- 289 名前:名無しさん@恐縮です mailto:sage [2011/11/13(日) 18:19:49.03 ID:oedbZIusP]
- 今現在ネットにだけ真実があるわけでない。たとえば中川八洋の「歴史を偽造する韓国」
東拓とは、朝鮮の社会では、「朝鮮人にやさしい」というより、「朝鮮人に弱い」会社にすぎなかった。 このことは、1925年の小作争議の事件(宮三面事件)が端的に示している。 なぜなら、朝鮮人の道知事(県知事)の鶴の一声で、いっさいの法を無視して、 1770町の東拓の田畑が没収された。 その上、その小作人たちにこの東拓の土地がほとんど無償で分譲(譲渡)させられた。 つまり、朝鮮人が、上と下からのサンドイッチ攻撃で、日本の企業の土地を「没収」したのである。 全羅南道のこの1770町の田畑は、旧韓国政府から東拓設立時に現物出資された1万1千町の一部であり、 その時は「国有地」であった。東拓は、これらの現物出資の農地に小作人がいる場合、 すべてに耕作権を認めて小作人として雇用した。 だから「宮三面」でも小作人はすべて昔からの村民かその子供たちであった。 東拓は、東拓の資本で、ここに貯水池をつくり揚水機を設置して優良な農地に改造したとき、 この小作人のほぼ全員が「かつて1890年頃までは自分たちの民有地であった」事実をもち出し、 無償譲渡を要求し小作料不払い運動をおこしたのである。 しかし、この1890年頃、租税が払えない村民がこぞって「宮三面」を慶善宮に寄進して自ら小作人となり、 代償として「租税なし」を選択したのである。 1890年の土地所有権の移動は、1908年創立の東拓に責任はない。 しかし張憲植という県知事は「諭告」をもって、問答無用とばかりに、墓田は無償、その他は「破格の条件」で 譲渡せよと東拓に命じたのである。 東拓は朝鮮人の県知事と朝鮮人の小作人からの理不尽な強要に敗北しそれに従った。 朝鮮総督府は見て見ぬふりをして東拓を助けなかった。 日本企業の土地を「収奪」するように、朝鮮には植民地の性格は全くなかった。 歴史を偽造する韓国 徳間書店 中川八洋著
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