- 1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/01/22(日) 09:33:50 ID:sZn4myF10]
- 元町
- 409 名前:nanasissimo [2011/04/29(金) 23:55:27.57 ID:ev3fIXw10]
- 今から80年ほど前のことです。昭和の初め、まだ日本が平和だった頃、
映画が次々と封切られ、電蓄やラジオが普及し、流行歌のレコードが売れ、 町には自動車が走り、皆が新しい時代の到来を予感していた時代のことです。 こころさんは海の見える高台の、少し裕福な家庭に生まれました。 こころさんはこの街で伸び伸びと育ちました。こころさんは歌うことが大 好きで、小さな頃からお母さんが弾くピアノに合わせて童謡や唱歌を歌って いました。尋常小学校に上がってからも、こころさんは歌うことと坂道を元 気に歩き回ることが大好きな、とても明るい女の子でした。 ある時、こころさんは洋行帰りの伯父さんからぬいぐるみをいただきまし た。それは白い熊のぬいぐるみで、頭の大きさに比べて胴体が小さく、また、 まん丸の耳がとても大きくて口が角ばった形をした不思議な姿でしたが、こ ころさんは寧ろそれが可愛いと言い、とても気に入って大切にしていました。 既にこの頃大陸では戦争が始まり、世の中は不穏な空気に包まれていまし た。そして遂にアメリカとの戦争が始まりましたが、当初は連戦連勝が伝え られ、一般の人々の日常生活にも大きな変化はありませんでした。しかし、 戦争が進むにつれ、大本営の発表とは裏腹に、徐々に雲行きが怪しくなって 来たことは一般の人々にも分かりました。そんな頃、こころさんは国民学校 を卒業し、山の上にある高等女学校に進学したのです。
- 410 名前:nanasissimo [2011/04/29(金) 23:56:40.13 ID:ev3fIXw10]
- 女学校に入学した当初、こころさんは学友達と楽しく勉強していました。
しかし時局の悪化により学校が休校になり、女学生達も勤労奉仕に駆り出さ れるようになりました。出征した働き手達に代わって農作業の手伝いをして いたこころさんたちですが、みんなで支え合い、歌を歌って辛い仕事に耐え ていました。 昭和20年の春、勤労奉仕が休みになったある晴れた日の昼下がり、ここ ろさんは大好きな熊のぬいぐるみを抱いて、女学校の前の道を散歩していま した。もう女学生なんだから、そんなぬいぐるみを持っていたら恥ずかしい とお母さんに注意されたのですが、国民学校を卒業後ほんの少し女学校で勉 強しただけ、まだまだ子供だったこころさんです。お母さんに内緒でぬいぐ るみを持って出掛けたのでした。この頃は、今のような豊かな時代と違って、 みんな洋服を沢山持ってはいませんでしたし、華美な服装で出歩くことは許 されない時代でした。こころさんはこの日もお気に入りの女学校の制服、紺 色のセーラー服の上衣を着、もんぺを履いていました。 この街の海に近い界隈は既に空襲で焼け野原になっていましたが、こころ さんの家や女学校のある高台は比較的被害を受けていませんでした。女学校 の前の道は曲がりくねった急な坂道で、学校の反対側には渓流のような小川 が流れています。こころさんがこの坂道を登り始めた頃、遠くで空襲警報の サイレンが聞こえました。しかし、こころさんは特に気にする様子もなく、 女学校の校歌を歌いながら坂道を登り始めました。その時、微かに飛行機の エンジンの音が聞こえていました。
- 411 名前:nanasissimo [2011/04/29(金) 23:58:05.27 ID:ev3fIXw10]
- こころさんが抱いていた真っ白な熊のぬいぐるみはとても目立ったので、
上空からもはっきりと見えました。こころさんが女学校の校歌の11小節目か ら12小節目、一気に音が高くなるところを歌いながら正門近くまで上ってき た時、米軍の艦載機は急降下し、機銃掃射を開始しました。 こころさんが艦載機に気付いた次の瞬間、何発もの銃弾がこころさんの体 を貫き、こころさんは一回転して倒れました。倒れたこころさんから1メー トルほど離れたところに転がっていた熊のぬいぐるみは、まん丸だった耳が 両方とも銃弾で引き裂かれ、まるで子供用の手袋のような形になっていまし た。 こころさんのお母さんは、こころさんの棺にこころさんが大好きだった熊 のぬいぐるみと、お気に入りの女学校の制服を入れてあげようと考えました。 ところが銃弾によって穴がいくつも開き、血糊がべっとりと付いた制服は余 りにも無残な姿でした。でも制服の襟の部分だけはなぜか殆ど汚れていませ んでした。お母さんは制服の襟を切り取り、胸に結ぶ黒い紐と一緒に棺に収 めました。そして、その上に耳が裂けた熊のぬいぐるみをそっと載せました。 こころさんが倒れていた場所には現在はお地蔵様が立っていて、今でも人 々が手向ける花が絶えることはないそうです。
- 412 名前:nanasissimo [2011/04/30(土) 00:01:18.30 ID:9Gk+Gr9z0]
- やがて戦争が終わり、食べ物もろくにない悲惨な時代でしたが、女学校が
再開され、女学生達の笑顔と笑声が学校に戻ってきました。しかし、勿論そ こにはこころさんの姿はありませんでした。 それから年月が過ぎ、高等女学校は女子中学校・高等学校と名を変えまし たが、女学生ならぬ女子生徒たちが昔と変わらず勉強していました。日本は どんどん豊かになって行きましたが、その反面、昔とは違って些細なことか ら悩みを持つ若者も増えてきました。 ある春の日の放課後、中学2年になったばかりの生徒が一人、教室で俯い て座っていました。彼女は友達とのちょっとした諍いのことで思い悩み、一 人打ち沈んでいたのです。 「○○ちゃん、ごめん。私、なんであんなこと言ったんやろ…。」 彼女がふと顔を上げると、目の前に不思議なぬいぐるみが立っていました。 そのぬいぐるみは白い熊のようでしたが、大きな頭に手袋のような形の大き な耳が付いていて、彼女の制服の襟とそっくりの布をマントのように肩に掛 けていました。そして胸には彼女と同じように黒い紐を結んでいたのです。 そのぬいぐるみも、何だかとても悲しそうな顔をしていました。 「あなたは一体誰なの?」 「私はココロ、あなたが悲しそうにしてると、私も悲しいの。」 彼女は暫くこの不思議なぬいぐるみを見詰めていましたが、ふと怖くなっ て一度視線を逸らし、もう一度そちらを見ると、そこにぬいぐるみの姿はあ りませんでした。
- 413 名前:nanasissimo [2011/04/30(土) 00:02:41.07 ID:9Gk+Gr9z0]
- この女学校は戦災を免れ、現在でも昭和の初めに建てられた立派な講堂の
ある建物が残っていて、本館と呼ばれています。その中学2年の女子生徒が 不思議な熊のぬいぐるみを見た翌日、彼女は友達と仲直りしました。そして 数日後、その友達と一緒にとても楽しい気分でその本館の前を通り掛かった 時のことです。 本館の入口には重々しい扉があり、その上に縁が黒く塗られたひさしがあ ります。彼女がふと本館のほうを見ると、先日教室で見た熊のぬいぐるみが 扉の前にいて、とても楽しそうな表情で手を振っています。 「あなたが楽しそうにしてると、私も楽しいの。」 彼女は驚いて友達のほうを見ました。 「○○ちゃん、ほら、本館の前に…。」 しかし、そこにはもうぬいぐるみの姿はありませんでした。彼女がぬいぐ るみの話をしても、友達は「そんなあほな」と言って信じてくれませんでし た。後日彼女は他の友人達にもこの不思議なぬいぐるみの話をしましたが、 誰も信じてはくれませんでした。
- 414 名前:nanasissimo [2011/04/30(土) 00:04:24.56 ID:9Gk+Gr9z0]
- それから暫く経って、やはりこのぬいぐるみを見たという生徒が何人か出
てきましたが、他の生徒達は最初その話を信じませんでした。彼女達の話で 共通しているのは、その白い熊のぬいぐるみがココロと名乗ったことと、彼 女達が悲しかったり嬉しかったり、淋しかったり腹立たしかったり、そんな 時にまるで彼女達自身の心を写すかのように同じ表情で現れて来るというこ とでした。 このぬいぐるみは、それを見た生徒達から、そして見ていない生徒達から も、やがてココロちゃんと呼ばれるようになりました。そして、それはこの 女子校に通う生徒たちの心を写す鏡のようなもので、自分の心に素直になれ る生徒にだけ見えるのだと言われるようになりました。 あなたにはココロちゃんが見えますか?ほら、そこの階段のところにいますよ! なお、この物語はフィクションで登場する人物や団体は全て架空のもので あり、実在のものとは一切関係ありません。
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