- 1 名前:砂漠のマスカレード ★ [2017/10/18(水) 09:55:28.73 ID:CAP_USER9.net]
- 間違いなく「成功者」だったのに、なぜ
10月2日の朝、15番フリーウェイを、ロサンゼルスからラスベガスへ向けて走った。途中、車のラジオが速報を告げる。 <銃撃犯スティーブン・パドックの父親は、1960年代、銀行強盗を犯し、FBIが最も探し求める10人の指名手配犯の一人でした――> 事件は10月1日の午後10時5分に発生した。 スティーブン・パドックが、ラスベガスの高級ホテル『マンダレイベイ』の32階のスウィートルームから、 通りの反対側で行われていたカントリーミュージックの屋外コンサート会場めがけて、10分間に渡り、銃を乱射したのだ。 会場は一瞬にして戦場と化し、58人が死亡、500人近くが負傷する大惨事となった。パドックも自ら命を絶った。 現在までのところ、捜査当局は、犯行の動機を解明できていない。 なぜ撃ったのか?筆者が周辺を取材して得た材料をもとに、そこに迫ってみたい。 犯罪の動機を考える場合、よく指摘されるのが生育環境だ。 実際、パドックの生育環境は平和なものではなかった。 父ベンジャミン・パドックは、車泥棒や信用詐欺などの犯罪を犯し、刑務所を出たり入ったりしていた。 パドックが7歳だった1960年には、父がアリゾナ州で銀行強盗を犯して逮捕される。逮 捕されたその場所は、皮肉にも、今回の銃撃事件の現場となった同じラスベガスだった。 ベンジャミンは懲役20年を求刑されて連邦刑務所に服役したが、1969年には脱走し指名手配される。 指名手配のポスターには”自殺傾向がある精神障害者”と説明されていた。 父親の犯した重大犯罪が、当時、幼少期から思春期を生きていたパドックの心に大きな影を落としたのは間違いないだろう。 しかし、そんな幼少期の不幸を覆そうとするかのように、パドックは人生を着実に切り開いていった。 カリフォルニア州立大学を卒業し、IRS(米内国歳入庁)や航空宇宙産業などで勤務した後、会計士となる。 不動産投資も始め、アパートや商業物件を売買しながら資産を積み上げ、遂には”マルチ・ミリオネア”となった。 そのキャリアは、幼少期の不幸から立ち上がって成し遂げたサクセス・ストーリーとも見ることができるかもしれない。 しかし不動産投資で財をなしたものの、結局パドックは父という「トラウマ」から逃れられなかったのかもしれない。 ベンジャミンは、FBIの掲示板に”熱心なブリッジプレイヤー”と記されていたほどゲーム好きだった(ブリッジは、カードゲームのひとつだ)。 また、脱獄後、1978年に逮捕された時はオレゴン州でビンゴパーラーを経営していた。 パドックもギャンブルというゲームにはまり、”プロフェッショナル・ギャンブラー”としてカジノでお金を稼いでいた。 プライベートでは2度離婚したが、フィリピン人の恋人マリルー・ダンレーと出会ったのも、ギャンブルで著名なネバダ州のリノにあるカジノだった。 news.livedoor.com/article/detail/13763243/ 2017年10月18日 6時0分 現代ビジネス
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