- 744 名前:名無しさん@1周年 [2020/02/24(月) 23:48:25 ID:r4Ip+K860.net]
- >>736
日独防共協定は1937年(昭和12年)11月にイタリアが加わり、 三国防共協定となったが、翌13年に入ってからは満州国とハンガリー(2月)、 そしてスペイン(3月)が加盟し、枢軸陣営はますます強化されつつあった。 これがやがては日独伊三国同盟(1940年9月27日)へとつながる。 ちなみに反日・自虐史観においては、 この協定はいかにも不当な反共同盟であり、 日ソ関係を悪化させた原因であるかのごとく論じられている。 東京裁判でも、この協定は共同謀議の槍玉のひとつに挙げられた。 検察側は、日本とドイツが防共協定を結んだことは、 「ソ連に対する侵略の陰謀」だったというのである。とんでもない言いがかりである。 日露戦争が、帝政ロシアの東亜侵略に対する自衛戦であったことは、 リットン調査団の報告書に照らすまでもなく、一点の疑う余地もないところである。
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