- 214 名前:名無しさん@12周年 mailto:sage [2011/07/30(土) 00:21:19.56 ID:S9UtRdZ20]
- >>147
一回、おあむ物語でも読んでくれ。 戦国末期でも、庶民の暮らしは天下人とは比べものにならない悲惨さだった。 まして、中世の庶民のほうが、余程貧しい。 今の東京の銀座あたりは、中世には江戸前島という円覚寺の荘園だったわけだが、 「飢饉で人煙が絶えた(つまり住民が飢餓で絶滅した)」という記録さえある。 江戸時代は停滞経済だったが、富の再分配という点では、それなりだった。 ただ一つ、中世より生活水準が退行した地域があって、それが東北地方の太平洋側。 これは、稲作の強引な普及と、平均気温低下が重なって、飢饉が頻発したから。 (稲作は平年の生産性が高く、労働力を要するので、東北でも、平年作標準で人口は増加した。 だが東北太平洋側では、数年に一度完全な凶作が来る。 そうすると、人口がなまじ多いだけに、猛烈な飢餓が襲う。 これは、稗食が主体だった中世より、悲惨な飢餓を招くことになった)
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