- 1 名前:なべ式φ ★ mailto:sage [2009/08/24(月) 17:17:46 ID:???0]
- 2010年は、トルコ軍艦エルトゥールル号が和歌山県串本町樫野沖で遭難して120年を迎える。
600人余りの乗組員のうち助かったのは69人だけという悲劇的な事故だったが、日本とトルコの 友好の始まりでもある。トルコ国内でも日ト友好120周年を前に関心が高まっており、トルコの 放送局や学生らが同町を訪れ、あらためて両国の友好の原点となった現場や関係者を取材している。 22日は、トルコ国営放送のスタッフらが訪れた。制作する番組はドキュメンタリーで、タイトルは 「南アジアと極東でのトルコ人の足跡」。10カ国を取材し、トルコでは10月から放映が始まる。 その中の一つとして、エ号の遭難も取り上げる。 トルコ記念館では、引き揚げられたエ号の遺品を撮影。偶然、曾祖父がエ号遭難事故の生存者の 一人という、イスタンブール工科大学の講師、アイシュ・ナザン・アクマン・ペキさん(42)が記念館を 訪れており、話を聞いた。町担当者からは、遭難に至るまでの経緯や当時の様子などをインタビュー した。■中略 23、24日には、東京工芸大学芸術学部3年生のファーティ・オゼリさん(24)が写真撮影で訪れた。 オゼリさんは、日本の外交官との交流などがきっかけで、日本の文化に興味を持つようになったと いい、同学部写真学科に在籍している。エ号遭難120年を前に、トルコや日本で写真展を企画 したいと考え、訪れた。同町を訪れるのは初めてという。 町担当者の案内で、エ号慰霊碑やトルコ記念館、樫野埼灯台、料理鍋などエ号引き揚げ遺品が 展示されている串本海中公園センターを訪れ、熱心に写真撮影をした。エ号遭難時の話を伝え 聞いている地元の人も取材した。 オゼリさんは串本町の駅に降り立った時「トルコ友好の町」と書いた大きな看板が目に入り、樫野 にも慰霊碑や記念館など立派な建物があり、大切にされていることに感動したという。「時代は 変わっても、当時、トルコ人の救出にあたった人たちの血は今も流れていると思う。写真を通して それを伝えることができれば」と語った。 www.agara.co.jp/modules/dailynews/article.php?storyid=173972
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