- 1 名前:依頼225@試されるだいちっちφ ★ [2005/12/25(日) 12:23:56 ID:???0]
- ◇働く誇り、踏みにじられ
9月下旬、東海村の核燃料加工会社「ジェー・シー・オー(JCO)」の元社員、横川豊さん(61)が 自宅でインタビューに応じてくれた。横川さんは6年前、国内初の臨界事故で「青い光」を目撃し、 存命している唯一の人だ。「もう、忘れた」「いちいち覚えとったら、神経が病んでる」。そう言いなが らも、重い体験や心境をありのままに語ってくれる姿に、実直な人柄を感じた。 事故当時のJCOの安全管理のずさんさをほうふつとさせる言葉が随所にあった。例えば放射性 物質の取り扱いについて。「ウラン言うたら、最初はやっぱり怖い。でもそのうち、たいしたこともない んだと思ってくる」。当初はウランの保管容器を30センチ間隔で置くよう指導されたが、実際に運ん だり並べるとき、容器同士をくっつけても怒られなかったという。「だんだん(感覚が)まひした」 「放射能に関しては素人」という横川さん。臨界の危険性に関する指導は無く、作業の安全性を 確かめるすべもなかった。「ウランが溶液状ならば大量に沈殿槽に入れても大丈夫」という事故に つながる誤解も、低濃度ウランを扱っていた過去の経験から生じた。 事故の約1年前、「スペシャルクルー」として燃料用ウラン溶液の製造に携わるようになった時に は、すでに現場での違法な作業が常態化していた。前任者からは「違反なんだけど」という断り付き で引き継ぎを受けたという。国などの視察の前には配管を正しい位置に戻し、機器類を洗浄して カモフラージュした。 「こんな作業がうまくなっても、どこにも自慢できないな」「泥棒がうまくなるようなもんだ」。横川さん は同僚と冗談めかして言い合いながら、内心は「正規の手順で、大手を振って仕事をしたい」と願っ ていた。 亡くなった作業員、大内久さん(死亡当時35歳)の治療にあたった医師団は「あまりにも人命軽視 が甚だしい」とJCO側を批判した。しかし現場では、人命以前に、働く人の誇りが踏みにじられていた。 裁判では裁かれなかったこの罪も、私たちは忘れてはならないと思う。【須田桃子】 毎日新聞 2005年12月25日 www.mainichi-msn.co.jp/chihou/ibaraki/news/20051225ddlk08070014000c.html
- 667 名前:名無しさん@6周年 [2005/12/26(月) 20:54:52 ID:IQAqwjJq0]
- >>664
イエス、死ぬ一ヶ月くらいまでははっきりしていたらしい。 口が開いているのが不思議だったけど、これ気道チューブを入れるためにあけたんだな。 ・・・・・・・・・・・ 同僚が死んだことを1999年の末にお兄さんから聞かされて「俺も死ぬのかなあ」と泣いていたそうだ。
- 668 名前:名無しさん@6周年 mailto:sage [2005/12/26(月) 20:56:51 ID:ZICWV0N60]
- >>664
脳が1番放射線に強いモンで・・・
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