- 104 名前:<丶`∀´>さん mailto:sage [2022/07/27(水) 00:56:31.36 ID:XzpVwO2B.net]
- 道元禅師は日本民族の中核の人である。
ところが中国から禅を学んで来て、随分間違ったことを云っている。 特に、坐禅はしなければ駄目だと云うのがそれである。 『正法眼蔵』を見てみると、その間違いが繰り返し繰り返し、そのまま出ている。 しかし、道元禅師は中国で禅を学ぶ前に日本民族の中核であった。 このことは、『正法眼蔵』で一番有名な文章の中に表れている。 諸仏の常にこの中に住持たる、各々の方面に知覚をのこさず、 群生(ぐんじょう)のとこしなへにこの中に使用する、各々の知覚に方面あらはれず。 この中とは何の中か、真情の中である。 それから真情の中に住持たる諸仏、これを「天つ神々」と云うのである。 日本が鵜呑みにした仏教の心の世界の地図では天つ神々のいる場所が無かったのである。 大宇宙は天つ神々の悲願あるが故にある。初めに悲願がある。だから時は流れる。 時の内容は真情である。有情は何故あるか。 一つ一つの有情の心に絶えず喜びが送られているから有情として生きているのである。 この絶えず喜びを送っている原動力は天つ神々の悲願である。 現実はこのままでは誰が見ても人類は遠からず全滅する。 仏教で、発心、修行、菩提、涅槃と心を磨いて行くのはかような時に役に立てるためである。 でなければ、自分が偉くなって仏になろうと思っているのである。自分だけでなく他もそうしたところで何になろう。 応神天皇以後の日本の歩みを見ても、かような民族が滅びずに今まで生き延びて来たと云うことは実に不思議である。 これが出来たのは、天つ神々が日本民族を操って来たからである。 このことは少し丁寧に日本の歴史を見れば随所に表れている。 かように、日本に天つ神々がいると云うことは明白な事実であって、宗教ではない。
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