[表示 : 全て 最新50 1-99 101- 201- 301- 401- 501- 601- 701- 801- 901- 1001- 2ch.scのread.cgiへ]
Update time : 08/27 03:11 / Filesize : 385 KB / Number-of Response : 1040
[このスレッドの書き込みを削除する]
[+板 最近立ったスレ&熱いスレ一覧 : +板 最近立ったスレ/記者別一覧] [類似スレッド一覧]


↑キャッシュ検索、類似スレ動作を修正しました、ご迷惑をお掛けしました

日月神示を考えるスレッド



654 名前:予言者アイザック mailto:sage [2021/03/03(水) 22:40:37.57 ID:Ztso9NVS0.net]
富士山噴火で神罰が下る前段階として、必ず「熱病」「肺病」で警鐘が鳴らされる

山村武彦
感染症と大規模災害が同時に発生する複合災害は、過去何度も起きている。
例えば平安初期の貞観富士山噴火(864年)のときは、咳逆病(しはぶきやみ・インフルエンザ)の流行が続いていた。
『日本三代実録』には「863年は前年から咳逆病が大流行し、大納言・源定、内蔵権頭・藤原興邦、平城天皇皇女・大原内親王、大納言・源弘などが相次いで死去した」と書かれている。

5年後の貞観地震(869年)のときもまだ咳逆病は収まっていなかった。
そこで朝廷は、京都の祇園社(現・八坂神社)に祭られていて疫病を打ち払う神と敬われていた牛頭天王(ごずてんのう)と素戔鳴尊(すさのをのみこと)の祭り「祇園御霊会」を挙行。
当時の国の数に合わせ66本の鉾を立て巡らし、諸国の悪霊が宿るように仕向け、そこへ祇園社の神を祭り、みこし3基を送り込んで諸国の穢れを祓い厄払いした。
以来、毎年7月30日が祇園祭として今日まで定着している。

江戸時代の南海トラフ地震ともいえる宝永地震(1707年10月28日)と、その49日後に発生した宝永富士山噴火(12月16日)のときもインフルエンザが蔓延していた。
100キロメートル離れた江戸でも、新井白石の自叙伝『折たく柴の記』に「夜に入りぬれば、灰また下る事甚し。『此日富士山に火出でて焼ぬるによれり』といふ事は聞えたりき。
黒灰下る事やまずして、十二月の初におよび、(中略)此ほど世の人咳嗽(しはぶき)をうれへずといふものあらず」と書かれており、降灰とインフルエンザ(咳嗽)で呼吸器疾患者が続出したといわれる。

>5年後の貞観地震(869年)のときもまだ咳逆病は収まっていなかった
新しい肺病が流行して2年後に富士山が噴火。肺病は7年経っても収まらなかった






[ 続きを読む ] / [ 携帯版 ]

全部読む 前100 次100 最新50 [ このスレをブックマーク! 携帯に送る ] 2chのread.cgiへ
[+板 最近立ったスレ&熱いスレ一覧 : +板 最近立ったスレ/記者別一覧](;´∀`)<385KB

read.cgi ver5.27 [feat.BBS2 +1.6] / e.0.2 (02/09/03) / eucaly.net products.
担当:undef