- 268 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@\(^o^)/ [2015/04/12(日) 13:52:50.56 ID:JLMQz7JG.net]
- 律宗
中国では、日本と異なり、正式な僧となるには戒律を修めなければならなかったため、古くから研究が行われた。 東晋代に、『十誦律』『四分律』『摩訶僧祇律』などの戒律が漢訳されると、戒律の研究が本格化した。北魏では、法聡が四分律宗を開宗した。 その後、地論宗に属する慧光(468年 - 537年)が律宗の勢力を拡張した。 唐代には南山律宗を開いた道宣が出て、『四分律行事鈔』を著述して戒律学を大成した。道宣は、慧光の系統に属しており、 その門下からは、周秀・道世・弘景らの僧が出た。道宣の孫弟子である鑑真は、留学僧の要請で日本に律を伝えたとされている 日本においても比較的初期の段階で戒律が伝えられていたものの、不完全なものでその意義が十分されずに一部の寺院における研究に留まり、授戒の儀式も行われていなかった。 天平勝宝5年(753年)、鑑真が6度の航海の末に、唐から招来し、 東大寺に戒壇を開き、聖武上皇、称徳天皇を初めとする人々に日本で初めて戒律を授けた。後に唐招提寺を本拠として戒律研究に専念し、 南都六宗の一つとして今日まで続いている。 朝鮮半島など経由していないw
|
|