- 414 名前:名無しさん@十周年 [2010/02/24(水) 23:48:19 ID:N6TCVR2m0]
- 竹島=独島問題ネットニュース 21号
2009.12.8 竹島=独島問題研究ネット発行 11.<竹島問題>新史料見つかる、明治政府の太政官文書読解 山陰中央新報、2009.11.21 見つかったのは、島根県政のあらましをまとめた1881年の県治要領。研究会の副座長を 務める同県の杉原隆・竹島研究顧問は、その中にある「松島ノ儀ハ最前指令の通本邦関係 無之」という記載に注目し・・・「太政官文書の『竹島と、ほか一島』は、当時、竹島と も松島とも呼ばれた鬱陵島のことを示しており、ほか一島は現在の竹島のことではない」 と指摘。 【コメント】 明治初期、忘れられた島である竹島・松島は島名すら曖昧になった。明治時代の地図でい うと、川上健三の調査によれば、1885年まで松島が竹島=独島を指す場合が6件、欝陵 島を指す場合が8件であった。したがって、1881年にたまたまある史料で松島が欝陵島 を指したからといって、その4年前の1877年に、太政官が日本の版図外とした松島が欝 陵島を指すとは限らない。 島名が混乱した時代なればこそ、版図外とされた「ほか一島」すなわち松島がどの島を指 すのかは、その時点で太政官が判断の際に使用した資料「磯竹島略図」や「由来の概略」 などから解明するのが基本的な「当然の手法」である。それらの資料で松島は微塵の疑い もなく今日の竹島=独島を指す。杉原隆氏はそうした基本的な「当然の手法」をなぜか無 視しているようである。 www.han.org/a/half-moon/hm113.html#No.846 www.kr-jp.net/meiji/koubun/naimu-m10map.pdf
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