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【歴史】徳川三代将軍、家光の駕籠が福井県の寺で発見される。専門家「大変な驚き。近世交通史の貴重な資料」



1 名前:記憶たどり。 ★ mailto:sage [2018/07/31(火) 10:43:12.99 ID:CAP_USER9.net]
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180731-00000025-mai-soci

徳川将軍家の駕籠(かご)が福井県小浜市の曹洞宗「発心寺(ほっしんじ)」で見つかった。
31日発表した県によると、3代将軍家光(1604〜51年)の駕籠で、側近の小浜藩主、酒井忠勝
(1587〜1662年)が初めて若狭国入りした際に贈ったとされる。初代家康を除き将軍用の駕籠は現存せず、
専門家は「大変な驚きで、近世交通史の貴重な資料だ」と話している。

駕籠は箱状の座席に担ぎ棒を渡した乗り物で、明治期に人力車が普及するまでは広く利用された。
家光が贈ったとされる駕籠は、廃藩前の明治初期に小浜城から買い受けた商人が発心寺に寄贈した。
寺の老朽化に伴う解体工事で昨年12月に見つかり、県立若狭歴史博物館などが調査していた。

見つかった駕籠は、座席部分が長さ118センチ、幅86センチ、高さ102センチ。竹やヒノキの薄板を編み込む
「網代(あじろ)」の手法を施す外観は質素だが、内側は焦げ茶のビロードが貼られ、格子部分をスライドして
開閉できる夢想窓が細工されている。両端の金具に徳川家の三つ葉葵(あおい)紋がある黒漆塗りの担ぎ棒は
現存する最長の497センチで、上部が丸みを帯びる。

酒井忠勝は家光からの信任が厚く、晩年は大老に就いて将軍家を支えた。1634年に若狭国入りした際には
家光から馬も受けたとされ、駕籠からは主従の強い結びつきがうかがえる。将軍家の駕籠は家康の3丁が残るだけで、
東京都江戸東京博物館の斎藤慎一学芸員(中世史)は「内外装の仕様は武家社会での身分を示しており、
階層性を示す貴重な資料だ」と話している。

駕籠は幕末期の1860年、当時の小浜藩主だった酒井忠義(1813〜73年)が京都御所を訪問する際にも利用しており、
県立若狭歴史博物館は開催中の「幕末明治福井150年博」で8月1日から特別公開する。

246 名前:名無しさん@1周年 [2018/07/31(火) 14:02:23.01 ID:/iGZVdSA0.net]
>>1
徳川家光ってコロッケのイメージしかない(´・ω・`)

247 名前:名無しさん@1周年 [2018/07/31(火) 14:07:58.19 ID:7eTnLyQ50.net]
>>223
馬車は昔からあったよ。
行軍で荷物を運ぶ荷駄は馬車だよ。
でも、荷駄は上り坂になると、何人もの人手で押必要があるし、下り坂では転げ落ちないように縄で引っ張る必要があって、
坂道の運搬は大変
重い荷物の運搬ではなく、人間だけの移動で、坂道があるとわかっているなら、歩いた方が楽

248 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2018/07/31(火) 14:11:00.75 ID:Lcsn1zoY0.net]
>>247
戦国時代は、牛馬の背中に荷物をくくりつけて物資を輸送していました
馬車なんて有りません

249 名前:名無しさん@1周年 [2018/07/31(火) 14:11:33.72 ID:ZovJHJLn0.net]
>>72
慶喜は乗馬が得意。

幕末の駕籠なら、篤姫のが現存している。徳川に近衛に意匠がキラキラし放題で普通乗り仕様ではない。嫁入り用だね。

250 名前:名無しさん@1周年 [2018/07/31(火) 14:15:53.70 ID:VZgheZ0L0.net]
>>1
>先日、中国に行った人から聞いたが、北京の国際空港のパスポート審査のところには、
「中国人」「外国人」というどの空港にでもある区別以外に、
「Air China Easy Way Beijing-Frankfurt」という窓口があるそうだ。
そればかりか、北京〜フランクフルト間を移動する人専用のチェックインカウンター、
荷物のターンテーブルなども整備されているという。
中国とドイツの親密度を考えると、さもありなんとも思える。


>「北京の国際空港のパスポート審査のところには」


当たり前やがこういうのがあるのは北京空港だけで
ドイツには中国人に便宜を図る施設などどこにもない

つまり そういうこった (´・ω・`)

251 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2018/07/31(火) 14:15:59.92 ID:MQfcPSfS0.net]
行きは籠で来て
帰りは歩きかね?

252 名前:250 [2018/07/31(火) 14:16:44.15 ID:VZgheZ0L0.net]
すまん 誤爆した (´・ω・`)

253 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2018/07/31(火) 14:19:10.94 ID:2hLzPvfl0.net]
けっこうな大きさななのに今まで見つからなかったのか

254 名前:名無しさん@1周年 [2018/07/31(火) 14:23:54.98 ID:7nLo0Eou0.net]
皇女和宮もカゴに乗ったが、中仙道の難関の鳥居峠だったかは、歩いたらしいね



255 名前:名無しさん@1周年 [2018/07/31(火) 14:25:29.64 ID:7eTnLyQ50.net]
>>248
あるよ。
リヤカーのような車を牛馬で引いていた

256 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2018/07/31(火) 14:31:43.27 ID:fs/6+92p0.net]
大八車は江戸時代からあるよね。
時代劇にもよく出てくる。
驚くのは荷台の幅の狭さ。
細く路地でも通れるように後のリヤカーなどよりはるかに狭い。
軸受なんでベアリングもない時代だからさぞかし摩耗しただろう。

257 名前:名無しさん@1周年 [2018/07/31(火) 14:34:21.30 ID:lxAfS3SD0.net]
よくそんなでかいものが今まで放置されてたなw

258 名前:名無しさん@1周年 [2018/07/31(火) 14:36:02.82 ID:kaVN56KJ0.net]
駕籠は駕籠かきによって前後左右に揺れるから乗ってるやつも
その動きに合わせて揺れてやらないと駕籠かきが疲れてしまう
だから上からさがったひもにぶら下った中腰にならないといかん

疲れて時々、歩くのも双方のため

259 名前:名無しさん@1周年 [2018/07/31(火) 14:38:01.10 ID:ivJplbVk0.net]
韓国ドラマ見てたら朝鮮国王の籠って10人以上で四方八方から担いでたな
あれだけの人数で担げばあまり揺れずに快適だったろうと思う

260 名前:名無しさん@1周年 [2018/07/31(火) 14:38:58.05 ID:ZovJHJLn0.net]
大八車が消えたのは重心が高かったという理由もある。
両輪の間の軸の上に板を敷いたから。

リヤカーでは鉄パイプと両輪をつないで、鉄パイプを地面近くまで下ろして板を敷く。

261 名前:名無しさん@1周年 [2018/07/31(火) 14:39:23.01 ID:7eTnLyQ50.net]
>>256
近況用だと、車輪なしで荷台の片側を引きずる方式もあったみたいだな

262 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2018/07/31(火) 14:45:39.91 ID:yUQnxoPy0.net]
お宝発見みたいな番組で、結構、色んなところで見たような気がするけど
勘違いかな?

263 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2018/07/31(火) 14:54:11.75 ID:Eu168Ee70.net]
>>188
東海道は牛車対応で一部区間敷石舗装されてましたが?

264 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2018/07/31(火) 15:01:47.44 ID:8kZgaf4Y0.net]
>>254
街道と言うと現在の国道の様な舗装されては無くても少なくとも開けた道がずっと繋がってるんだろう
と現代の人間はイメージするが
江戸時代の幕府が整備した五街道のひとつである甲州街道の旧道をちょっと歩いてみた事があるんだけど(小仏峠あたり)
細くて険しい登山道みたいな道が途中で普通にあるんだよなw
峠越えなんてそんなとこばっか
だだっ広い平原がどこまでも続いてる様なヨーロッパと違って日本の道は馬車なんかでずっと移動できるような地形じゃなかったんだよね



265 名前:名無しさん@1周年 [2018/07/31(火) 15:03:51.78 ID:ukKq1gbW0.net]
筆おろしは春日だったのかな

266 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2018/07/31(火) 15:06:43.86 ID:3KeHZ1cK0.net]
でもエアコン付きじゃないときっと暑いよね

267 名前:名無しさん@1周年 [2018/07/31(火) 15:09:59.95 ID:PuvsFr7/0.net]
しょぼい

将軍用なんだからもっと金銀や漆をあしらった豪華なものかとおもった

268 名前:名無しさん@1周年 [2018/07/31(火) 15:10:17.28 ID:7eTnLyQ50.net]
>>265
水戸徳川家初代の徳川頼房だった説がある。

269 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2018/07/31(火) 15:14:19.32 ID:PKFVvHJa0.net]
レベルが低いのは陸だけじゃないよな
航海術もお粗末で、常に陸を見ながらの地乗り航法、逆風でも吹きゃその辺の島影に逃げ込みやり過ごす有様

270 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2018/07/31(火) 15:17:27.43 ID:Zn4kuY3Z0.net]
>>1
手放しで、信用すんなよ

271 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2018/07/31(火) 15:20:21.72 ID:Zn4kuY3Z0.net]
>>1
鑑定したのか?用途は?近場用なのか、遠乗り用か?

272 名前:名無しさん@1周年 [2018/07/31(火) 15:23:27.94 ID:8kZgaf4Y0.net]
>>269
大航海できる大型船の建造をわざと禁止してたのも知らん低学歴のゴミ(笑)

273 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2018/07/31(火) 15:24:52.15 ID:c97ROUKt0.net]
>>269
そりゃ徳川幕府が遠洋航海を禁止したからな
おまけに大型船の保有も禁止されてしまったし

274 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2018/07/31(火) 15:26:46.55 ID:XDo/WSxY0.net]
>>262
身分の高い人の駕籠である乗り物(引戸がついていて部屋のようになっているタイプ)は金持ちの商人だからといって勝手に作って乗るわけにはいかなかった。
侍でもある程度高い身分でないと乗ることができない特権階級の乗り物であった。



275 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2018/07/31(火) 15:29:22.69 ID:7sREWHFYO.net]
>>245
関ヶ原で徳川四天王の内井伊直政と本多忠勝は家康本隊にいて井伊直政は家康4男忠信と共謀して
福島正則に先陣を切らせないよう福島軍の前面に鉄砲隊を置いて対峙する宇喜多軍をゲリラ銃撃して
戦いの戦端を切ったが、酒井忠次 榊原康政は徳川主力部隊の秀忠軍3万8000にいた上に川止めと上田で真田軍に
ボコられて間に合わず。無論家康は顔も合わさんと言った位に激怒!。
ちなみに秀忠は大坂冬ではあわてて来るなを無視して10万を東海道経由でほぼ休まず行軍して二条城に
来たことにまたも家康に激怒されてる。

276 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2018/07/31(火) 15:30:12.52 ID:8kZgaf4Y0.net]
船舶の規模や遠洋航海術なら戦国時代後期と安土桃山時代の方が江戸時代より優れてただろうね
江戸時代は徳川家への反乱に利用されるのを恐れわざと禁止してた
馬鹿は日本の技術が劣ってたから、とでも思ってる様だが(笑)

277 名前:名無しさん@1周年 [2018/07/31(火) 15:32:58.22 ID:DPhF4PbM0.net]
外人から見たら籠はどう思うんだろうか
やっぱり車輪が無いから遅れてると思うのかな

278 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2018/07/31(火) 15:33:03.53 ID:XDo/WSxY0.net]
>>273
鎖国している200年の間に航海術は失われてしまった。
もっとも大きな実用船である千石船の船頭達でも稚拙な磁石を頼りに陸地を見ながら若しくは島伝いの航海が基本だった。
天測航法も知らず海図も無く経験則だけの航海なので一度流されるとお手上げで外国船に救助されるか島に流れ着くしか生き延びる道はなかった。
一番流された千石船でシアトル沖で救助された例がある。

279 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2018/07/31(火) 15:33:29.99 ID:FL1u3RpA0.net]
高校を卒業した学生の語学能力が、これほど貧弱で物の役に
立たないのは何故なのか。抜群の語学力を誇り、東大文学
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280 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2018/07/31(火) 15:35:07.88 ID:XDo/WSxY0.net]
>>277
外国人は正座ができないので乗れなくて困ったらしい。
椅子タイプも外人向けに少数作られ横浜などで使われた。

281 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2018/07/31(火) 15:36:32.86 ID:xGR1BZkR0.net]
>>269
戦国時代にすでに西洋並みの複帆船作れたけど、
幕府が単帆だけの規制を敷いた。
何石船、とかいわれるように排水量まで厳しく規制して大型船と遠洋航行を封じ込め。

おかげで不安定な単帆船のおかげで、たくさんの人が海難に遭ったな、
愚かだと思うわ。

282 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2018/07/31(火) 15:36:56.29 ID:c97ROUKt0.net]
>>277
そこはどう考えるかで変わって来るな、密集地帯で人をひかないように考えるなら
人が担ぐ籠の方が安全だし、権力や富の誇示なら人を使役する意味でも有効

283 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2018/07/31(火) 15:37:30.90 ID:92bupfwx0.net]
こんなのに何時間も座ってられるんだもんな
昔の人は凄いね

284 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2018/07/31(火) 15:38:08.61 ID:xGR1BZkR0.net]
せめて複数の帆を利用した航法だけでも残しておけば、
向かい風でも操舵できるから、海難は激減していただろうにな。



285 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2018/07/31(火) 15:40:00.39 ID:c97ROUKt0.net]
>>284
海運が未発達だったからこそ、あえてリスクを冒した紀伊国屋のみかん船は大成功したわけで

286 名前:名無しさん@1周年 [2018/07/31(火) 15:40:58.56 ID:7eTnLyQ50.net]
車だと玄関までしか入れないから、貴人も玄関まで赴く必要があるけど、
駕籠なら座敷まで上がれるからな
江戸城大奥では、正室や側室が外出するときには、駕籠が座敷まで入っていた

287 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2018/07/31(火) 15:44:23.82 ID:FL1u3RpA0.net]
日本民法の父、穂積陳重の『法窓夜話』を現代語に完全改訳
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288 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2018/07/31(火) 15:45:46.34 ID:b5ZFXa7M0.net]
>>44
座布団1枚やってーw

289 名前:名無しさん@1周年 [2018/07/31(火) 15:46:29.81 ID:g2ZGroDE0.net]
こんなでかいのなんで今まで見つからなかったの

290 名前:名無しさん@1周年 [2018/07/31(火) 15:46:41.31 ID:hLIEdp120.net]
まあ日本は山だらけだったからな

291 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2018/07/31(火) 15:53:46.57 ID:XDo/WSxY0.net]
>>284
実は江戸中期に工楽松右衛門が専用の丈夫な木綿帆布を開発して帆の下桁をなくしヨットのセールのように帆の下を窄めることで単帆和船でも向かい風に向かってジグザグ航法で進めたのよ。
それより和船独特の箱型の舟底形状が逆走の妨げになって浅い角度でしか逆走出来ず効率は悪かったということ。

292 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2018/07/31(火) 15:54:33.62 ID:7sREWHFYO.net]
>>281
伊達政宗が支倉常長をスペインに送った時の船は当時としてはかなり大きな帆船だったよね。
大砲も数門積んだっていうし。
出島のみになった時のオランダ船も比較的大型船だった。

293 名前:名無しさん@1周年 [2018/07/31(火) 16:09:24.48 ID:SwepZS4L0.net]
>>42
信長が日本を統一してりゃ北から西まで車が走り易い道造ってたかもね

294 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2018/07/31(火) 16:11:03.43 ID:KhvXr2Lg0.net]
駕籠の中でSEXってあのシチュエーション可能なのかねえ



295 名前:名無しさん@1周年 [2018/07/31(火) 16:13:42.34 ID:ogIjoTwq0.net]
>>225
それについても。
この辺りは、まだ調べ上げてないので憶測ですが、
私は、馬というものは今でいう外車クラスの高級品だったのではないかと思っています。
例えば、同じまんが日本昔ばなしの「潮吹きうす」という
話では、主人公が石臼を使って米→塩鮭の次に馬を出して、
その次に家を出しています。このことから見て、馬は庶民の憧れなんじゃないかなぁと思います。
又、その他の昔話を見ていると馬方は、馬を使って荷物を運んだり、代掻きを手伝ったり、して駄賃を貰って生活をしていますが、これも結構広範囲に借り出されたりしているので、やっぱり村に馬方が1人いるかいないかの状況での高級品だったんじゃあないかな?と考えます。

亀レス、乱文すみません。

296 名前:名無しさん@1周年 [2018/07/31(火) 16:22:48.74 ID:QbjHPVHb0.net]
>>188
道中奉行はどんな仕事をしてたの?
街道の石畳は自然にできたの?

297 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2018/07/31(火) 16:23:02.59 ID:0caMMZ1V0.net]
>>14
駕籠はある意味義務だったからな
公務での外出では身分によって鋏持ちや草履取り、家来の数も決まりがあったから

298 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2018/07/31(火) 16:25:20.22 ID:0caMMZ1V0.net]
>>225
塩原太助か

299 名前:名無しさん@1周年 [2018/07/31(火) 16:25:54.75 ID:P3ZiAPE10.net]
>>94あんな中で長時間いるぐらいなら自分も歩いた方が楽だよな。

300 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2018/07/31(火) 16:29:41.54 ID:unv7y6Po0.net]
>>62
ホント

301 名前:名無しさん@1周年 [2018/07/31(火) 16:32:20.18 ID:p28ypMOH0.net]
福沢諭吉は欧米で馬車を見て、その発想は無かったとか言ってたな

302 名前:名無しさん@1周年 [2018/07/31(火) 16:36:58.38 ID:lLknUYui0.net]
俺は牛車が好きだ

303 名前:名無しさん@1周年 [2018/07/31(火) 16:39:03.41 ID:+wzrgfTx0.net]
>>297
その通り。籠一つ止めると、籠担ぎで代々食ってる一族郎党は一挙に職を失う。
これが封建社会の本質。故に物事を動かすのがほんとに大変。

304 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2018/07/31(火) 16:39:21.11 ID:Lcsn1zoY0.net]
日本人は関東大震災まで、交通や都市計画の重要さを知らなかったからね



305 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2018/07/31(火) 16:40:51.97 ID:0caMMZ1V0.net]
>>302
公家じゃないと乗れないんじゃなかったかな?

306 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2018/07/31(火) 16:41:07.77 ID:U93rOj/X0.net]
現存してる江戸時代の駕籠を見ると、当時の日本人がいかに小さかったかよくわかる

307 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2018/07/31(火) 16:42:53.77 ID:c97ROUKt0.net]
>>304
東京にしろ大阪にしろ本格的な都市計画で変わったのは戦争後の話
東京も大阪も運河が多くて運河で物を運んでた
空襲の後の残土の処理もあったが、運河を埋め立てて道路を作って
整理したのが現在の東京と大阪
名古屋福岡も中心部が廃墟になったおかげで都市計画を一から立てられた

308 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2018/07/31(火) 16:44:24.28 ID:U93rOj/X0.net]
>>305
今川義元が輿に乗ってたのは、乘れる身分を誇示するためだったらしいな

309 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2018/07/31(火) 16:44:41.82 ID:c97ROUKt0.net]
>>306
当時の日本人って160を越えるのはほとんどいなかったらしいからな
その前の平安鎌倉時代と比べても低い

310 名前:名無しさん@1周年 [2018/07/31(火) 16:47:37.66 ID:WEsCfgaN0.net]
>>304
江戸は大火でなんども焼けて
その度に少しずつ都市計画的なことをしてるよ
延焼防止のエリアを作ったり

311 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2018/07/31(火) 16:49:26.69 ID:7sREWHFYO.net]
>>308
輿に乗って指揮したと言えば関ヶ原の大谷吉継も病で顔に面を被って輿に乗りながら藤堂高虎軍と激戦。

312 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2018/07/31(火) 16:49:48.51 ID:MDkLRq5o0.net]
エコノミー症候群になりそう。(´・ω・`)
img.news.goo.ne.jp/picture/jiji/m_jiji-0027824121.jpg

313 名前:名無しさん@1周年 [2018/07/31(火) 16:52:14.50 ID:/qeod9tQ0.net]
>駕籠は箱状の座席に担ぎ棒を渡した乗り物で、明治期に人力車が普及するまでは広く利用された。
時代劇が殆ど無くなったから、こうやって説明しないといけないんだな。

314 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2018/07/31(火) 16:53:18.26 ID:pD2ypE3T0.net]
>>312
狭いとかきついとか暑いとか苦しいとか「甘え」で片づけられてしまう超絶ブラック時代やぞ。



315 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2018/07/31(火) 16:56:27.20 ID:wW7fG9dj0.net]
>>3
四代、五代将軍は家光の子供、六代将軍は家光の孫で七代は曾孫
七代が幼少で夭逝したため、ここで直系が絶え八代が紀州家の吉宗となった

316 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2018/07/31(火) 17:05:12.45 ID:wW7fG9dj0.net]
>>32
あったけど主に荷物を運ぶ用だった

317 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2018/07/31(火) 17:05:46.10 ID:7sREWHFYO.net]
>>315
9代 10代は吉宗の子供(9代は病気持ち)で、10代で吉宗の子も途絶えてあらかじめ吉宗が作っておいた
御三卿の一橋家の家斉が11代になり、大量に子を作ったために12代 13代と家斉系が続いた。
さらにそのせいで12代家治が家斉がずっと大御所にいたために50歳近くまで実権握れなかった。
14代は紀州 15代は一橋家。

318 名前:名無しさん@1周年 [2018/07/31(火) 17:09:47.23 ID:QbjHPVHb0.net]
ID:7sREWHFYO
スレタイ読めないひとかな?

319 名前:名無しさん@1周年 [2018/07/31(火) 17:14:18.10 ID:7eTnLyQ50.net]
>>308
戦場における輿は身分は関係ない
馬に乗れないご老体などは輿で参戦することも珍しくなかった
馬なら視線が高いから戦場を見渡せるが、駕籠だと低いから戦場が見渡せない
馬と同じ視野を確保するなら輿に乗ることになる

320 名前:名無しさん@1周年 [2018/07/31(火) 17:15:02.45 ID:V/ztO9mB0.net]
>>302
面堂終太郎の母ちゃん乙

321 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2018/07/31(火) 17:15:57.25 ID:6L7I7XcP0.net]
>>269
陸を見失うと髻切って神仏に祈るんだぜ

322 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2018/07/31(火) 17:17:29.40 ID:iuZKfHki0.net]
>>29
平安時代は牛車に乗ってたんだがな
まぁ京都は広大な平地だったが

323 名前:名無しさん@1周年 [2018/07/31(火) 17:18:47.88 ID:7eTnLyQ50.net]
>>299
読書にしろ、手習いにしろ、茶の湯にしろ、公式行事にしろ、何時間も正座で過ごすなんて
幼少期から当たり前として育っているから、駕籠の中で正座するなんて大して辛くもないんじゃないの?

324 名前:名無しさん@1周年 [2018/07/31(火) 17:26:19.97 ID:FQHZcrwX0.net]
こんなの交通手段じゃないよたいした資料じゃないよ。交通資料と言うんなら牛車や馬車のほうが理にかなってる。



325 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2018/07/31(火) 17:26:50.23 ID:wW7fG9dj0.net]
>>317
15代は一橋だけど水戸家の血筋じゃん
>>304
江戸の街並が何故土蔵造りになったのか知らないの?

326 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2018/07/31(火) 17:28:48.95 ID:iMcjgZTC0.net]
いくら歩かんでもエエ言うても、真夏は暑いし真冬は寒いがな

327 名前:名無しさん@1周年 [2018/07/31(火) 17:35:22.63 ID:vFE4kOtJ0.net]
>>68
スキー場で見掛けるな

328 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2018/07/31(火) 17:43:58.39 ID:c97ROUKt0.net]
>>326
江戸時代は寒冷期で江戸の最高気温は30度を超えたか怪しい所

329 名前:名無しさん@1周年 [2018/07/31(火) 17:51:50.62 ID:7eTnLyQ50.net]
>>328
28℃くらいだとしても、炎天下にあの箱の中に入っているのは
かなり暑いんじゃないか?

330 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2018/07/31(火) 17:58:06.98 ID:c97ROUKt0.net]
>>329
8月いっぱい(旧暦だからそれに相当する期間)は乗らなければいいんじゃね?
バブルの頃の関東って、7月下旬までは梅雨寒で8月に入ってようやく暑くなり9月にはすぐに涼しくなってた
寒冷気候だった江戸時代だったらなおさらで一番暑い時期は20日もなかったと思う

331 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2018/07/31(火) 17:58:48.37 ID:0caMMZ1V0.net]
>>323
ドラマだと正座だけど実際には男も女も胡座が多かったんじゃね?

332 名前:名無しさん@1周年 [2018/07/31(火) 18:02:10.14 ID:56lbRHO30.net]
しかしこんな駕籠かきのような人権侵害・ブラック労働の塊が江戸時代だったんだな
これらを打破した明治の 御一新は畏れ乍らありがたいです

333 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2018/07/31(火) 18:06:47.19 ID:NpstFlnKO.net]
福井県て言うから徳川一門の越前松平家かと思ったら、若狭の酒井か
譜代大名だが徳川四天王だから格高そう

334 名前:名無しさん@1周年 [2018/07/31(火) 18:06:58.50 ID:56lbRHO30.net]
日本は奈良時代までは世界水準の交通レベルだったが
足利・徳川という左翼独裁政権時代に世界最低水準の交通レベルにさせられて
現在に至る



335 名前:名無しさん@1周年 [2018/07/31(火) 18:07:56.61 ID:0D4BB6AZ0.net]
>>229
思うに車輪製作は手前だからでは?
熱を要する。

336 名前:名無しさん@1周年 [2018/07/31(火) 18:14:03.49 ID:DP5tRSB80.net]
>>68
こんなデカいものが今更発見されたってどういうこと?
どんだけデカい蔵やねん

337 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2018/07/31(火) 18:14:37.19 ID:qF8VyPAG0.net]
>>333
四天王は酒井左衛門尉家、こっちの酒井は酒井雅樂頭家。

338 名前:名無しさん@1周年 [2018/07/31(火) 18:14:38.74 ID:56lbRHO30.net]
>>306
山岡鉄舟は188センチ105キロで西郷どんは180センチ130キロ大久保どんは178センチ
むしろ今のマッチョ青年よりガタイが良いよな
だから駕籠は乗せる人は超ブラックなのは当たり前だが
乗る人も箱根越えなんてなると難行苦行体中ボコボコになるだろう

339 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2018/07/31(火) 18:15:28.85 ID:0caMMZ1V0.net]
>>332
飛脚の話だが江戸〜京都へ三日で手紙を届ける三日飛脚は料金が今の金額で140万相当だったらしいから
駕籠掻き人足の手間もそう悪くはなかったと思われる
ちな距離が長くなると昼夜を問わず進める駕籠の方が馬より早かったそうだ

340 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2018/07/31(火) 18:16:35.52 ID:hcMiweBj0.net]
人生、楽ばかり〜

341 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2018/07/31(火) 18:18:26.84 ID:NpstFlnKO.net]
>>334
平安時代中頃からの藤原氏による摂関政治から、中央集権はグダグダ
続く平氏・源氏政権も街道の改良なんてカネのかかる土木工事はやりゃしない
徳川政権は東海道整備したり沿道に一里塚作ったり、まだ仕事した方

342 名前:名無しさん@1周年 [2018/07/31(火) 18:20:34.10 ID:0NXrOxUf0.net]
権威付けのために籠に乗った

343 名前:名無しさん@1周年 [2018/07/31(火) 18:20:45.68 ID:56lbRHO30.net]
>>339
ベアトが幕末に写した駕籠かきの写真はいずれも上品げな女性を乗せているが
駕籠かきはTバック褌だけで全裸に近い。いまだともちろんこれでは刑務所いきだが
あまりにも超重労働だから着物ももひき(今でいうスキニーパンツ)なんて着たら
体がもたなかったのだろう

344 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2018/07/31(火) 18:21:17.75 ID:NpstFlnKO.net]
>>338
悪路では舌噛まないように口に手ぬぐい咥えたらしい



345 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2018/07/31(火) 18:22:01.69 ID:0caMMZ1V0.net]
>>341
利根川東遷は今じゃ出来ないだろうな

346 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2018/07/31(火) 18:34:33.68 ID:TSzgF20KO.net]
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