- 720 名前:日曜8時の名無しさん [2011/11/08(火) 03:59:55.94 ID:T9eOiei5]
- >>719
鎌倉幕府滅亡時の隠岐守護である佐々木隠岐清高は、本家の佐々木六角時信と同様、 佐々木一族の中でも、かなり最後まで幕府寄りの立場を取っていたように思う。 あと道誉の佐々木京極氏は、元々佐々木一族の中では別格的な存在で、 実際には鎌倉段階で佐々木六角氏との勢力差はかなり小さかったと思うよ。 鎌倉段階で佐々木京極氏からは評定衆になったものが複数いるのに対して、 六角・京極両家が別れて以降の佐々木六角氏からは評定衆は一人も出ていない。 建武政権下で六角・京極両家がほとんど同格の扱いを受けているのも、 こうした鎌倉段階からの経緯を踏まえてのものでしょう。 なお佐々木京極氏が佐々木六角氏を出し抜いて、完全に両者の関係が逆転するのは、室町幕府ができて以降だと思う。
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