- 519 名前:名無しさん@1周年 [2016/01/09(土) 04:17:36.73 ID:BiBsp5yf0.net]
- おさらい
キーセンババアを挺身隊と捏造 植村 隆(うえむら たかし、1958年 ‐ )は、元新聞記者(朝日新聞社社員)。 1991年、いわゆる従軍慰安婦問題を初めて報道したが、事実に反する捏造であったと指摘されている。 妻は韓国人で、その母親は「慰安婦」支援団体の会長とされる。 植村が1991年8月11日に執筆した記事は以下のとおりである。 『元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く 日中戦争や第二次大戦の際、「女子挺(てい)身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、 一人がソウル市内に生存していることがわかり、「韓国挺身隊問題対策協議会」(尹貞玉・共同代表、十六団体約三十万人)が聞き取り作業を始めた。 同協議会は十日、女性の話を録音したテープを朝日新聞記者に公開した。 テープの中で女性は「思い出すと今でも身の毛がよだつ」と語っている。 体験をひた隠しにしてきた彼女らの重い口が、戦後半世紀近くたって、やっと開き始めた。 尹代表らによると、この女性は六十八歳で、ソウル市内に一人で住んでいる。 (中略)女性の話によると、中国東北部で生まれ、十七歳の時、だまされて慰安婦にされた。二、三百人の部隊がいる中国南部の慰安所に連れて行かれた。慰安所は民家を使っていた。五人の朝鮮人女性がおり、一人に一室が与えられた。 女性は「春子」(仮名)と日本名を付けられた。一番年上の女性が日本語を話し、将校の相手をしていた。 残りの四人が一般の兵士二、三百人を受け持ち、毎日三、四人の相手をさせられたという。「監禁されて、逃げ出したいという思いしかなかった。相手が来ないように思いつづけた」という。また週に一回は軍医の検診があった。 数ヶ月働かされたが、逃げることができ、戦後になってソウルへ戻った。結婚したが夫や子供も亡くなり、現在は生活保護を受けながら、暮らしている。』 — 植村隆、朝日新聞大阪版27面 1991年8月1
|
|