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1990年代の阪神は言うほど暗黒だったのか?



741 名前:神様仏様名無し様 mailto:sage [2017/06/22(木) 15:05:08.90 ID:6LSdMNa5.net]
メイ投手は98年、阪神タイガースの助っ人投手として、シーズン途中の5月に来日。
MAX138ながら切れのある投球で多彩な変化球も交える投手。
まだ26歳という年齢もあり、大いに期待されての入団だった。すでに戦力として見限られていたクリーク投手に代わって即一軍登録される。
初登板ではまとまりのある投球を見せたものの、敗戦投手に。

初勝利は6月、札幌での横浜戦、マシンガン打線をみごと完封した試合だった。
当時の監督、吉田義男は「メイがMAY(5月)に勝てずに、JURY(本当はJUNE)に勝ちましたわ。」と迷言を残した。

その後も5回2失点程度の安定した投球を見せるが、肝心なところでの失点も目立ち、防御率3.47ながら4勝9敗に終わった。
シーズン終了を待たずに帰国すると、「来期の残留はメジャーからのオファー次第。マイナーなら阪神に残る」と阪神とメジャーを両天秤にかけたのだ。

結局、オファーは来なかったため阪神残留したが、新監督に就任した野村克也氏がメイの言動を聞くやいなや、
「日本の野球をナメている、そんな選手はいらん」とバッサリ。しかしメイを残したいフロントと、野村監督の意見が食い違う。
野村監督は日本で未勝利ながらクリークの評価が高く残留を望んでいた。

しかしまだ野村監督に編成の権限はなく結局、フロントの意向が通る事になり、メイが残留となった。
さて翌年キャンプにやってきたメイと野村監督の注目された初対面、メイはリベラと共に一通りの挨拶。
両者が別れた後、野村監督は印象を「暗いねぇ〜」と評した。その後も監督と出会っても挨拶をしないなど、両者の溝は次第に深まっていく。

シーズンに入り、メイは球数を「90球」に限定。わがままぶりは続いたが、藪、吉田以外にまともにローテを組めない阪神としてはメイを離す訳には行かなかった。
投球面でも変身ぶりを見せMAX138だったのが144まで上がっていて、ヤクルト石井一と奪三振を争うなど、前年の打たせて取る投球からガラッとイメージを変えてきた。

前半戦終了後、メイはオールスター休みを利用して歯の治療をしたいのでアメリカに帰ると球団に許可をもらう。
しかしオールスターが終わっても帰ってこず、首脳陣は激怒。しかも歯の治療は嘘で実は恋人と共にグアム旅行していたのだ。
これを聞いた首脳陣はメイに2軍落ちの処分を下す。しかしこれをメイが不服とし、「俺を使わないならクビにしろ」などど問題発言の嵐。
関西スポーツ紙は、こぞって「阪神内紛」、「メイ造反」と書き上げた。

しかも、2軍練習球場でマスコミに野村監督に対する批判文書をビラにして配るという前代未聞の行為に出る。
これに激怒した野村監督は即刻、球団にメイ解任を要求するが、メイを契約期限一杯まで拘束し、就職活動させないという球団の判断から無期限謹慎処分となった。

12月、阪神の契約期限が終了したメイに、横浜、オリックスなどが獲得に名乗りをあげる。
最終的に一億円を提示した横浜に入団内定した、と思いきや突如、巨人が横浜提示額の2倍の2億円でメイを強奪。
阪神時代の4000万からの大幅アップだった。






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