- 2 名前:独立した人たちが集まってきており、「結局こういう場所でやるしかないだろう」と日本サンライズで働くことに。
当時、日本サンライズは新興会社のため、世界名作劇場のような割のいい仕事はとれない。 富野氏は「だから巨大ロボットものでやっていくしかありませんでした。それで、ロボットものの仕事をしながら、自分はこのまま50、60歳までやれるのか…。 だったら、自分のオリジナルアニメを手にいれるしかない!」と考えたようだ。 ■『ガンダム』は自分が“生き延びるために仕掛けた” サンライズで実績を積み重ねた富野氏は、『無敵超人ザンボット3』『無敵鋼人ダイターン3』『機動戦士ガンダム』の監督を歴任。 名実ともに日本を代表するアニメ監督となった。 「当時は著作権もあいまいな時代でしたので、3本目の『ガンダム』の時に著作権をちゃんと自分で取れるようにとストーリーを描き、映画化も視野に入れて作りました。 スポンサーを騙しながら、そういう仕掛けをつくっていったわけです(笑)」。つまり、『ガンダム』は自分が“生き延びるために仕掛けた”のであり、命拾いさせてもらった作品だと強調する。 そして、富野氏が産み出した『ガンダム』が、40年近くに渡って支持されている。しかし、富野氏はその点についてあくまで冷静に分析する。 「人気がここまで継続したことを考えれば、僕自身の“命拾い”というだけの生易しいものではありませんでした。実を言うと、僕ひとりが発案して『ガンダム』が成功したわけではない。 キャラクターデザインの安彦(良和)君、メカニカルデザインの大河原(邦男)君がいたから、でもないんです。 どういうことかというと、著作権があり、映像化権があり、商品化権があり、それぞれの権利を獲得し、それを分け合うためのシステムをどう作っていったか。 そして、それを会社という組織でみんなが意識したから今のガンダムがあるんです」。この総体的な動きについては、10年くらいたって気づいたのだという。 http://news.livedoor.com/article/detail/13763131/ 2017年10月18日 8時40分 オリコン mailto:【話題】「腹立たしい気分もあった…」富野由悠季が『ガンダム』著作権を譲渡した理由とは? [] - [ここ壊れてます]
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