- 783 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/04/22(水) 21:16:27 ID:hxshV+v40]
- 自動車産業の黎明期の課題は、「故障しにくい自動車」であった。
トヨタが性能で劣っていても売れたのは、 「トヨタ社は日産のパクリであろうと、壊れにくい。」の評判があったからだ。 確かに日産は技術はあった。性能も良かった。 しかし、壊れにくい自動車とは設計から工場までの品質管理が その肝であった。トヨタの品質管理が厳しくなったのはこのためだ。 次に、自動車評論家が求めたのは「乗り心地」「実用性」であった。 N(ノイズ)V(バイブレーション=振動)H(ハーシュネス)=突き上げの追放。 十分なキャビンの容積とトランクの容量、エアコンの装備などである。 凝ったサスペンション技術が自動車に採用され始めた。 すると、自動車事故で「日本車が危険」という評判が立った。 衝突安全ボディ、後部座席の三点式シートベルト採用。 ABS,エアバッグ、 ESPなどのコンピュータを使った車両制御技術が採用される。 そして日本車は性能的には満足だが独創的なデザインが足りないといわれ始める。 そこで著名な外国人デザイン事務所にデザインを依頼し、国内でも デザイナーの育成をはじめた。 最後に「日本車には自動車文化の伝統、ブランドイメージが足りない」と言われるようになる。 そりゃそうだ。第二次大戦が終わってから発展したから 60年ぐらいしかない。それでも長いほうだが。 ブランドイメージのためにレクサス店を作ったが、やはり日本人はコストパフォーマンスを重視する。 レクサスはあまり売れていない。 ブランドでプレミアムをつけるには、圧倒的な技術的優位が必要なのだ。 日本の大衆車はそれだけ進んだ技術を採用している。 マスコミの批判とそれに生真面目に答えてきたメーカーの技術者が良くわかる。 ある程度は、評論家の批判は的を得ていた。
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