- 340 名前:エージェント・774 mailto:sage [04/04/25 05:35 ID:tLfVHWxJ]
- 表現の自由は重要な権利である。しかし、他の自由に関する権利と同じく、
その対極である制限という存在によって成り立つ秩序であり、逆に言えば 制限無くして自由は存在しないと言っても過言ではない。 現在の情報化消費社会に於いて制限という要素は希薄であり、その認識もまた 然りである。 本来自由とは恣意性のみの発露で有り得えてはならないのにも 関わらず、現在の情報化消費社会はその傾向を助長しているとも言える。 以上が前提で、何を言いたいのかというと、死者の尊厳という制限事項に対する 認識が欠落したまま、恣意性のみの発露たる映画を製作した監督・及び製作会社は 自由の何たるかを履き違えている、もしくは理解していない。 このような勘違い映画が製作された場合社会的な自浄作用で淘汰されることが 望ましい。 何故なら、社会的自浄作用としての履き違えた自由に対する制限が 正常に機能しない場合、司法的な判断が必要とされてくる場合があるから。 このような事態はは、その他大勢の表現者にとっては甚だ迷惑であり、 表現の自由の枠が法的に狭められる恐れすらある。 結論としては、自己の自由に関する権利に対して内省的な制限すら設けられない ような監督・製作会社が作った映画が上映されるのは、 一市民として甚だ迷惑な話なので上映中止してくれない?
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