- 176 名前:杉山真大 ◆mRYEzsNHlY [2009/05/26(火) 12:49:20 ID:XwD9X/71 BE:282704843-2BP(0)]
- >>175
50年前の政府見解をそのまま引っ張ってみても、何の意味も無いんだけど。何しろ同じ頃の産経新聞は・・・ 産経新聞 1959年12月24日夕刊 暖かい宿舎や出迎え/第二次帰国船雪の清津入港 細かい心づかいの受け入れ 【清津で坂本記者】 …出迎えた人は人口二十万のこの市で五万人。手に手に、もも色の造花、国旗を持って港一帯から沿道は 歓呼の列で埋められた。…岸壁に着くと「マンセイ(万歳)」の爆発。五色の紙吹雪を浴びながら帰国者はす ぐ前の休憩所に入った。一階建てだが、日比谷公会堂以上の大きさ。ソファーが五、六〇あり、あとは清潔な ベンチが並んでいた。 熱風を送る装置がたくさんあって部屋は暖かく、千人近い帰国者をすっぽり収容してまだおつりのくる広さだ。 こういうことのできる母国の経済力に帰国者は驚き、安心したに違いない。 宿舎は6キロ離れた市内に別につくってある。帰国者のためにこの夏、わずか四〇日間の超スピードで完成 した五階建ての長さ百メートルもある大アパート、これも千人すっぽりはいれる。六畳くらいの部屋にはタンス、 家具はもちろん小型ラジオまでついて至れりつくせりだ。私たちがみて感銘を受けたのは五万人の人が押し 合いへし合いの混乱もなく秩序が整然としていることだ。それでいてみんなが同胞を迎える喜びにあふれて いたこと。迎える準備が実に行き届いて、たとえば料理でも日本から帰った人にいきなり辛すぎるものは刺激 が強すぎるだろうと甘くしてあったり万事に細かい心づかいがあらわれている点だった。 帰国者の一人…は「この歓迎のありがたさはなんともいえません。肉親でもこんなにあたたかく迎えてくれる とは思えませんでした。私には手に職がありませんので何でもやって働きます」と語っていた。 ・・・とまで報じていたんだからね。
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