- 413 名前:現代数学の系譜 古典ガロア理論を読む mailto:sage [2017/07/04(火) 18:39:38.01 ID:8fQUKD9a.net]
- >>366
¥さん、どうも。スレ主です。 >そういうのって「語学の問題じゃない」ですよ。英語で押し切っても普通は何とかなる >でしょう。私はロシア語なんか出来ませんが、でもロシアでもいいから脱出したかった まあ、人間は「語学など、窮地になるとなんとかする」潜在能力があるのかもしれません 江戸時代の日本人(下記)など が、まあ背水の陣というか でも、なかなかそれは凡人には難しいですよね(^^ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%BB%92%E5%B1%8B%E5%85%89%E5%A4%AA%E5%A4%AB (抜粋) 大黒屋 光太夫(だいこくや こうだゆう、宝暦元年(1751年) - 文政11年4月15日(1828年5月28日)) 天明2年(1782年)、嵐のため江戸へ向かう回船が漂流し、アリューシャン列島(当時はロシア領アラスカの一部)のアムチトカ島に漂着。 ロシア帝国の帝都サンクトペテルブルクで女帝エカチェリーナ2世に謁見して帰国を願い出、漂流から約9年半後の寛政4年(1792年)に根室港入りして帰国した。 彼らとともに暮らす中で光太夫らはロシア語を習得。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E6%98%AF%E6%B8%85 高橋是清 (抜粋) 横浜のアメリカ人医師ヘボンの私塾であるヘボン塾(現・明治学院大学)にて学び、1867年(慶応3年)に藩命により、勝海舟の息子・小鹿と海外へ留学した。 ホームステイ先である彼の両親に騙され[3]年季奉公[4]の契約書にサインし、オークランドのブラウン家に売られる。 牧童や葡萄園で奴隷同然の生活を強いられ[注釈 1]、いくつかの家を転々とわたり、時には抵抗してストライキを試みるなど苦労を重ねる。この間、英語の会話と読み書き能力を習得する。 1868年(明治元年)、帰国する。帰国後の1873年(明治6年)、サンフランシスコで知遇を得た森有礼に薦められて文部省に入省し、十等出仕となる。 英語の教師もこなし、大学予備門で教える傍ら当時の進学予備校の数校で教壇に立ち、そのうち廃校寸前にあった共立学校(現・開成中学校・高等学校)の初代校長をも一時務めた。教え子には俳人の正岡子規やバルチック艦隊を撃滅した海軍中将・秋山真之がいる。
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