- 577 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/11/11(水) 17:04:49 ID:sgEEC+g30]
- >>564
穢れをさけるというのは立派な教えだとおもう。 死などを穢れと考えるのは疑問があるが、 良心にそむく行為が穢れにつながるというのは立派な心の教えではないだろうか。 心が穢れを払うために六根清浄などの祝詞があるが、 目に諸の不浄を見て 心に諸の不浄を見ず 耳に諸の不浄を聞きて 心に諸の不浄を聞かず 鼻に諸の不浄を嗅かいで 心に諸の不浄を嗅がず 口に諸の不浄を言ひて 心に諸の不浄を言わず 身に諸の不浄を触れて 心に諸の不浄を触れず 意(こころ)に諸の不浄を思て 心に諸の不浄を想はず このとき清く潔きことあり などの部分は心の在り方を示している教えともとれる気がする。 不浄とは、怒りであったり奢りであったり、不安であったり、ごまかしの感情であると個人的解釈もしている。 正しいかどうかはしらない。
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