- 400 名前:名無しさん@恐縮です mailto:sage [2021/04/17(土) 19:10:39.60 ID:RnMt3C0e0.net]
- 漫画の実写化に限らず、邦画の映像が出てきたら「画面の隅」を注目するんだけど、
哀しいことにたいていの邦画で、画面上端の方を見ると 「あ、ここまでスタッフの注意が行き届いていないなあ」 という隙間というか、気合の入っていないただ映ってるだけの風景みたいな空間が ポカッと開いているのが見えてしまう 洋画の予告をみていると、一見チープな画面でもそういう「隙」は見えないし、 劇場版アニメの予告でもそういうことを感じることは少ない。 画面に映るものは 小道具から背景の隅々まで監督らのコントロール下にあって作品世界の一部として きちんと統制されているという安心感がある けど、マンガの実写化邦画、たとえば「鋼の錬金術師」の映像とか見たら、必ず 画面の隅の空や町の景色なんかに、コントロールしきれていないとしか思えない、 ただ映ってるだけの気のない空間がポコッと残ってしまって脱力する かの「ジョジョ」なんか割と気合が入っていたけれど、それでも町の景色の 石畳や建物、通行人の服装や青空なんかに 「…たぶんこの辺までコントロールしきれて ないんだろうなあ」と思えてしまう画面が散見されてた やっぱり漫画やアニメって、一から絵を作らなきゃいけないから、作品世界全体を 作者のカラーで統一できているジャンルなんだと思ったし、かつての黒澤や深作なんかは 画面の端まで自分の意志できっちり塗りつぶしていた監督だったんだなあと実感する なんのかの言われたけど「翔んで埼玉」もやっぱり画面が隅々まで充実していたなあ
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