- 977 名前:エージェント・774 mailto:sage [2005/05/17(火) 00:45:59 ID:4/d/Spvv]
- 埋めってことで
>>965 > 「国家がおかしな連中により支配された状態」を仮定しており、 私はそれに近い立場ですよ。ここの認識が重大なのですが、デモクラシーというものが、 そもそも(国家)権力は放置すれば暴走するという前提の上に、いかにそれを防止 するかという観点で構築されるべきものではないのですか。 三権分立なんて本来は効率が悪くまだるっこしいんですよ。 “聖人”が存在しうるなら権力を集中して政治をしてもらえばよい。 まさしく無謬なる将軍様が民族を教え導けば良い。 しかし、民主主義の基本的制度として三権分立と小学校でも教えるでしょう。 それは、歴史的に証明されたというべきなのかな、とにかく政治権力は絶対に民衆に対して 暴威をふるうようになる、という透徹した認識の上に民衆をいかに暴君から守るか、 この点を追求しているからこそ三権分立なんてことをするわけで。 (三権分立でもまだ足りないから、報道の自由という4つ目の権力が許容されている。) それ故、権力を集中しないことと、そこに規定される事柄が明確であること(限定的であることと いってもよい)は民主主義国家の法律が守るべき原則ではないのですか。 一つ位全体主義の臭いがする法律ができても大丈夫とお考えでしょうか。 一つの法律をきっかけに、言論の規制が始まり、良心の検閲が始まると考えて これを民主主義への重大な挑戦と受け止める方が健全な思考だと思いますけど。 法律の読み方を知らないといわれますが、それ以前に法律の作り方が理解されて いないのではないかと愚考というか恐怖すら感じる次第です。 (ちなみに、この法案では人権委員は、人格高潔な人をなんて、聖人政治を匂わせるような 記述がありますよね。そのこと自体がセンス0に見えるんですが。) > 「間違った理由に基づいた反対運動はするべきではない」 > 誤解を与える表現を用いての反対運動もやめるべきだ」 > 「嘘や誇張表現で人の恐怖を煽る方法も控えなくてはならない」 という主張は間違っていないと思いますが、なにか出発点というか思考の向きというか違うという 気がしてしまいます。 あなたは(というかこれ若隠居さんとこの議論ですよね)結局、 間違った理由でなく正しい理由で反対すべきという立場ですか? それとも、反対すべきでないという認識でしょうか。
|

|