- 918 名前:132人目の素数さん mailto:sage [2022/05/01(日) 07:29:10.88 .net]
- https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%9E%E5%93%B2%E5%AD%A6
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ラリュエルは、哲学の決定的構造は非哲学的にしか把握できないと主張している。 この意味で、非哲学は哲学についての科学である。 しかし、非哲学はメタ哲学ではない。 というのも、ラリュエル研究者のレイ・ブラシエが述べているように、 「哲学は既にその構成的な再帰性を通してメタ哲学的」だからである。 ブラシエはまた、非哲学を 「超越論的な公理を経て進行し、哲学的に解釈不可能な定理を生み出す 哲学の理論的実践」と定義している。 非哲学の公理と定理が哲学的に解釈不可能である理由は、先に説明したように、 非哲学のようには哲学はその決定的構造を把握することができないからである。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 上記の説明から察するにラリュエル氏のいう「非哲学」なるものは 「前哲学」とでも呼んだほうがいいのではないか? ついでにいうと「形而上学」はもともとメタフィジクスであるが これも「前物理学」と呼ぶのが本来の意味に即していると思う (なお、「メタ数学」は「数学体系を対象とする数学」であっても 数学以前を考察するものではないから「前数学」ではない) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ラリュエルの非哲学と哲学との関係は、 非ユークリッド幾何学とユークリッドの仕事 と類比的に捉えられるべきである、と彼は主張している。 それは特にアラン・バディウのようなジャック・ラカンの哲学的相続者と対立している。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ラリュエル氏の説明に基づくなら、 ユークリッド幾何学と非ユークリッド幾何学は それぞれ異なる哲学に対応するのであって、 彼のいう「非哲学」なるものは、むしろ 平行線公理の是非以前の「前ユークリッド幾何学」 と考えるべきではないかと思う
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