- 463 名前:名無しさん@13周年 mailto:sage [2013/05/19(日) 07:01:26.47 ID:G46yBA82P]
- 第二次大戦後、日本に進駐した米兵と日本人女性との間に
多くの混血児が生まれた。 祝福されずにこの世に生を受けてしまった子ら。 多くが父も知らず、母からも見捨てられていく。 ある日、満員列車で澤田美喜の目の前に網棚から紙包みが落ちてきた。 黒い肌の嬰児の遺体だった。美喜の頭に血がのぼり、 心臓が激しく鳴った。 イギリスの孤児院ドクター・バーナードス・ホームの記憶が 突然よみがえった。美喜は天命を覚えて身震いした。 「日本にはいま大勢の祝福されない混血孤児がいる。 そうだ、私はこの子らの母になる…」 夫の理解も得た美喜は憑かれたように行動を開始した。 GHQに日参し「大磯の旧岩崎家別荘に混血孤児たちのホームを作らせて欲しい」 と訴えた。混血孤児の問題は直視したがらない人が多かったが、 教会関係者や一部の在日米国人、 それに使命感に燃えた多くの人々に支えられ、美喜は諦めなかった。 執拗に陳情を繰り返す美喜の希望がかなうときが来た。 ただし「物納された別荘を買い戻すならば」との条件付きだった。 美喜は寄付を募り、私財を投入し、なお足りない分は借金に駆けまわった。 GHQの指示ですでに資産を凍結された父岩崎久彌は、 「世が世だったら、大磯の別荘くらい寄付してやれたのに…」と嘆いた。 昭和22年、美喜はついに別荘を買い戻し、 ドクター・バーナードス・ホームのように学校も礼拝堂もある エリザベス・サンダース・ホームをスタートさせた。
|
|