ブラジルを去った後、グロタンディークは1955年の1年をカンザス大学(おそらくN. Aronszajnの招待だろう。[Corr])で過ごした。 そこで、グロタンディークはホモロジー代数に没頭し始めた。彼が"Sur quelques points d’algebre homologique"[訳注:"ホモロジー代数のいくつかのポイントについて"]を書いたのはカンザス大学滞在中だった。 この論文は、それが掲載されたTohoku Mathematical Journal [To]の名前を冠して専門家の間で非公式に"東北論文"として知られるようになったが、ホモロジー代数の古典となり、モジュールに関するカルタンとアイレンバーグの研究を拡張した。 またカンザスにいる間、グロタンディークは"A general theory of fiber spaces with structure sheaf"[訳注:"構造的層を持つファイバー空間の一般論"]を書き、アメリカ国立科学財団のレポートとして出現した。 このレポートは非アーベルコホモロジーに関する彼の第1着想を展開した。非アーベルコホモロジーには後に代数幾何学の状況で舞い戻った。