- 1 名前:はるさめ前線φ ★ [2010/08/28(土) 08:23:34 ID:???]
- 日韓の明日へ:併合条約100年 インタビュー 中曽根康弘元首相/金鍾泌元首相
1910年の日韓併合を決めた「韓国併合に関する条約」の発効から29日で100年になる。 この間の両国の歴史は、▽日本が朝鮮半島を植民地としていた45年まで ▽日本の敗戦によって植民地支配が終わってから65年に日韓国交正常化が行われるまで ▽国交正常化以降−−の三つの時期に分けられる。三つの時期すべてを生き、 両国関係に大きな影響を与えた2人の政治家に、これまでの100年を振り返り、 今後100年のあるべき両国関係と課題を展望してもらった。 ◆中曽根康弘元首相 ◇アジアの中心、意識を 外交には謙虚さが大事な要素 −−10日に菅直人首相が発表した談話をどう評価しますか。 妥当な談話だと思う。併合100年という時期に際して、反省と遺憾の意を正直に表明し、 次の100年に向かって日韓が友好・協力を深めていくという決心を示している。 アジアの発展のために日韓ともに協力し、両国が提携して「東アジア共同体」の中核になっていこう という意思表示があった。菅首相から「今回は100年にあたるというので、どうすればいいのか」 という相談があった。「君の考えにしたがって、謙虚な反省を述べると同時に、 将来の100年に向かって提携を強化していくというようなことでいいのではないか」というような 趣旨のことは言っておいた。菅首相は「同じようなことを考えていました」と答えた。 −−1983年1月、首相として初めて韓国を訪問された。 それまで、首相は就任するとまず米国に行った。しかし私は当時、園田外相発言 (注 81年8月・園田直外相が「韓国では嫌いな相手からカネを借りたり、技術を教えてもらう 社会習慣でもあるのか?」と発言した)などで日韓関係が混迷し、これを打開しなければ 米国に行く条件はできないと思った。日韓関係では当時、経済協力の問題を打開することが 関係を展開させる最初の仕事になっていた。そのため、瀬島龍三(故人・伊藤忠商事元会長)さんに 下準備のための話し合いをしてもらった。 −−日本の首相として初訪韓され、韓国語でスピーチをされた理由は? 韓国民に対して敬意を表するのが適当だと考え、その第一歩は韓国語で話すことだと思った。 「チョン・ドゥ・ファン テートンニョンカッカ(全斗煥大統領閣下)」とスピーチを始めたのを覚えている。 韓国語を使うことで、新しい首相の韓国に対する親善と敬意を暗黙に意思表示したわけだ。 韓国語で話し始めたら、大きな宴会場みたいな場所が一瞬、静まり返った。 まさか日本の首相が韓国語でやるとは思わなかった。韓国の大臣の奥さんなんか、 ハンカチで目をぬぐっていた。その後、全大統領との宴席でも私は韓国語で歌い、 全大統領は日本語で歌った。抱き合いながら。これぐらい感動した両国関係というのは今までなかった。 トップ同士の信頼感と友情の交流が中心になければ国交はうまくいかない。 −−今後の日韓関係をどう展望しますか。 世界的潮流が欧州連合(EU)や北米自由貿易協定(NAFTA)など、国家連合の関係が強く出ているが、 アジアないし東アジアでは国家連合的な形成がまだできていない。日韓、日中韓がアジアの中心の塊になる という意識を持って、当面、アジア国際協力機構を目指して進むのがよい。 (>>2以降に続く) 毎日新聞 2010年8月28日 東京朝刊 mainichi.jp/select/world/news/20100828ddm010040002000c.html ※依頼ありました(依頼スレ130、>>33)
|
|