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【映画】 南京大虐殺を描いた『ジョン・ラーベ』、日本で上映禁止…出演俳優には批判の声も(チャイナネット)[03/31]



316 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん [2009/04/02(木) 00:54:51 ID:bkt0oeQZ]
「ジョン・ラーベは、当時日本と同盟だった独逸のナチ党員。だからラーベのいうことには信憑性がある。」
と、バカ左翼は言う。

 しかしラーベは、日本と敵対する支那国民党軍の蒋介石に武器を売る武器商人だった。独逸ジーメンス社の南京支社長という立場。蒋介石に武器を売り多額の利益を上げていた。
日本は独逸に対し、死那に武器を売ることを禁止するように要請。ヒトラーは利益を失うことに最初は躊躇ったが、ソ連を日本と独逸で東西から牽制する方が得策と、この日本の要請を受け入れた。

 これは、死那と武器取引で莫大な利益を上げていたラーベにとっては面白くない話である。ラーベは30年間も死那に住み、富を築いていたからだ。
このため、ラーベはありもしない日本軍の残虐行為をでっち上げて、日本と独逸は同盟するなと祖国の独逸に訴えた。
しかしこのラーベのでたらめ話は、同じドイツ人からも信じてもらわず、独逸大使館のシャフェンベルクは「支那人の話を一方的に聞いてるだけじゃん」と一喝された。
ラーベは自分自身が述べた"大虐殺"の期間も町を自由に歩いていたにも関わらず、直接殺人を見た記述は一つもないからである。
 また、安全区委員会の日本大使館への報告書も、裏付けの無い伝聞のみで確証は無く、支那人の一方的な話をだらだら書き連ねていただけだった。ラーベ自身は、報告する事件のただの一件も目撃はしていないのである。
その内容も、1938.1.14で独逸大使館には被害者数千人、その2週間後英大使館には数百人と報告。短期間で、コロコロ数字を変えている。全く信用に値しない報告書なのである。

 つまり南京の日本大使館へは、民間人の虐殺なんて無いという真実を知ってるから被害者の数字は出さない。しかし遠くはなれた欧米やヒトラーには、いかに日本軍は残虐かをでっち上げて報告しているのだ。
これはラーベが、支那で武器商人の利権を守るための保身なのである。


 ・・・結局、ラーベのこの無駄な努力は実らず(嘘だから当然だが)、独逸に呼び戻されたラーベは再び支那の地を踏むことはなかった。

 本国に戻ったラーベは、その恨みから問題の捏造本「ラーベの日記」をリライトにリライトを重ねた。しかしその後日独同盟が結ばれ、本は出版されること無く、ラーベは貧困の中で死んだ。
まさかラーベ自身も死後50年たってから、このウソ本が世界中で出版され、このでたらめを信じるバカが映画化するとは、まさか思いもよらなかっただろう。
ラーベの個人的恨み(支那での武器売買利権を日本に邪魔されたという個人的恨み)から書いたデタラメ本が、今まさに映画化されて果たされようとしている。なんと凄まじい怨念か!


 「戦争論2」小林よしのり P315〜







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