- 188 名前:ジャンキー [2018/12/25(火) 14:08:19.96 ID:Ui/tUEMh0.net]
- >>187つづき
「悟りのようなもの」はこんな感じだよね。 「悟りのようなもの」は、昔の自分とのご対面だよね。 それは、赤ちゃんの感覚の再体験だよね。ってことまで話が進んだね。 ただ、このように言葉にすると、概念で理解しようとする大衆が、 話に食いつきやすくなるのだが、全て間違いだからね。 体験者は、同じ風景、同じ感覚を経験しているから、確固としたものです。 富士山に登って見える風景の感じ。空気感。匂い。これは表現者が違っても、 体験者は通じ合えるよね。概念理解では到達できません。これが哲学の限界でしょう。 哲学は本来、覚者の見え方を表現しているだけです。言ってることは同じです。 大きな違いは、覚者かそうでないか?それだけです。 これを読んでいる一般的理解者は、このあたりで覚者というものを特権化 してしまうが、覚者はすごいものではないですからね。 思い出している人と、そうでない人。ただそれだけです。 いったんまとめましたが、読むなといっても読んで、 一般的概念で理解したがる人もいるから、 ちょっと、バカ避け発言もしてあります。つづけます。
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