- 98 名前:可愛い奥様 mailto:sage [2010/11/17(水) 10:42:53 ID:JqjO0vYs0]
- 法廷で朗読された被告の母親の供述調書などによると、池田被告は1978年、兵庫県で生まれた。
父親は元甲子園球児の銀行員で経済的に恵まれて育った。 親の転勤で5歳の時に横浜市に引っ越し、中学では生徒会長も務めた。 同市内の私立高校を卒業し、22歳で結婚して一女をもうけたが数年後に離婚。 水道工事会社や先物取引会社などを転々としながら、毎月10万円の養育費を送った。 どの職場も長続きせず、「転落」が始まったのは指定暴力団稲川会系組織の組員となった2004年ごろ。 途中で山口組系の組に移り、暴力団には計約2年間所属した。 実家とは連絡を絶った。母親は「どこかで生きていると信じ、『腐るなよ、いつか道は開ける』とメールを打ち続けた」と振り返った。 事件直前は東京都内の岩盤浴店の店長として働いた。休み無く働いて月収は手取り約23万円。 養育費を送るとわずかしか残らず、稼ぐ方法を探していた。 知り合ったばかりの近藤剛郎(たけろう)容疑者(26)=海外逃亡中=から麻薬密輸にかかわるよう誘われたのは、そのころだった。 当時の心境を被告は「収入とともに、刺激的な非日常の世界にあこがれた面もあった」と説明した。 母親は調書で「事件は私たち親子にとって究極の痛み。最高刑を受け入れる覚悟はできているつもりです。 だが、生きなくてはならないとしたら一緒に償いたい」と訴えた。 審理最終盤の被告人質問で、裁判員が「時間を巻き戻せるとしたらどこに戻りたいか」と聞くと、 被告は「事件前よりももっと根本的なところ。できることなら学生時代まで」と答えた。 www.asahi.com/national/update/1116/TKY201011160220.html
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