- 2 名前:禿の月φ ★ mailto:sage [2013/06/22(土) 14:47:57.27 ID:???P]
- (>>1からの続きです)
彼女が出場した『鳥人間コンテスト』は読売テレビが1977年から始めたもので、 人力飛行機の滞空時間や飛行距離を競う大会。川畑さんは九州工業大学のサークル 『KITCUTS』の操縦士として参加。人力飛行機の製作は約1年前から準備されていたが、 彼女は操縦士として1日40〜80キロを自転車で走るなどの別メニューをこなしていたという。 「今考えれば、とても人を乗せて飛ばせる機体ではなかったのでしょう。 大会に間に合わせるために十分な飛行試験も行われず、荷重試験も できていませんでしたから……。事故直後は『あっ、飛んだのかな』と思った瞬間、 機体から放り出されました。湖面に落ちたとき、全身に激痛が走ったのを覚えています」 救助隊に助けられた川畑さんはメディカルチェックを受けたが、外傷もなかったため 福岡県へ帰された。だが翌日から急激なめまいに襲われ、歩くこともままならない。 症状は次第に悪化し、ついには寝たきりのような状態に。同年10月、脳脊髄液減少症の診断を受け 入院。だがこの疾患はまだ解明されていないことも多く、治療は困難を極めたという。 「トイレに行くのも精一杯。間に合わなくて泣いてしまうこともありました……。 退院後も症状は改善せず、車椅子や松葉杖での通院生活が続きました。 いつもなら10分ほどしかかからなかった通学も1時間近くかかりました。 校内で倒れたこともありました。何とか大学は卒業できたものの、 大学院に進むために貯めていた200万円は治療のため あっという間になくなってしまいました……」(>>3以降に続きます)
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