- 1 名前:昔の名無しで出ています [2011/11/02(水) 19:55:49.20 ID:iCJ19Fnt.net]
- 今でも語り継がれている名作曲家の古賀政男について語りましょう
古賀政男 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E8%B3%80%E6%94%BF%E7%94%B7 古賀政男音楽博物館 www.koga.or.jp/
- 181 名前:昔の名無しで出ています [2014/01/02(木) 15:00:32.72 ID:d1REtoQn.net]
- >>180さん
>古賀氏の音楽は基本的に「洋楽」だと思いますよ。 あくまで洋楽がベースにあって、そこに彼のオリジナル部分が加わってるのだと思います。 だからアレがあんま「日本の」って言われることがそもそも疑問ですね。 そのとおりだと思います。 古賀氏の音楽は基本的に「洋楽」だと思います。 あくまで洋楽がベースにあって、そこに彼のオリジナル部分が加わってるのだと思います。 古賀政男の音楽は、洋楽に、日本の伝統音楽を含めて、ジプシーの音楽など世界のさまざまな音楽を学んで取り入れたものだと思います。
- 182 名前:昔の名無しで出ています [2014/01/02(木) 21:18:06.47 ID:d1REtoQn.net]
- >>170
作曲家・古賀政男は、レコード歌手第一号・佐藤千夜子の力添えで誕生した、26歳だった。古賀政男のコロムビア専属第一作は1931年5月『乙女心』(関種子)♪朧月夜のその頃に・・ である。 『乙女心』『窓に凭れて『日本橋から』『あけみの唄』 『美わしの宵』『嘆きの夜曲』(関種子)、『キャンプ小唄』(藤山一郎)、『月の浜辺』(河原喜久恵)、『酒は涙か溜息か』『丘を越えて』『影を慕いて』(藤山一郎)・・ 古賀政男は、デビューした最初の1年で記録的なヒットを飛ばし続け、歌謡界の寵児、コロムビアの顔となる。 支える歌手は、関種子、藤山一郎、河原喜久恵(以上、東京音楽学校)、淡谷のり子(東洋音楽学校)など音楽学校出身者。このうち関種子、藤山一郎は主席。そしてコロムビアで地歩を固めた古賀政男は、明大マンドリンクラブの同輩後輩などをコロムビアに呼び寄せる。 『日本橋から』・・ 和製タンゴ第1号。ハバネラタンゴのリズムが使われている。 『月の浜辺』・・・・ジプシー音楽(ジプシー短音階)、セレナーデ風の佳曲。
- 183 名前:昔の名無しで出ています [2014/01/03(金) 09:31:54.82 ID:Si+RuZiN.net]
- タンゴと歌謡曲は戦前から密接な関係があったようで、歌謡曲の創世記に、ハバネラタンゴのリズムが使われた。古賀政男(「正男」)作曲、佐藤千夜子がビクターで吹込んだ《日本橋から》のリズムがそうである。
その後、関種子によって再録音(コロムビア)された。邦人歌曲においてタンゴのリズムが使われた最初の例であろう。 「日本橋から」以来、戦後にいたるまで歌謡曲では旋律に変化をあたえるリズムとして多用されるようになり、流行歌の発展には欠かせなくなりました。 「赤い花」「銀座セレナーデ」「黒いパイプ」「夢去りぬ」「落葉しぐれ」・・、昭和22年東宝 『音楽五人男』挿入歌「バラ咲く小径」などがあげられる。 ジプシー音楽とハバネラが古賀メロディーの原点だった!ともいわれる所以だろう。
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