- 207 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2023/01/29(日) 22:54:38.76 ID:Ex+3EDzH0.net]
- >>152
GLAYは99年に事務所パワーによるレコ大に嫌気がさし、受賞と引き換えに解散を決意。そして大晦日、4人で飲んでたら解散後の話題に。TERUが「俺が歌うからTAKUROギター弾いてよ」と言ったことを皮切りに、ギターはHISASHI、ベースはJIROで…となり、そもそもそれはGLAYじゃないかと。それで解散は立ち消えに。 2000年はGLAY史上最多の公演数のツアーでJIROが病んでしまいずっと下を向き、一言も喋らず動かず演奏するなど異常事態に。JIROのホテルの部屋にTAKUROが(当時のGLAYの状況ならそんなことをしたら大損害になるとわかっていても)「辛いならツアーやめてもいいから」といった内容の手紙を入れ、それにJIROが救われて復活。 次のピンチは2006年の事務所独立。事務所と楽曲の権利をめぐり裁判をした。離れていく人も多く、何もかも失ったように見えたが、自分たちの手でハンドルを握って活動したいとの決意のもと、現在のGLAYが過去のGLAYメンバーの死体を埋める衝撃的なCMとともに「Re-birth」と銘打ったツアーを開催。これまでの大規模なライブではなくホールツアーから出直したりと、足元を固める活動から再開。 プロデューサーの佐久間正英の死後は亀田誠治とともに新たなGLAY像の構築を続けている。
|
|