- 484 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2017/02/27(月) 10:59:04.55 ID:IzI3aVHO0.net]
- ■戦前の日本
〇 学校では毎日全体朝会がもたれ、君が代斉唱のもとに「宮城遥拝」が行われました。 東に向きをかえ、はるか宮城(天皇がいる所)に向って、君が代の曲の終るまで 黙とうをささげました。 〇 平日には「御真影」(当時の天皇・皇后の写真)は、校舎から独立して安全で 人目のつく所に丈夫に作られた「奉安殿」に安置されていました。 この「奉安殿」は、登下校の児童生徒や学校に来る一般人の礼拝の的でした。 〇 祭日や記念日には、これに国旗掲場や教育勅語の朗読が加わわりました。 これらの儀式には町村長その他地域の知名士も参加していました。 黙とう始めの号令で黙とうが始まると、燕尾服に身をつつみ、白い手袋をつけた校長が、 「奉安殿」の扉を開け、教育勅語を取り出して朗読する間、ほとんど頭を下げたままの連続でした。 〇 1933年(昭和八年)頃、沖縄本島南部の第一大里小学校長が、御真影の件で責任をとり、 割腹自殺をはかった事件があったくらい、校長にとっては責任の重いものでした。 〇 学校は、「国体の本義」と「臣民の道を一人ひとりの子どもに徹底させることが最高の目標でした。 〇 国体の本義を簡潔にいうと「万世一系」「忠君愛国」「義勇奉公」の3つになり、 教育勅語の精神をいかに徹底させ得たかが、教師の指導力のバロメーターでもありました。
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