- 483 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/30(火) 22:10:47 ID:3/YYi+x10]
- 現地に入った樺山台湾総督は、明28.6.10、伊藤首相宛電報のなかで、
「戦争」という表現を使っている。 「両三日中ニ総督府ヲ台北ニ移ス積リ」淡水ノ支那兵砲台ノ火薬庫ヲ焼キ逃ゲタル風説アリ。 左レドモ島ノ南部ニテハ多少ノ戦争ハ免カレザルベシ。 (『秘書類纂 台湾資料』1935、24頁) 一敵国を相手にした外征と変わらないというのが、 樺山総督の認識であった。 樺山総督は6.19、伊藤首相に宛てて、 台湾に派遣された文武諸官員の扱いを「外征従軍者」とするよう稟申した。 日清両国間ノ平和既ニ回復シ台湾島ノ受授ハ完了セリト雖本島ノ形勢ハ恰モ一敵国ノ如ク 清国ノ将卒ハ淡水三貂湾ニ於テ我兵ヲ射撃シ又金咬蒋基隆等ニ於テ頑固ナル抗敵ヲ為セリ 而シテ南方安平打狗等ニ於テ我軍艦ヲ屡砲撃シ又新竹以南ハ尚夥多ノ残留清兵充満スルヲ 以テ今後幾多ノ戦闘アルヲ免レス故ニ名義上ヨリ言ヘハ台湾ハ既ニ帝国ノ新領土タリト雖 実際ノ状況ハ外征ニ於ルニ異ナルコトナシ故ニ本島ニ於テ文武ノ職ヲ奉スルモノハ其平定ニ 至ルマテ総テ外征従軍者トシテ諸般ノ取扱相成度此段稟申候也 (アジア歴史資料センター ref:C06022096100) これは閣議で了承され、法制度上においても、台湾における戦闘は、 「外征」すなわち対外戦争として扱われるようになった。 当時の台湾総督が、戦争という言葉を使っているのに、平成からの造語とはこれ如何に?
|
|