- 1 名前:◆CHURa/Os2M@ちゅら猫φ ★ [2017/05/19(金) 05:34:11.53 ID:???]
- ★日本統治下朝鮮から「内地密航」した人々は戦後何をしたか
2017年05月18日 10時30分 まいじつ
韓国で、慰安婦問題同様に広がりを見せつつある強制連行問題。 しかし、その実態は、朝鮮から日本への密航の歴史だった。
日中戦争に突入し、1939年7月に施行された『国民徴用令』は、朝鮮人のみに限らず、 日本国民全般を対象としたものであった。しかし、朝鮮への適用はできる限り差し控えられ、 1944年9月にようやく、朝鮮から内地へ送り出される労務員について実施されている。
いわゆる朝鮮人徴用労務員が日本へ導入されたのは、1944年9月から1945年3月までの短期間だ。 これは1945年3月以後、アメリカ軍の攻勢により下関―釜山間の通常運航が杜絶したため、 実施が事実上困難となったためだ。
終戦後、在日朝鮮人の約75%が朝鮮に引き揚げたが、その帰還状況を段階的に見ると次の通りだ。
1945年8月から1946年3月までのあいだに、帰国を希望する朝鮮人は、日本政府の配船によって、 約90万人、個別的引き揚げで約50万人の合計約140万人が朝鮮へ引き揚げた。 引き揚げに当たっては、復員軍人、軍属および動員労務員などは特に優先的便宜が与えられている。 日本政府は、連合国最高司令官の指令に基づき、1946年3月には残留朝鮮人全員 約65万人について帰還希望者の有無を調査し、その結果、帰還希望者は約50万人 ということになったが、実際の引き揚げ者はその約16%、約8万人にすぎず、 残りは自ら日本に残る道を選んだ。
1946年3月の米ソ協定に基づき、1947年3月、連合国最高司令官の指令により、 北朝鮮引き揚げ計画が立てられ、約1万人が申し込んだが、実際に北朝鮮へ帰還した人は 350人にすぎなかった。
こうして韓国や北朝鮮へ帰国せず、自からの意思で日本に残った人の大部分は、 早くから来日して生活基盤を築いていた人々だ。つまり成功者である。戦時中に 渡来した労務員や復員軍人、軍属などは日本内地になじみが少ないだけに、 終戦後日本に残ったものは極めて少数派だった。
ちなみに終戦後の1947年に密航船で入国した『ソフトバンク』孫正義氏の祖父や 父の孫一族や、パチンコ最大手『マルハン』の韓昌祐会長は、「韓国にいても稼げない ので密航した」と2005年のテレビ番組で発言しているし、作家のキム・ギルホ氏は 「1973年、食べていくために日本行きの密航船に乗った」と証言している。
1970年代に入ってキム氏のような才能のある人さえ「食えなかった」のは“日帝支配”の責任というのだろうか?
https://news.nifty.com/article/domestic/society/12156-21967/
- 2 名前:名無しさん@13周年 [2017/05/19(金) 06:14:34.03 ID:Atl3lrCLp]
- アーアー聞こえないニダー
- 3 名前:名無しさん@13周年 mailto:sage [2017/05/19(金) 09:13:59.27 ID:WOcHlm2Ph]
- 200万人浚われたとか、BBCのドキュメンタリーに訴えて採用されたわけだが
BBCは謝罪しろよ
この屑放送局め!
- 4 名前:名無しさん@13周年 mailto:sage [2017/05/19(金) 10:13:49.64 ID:NtS9NnT42]
- >>1
ウリは統治終了後に密航して来たニダよ
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