- 1 名前:砂漠のマスカレード ★ [2017/10/18(水) 16:18:44.99 ID:CAP_USER9.net]
- 90年代を語る上で絶対に外せないCMがある。
イメージ的には90年代深夜のCM投下量No.1!それが「銀座ジュエリーマキ」のCMだ。 当時を代表するアーティストの楽曲をバックに、外国人モデル美女が艶めかしく踊ったり、スタイリッシュにポーズを決めるのが基本構成である。 深夜番組・カラオケ人気で影響力を増す「銀座ジュエリーマキ」のCM 「銀座ジュエリーマキ」のCM自体は80年代から深夜を中心に放送されていたが、深夜番組花盛りとなる90年代に入ってその話題性と勢いは加速。 カラオケブームと相まって、最新J-POPのプロモーション的役割を果たすようになっていく。 B'zの『太陽のKomachi Angel』『Easy Come, Easy Go!』辺りから、その傾向は顕著になったのではないか? とにかく、深夜のCM率がハンパない。確か、10時55分のニュースの時間帯から一斉に始まったと記憶している。(テレビ東京系は昼夜問わず放送)。 番組が変わっても、チャンネルを変えた先でも延々とリピート放送中。だから、キャッチーなサビは嫌でも耳に残りまくり。もはや洗脳状態である。 小室ブームの原点は「銀座ジュエリーマキ」のCMだった!? TM NETWORKがTMNにリニューアルして間もなくのシングル『Love Train』は『We Love the Earth』との両A面になっていたが、そのどちらもがこのCMとのタイアップ付き 露出の高さもあって、TM史上最高の売り上げを記録している。 特に『Love Train』は、小室が「カラオケで歌われる=ヒット曲」という方程式を初めて確立した曲。このヒットがなければ、後の小室プロデュース時代は来なかったかも知れない。 そう考えると、「銀座ジュエリーマキ」のCMが日本の音楽史に果たした役割は非常に大きいのである。 アーティストのブレイクは「銀座ジュエリーマキ」のCMから このCMは、アーティストにとってブレイクの登竜門的位置付けにあった。 中西圭三は『Woman』で自身最大のヒットを記録し、それまで無名に近い存在だった久宝留理子は『男』で、田村直美は『永遠の一秒』でそれぞれ認知が拡大。 GLAYも『Yes,Summerdays』がブレイクの呼び水になっている。(記事はこちら) REV、松田樹利亜、森下玲可など(この記事を書くために20年以上ぶりに思い出した懐かしい顔ぶれ)も、このCMが羽ばたくきっかけとなった。 また97年には、ピークを過ぎた小室ファミリーの楽曲を連続投下し、ブームの延長にひと役買っている。 今すぐ使いたい「銀座ジュエリーマキ」トリビア CMの最後には「銀座じゅわいよ・くちゅーるマキ 上野広小路店」「銀座ジュエリーマキ 中部近鉄名古屋2階」など、放送地域の店舗紹介が入るのも大きな特徴。 静岡県生まれの筆者は「銀座ジュエリーマキ 新静岡センター2階」だった。あなたの地域はどこだっただろうか? 大学時代には「日比谷シャンテ2階」「サンシャインシティーアルパ1階」などの響きに、都会を感じたなぁ……。 www.excite.co.jp/News/90s/20171018/E1508119489135.html 90s チョベリー 2017年10月18日 11時00分 https://www.youtube.com/watch?v=bMgu2ZxBASk 銀座ジュエリーマキ 中西圭三 cm https://www.youtube.com/watch?v=ubaaTHVvEKc 1994年 銀座ジュエリー マキ CAMELLIA DIAMOND カメリアダイヤモンド 〜Nostalgic CM of Japan〜 https://www.youtube.com/watch?v=KFTjOP6G0-U 白田久子 約束篇<♪JYONGR I 「〜約束〜」>
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