- 2 名前:可愛い奥様 [2012/09/28(金) 17:06:07.59 ID:0zRaE9+I0]
- 竹島編入には抗議することができました。
1904年 8月22日 第一次日韓協約 外交顧問としてアメリカ人(駐日公使館顧問)が就任 1905年 1月28日 竹島 島根編入 1905年 8月12日 大韓帝国が「第二次日英同盟」の条文へ正式に抗議 ⇒ 【外交権が存在した証拠】 1905年11月17日 第二次日韓協約 (大韓帝国の第三国への外交権は制限されたが、日韓間の外交は禁止されておらず) 1906年 2月 4日 大韓帝国が日本海軍の用地買収に関して、日本の統監府に抗議し承認させる ⇒ 【日韓間では抗議が出来た証拠】 1907年 6月 ハーグ密使事件※(親書でも演説でも竹島編入への言及無し) ⇒ 【大韓帝国が竹島編入を問題視していなかった傍証】 ※大韓帝国が外交権回復を訴える密使を、平和会議が開催されていたハーグに送り列強から拒絶された事件。 日本に秘密の密使外交であったため、大韓帝国側が何でも自由に主張できる状態にあった。
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