- 331 名前:名無しさん@1周年 [2018/02/14(水) 21:04:32.44 ID:0yjcDhlQ0.net]
- >>1
ここには人々が認める事を望まない生々しい現実が存在する、つまり、我々を安全にする魔法のシステムは存在しない。 一体何が、善人が勝利するか悪人が勝利するか、抑圧の時代か自由と正義の時代かを決定するのか? 単純に、もし善人が悪人よりも多く物理的な暴力を使用するならば、正義は勝つ、 もし悪人がより多く物理的な暴力を使用するならば、悪が勝つ。 力は正義を生み出さない、しかし力は結果を生み出す。... ここにはなぜ我々が国家に対して、...自己防衛として物理的な暴力を用いなければならないのかの理由が存在する。 もし世界への我々のメッセージが「我々は我々自身を所有する、我々は自由であるべきである、 しかし政府の警察がやって来た時、我々は従うだろう」と言う事ならば、 伝わる唯一のメッセージは「我々は従うだろう、彼らは我々の奴隷主人である、そして我々は彼らの命じる通りにするだろう」である、 だからこそ自己所有権の概念には自己防衛権の概念が必須なのである。 ラーケン・ローズ、Why Speak of Violence? ラーケン・ローズはアメリカ合衆国のリバタリアン活動家、納税拒否者である。 政府はあなたが平和的であるかどうかを気にしない、彼らが気にする全てはあなたが服従するかどうかである。 ...暴力的である事は政府の暴力が個人に対して使用される前提条件ではない、そして国家主義の歴史全体において、 決してそうではなかった。政府の暴力の唯一の前提条件は不服従である、そして全く余りにも多くの事例において、 従順な奴隷さえ政府の役人により嫌がらせを受け、襲撃され、誘拐され、或いは殺されている。 ....その暴力はニューハンプシャー州やその他の場所の政府の役人が平和的な活動家や、一般大衆を抑圧する為の より進歩した最新技術を獲得するにつれてエスカレートしていく事は確実である。 ではどうすべきなのか?酷く不人気な見解であるが、その答えは政府の役人を殺す事である。 ....もし誰かが英語の再教育コースを必要とするなら、侵略は暴力の開始(先制的暴力)である、 そして不可侵原則は防衛的暴力の使用を非難しない。例え無謬の国家カルトの信者が非難したとしてもである。 私は不可侵原則を信じる。それがなぜ私が侵略者に対して防衛的な暴力を使用する事を信じるのかの理由である。 それはそう複雑な概念ではない。もし誰かが私に対して暴力を使用するなら、私はその脅威を退ける為に必要な暴力を使用する権利を持つ。 そして不可侵原則は相手が警察手帳や令状を持っているかによって例外を作る事はない。 クリストファー・キャントウェル、Concord Police, Go and Get Your Bearcat. クリストファー・キャントウェルはアメリカ合衆国のリバタリアン活動家、作家である。 もし全ての人が彼の正当に保持する財産に対する絶対的な権利を持つならば、その時は彼はその財産を維持する為の、 つまり、暴力的な侵害に対して暴力によりそれを防衛する為の権利を持つと言う事になるだろう。 例えばロバート・ルフェーブルの様な所有権に対する彼らの信念も主張する絶対的な平和主義者は避け難い内的矛盾に陥っている、 なぜならもしある人が財産を所有しているのに攻撃に対してそれを防衛する権利を否定されるならば、 その時はその所有権の非常に重要な面が彼に否定されていると言う事は明らかだからである。 ある人はある財産に対する絶対的な権利を持つが攻撃や侵害に対してそれを防衛する権利を持たないと言う事は 彼はその財産に対する完全な権利を持つ訳ではないと言う事でもある。 更にもし全ての人が攻撃に対して彼の身体及び財産を防衛する権利を持っているならば、 その時は彼はまたこのような防衛を行う為にその他の人々を雇うか支援を受け入れる権利を持たなければならない、 つまり、彼は彼が庭師を雇うか彼の庭に対する庭師の無償サービスを受け入れる事が出来るのと同じように 防衛者を雇うか受け入れる事が出来る。 マレー・ロスバード 、The Ethics of Liberty. マレー・ロスバードは20世紀のアメリカ合衆国における代表的な自然法哲学者、経済学者、歴史学者である。 彼はリバタリアン運動の中心的な指導者の一人であり、20世紀で最も偉大なリバタリアン理論家、ミスター・リバタリアンとも呼ばれる。 987465
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