、火山・参詣道・韓国の最高峰の火山で、聖なる儀式の場としても使用され た溶岩洞窟を多く持つ。・山自体よりも山中の石に対する信仰が強い。21アダム スピークストゥーパ、沐浴場・釈迦が訪問した地とされる
- 175 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 07:00:33.76 ID:RcU6+V3Ha.net]
- の道が整備されている。また、一部は山頂にそうした宗教施設が
あるため、参拝が登山の形態をとるが、富士山のように登山行為 自体に宗教的な意義を求める登拝とは異なるものである。アダム ス・ピークは多くの巡礼者が登山の形態をとるが、頂上の聖なる 足跡とされる岩を目指す点で、宗教施設に参拝する形態と類似す るものであり、富士山とは異なると考える。また、一部の山岳は その聖なるがゆえに登山を制限しており、登拝はなく、遙拝とい う信仰形態しか持たない山もある。信仰の山の自然的要素である 標高については、自然遺産を中心に富士山よりも高い山も存在す るが、その標高に比した登頂者の多さ(年約30万人)は他に例 がなく、山頂部への道路や軌道によるアクセスがないことから、 登頂者は徒歩6時間以上かけて、山頂部を目指すことになる。こ うした登山形態は、日本では20世紀前半に開花する近代アルピ ニズムに起源するものではなく、17世紀以降の江戸(現在の東 京)を中心に数多く組織された富士講の登拝活動を母胎に発展し たものである。このことは、人々の生活の中に富士山に対する信 仰の核心が継承され、今日でも富士山は日本を代表し象徴する最 高峰として老若男女を問わず憧れ親しむ「名山」であることを示 している。また、富士山への登山は夜明け前の山頂到着を目指す 登山者が多いことにも特徴がある。これは、山頂付近で日の出を 拝むためであるが、17世紀以降、道者が山頂周辺において「御 来迎(仏の来迎と見なされたブロッケン現象)」(のち「御来光 (日の出)」)を拝んだことに由来する。こうした自然現象に宗 教的な意義を見出す傾向は、比較対象の中では峨眉山以外には見 あたらない。IUCNが2009年に行ったテーマ別研究である 「世界遺産の火山」では、世界遺産一覧表には一般の人々が一様 に認めている火山の多くが含まれていないことは興味深いとし、 その例として、イタリアのエトナ火山や富士山などを挙げている 。とくに富士山は、火山とその周辺地域に訪れる年間の観光客が 地球上のどの火山よりも多い点で重要とされている。こうしたギ ャップを埋めるために、知名度、科学的重要性、文化及び教育的 価値を基準に個々の長所を検討すべきとして
- 176 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 07:06:31.46 ID:9gdrDp+Da.net]
- あり、仏教、ヒンドゥー教、イスラム教それぞれの聖地とされ、巡礼者が訪れる。
25シナイ山修道院・シナイ山は、旧約聖書において、モーセに神からユダヤ教の 聖典と十戒が渡された場である。28アトス山寺院、修道院・古代ギリシャの聖な る山であった。・1054年にギリシャ正教の中心地として定められ、現在も修道 士たちの隠棲の地であり、敬虔な宗教活動が続けられている(女人禁制)。入場者 はごく少数に制限されている。34キリマンジャロ山・同
- 177 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 07:06:43.77 ID:RcU6+V3Ha.net]
- 外の芸術関連の山岳との比較独立峰であり、高い標高を持つ富士
山の秀麗な姿は、四方の広い範囲から眺めることができ、古くか ら芸術活動の対象となった。これら富士山を題材にした芸術作品 のうち、最も海外に影響を与えた作品は、葛飾北斎の浮世絵「冨 嶽三十六景」である。この一連の作品は、ジャポニスムと呼ばれ た西洋における日本芸術の流行を生み、モネ、ドガなどの西欧の 印象派の画家達は浮世絵から、構図、デフォルメ、平面的な表現 技法を学んでいる。また、アールヌーボーが発生する一因ともな った。芸術的作品との関連性では、比較対象資産の関連する多く の芸術作品が、周囲の山々や景観を合わせて描いたものである。 また、そうした芸術作品との密接な関連を持ち、アメリカの山々 のように芸術史の上で一つの流派を形成したものもあるが、その 作品の影響は国内に留まる。また、中国の山水画は日本にも大き な影響を与えたが、近世以降で美術史に影響をもたらす芸術作品 を生み出す母胎となった山は富士山しかない。山と芸術作品との 密接な関連を持つ代表例は、セザンヌが描いたサント・ビクトワ ール山があり、これはその作品の多さからも西洋美術で最も著名 な山とされるが、富士山を題材とした浮世絵がセザンヌの出自で ある印象派にも大きな影響を及ぼしたことを考慮すると、そうし た浮世絵の制作を喚起した富士山の優位性は揺るがない。(3) 国内同種資産との比較信仰との関連性では、比較対象の資産では 、古くは山自体が神聖視されたが、その後は宗教施設が発展し、 山は背景となっていった。紀伊山地では、修験道の道場として山 々をめぐる行為が宗教行為とされており、富士山でもその初期に おいてはこうした修験者による登山が中心であったが、富士山に ついては、その後、修験者に導かれた一般人の登拝が増加し、1 8世紀後半より東京を中心に流行した富士講による大衆登山へと 発展していった。現在も夏を中心に30万人が徒歩による富士山 の登山を体験しており、こうした信仰の核心が多くの人々に継承 されている点において富士山の優位性は明らかである。芸術作品 との関連性では、比較対象の資産では、評価基準(E)は信仰の 空間との関連性で用いられており、関連する
- 178 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 07:12:17.70 ID:9gdrDp+Da.net]
- 5895m)・地域の神が住む場所と考えられ、東アフリカの人々は死者を埋葬す
る。・チャガ族(キリマンジャロ山麓に居住する部族)は、神の住む場所としてお り、彼らの伝承や慣習には、山への高い敬意が表されている。38表3:芸術関連 の山岳等番号山名芸術作品との関連性8泰山・数多くの詩や文が残る。・山頂の風 景が紙幣の図柄になるなど、中国人の精神的シンボルと捉えられている。9黄山・ 絵画は数多く描かれ、黄山画派と呼ばれた。11廬山・山水画、山水詩は多数作ら れ、特に「観瀑図」は日本の画家にも大きな影響を与えた。22アパラチア山脈・ フレデリック・チャーチやトーマス・コールといったアメリカの風景画家に描かれ ている。24ロッキー山脈・19世紀のアメリカ人画家、アルバート・ビエスタッ ドの描く絵画は、ロマン主義運動の理念を最も劇的に具現化しており、”ロッキー マウンテン画派”の指導者であった。・富士山と同程度以上の標高(エルバート山 4401m)26サント・ヴィクトワール山・20世紀の初頭、フランス人画家、 ポール・セザンヌによって、風景画に対して根本的に異なるアプローチが始められ 、西洋美術作品の中でも最も有名な山となった。27ペルデュ山・この風景は生活 の伝統(牧畜との暮らし、国境の文化、ピレネー独特の文化)と芸術・文学作品が 関連して、顕著な普遍的価値を構成。(レイモンド・デ・カルボニエ、ヘンリー・ ラッセル、ヴィクトル・ユゴー等)。・ヨーロッパ芸術の中でロマン主義が発展し ていく上で重要な役割を果たした。・富士山と同程度以上の標高(3352m)3 3スイスアルプス(ユングフラウ峰、ビーチホルン峰、ほか)・印象的な風景はヨ ーロッパ芸術、文学等において重要な役割を担った。・レオナルド・ダ・ヴィンチ はモンテ・ローザのスケッチをモナリザの背景として描いた。・富士山と同程度以 上の標高(フィンスターアールホルン4274m)3)国内同種資産の特定同様の 方法で、日本国内の資産について、世界遺産登録物件または暫定リストから抽出す ると、表4のとおり3つの山が考えられ、特に共通性が認
- 179 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 07:12:30.14 ID:RcU6+V3Ha.net]
- な題材とする作品が多い。富士山は、和歌や俳句、絵画、文学の
多くの分野においても、数多くの作品を輩出し、その中には葛飾 北斎の浮世絵「冨嶽三十六景」のように西洋の美術史に大きな影 響を与えた作品もある。その多様性や生み出した芸術作品の影響 の大きさの面でも富士山の優位性は明らかである。(4)結語こ のように、富士山においては、登拝等により、信仰の核心が現代 の多くの人たちに受け継がれ、また、浮世絵等により、近代の西 欧芸術史に大きな影響を及ぼした。富士山は、信仰のあり方、芸 術の両面で、古代から現代まで影響を与えている唯一の山であり 、世界的にも類例を見ない顕著な普遍的価値を持つ山岳である。 42d)真実性及び完全性1)完全性推薦資産の範囲は、「ある 文化的伝統の存在を伝承する物証として希有な存在」として神聖 視され、「歴史上の重要な段階を物語る景観を代表する顕著な見 本」として認知された富士山の範囲が適切に確保されているとと もに、「顕著な普遍的意義を有する芸術的作品及び文学的作品と の直接または実質的な関連性」を示す富士山体の範囲も、数々の 顕著な普遍的意義を有する作品に共通して描かれた最大の範囲に 相当しており、資産の重要性を伝える諸要素・過程を完全に表す 上で適切な範囲が確保されている。(図面挿入:主要な展望地点 から見た資産範囲を示した正面図)また、登山道、神社並びに富 士五湖などの儀式・修行・巡礼の場や、適切な展望線を確保した 主要な展望地点といった、顕著な普遍的価値を表すのに必要な全 ての要素を包含している。登山道は、信仰登山が盛んに行われて いた18〜19世紀に認識されていた登山道を全て含み、登山道 の起点となる浅間神社も不足なく資産に含まれている。その他、 御室浅間神社や河口浅間神社といった富士山信仰を語る上で欠か すことの出来ない重要な浅間神社や、富士講を迎えて登拝の世話 を行った御師の住宅、富士講がオプショナル・ツアー的に巡礼・ 修行を行った地として代表的な湖沼、滝、風穴・溶岩樹型も全て 資産を構成する要素として推薦範囲に含めている。それらは、周 辺に必要十分な範囲の緩衝地帯を設定しており、負の影響を与え る可能性の行為に対して適切な法的規制を行
- 180 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 07:18:03.42 ID:9gdrDp+Da.net]
- 価を行った(表5)。表4:比較対象とした国内の山岳等(3件)39表5:信仰
、芸術関連の国内の山岳等(2件)信仰の物証番号山名自然的要素有形的側面無形 的側面芸術作品との関連性1紀伊山地参詣道、神社、寺院、滝・日本古来の自然崇 拝の思想と大陸から伝来した仏教とが融合して形成された修験道などの行場として も重視され発展した。・山自体が修験の場であり、山中で廻峰行という宗教行為が 行われている。神聖性の高い自然及び継続的に行われている宗教儀礼は、信仰の山 の文化的景観を構成する要素として優秀かつ多様である。2瀰山神社・古くは彌山 を含む島全体を神聖視し、対岸から遙拝していたのであるが、やがて水際に社殿が 成立し、彌山を含めた背後の山腹が社殿群の背景的効果をもつ自然景観として重要 視された。神道の施設であり、仏教との混交と分離の歴史を示す文化遺産として、 日本の宗教的空間の特質を理解する上で重要な根拠である。番号山名資産名評価基 準信芸国名仰術1紀伊山地紀伊山地の霊場と参詣道日本2瀰山厳島神社日本3御蓋 山(春日山)古都奈良の文化財日本404)結論以上の比較分析から、他の信仰・ 芸術に関連する山と比べて、推薦資産は、以下の3つの点で顕著な普遍的価値を持 つ事例であると言える。(1)海外の信仰関連の山岳との比較富士山は、8世紀以 降、噴火を鎮めるため山麓に浅間神社が建てられた。12世紀に修験者の道として 登山道が開かれ、15〜16世紀には修験者に引率され、登拝を中心とした宗教的 な活動が盛んとなった。山体につくられた宗教施設だけでなく、溶岩洞穴・樹型・ 湧水地も巡礼・修行の場となった。この結果、登拝の行為を通じて周辺の神社及び 巡礼地、参詣道が形成された。このように、富士山は、今日まで継承された山に対 する固有の文化的伝統を顕著に表す物証であるとともに、人間と山との精神的な関 係を表す景観であり、18〜19世紀は既に年平均1〜2万人という世界的にも類 例のない大衆による高山への登拝が行われるようになった。富士山は、(ケニア山 やキリマンジャロ山、トンガリロやウルル等に代表される
- 181 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 07:18:15.80 ID:RcU6+V3Ha.net]
- 保存管理計画の下に保全又は改善のための対策を明示している。
したがって、資産の周辺環境の保全に関する完全性も揺らぎはな い。2)真実性推薦資産は、所有者をはじめ、国及び地方公共団 体によって適切な維持管理が行われ、文化資産としての価値を失 することなく良好な状態を保っている。以下に、『世界遺産条約 履行のための作業指針』第82項に示された文化遺産の評価に適 用される真実性の属性に基づいた、構成資産の種類ごとの分析を 示す。(1)富士山体(遺跡(site))
- 182 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 07:24:00.29 ID:9gdrDp+Da.net]
- 仰のあり方から、(泰山等の中国の山々やアトス山やシナイ山等に代表されるよう
な)多様な宗教の介入によって生み出された信仰のあり方まで、そのいずれも失う ことなく現在に至るまで継承している。信仰に関連する山の多くは、山自体ではな く、山麓に点在する宗教施設や石仏が信仰の対象であり、そうした宗教施設等を参 詣するための道が整備されている。また、一部は山頂にそうした宗教施設があるた め、参拝が登山の形態をとるが、富士山のように登山行為自体に宗教的な意義を求 める登拝とは異なるものである。アダムス・ピークは多くの巡礼者が登山の形態を とるが、頂上の聖なる足跡とされる岩を目指す点で、宗教施設に参拝する形態と類 似するものであり、富士山とは異なると考える。また、一部の山岳はその聖なるが ゆえに登山を制限しており、登拝はなく、遙拝という信仰形態しか持たない山もあ る。信仰の山の自然的要素である標高については、自然遺産を中心に富士山よりも 高い山も存在するが、その標高に比した登頂者の多さ(年約30万人)は他に例が なく、山頂部への道路や軌道によるアクセスがないことから、登頂者は徒歩6時間 以上かけて、山頂部を目指すことになる。こうした登山形態は、日本では20世紀 前半に開花する近代アルピニズムに起源するものではなく、17世紀以降の江戸( 現在の東京)を中心に数多く組織された富士講の登拝活動を母胎に発展したもので ある。このことは、人々の生活の中に富士山に対する信仰の核心が継承され、今日 でも富士山は日本を代表し象徴する最高峰として老若男女を問わず憧れ親しむ「名 山」であることを示している。また、富士山への登山は夜明け前の山頂到着を目指 す登山者が多いことにも特徴がある。これは、山頂付近で日の出を拝むためである が、17世紀以降、道者が山頂周辺において「御来迎(仏の来迎と見なされたブロ ッケン現象)」(のち「御来光(日の出)」)を拝んだことに由来する。こうした 自然現象に宗教的な意義を見出す傾向は、比較対象の中では峨眉山以外には見あた らない。IUCNが2009年に行ったテーマ別研究であ
- 183 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 07:24:12.72 ID:RcU6+V3Ha.net]
- 年を最後に噴火しておらず、以降、形態に変更はない。また、今
後噴火によって形態上の変化が起こったとしても、富士山の荒ぶ る姿は人々の信仰心を鼓舞し、芸術活動に駆り立てることから、 真実性が損なわれるものではなく、むしろ、有史以来時代を超え て、精神・機能の観点からみた真実性は確実に維持されている。 神聖性が最も高いとされる、山体中腹以上の核心となる区域には 、文化財保護法により厳格に保護されているほか、その周辺地域 や展望線及び主要な展望地点は、自然公園法などの国内法により 展望・眺望への妨げとなるものの除外や風致景観との調和を図る 景観保全が行われており、景観全体の真実性は確実に保証される 。また、登山道や山小屋、信仰関連遺跡などの諸要素が総体的な 登拝システムを構築し、その機能は良好に遺存している。登山道 は、人為による現状の変更には厳しい規制がかけられており、地 下に埋もれた遺構を含め、価値の真実性の伝達については、将来 にわたり確実に保証されている。また、宗教空間としての用途・ 機能を何百年も維持してきた。レクリエーションのために登43 山を行う人々にとっても、脈々と継承してきた富士山に対する信 仰の核心の証左として、それらは機能している。(2)神社・御 師住宅(記念工作物・建造物群・遺跡(site))神社につい て、建築の歴史的価値を表す平面形式、構造様式、内外の立面意 匠は顕著な普遍的価値を表す時代のままである。近代以降の保存 修理事業においては、建立後に修理又は改変された後補部分につ いて、後補材の撤去・復原・欠失した部分の復旧を行うなど、高 い真実性が追究されてきた。脆弱な材料・材質から成る木造建築 の修理に関する伝統をはじめ、そこに用いられる技術についても 確実に継承されている。また、富士山の顕著な普遍的価値が最も よく表現される時代の位置を維持し、境内林などに囲まれた周辺 の環境も良好である。さらに、宗教空間としての用途・機能を何 百年も維持してきた。レクリエーションのために登山を行う人々 にとっても、脈々と継承してきた富士山に対する信仰の核心の証 左として、それらは機能している。(3)その他の信仰関連遺跡 (遺跡(site))富士五湖及び忍野八海
- 184 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 07:30:02.21 ID:9gdrDp+Da.net]
- は、世界遺産一覧表には一般の人々が一様に認めている火山の多くが含まれていな
いことは興味深いとし、その例として、イタリアのエトナ火山や富士山などを挙げ ている。とくに富士山は、火山とその周辺地域に訪れる年間の観光客が地球上のど の火山よりも多い点で重要とされている。こうしたギャップを埋めるために、知名 度、科学的重要性、文化及び教育的価値を基準に個々の長所を検討すべきとしてい る。41(2)海外の芸術関連の山岳との比較独立峰であ
- 185 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 07:30:14.26 ID:RcU6+V3Ha.net]
- 石碑などの状況証拠から、内八海巡りや富士御手洗元八湖が行わ
れていたことがわかっている。人々の信仰心を駆り立てた湖沼の 水そのものは、顕著な普遍的価値の核心として現在に継承されて いる。さらに、周辺環境においても、自然公園法や景観法に基づ く景観計画などにより風致景観との調和を図る景観保全が行われ ており、景観全体の真実性は確実に保証されている。白糸ノ滝に おいては、長谷川角行の修行地がどこであったかを明確に示す文 献はないが、富士講講徒が滝壺で修行したことは講徒の記録及び その挿図で確認できる。船
- 186 名前:津胎内樹型及び吉田胎内樹型の中には
祠などが祀られ、穴自体を神聖視する精神、宗教空間としての機 能は現在も受け継がれている。入洞者の安全のため、船津胎内樹 型の入り口部分は改変が加えられているが、それ以外の形状・位 置の真実性は、自然崩落の場合を除き、確実に継承されている。 人穴富士講遺跡においては、碑塔のほとんどに建立者、講の名称 や年号(創建年号や関係者の死亡年号)などが記載されており、 真実性に疑いの余地はない。444.保全状況と資産に与える影 響a)現在の保全状況「富士山」の17個の構成資産については 、すでに多くの修理や整備の事業が適切に行われており、自然的 な要因に基づく一部の資産を除き構成資産の保存状況も良好であ る。特に神社の建造物及び境内については、所有者である宗教法 人により適切な維持的措置が恒常的に行われており、保存状況は 良好である。1)資産全体の保全状況(1)主要な展望主要な展 望としての構成資産は、本栖湖と三保松原であり、展望点及びそ こから展望した山体の大部分である。展望面に関しては本栖湖の 場合構成資産に含まれており、三保松原の場合は展望点より山体 まで距離の距離が約45qと遠方であり、かつ、その間のかなり の部分が海面及び人口密集地(富士市市街地)であるため、展望 点より山体までの範囲は構成資産に含めてはいない。現状におい てこれらの資産範囲及び展望面は三保松原の一部を除き良好な状 態を保っている。これらの資産範囲については、信仰の核心であ る御中道より上の範囲は文化財保護法(特別名勝及び名勝)及び 自然公園法(特別保護地区及び第1種特別地 [] - [ここ壊れてます]
- 187 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 07:36:12.76 ID:9gdrDp+Da.net]
- 山の秀麗な姿は、四方の広い範囲から眺めることができ、古くから芸術活動の対象
となった。これら富士山を題材にした芸術作品のうち、最も海外に影響を与えた作 品は、葛飾北斎の浮世絵「冨嶽三十六景」である。この一連の作品は、ジャポニス ムと呼ばれた西洋における日本芸術の流行を生み、モネ、ドガなどの西欧の印象派 の画家達は浮世絵から、構図、デフォルメ、平面的な表現技法を学んでいる。また 、アールヌーボーが発生する一因ともなった。芸術的作品との関連性では、比較対 象資産の関連する多くの芸術作品が、周囲の山々や景観を合わせて描いたものであ る。また、そうした芸術作品との密接な関連を持ち、アメリカの山々のように芸術 史の上で一つの流派を形成したものもあるが、その作品の影響は国内に留まる。ま た、中国の山水画は日本にも大きな影響を与えたが、近世以降で美術史に影響をも たらす芸術作品を生み出す母胎となった山は富士山しかない。山と芸術作品との密 接な関連を持つ代表例は、セザンヌが描いたサント・ビクトワール山があり、これ はその作品の多さからも西洋美術で最も著名な山とされるが、富士山を題材とした 浮世絵がセザンヌの出自である印象派にも大きな影響を及ぼしたことを考慮すると 、そうした浮世絵の制作を喚起した富士山の優位性は揺るがない。(3)国内同種 資産との比較信仰との関連性では、比較対象の資産では、古くは山自体が神聖視さ れたが、その後は宗教施設が発展し、山は背景となっていった。紀伊山地では、修 験道の道場として山々をめぐる行為が宗教行為とされており、富士山でもその初期 においてはこうした修験者による登山が中心であったが、富士山については、その 後、修験者に導かれた一般人の登拝が増加し、18世紀後半より東京を中心に流行 した富士講による大衆登山へと発展していった。現在も夏を中心に30万人が徒歩 による富士山の登山を体験しており、こうした信仰の核心が多くの人々に継承され ている点において富士山の優位性は明らかである。芸術作品との関連性では、比較 対象の資産では、評価基準(E)は信仰の空間との関連性
- 188 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 07:36:25.14 ID:RcU6+V3Ha.net]
- 全され、下部(標高1500〜2000m以下、特別名勝範囲外
)は自然公園法(特別保護地区、第1〜3種特別地域、普通地域 )及び森林法(保安林)により重層的に保護されている。また、 展望面の周辺部については自然公園法(特別保護地区、第1〜3 種特別地域、普通地域)及び森林法(保安林)、景観法に基づく 景観条例、景観計画により保護されている。これらの法令の許可 制に基づく保護により、景観面に関して資産に影響のある開発は 厳重に管理されている。また、資産範囲及び緩衝地帯に含まれて いない三保松原の展望面についても海面において実質的に開発行 為は起りえず、市街地においても景観法に基づく景観条例、景観 計画により保護されているため、特に問題は生じない。(2)登 山道(遺跡(site))これらの構成資産は富士山体及びそこ に所在する登山道である。これらの構成資産については、真実性 及び完全性が担保できる部分が史跡に指定されるとともに、その 大部分の範囲が特別名勝に指定されている。これらの構成資産に ついては、県が、各史跡及び特別名勝としての保存管理計画を策 定し、構成資産の所在する市町村とともに確実な保存管理に当た っている。したがって、各史跡等を構成する諸要素及びそれらと 一体をなす周辺の地域は、良好な状態を保っている。さらに、指 定地内で行われる現状変更及び保存に影響を及ぼす行為(以下、 「現状変更等」という。)については、文化財保護法の下に許可 制に基づき厳重に規制されている(富士山体の保護措置について は次項で詳しく述べる。)。(3)神社・御師住宅(記念工作物 ・建造物群・遺跡(site))これらの構成資産はいずれも社 殿などの木造建造物を中心としている。それら内のいくつかは、 富士山本宮浅間大社本殿などのように重要文化財に指定されてお り(御師住宅は指定予定)、その他の建築物や境内地は史跡の構 成要素として保護されている。これらの木造建築物については、 これまで損傷の程度に応じた適切な修理が行われてきた。したが って、それらはすべて45良好な状態を保っている。具体的には 、建造物の全体を解体して行う全解体修理、軸組を残したまま壁 や屋根などの修理を行う半解体修理を実施し
- 189 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 07:41:49.56 ID:9gdrDp+Da.net]
- する芸術作品等も宗教的な題材とする作品が多い。富士山は、和歌や俳句、絵画、
文学の多くの分野においても、数多くの作品を輩出し、その中には葛飾北斎の浮世 絵「冨嶽三十六景」のように西洋の美術史に大きな影響を与えた作品もある。その 多様性や生み出した芸術作品の影響の大きさの面でも富士山の優位性は明らかであ る。(4)結語このように、富士山においては、登拝等により、信仰の核心が現代 の多くの人たちに受け継がれ、また、浮世絵等により、近代の西欧芸術史に大きな 影響を及ぼした。富士山は、信仰のあり方、芸術の両面で、古代から現代まで影響 を与えている唯一の山であり、世界的にも類例を見ない顕著な普遍的価値を持つ山 岳である。42d)真実性及び完全性1)完全性推薦資産の範囲は、「ある文化的 伝統の存在を伝承する物証として希有な存在」として神聖視され、「歴史上の重要 な段階を物語る景観を代表する顕著な見本」として認知された富士山の範囲が適切 に確保されているとともに、「顕著な普遍的意義を有する芸術的作品及び文学的作 品との直接または実質的な関連性」を示す富士山体の範囲も、数々の顕著な普遍的 意義を有する作品に共通して描かれた最大の範囲に相当しており、資産の重要性を 伝える諸要素・過程を完全に表す上で適切な範囲が確保されている。(図面挿入: 主要な展望地点から見た資産範囲を示した正面図)また、登山道、神社並びに富士 五湖などの儀式・修行・巡礼の場や、適切な展望線を確保した主要な展望地点とい った、顕著な普遍的価値を表すのに必要な全ての要素を包含している。登山道は、 信仰登山が盛んに行われていた18〜19世紀に認識されていた登山道を全て含み 、登山道の起点となる浅間神社も不足なく資産に含まれている。その他、御室浅間 神社や河口浅間神社といった富士山信仰を語る上で欠かすことの出来ない重要な浅 間神社や、富士講を迎えて登拝の世話を行った御師の住宅、富士講がオプショナル ・ツアー的に巡礼・修行を行った地として代表的な湖沼、滝、風穴・溶岩樹型も全 て資産を構成する要素として推薦範囲に含めている。それ
- 190 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 07:42:02.06 ID:RcU6+V3Ha.net]
- な修理として屋根葺替修理や塗装修理などを定期的に実施してき
た。建造物は自然災害等により幾度かの損傷を被ってきたが、そ のつど旧態に復旧され、その歴史上の価値は確実に継承されてい る。さらに、指定地内で行われる現状変更等については、文化財 保護法の下に許可制に基づき厳重に規制されている。また、重要 文化財である建造物のみならず、史跡等に指
- 191 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 07:47:35.36 ID:9gdrDp+Da.net]
- 範囲の緩衝地帯を設定しており、負の影響を与える可能性の行為に対して適切な法
的規制を行うとともに、包括的保存管理計画の下に保全又は改善のための対策を明 示している。したがって、資産の周辺環境の保全に関する完全性も揺らぎはない。 2)真実性推薦資産は、所有者をはじめ、国及び地方公共団体によって適切な維持 管理が行われ、文化資産としての価値を失することなく良好な状態を保っている。 以下に、『世界遺産条約履行のための作業指針』第82項に示された文化遺産の評 価に適用される真実性の属性に基づいた、構成資産の種類ごとの分析を示す。(1 )富士山体(遺跡(site))富士山は、1707年を最後に噴火しておらず、 以降、形態に変更はない。また、今後噴火によって形態上の変化が起こったとして も、富士山の荒ぶる姿は人々の信仰心を鼓舞し、芸術活動に駆り立てることから、 真実性が損なわれるものではなく、むしろ、有史以来時代を超えて、精神・機能の 観点からみた真実性は確実に維持されている。神聖性が最も高いとされる、山体中 腹以上の核心となる区域には、文化財保護法により厳格に保護されているほか、そ の周辺地域や展望線及び主要な展望地点は、自然公園法などの国内法により展望・ 眺望への妨げとなるものの除外や風致景観との調和を図る景観保全が行われており 、景観全体の真実性は確実に保証される。また、登山道や山小屋、信仰関連遺跡な どの諸要素が総体的な登拝システムを構築し、その機能は良好に遺存している。登 山道は、人為による現状の変更には厳しい規制がかけられており、地下に埋もれた 遺構を含め、価値の真実性の伝達については、将来にわたり確実に保証されている 。また、宗教空間としての用途・機能を何百年も維持してきた。レクリエーション のために登43山を行う人々にとっても、脈々と継承してきた富士山に対する信仰 の核心の証左として、それらは機能している。(2)神社・御師住宅(記念工作物 ・建造物群・遺跡(site))神社について、建築の歴史的価値を表す平面形式 、構造様式、内外の立面意匠は顕著な普遍的価値を表す時
- 192 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 07:47:49.96 ID:RcU6+V3Ha.net]
- 存在する個々の歴史的建造物の保存修理事業を行うに当たっては
、文化財保護法の下に、それらの歴史に関する調査、伝統技法に 関する調査、地下遺構に関する発掘調査、破損状況及びその原因 に関する調査など、事前の学術調査を周到に行い、その結果に基 づいて、所有者・学識経験者・行政経験者等から成る修理及び整 備委員会における保存修理や環境整備の方針の決定及び指導に基 づき実施している。また、それらの修理完了後には、修理に係る 記録をまとめた修理工事報告書を刊行している。さらに、重要文 化財である建造物については、火災による焼損防止のために自動 火災報知設備及び各種の消火施設・避雷施設を設置し、防火・消 火に関する組織の運営についても万全を期している。また、建造 物の所有者である宗教法人及び市並びに個人は、県又は各市町村 が策定した保存活用計画に基づいて、それらの確実な保存管理に 当たっている。また、建造物の軽微な補修等の日常管理について は、所有者の依頼により、専門の建築技術者によって実施されて いる。(4)その他信仰関連遺跡(遺跡(site))これらの 構成資産は、湖沼、風穴・溶岩樹型、滝・湧水、石造工作物(人 穴の碑塔)である。これらの構成資産については、その自然的価 値から湧玉池が特別天然記念物に、白糸ノ滝が名勝及び天然記念 物に、富士五湖が名勝に、風穴・溶岩樹型及び忍野八海が天然記 念物に指定されているとともに、その一部が史跡に指定されてい る。これらの構成資産については、県及び市町村が、各史跡等の 規模・形態・性質・立地・環境等に応じて保存管理計画を策定し 、確実な保存管理に当たっている。したがって、各史跡等を構成 する諸要素及びそれらと一体をなす周辺の地域は、良好な状態を 保っている。さらに、指定地内で行われる現状変更等については 、文化財保護法の下に許可制に基づき厳重に規制されている。2 )構成資産の保全状況(A)山体(眺望の対象である富士山、あ る文化的伝統を伝承する物証である、連続性のある資産としての 富士山)登録範囲における自然的環境については、おおむね良好 な状態である。資産範囲の上部は文化財保護法(特別名勝)及び 自然公園法(特別保護地区及び第1種特別地
- 193 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 07:53:11.94 ID:9gdrDp+Da.net]
- 降の保存修理事業においては、建立後に修理又は改変された後補部分について、後
補材の撤去・復原・欠失した部分の復旧を行うなど、高い真実性が追究されてきた 。脆弱な材料・材質から成る木造建築の修理に関する伝統をはじめ、そこに用いら れる技術についても確実に継承されている。また、富士山の顕著な普遍的価値が最 もよく表現される時代の位置を維持し、境内林などに囲まれた周辺の環境も良好で ある。さらに、宗教空間としての用途・機能を何百年も維
- 194 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 07:53:24.00 ID:RcU6+V3Ha.net]
- )により厳密に保全され、下部(標高1500〜2000m以下
、特別名勝範囲外)は自然公園法(特別保護地区、第1〜3種特 別地域、普通地域)及び森林法(保安林)により重層的に保護さ れているため、景観および文化的価値のどちらの点においても資 産に影響を及ぼす行為は発生しない。た46だし、山体西側には 山頂部付近から標高2200m付近までを源頭部とする土砂崩れ (以下、「大沢崩れ」という。)が、約1000年前より継続し て発生している。このため山体西側の一部でかつての信仰に関わ る道(御中道)の通行等が禁止されている区域がある。山頂及び 登山道周辺では、多くの人々によって行われる登山行為に起因す る廃棄物・し尿が発生するが、山小屋組合などにより適切に管理 ・除去されている。なお、山腹において、山小屋の維持・廃棄物 の撤去のためにブルドーザーが通行する道路があるが、使用は必 要最小限にとどめられている。山頂部周辺の文化的環境について も、現時点における保全状態は良好である。ただし、降雪・強風 等に常時さらされるため、小規模な変更は常時行われてきた。( A1)山頂信仰遺跡現時点における保全状態は良好である。(A 2〜5)登山道富士山は脆弱な火山地質であるとともに、雪崩・ 強風等に常時さらされるため、登山の開始以降登山道小規模な経 路の変更は常時行われていた。したがって、継続的な観点におけ る保全状態について明確に述べることはできない。しかし、現在 も登山道として使用されている部分については毎年登山期前に県 、地元保存会(須山口)又は山小屋組合により整備が行われ、適 切な状態に保たれている。(A6)北口本宮冨士浅間神社北口本 宮冨士浅間神社は定期的な維持修理が行われており、現時点にお ける保全状態は良好である。(A7〜9)西湖・精進湖・本栖湖 すべての湖とも現時点における保全状態は良好である。中でも本 栖湖は、訪問者の体験を損ねないように、展望地点から富士山を 見た展望線と展望地点区域の周辺環境の維持に配慮した良好な保 存管理が行われており、現時点における保全状態は特に良好であ る。(B1)富士山本宮浅間大社定期的な維持修理が行われてお り、現時点における保全状態は良好である。
- 195 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 07:59:51.05 ID:9gdrDp+Da.net]
- ションのために登山を行う人々にとっても、脈々と継承してきた富士山に対する信
仰の核心の証左として、それらは機能している。(3)その他の信仰関連遺跡(遺 跡(site))富士五湖及び忍野八海においては、文献や石碑などの状況証拠か ら、内八海巡りや富士御手洗元八湖が行われていたことがわかっている。人々の信 仰心を駆り立てた湖沼の水そのものは、顕著な普遍的価値の核心として現在に継承 されている。さらに、周辺環境においても、自然公園法や景観法に基づく景観計画 などにより風致景観との調和を図る景観保全が行われており、景観全体の真実性は 確実に保証されている。白糸ノ滝においては、長谷川角行の修行地がどこであった かを明確に示す文献はないが、富士講講徒が滝壺で修行したことは講徒の記録及び その挿図で確認できる。船津胎内樹型及び吉田胎内樹型の中には祠などが祀られ、 穴自体を神聖視する精神、宗教空間としての機能は現在も受け継がれている。入洞 者の安全のため、船津胎内樹型の入り口部分は改変が加えられているが、それ以外 の形状・位置の真実性は、自然崩落の場合を除き、確実に継承されている。人穴富 士講遺跡においては、碑塔のほとんどに建立者、講の名称や年号(創建年号や関係 者の死亡年号)などが記載されており、真実性に疑いの余地はない。444.保全 状況と資産に与える影響a)現在の保全状況「富士山」の17個の構成資産につい ては、すでに多くの修理や整備の事業が適切に行われており、自然的な要因に基づ く一部の資産を除き構成資産の保存状況も良好である。特に神社の建造物及び境内 については、所有者である宗教法人により適切な維持的措置が恒常的に行われてお り、保存状況は良好である。1)資産全体の保全状況(1)主要な展望主要な展望 としての構成資産は、本栖湖と三保松原であり、展望点及びそこから展望した山体 の大部分である。展望面に関しては本栖湖の場合構成資産に含まれており、三保松 原の場合は展望点より山体まで距離の距離が約45qと遠方であり、かつ、その間 のかなりの部分が海面及び人口密集地(富士市市街地)で
- 196 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 08:00:02.37 ID:RcU6+V3Ha.net]
- 良好な状態であるが、二つの池のうち「上池」では、湧水量が減
少し、藻類が繁殖しているため、「湧玉池保全再生会議」が設置 され、対策が検討されている。(B2)山宮浅間神社現時点にお ける保全状態は良好である。(B3)村山浅間神社現時点におけ る保全状態は良好である。(B4)須山浅間神社現時点における 保全状態は良好である。(B5)富士浅間神社(須走浅間神社) 現時点における保全状態は良好である。(B6)河口浅間神社現 時点における保全状態は良好である。47(B7)冨士御室浅間 神社現時点における保全状態は良好である。ただし、漆塗装の磨 耗退色が著しい部分がある。また、本宮本殿の脇障子版は富士山 二合目所在時に毀損にあっており、今後、修復・修繕の検討が予 想される。(B8)御師住宅旧外川家住宅は2006−2007 年に大規模な修繕工事を行ったため、現時点における保全状態は 良好である。小佐野家住宅は、所有者らによって日常的な維持管 理が行われているほか、補助事業などによって文化財としての保 護に必要な修繕や設備の整備が進められてきた。(B9〜10) 山中湖、河口湖どちらの湖とも現時点における保全状態は良好で ある。(B11)忍野八海天然記念物として指定されている範囲 は水面に限られており、私有地が隣接しているため、周辺環境を 含めた保全状態に課題がある。しかし、忍野村が景観計画を策定 し、周辺環境を含めた保全を行っている。(B12)船津胎内樹 型現時点における保全状態は良好である。(B13)吉田胎内樹 型内部の溶岩の盗掘や人の侵入による破壊を防ぐために本穴入り 口は施錠されており、現時点における保全状態は良好である。( B14)人穴富士講遺跡碑塔群はおおむね良好な状態であるが、 一部の碑塔に修理が必要である。(B15)白糸ノ滝現状では滝 壺周辺に売店があるなど景観面において課題がある。このため、 富士宮市が中心となり保存管理計画の改訂および整備計画の策定 を行い、今後適切な整備がなされる予定である。滝の自然崩壊に ついては特に対策は採られていない。(C)三保松原現状では1 960〜80年代に進行した海岸浸食の影響からの回復を図るた め、資産内及び周辺にヘッドランドなどが仮
- 197 名前:底名無し沼さん mailto:sage [2017/12/14(木) 08:06:03.99 ID:9gdrDp+Da.net]
- 体までの範囲は構成資産に含めてはいない。現状においてこれらの資産範囲及び展
望面は三保松原の一部を除き良好な状態を保っている。これらの資産範囲について は、信仰の核心である御中道より上の範囲は文化財保護法(特別名勝及び名勝)及 び自然公園法(特別保護地区及び第1種特別地域)により厳密に保全され、下部( 標高1500〜2000m以下、特別名勝範囲外)は自然公園法(特別保護地区、 第1〜3種特別地域、普通地域)及び森林法(保安林)により重層的に保護されて いる。また、展望面の周辺部については自然公園法(特別保護地区、第1〜3種特 別地域、普通地域)及び森林法(保安林)、景観法に基づく景観条例、景観計画に より保護されている。これらの法令の許可制に基づく保護により、景観面に関して 資産に影響のある開発は厳重に管理されている。また、資産範囲及び緩衝地帯に含 まれていない三保松原の展望面についても海面において実質的に開発行為は起りえ ず、市街地においても景観法に基づく景観条例、景観計画により保護されているた め、特に問題は生じない。(2)登山道(遺跡(site))これらの構成資産は 富士山体及びそこに所在する登山道である。これらの構成資産については、真実性 及び完全性が担保できる部分が史跡に指定されるとともに、その大部分の範囲が特 別名勝に指定されている。これらの構成資産については、県が、各史跡及び特別名 勝としての保存管理計画を策定し、構成資産の所在する市町村とともに確実な保存 管理に当たっている。したがって、各史跡等を構成する諸要素及びそれらと一体を なす周辺の地域は、良好な状態を保っている。さらに、指定地内で行われる現状変 更及び保存に影響を及ぼす行為(以下、「現状変更等」という。)については、文 化財保護法の下に許可制に基づき厳重に規制されている(富士山体の保護措置につ いては次項で詳しく述べる。)。(3)神社・御師住宅(記念工作物・建造物群・ 遺跡(site))これらの構成資産はいずれも社殿などの木造建造物を中心とし ている。それら内のいくつかは、富士山本宮浅間大社本殿
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