- 800 名前:名無しさん@1周年 [2019/01/13(日) 03:19:25.69 ID:thxZeYKc0.net]
- >>748
日本に合邦上奏文を提出したご先祖の恥ずべき記憶を消したい韓国人たち 2017年9月13日 8月29日は、1910年に日韓併合が公布された日です。先日、ミサイルを発射した 北朝鮮もその恨みを晴らすためわざわざこの日を選んで発射した、と述べていました。 しかし、この日韓併合、その裏で大勢の朝鮮人が日本との併合を望み、 それを積極的に推進していたという事実はあまり知られていません。そうしたなか、 その事実を示す歴史的遺物が東京のとある神社(青梅市の大東神社か?)に保管されて いることが近年明らかになりました。 ソウル放送が苦々しげにこの事実を報じています。 日本の神社に堂々と残る親日遺物‥親日派の恥ずかしい記録も(SBS) 明後日29日は1910年、日本に国を奪われた国恥日です。日本の右翼が、この日を記念して 塔を建てましたが、1975年に撤去され、塔の中にあった碑石は持ち出され、 神社に保管されてきました。その碑石には親日派の恥ずかしい記録まで刻まれていました。 東京チェホウォン特派員が報道します。 <記者> 1910年、韓日併合から20余年が過ぎた1934年、東京明治神宮の前に「日韓併合記念塔」が 建てられました。記念塔は慶州多宝塔を真似たもので、建設を主導したのは日本の極右団体 「黒竜会」でした。日中戦争を控え、朝鮮で戦争物資と兵力を獲得するため、 日帝同化政策の一つとして建てたのです。 しかし建設したのは日本人だけではありませんでした。 除幕式では親日派朝鮮人が「強制併合を賞賛する」と祝辞を行い、朝鮮の儒者数十人も 併合賛成名簿に名前を連ねました。塔は、日本が敗北した後も、なんと30年間も残っていて、 1975年になってようやく撤去されました。 しかし、日本の右翼は昔の栄光を維持しようとして塔の中の碑石を持ち出し、 東京郊外の神社に移しました。碑石には、記念塔の建設を支援した親日派の恥ずべき行跡が ぎっしり記されています。 碑石の側面には親日団体一進会会長・李容九が会員100万人を率いて満州に移住し 満州併合を助けたという文章が記されています。いまもなお侵略の歴史を美化し続ける 日本の右翼たちとそれを助けた親日派の恥ずかしい痕跡が東京に残っています。 propagandawar.info/archives/7029
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